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2019年5月 1日 (水)

港町memory 6

元号が『令和』になったということで、おもいつくことを幾つか述べてみます。
〇「令」も「和」も『万葉集』の「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」の一節から採られたものだという政府発表だが、4500首もの歌が全て漢字(その頃は漢字しかありませんでしたので)で記されているのだから、「令」だってなんだって在ったろう。そこをナンダかありがたそうに日本のコトバの中からと理(ことわ)っているところがかえって胡散臭くてなりまへんな。イイワケがましいとでもいいますか。
〇「令」が日本(日本という呼称は未だナカッタのだけど)で正式に歴史的、政治的に登場するのは、そういや教科書にも出てきたなと思いあたるヒトもあるでしょうが、あれですな、〔律令制度〕ですな。「律令」というのは要するに法律の原初形態で、いわゆる国家体制を規定する基本法であります。私の手持ちの資料集では、大化の改新以降、いろいろな「律令」が登場してまいります。(『令義解(りょうのげ)巻』)
〇「律」は/犯罪と刑罰に関する規定を内容にした禁止法。「令(りょう)」は行政法、民法などを含む命令法、になります。お手本は中国の律令制度ですな。
〇『万葉集』についてもちっと、覗いてみましょう。「貧窮問答の歌(山上憶良)」というのがあります。律令の時代の百姓の貧困を歌ったものです。(万葉集巻五)
/風雑(ま)じり 雨降る夜の雨雑じり 雪降る夜は術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜(すす)ろひて 咳(しは)ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我除(われお)きて 人はあらじと ほころへど 寒くしあれば 麻襖(あさぶすま) 引きかがふり 布肩着ぬ 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ このときは 如何にしつつか ながよはわたる
 天地(あめつち)は 広しといへど 吾がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月は 明(あか)しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け ふせいおの まげいおの内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 竈(かまど)には 火気(ほけ)吹きたてず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯炊(いひかし)く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると 言えるが如く しもととる 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道 世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば/

口語に訳すと以下になります。
/風交じりの雨が降る夜の雨交じりの雪が降る夜はどうしようもなく寒いので,塩をなめながら糟湯酒(かすゆざけ)をすすり,咳をしながら鼻をすする。少しはえているひげをなでて,自分より優れた者はいないだろうとうぬぼれているが,寒くて仕方ないので,麻のふとんをひっかぶり,麻衣を重ね着しても寒い夜だ。私よりも貧しい人の父母は腹をすかせてこごえ,妻子は泣いているだろうに。こういう時はあなたはどのように暮らしているのか。
 天地は広いというけれど,私には狭いものだ。太陽や月は明るいというけれど,私のためには照らしてはくれないものだ。他の人もみなそうなんだろうか。私だけなのだろうか。人として生まれ,人並みに働いているのに,綿も入っていない海藻のようにぼろぼろになった衣を肩にかけて,つぶれかかった家,曲がった家の中には,地面にわらをしいて,父母は枕の方に,妻子は足の方に,私を囲むようにして嘆き悲しんでいる。かまどには火のけがなく,米をにる器にはクモの巣がはってしまい,飯を炊くことも忘れてしまったようだ。ぬえ鳥の様にかぼそい声を出していると,短いもののはしを切るとでも言うように,鞭を持った里長の声が寝床にまで聞こえる。こんなにもどうしようもないものなのか,世の中というものは。この世の中はつらく,身もやせるように耐えられないと思うけれど,鳥ではないから,飛んで行ってしまうこともできない。/
〇なんだか、貧しく悲惨なんですが、〔百姓〕というのはもともとは階級を示すコトバではありません。網野史観に似てはいますが、かつて私がresearchしたところによると、農民(農業従事者)からの分業、専業の過程にこの〔百姓〕が登場します。つまり、田畑を耕すひとは、当初、鍬や鎌、鋤などの農具、あるいは竹籠なども自作していた。ところが分業でそれだけを造るひとが出てきた。これが専業ですね。『竹取物語』に登場の「竹取の翁」などはその例です。
〇ところで、この頃、田植えや刈り入れ、その他の農業行事の季節になると、笛や太鼓や鳴り物でこの作業を応援する人々が何処からともなくやって来るようになります。これが神事に発展するのですが、「まれびと」・・・/まれに訪れてくる神または聖なる人。日本の古代説話や現行の民俗のなかに,マレビトの来訪をめぐる習俗が認められる。古代人はマレビトを一定の季節に訪れてくる神とし,この世に幸福をもたらすために,海のかなたから訪れるとも,また簑笠で仮装して出現するとも信じていた/。
/まれびと、マレビト(稀人・客人)は、時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義する[1]折口学の用語。折口信夫の思想体系を考える上でもっとも重要な鍵概念の一つであり、日本人の信仰・他界観念を探るための手がかりとして民俗学上重視される/・・・と称されるこの人々が現在の天皇体系の原初形態だとおもわれます。
〇その発展として、さまざまな芸能が発展してきたという説も成り立ちます。
というワケで、私ども演劇屋もその端くれでありますワケで、そういった意味では「令和」元年を祝(め)でてヨロシイのかも知れません。

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