第七回
牛鍋(ぎゅうなべ)は幕末から明治にかけて始まった料理だが、それ以前には、牛ではなく野の獣の肉、たとえば猪や鹿、兎などの肉を焼いたり煮たりして食べることはあった。「すき焼き」は鉄板の代用として農具の鋤を用いて焼いたので「鋤焼き」というのが語源とされる説もあるが、肉だけではなく野菜や、さらに豆腐に白滝なども入れて煮込むように食べた関西の「すきなように食べる」ので「すき焼き」という説もある。
何れにせよ「牛鍋」は幕末明治の当初は、肉だけの料理だった。醤油と砂糖、味醂などで味付けをしていたが、後にこの調味料が一体になって「割り下」という濃いめの特別な醤油が登場する。「割り下」を使うと安物の牛肉でも充分食べられるところから、これは下町で流行した。関西では未だに「割り下」は用いない。また、北海道は逆に「割り下」を用いる。薄味で牛の風味を好む関西人と、東京文化がそのまま流れ込んだ北海道のチガイだ。
その牛鍋を料理屋でつついていたのが帆裏藤兵衛と羽秤亜十郎だ。
「南蛮渡来の牛を食って、南蛮渡来の無頼の族を相手に用心棒とは洒落がキツイが、この肉はなかなかのものだな」
「禅坊主、肉を食いける時世かな、か」
先のコトバを発したのは羽秤亜十郎、皮肉をいったのは帆裏藤兵衛。
「渡屋は貿易商人だからな。バテレンの一味の恐さも知り抜いているんだろうよ」
と、これは帆裏藤兵衛。
「牛鍋もオツだが、その幻魔術とやらも拝見したいもんだ」
「呑気に構えていては痛い目をみることになるやも知れんゾ、亜十郎さんよ」
「呑気ではナイ。敵の手の内がワカランままに戦う気はナイ。他にも雇われた十把一絡げがいるんだろ。まずはそやつたちとの一戦を見学するということさ」
「つまり、最初は筒井順慶でいくワケか。相変わらず狡いナ」
筒井順慶は日和見主義の語源となった戦国の武将だが、これは歴史小説ではなく剣戟講談なので、詳細はウイキペディアか、ウィクショナリーでどうぞ。
「狡猾さは智恵だよ、藤兵衛どの」
町人、といっても曲げの時代は終焉しているので風体からしかその階級を知るよしはナイのだが、侍ではナイ男が帆裏藤兵衛と羽秤亜十郎を穿って立ち上がった。男は煙の立ち込める店内を擦り抜けるようにして、帳場から外に消えた。
「なるほどねえ、バテレンばてれんと小馬鹿にするもんじゃナイねえ。ちゃんとオレたちのことを見張ってやがる。敵を知りおのれを知れば百戦百勝か」
羽秤亜十郎はチラリと怪しき町人の背を観るにはみたが、とくに気にする様子でもなく、箸先の肉をひょいと口の中に投げ込んだ。
「いまの男が、間諜だというのか」
訝しんだ目で帆裏藤兵衛は羽秤をみる。
「敵のね。幻魔術とやらも、そういった役割が必要らしいね。つまり千里眼の術はナシということさね」
「すると、残りの雇われものもすべてresearchされているということか」
「おそらくそうにチガイナイ。まっ、それがどうだということでもないがネ」
「何をどうresearchされたのかな、我々は」
「どんな手品を使うのかはワカランが、それぞれの敵手に適した魔術の類ってのが、あるんだろうよ」
「ただ、傍に座っていただけだったが」
「観受の法なら、禅にも在る。柳生新陰流にもナ。およそ、貴奴らがそれを会得していても不思議はナイ」
帆裏藤兵衛はしばし思案にくれていたようだったが、
「で、我々は、何を見抜かれたのかな」
猪口の酒をグイっと呑んだ。
「見抜かれてなどおらぬて。そうしようとは試みたようだが、オレの〔断ち切りの法〕がそれを遮ったので、気づいたあ奴は慌てて立ち上がったということだ」
「禅の法術か。さすが羽秤亜十郎、隅に置けんナ」
「坊主、ボンズと莫迦にしなさんなよ。とりあえずの修行はやってきたんだからな」
牛鍋はぐつぐつと煮えている。帆裏藤兵衛は箸をつけようともしないが、羽秤亜十郎は肉を次々に口に運んだ。
「心配しなさんな。あんたは用心のし過ぎだよ。オレはあの男が立ち去るさいに奴さんのココロを観受したが、押し込み、といっていいのかどうか、渡屋の蔵を狙ってくるのは、夜半過ぎだ。時の刻み方が変わったが丑三つ辺りだろう。従ってその辺りを高見の見物の刻としたほうがイイようだナ」