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2019年4月29日 (月)

第八回

 渡屋は尾張に本店を構える江戸時代からの(といってもつい数年前は江戸幕府だったのだから、老舗というほどのものではナイが)貿易商人で、明治になるやいわゆるギヤマン(これを英訳するとdiamantになる)と当時称されたガラス製品を多く扱ったので一挙に蔵が四つも建つほどの大店になった。当時のガラスはいまでいう宝飾品と同じで、余程の武家などでナイと鏡に貼ることもままならなかった。時折の時代劇に登場する町娘の手鏡にはガラスは用いられておらず、みな金属を磨いたものだ。貧乏長屋で古女房などが鏡を覗き込んで髪の手入れをするようなシーンもあるが、ああいうのはほんとうはあり得ない。しかし時代劇は虚構なのであってもヨイのだ。
 さて、その渡屋にポルトガルからの商社派遣と称する背広(この「背広」の語源は諸説あり、漢字の「背広」は当て字である。「セビロ」の語は幕末から明治初期にかけて見られる、一般には明治20年(1887年)頃から用いられたとされる。語源については
1.背筋に縫い目がないところから「背広」の意。
2.「sack coat」の訳語で「ゆったりした上衣」の意。
3.市民服を意味する「civil clothes」から変化したとする説。
4.英国ロンドンの高級紳士服店街「サヴィル・ロウ」から変化したとする説。
5.紳士服に用いられる良質の羊毛・服地を意味する「シェビオット(Cheviot)」から変化したとする説。など複数ある)
と、まあ、ウィキペディアには銭払ってるので活用させて頂いたが、その語源のもの数名が訪れたのはつい一昨日のことだ。
 のっけから商売のハナシなどはなく、ただ、今後の日本でのポルトガルの彼らの商社経営のための資金を都合してくれの、まるで強請、タカリ同様の談判だった。もちろん渡屋の大番頭はこれを即座に断ったが、彼らが手土産にと置いていったのが、脅迫状めいた一文で、大番頭はすぐさま店主と相談、ここはアテにならない警察よりも余りに余っている強者をかき集めたほうが良かろうと判断、すぐさま手を回した。
 帆裏藤兵衛にその用心棒のハナシを持ってきたのは、ツナギの仕事をしている「参」と名乗る者だ。いずれくずれ忍びだろうが正体は不明だとしても信用は出来る類の族、よって、帆裏藤兵衛は渡屋の仕事を受けて羽秤亜十郎を誘ったところ、羽秤亜十郎は退屈しのぎにちょうどイイやとかなんとかいいつつ、これに同調した。一文字左近が慎重派なら(ちょっとお調子者だが)羽秤亜十郎は好奇心旺盛の行動派だ(こっちもお調子者だが)。単純に南蛮大魔術、伴天連幻魔術とやらを見聞したかっただけという理由で引き受けた。が、もちろんのこと、致し方なくとはいえ、かつてない死闘に巻き込まれる羽目になる。

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