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2019年4月23日 (火)

第六回

ところで、仙洞が逸話として話した尾張柳生が右近に倒された事態においては、まだ続きがある。その屍を密かに子細に検分したものが在った。同じ尾張新陰流の使い手、倒された兵法者とは同胞にあたる者がいたのだ。
 この者こそ、最後の尾張新陰流の継承者だろう。柳生玄十郎純厳(すみとし)。印可伝授はなかったが、倒されし者よりも腕は上だったようだ。当時はまだ二十一歳。倒された者の弟子らしかったが、その技量はすでに師匠を超えていた。彼ほどの使い手になると、死体を検分しただけで、両者がどのように闘ったのかを観抜くことは出来る。屍となった師匠の柄の握りと、刀身(切っ先)の方向、そうして足の位置。さらに受け太刀の痕跡が無いことなど。自身の師匠の太刀筋は熟知している。それがこのように斬られるとなると、敵手の腕前は相当のものだとおもえたが、しかし、一つ不審な点があった。切り口は袈裟懸けで頸動脈から胸のあたりまで傷は達しているが、傷口を丹念に調べると、余程の名刀を使っているとはいえ、深く斬りすぎのキライがある。ここまで斬り込まなくても充分に倒せたはずだ。いや、自分ならそうしたはずだ。と、いうか、殆ど師匠と互角の腕ならば、そうせざるを得なかったはずだ。あまりに斬りかたに余裕があり過ぎる。これではまるで、巻藁を試し斬りしたようなものだ。これは何故だ。余裕というよりも過剰といったほうがよい。敵手はかなりの使い手ではあるが、この斬りスジから考慮するに、自らがそれに劣るということはナイ。玄十郎はそう確信した。
尾張新陰流、最後の門人にしておそらく最強の達人という自負。師匠を手厚く葬ると、この仇は必ず討たねばならぬと宿命を覚悟した。

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