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2019年4月17日 (水)

港町memory 3

何年かぶりで前回書いた例の壁紙を今度は『UNICEF』から送られて来る小冊子の表紙の写真に変えた。中東系(アフリカと混血だろう)の十代の少女の写真なのだが、無断転写だけど、個的使用なのでまあ、イイんじゃないの。実はこの写真を選んだのは、何気なくチラ観していただけが角度を変えて観ると表情が変わるのに気づいたからだ。角度を変えるといってもそう面倒なことはナイ。上部視線(みおろす)から舐めるように角度を変えて下まで視線を移動(みあげる)させると、最初はあどけない少女の顔が大人びて最後には闘争心でいっぱいの少年の顔になる。こりゃまあ、私の幻視にしか過ぎないのだろうけど、私にはそうみえる。それだけのことだが、こういう/思い込みの発見/を好む傾向(〔心理〕というコトバはよくワカラナイから主に最近はこの〔傾向〕というコトバにしている)が私にはあるので、私だけが、毎度出逢って顔を合わせていればそれでヨロシイ。
もうすぐ元号が〔令和〕になる。「れいわ丹下、名は左膳」などと、独り言しているが、これはオヤジgagと称されるものかナ。
なんでも万葉集から引っ張ったらしいが、「命令に和する(従う、迎合する)」というふうに最初、脳がimageしてinputしたものだから、なるほどそんな世界(時代というコトバは好まないので使わないようにしている)になるのかねとぼんやりおもっている。
〔心理〕や〔時代〕も概念(意味)として曖昧なので、物書きとして最近は出来るだけ用いないようにしているが、他にも〔世代〕〔社会〕もその範疇に入る。前者は時間性の係数が高く、後者は空間性の係数が高いとして、それならまとめて〔世間〕〔世の中〕といったほうが(あるいは〔浮世〕でもイイ)ワカリイイというか、近しい感覚がする。もちろん、generation gapというコトバもナンダか怪しいので用いないようにしている。網野史観にも多少影響されているにしろ、いうなれば〔時間〕というモノはいまのところが物理的存在ではナイというふうに考えているからだ。(ニュートン力学の便宜上の概念に過ぎない)
むかしは同様に〔市民〕というコトバもよくワカラナカッタ。(これは〔愛〕や〔孤独〕がワカラナイ私的事情-心情とはまたチガッタものだ)。「市民社会」となると、まるでなんのことだかワカラナイので、トーク・イベントやパネ・デス、座談会なんかのときに多発されるのを聞くと困ってしまった記憶がある。とはいえ、いっとき流行りましたねえ、〔市民〕というコトバ。村に住んでいても市民だったからなあ。大衆食堂が市民食堂に名前を変えた例などはナイんだけど。
時代劇に登場する町民ならよくワカル。武士階級も時代劇程度でならワカル。(てなこといって、最近まで時代劇ファンのくせに「部屋住」てのがナンダか知らなかったんからナア)。
似たようなことで、偉いインテリや公共放送までが日本を「法治国家」だといわはるのには、それでよく憲法改定について話し合いが出来るもんだなと呆れること多し。
市民なんていねえよ。大衆だってそうだアヤシイね、最近は。隣のおじさんやおばさんというのもいなくなったし、二階に誰が住んでいるのかワカンナイのに、社会もヘッタクレもナイ。一方ではprivacyが、個人の権利が、どうのこうのと声高に主張し、一方では社会に孤絶された家族が、個人が、なんてことをのほほんとのたまうのだから、要するにどなたさんも「二枚舌」なのだ。或いは、ご都合主義というモノで、あるときは都合よく社会とやらの市民になり、あるときは都合よくprivacyの中で暮らしているだけのことで、まるでコウモリのように両方をうまいこと飛び交っているだけのことじゃないか。感じるのは大衆の様変わりだけでナア。
市民も社会もねえよ。いうなれば「みんな他人」これが最も正しい。その他人とどういうふうに付き合っていくのか、これを処世といい、世渡りともいう。/むかし「流離(さすらい)」いま「絆(きずな)」/とかいうそうだが、そいつが変わってきてるんだなあ。だから世界が変わったように感じるんだなあ。何れにしても「身過ぎ世過ぎ」、私どもの稼業などは、むかしからそういうことをして〔渡世〕といっていたんだけど、いまだって「渡世」だなあ。
これは渡世の仁義とか、渡世の義理というコトバが廃れて、いまでは死語に近いんだけど。
現前と(あるいは明確に、あるいはレッキとして)残存しているのは、〔権力〕のみだ。いまの世界は、権力と権力が権力を巡って抗争している、そんな単純な構造しか持っていない。従ってヒジョーにワカリヤスイといえばそうなのだが、(閉塞とか、迷走とか、いってるけど、とんでもナイ)かなりオモシロクナイ。そう、オモシロクないのよ。
いったい、中国四千年なんてことをいうが、中国がこの四千年に本質的に何か変化したか。してません。要するに戦乱と権力闘争だけじゃないか。アメリカ合衆国の政治方針も外交もペリー来日の黒船から何の代わりもナイ。貧困でありながら米国や中国とうまくやってる独裁国家北朝鮮は、その点ではかなり頭イイようにおもう。自国領土からアメリカ大陸に届く核ミサイルが難しいのなら、潜水艦搭載でいこうか、なんてのをすぐにヤッチまうんだからなあ。窮鼠はいつだって猫を噛む用意があるということですね。

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