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2019年4月20日 (土)

港町memory 4

桂 九雀さんが、クラリネット演奏するってんで、神戸まで。JR東海は新大阪までだから、新幹線も新大阪からは最寄りの駅の切符(新幹線なんだけど)になって、駅が豪華、賑わいというのがあるのは新大阪までで、新神戸からは突然、田舎駅というか俄に建造したような新駅になる。構内なのにシャッターが閉じている店舗が多い(ように感じるだけかも知りませんが)で、新開地。
ここは立ち飲み屋とラブホだかなんだかわからんホテルが多くて、たいていの流れ者(むかしは行商人など)や、銭のナイ或いはこんなところでホテルに銭払うてもしゃあない、というサラリーマン、かつて『背広姿の渡り鳥』(佐川ミツオさんが歌ってた)まんまの出張もんが利用している宿があって、こちとらは前者のホテルにしたんだけども、と。
で、その催し物なんだけど、もちろん、落語の高座もあって、要するに『本気な落語 喜楽な音楽』という寄席なんだけど、神戸新開地にこのほど落成1年(だったかな、こういうことのいい加減さに関しては釈迦にも劣らずを自負している)を迎えた喜楽館ってのがあって、出無精の私なのだが、京阪神少年少女楽団という中入り後の演奏会で、私が作詞してノノヤママナコが作曲した『さよならの霧が流れる港町』の主題歌を演奏、歌唱までしてくれるというので、出かけたというワケであります。
パンフにその京阪神少年少女楽団の面々の紹介文があって、これは九雀さんの文案なんでしょうけど、いわゆる「話文体-語り口調(太宰治の文体はほとんどこれ)」で、的を射たshort sentenceながら読ませるんですな。こういう文案は、むかしポスティングされていたアダルトビデオの宣伝文に多くみられ、100字そこそこで、おもわず観たくなるような劣情をかきたてられる名文なもんでcollectしていたことがありましたワ。
演奏者メンバーは錚々たるもので(といっても、musicianとしてではないのですが)SF作家の北野勇作さん(このかたは、日本SF大賞受賞者なのです、が、ぜんぜん知らんかったのは、私のそのての小説は高校生で終わってます。光瀬龍さんの『百億の昼と千億の夜』を読んだらもう、アトは無いですナ)落語世界の小説を書いて知る人ぞ知る、というか知るひとしか知らん田中啓文さんとか、と、そういう錚々たるなのです。
で、二度目になるのが、桂二葉さんですが、二度目というのは前に九雀師匠の独演会の三番叟(さんばそう、は、能狂言からきているコトバですが、上方落語には真打ち制度がナイので、序列としての前座というものもナイ。ですから、これは〔まえざ〕と称されるのですが、上岡竜太郎さんとどうでもエエ話をしていたときに、たしか上岡さんが、ともかくウケル者を一つ先に出して客を盛り上げる役を三番叟という、てなことを聞いたことがあるので、ここは、そう称しておきます)をつとめられまして、あれから数年、まだヤッてはんねんなと、と、ここで、ふむ、女性落語家というのはどれくらい存在するのかと、ちょっとリサーチしましたが、そのことについては、改めて書いてみたいこともありますので、女性落語家というのは、イギリスの女性ミステリ作家P.D.ジェイムズの『女には向かない職業』(ここではコーデリアという私立探偵)のごとく、かなり難しいのではないかとおもうのですが、たとえば、浪曲(浪花節)になりますてえと、エンパイアステート、玉川奈々福さんのように驚嘆から駒(は適当な譬えではありませんが)がごとき方がいらっしゃいますが、講談、講釈になりますと、女性はちょっとわたくしなど素人には、「聞けたもんじゃねえな」方々が多く、とはいえ、私のネタを女優の船戸香里に『振り袖講談』という拵えのシリーズでヤってもらっているのですが、そのときに、有志応援で、プロではナイのですが、元大学落ち研の女性の落語を京都で聞いたことがありまして、演目の内容には記憶があるんだけど、タイトルが思い出せない、上方落語では希有(というのかまったくナイのかも知りませんが)な人情ものをおやりになって、これが、上手かった。聞かせました。ですから、まんざら「向いていなく」もナイんだなあとおもったことがあります。
んで、長くなったので、女性落語家についてはまたの機会に。ですから、二葉さんも演目次第じゃないかなあ、と、素人はおもいました。いい演目(根多)を洗濯(選択)して下さい。(といえるほども聞いていないので、また、九雀師匠が強引に引っ張らはったときは、観客席におるようにします)
で、演奏のほうは、いやあ、飾りじゃナイのよナミダは、アサリじゃないのよシジミは、で、シミジミと、ナミダ浮かべて、エエ歌やなあ、と、半分以上自画自賛で聴いておりました。こういう寄席は、名古屋でもヤッてもらいたいもんです。東京はあきまへん。談志家元亡きアト、聴いていません。
クラリネットに年齢はなく、トランペットは未だに吹き方が定まっていないといいます。つまり、上手い下手がハッキリしないんですな。その点は絶望と希望を同時に持っているめずらしい楽器でございます。また、参りたいと存じます(てなこという客に限って、来たためしはあんまりナイんですが)
まっこと、おつかれさまでございました。

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