第四回
「老子っ、どうか、お教えをっ」
左近が両手をついた。仙洞は頷く。
「徳川も終りの頃、いまだ確執やまぬ江戸柳生と、尾張新陰流とが一度試合うたことがあった。事の起こりはいざ知らず、何れが強いかなどということはもうどうでもイイことであったが、と、いうのも、尾張新陰流などすでに絶えていたとばかり柳生新陰流はおもうておったらしい。そこに、新陰流の免許皆伝の者が現れて、いきなり江戸柳生に挑んだのだ。もとより尾張新陰流は最強、そうしてそれは尾張のもの。江戸柳生など敵うものではナイ。よって、尾張新陰流という本流は大兵法なる江戸柳生の政治に絶やされたはずであった。しかし、その試合、たしかに挑戦者の使う手筋は尾張新陰流の技。しかも、よほどの使い手。次々に江戸柳生の高弟、門下は倒された。もちろん師範も同様、相手にならないにチガイナカッタ。ただ、試合が二日に分けられていたことがその新陰流にとっては不運。一日目が終わっての夜、何者かと手合わせをしたらしく、あっけなく道端に絶命しているのが次の日の明け方に判明した。当初は多勢をもっての江戸柳生の襲撃かとおもわれたが、いや、たしかにそのような企みはあったのだが、その多勢のうちの数人が観たものというのが、尾張新陰流とおそらくは楠木右近とのこれも筋のワカラヌ出来事での一騎討ちで、と、そこからアトはお主が観たものと同様のことであったろうと推測される」
「尾張新陰流がですか」
「そこでだ、左近。一つideaがある」
「idea」
「ideaだ」
「どんな」
「右近に斬らせる。斬られても死なないように仕込みをした上で、じゃがナ」
左近は、師匠の頭がどうかしたのではないかとその横面を見やった。
「そのようなことが可能なのですか」
「右近の刀は、関の麒六。おそらく鉄鋼をも断ち切るであろう。しかし、鎖帷子を鉄ではなくチタン合金で造ったのなら、関の麒六の刃もこれは斬れぬ。チタンとは1790年代に発見され、ギリシア神話の〈タイタン〉にちなんでチタンと命名された金属じゃ。鉄より軽く、強く、加工しやすい。しかし当時は、ルチル鉱石やチタン鉄鋼の中から元素が発見されただけで、まだチタンとして利用できず、すこぶる残念な希少元素じゃった。しかし、左近、お主も知っていようが、この仙洞、本来は刀鍛冶の家に生まれたものじゃ。その末裔として、チタン合金の刀の製法を伝えられた」
知っていようがといわれて頷きはしたが、左近、ほんとうは知らなかった。それだけではなく、やはり師匠が惚けた、認知障害に陥っているのではナイかと疑った。が、しかし、だ。
「それ、その鎖帷子はのぉ左近、我が流派伝来の家宝として、いまなおここに祀られておる」
仙洞は左近を怪しげな蔵に案内すると、しばらくガソゴソやってはいたが、「あっそうか」などといい、いきなり黴の生えた白壁をドンと突いた。いわゆるドンデンの返し扉、そこに、それらしきものが引っかけられて在った。
「これじゃこれじゃ、左近」
実物をみせられたからには、こっちのもの。鎖帷子を手にとった左近はたしかに「こっちのもの」というふうに感嘆したのだ。