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2019年4月

2019年4月29日 (月)

第八回

 渡屋は尾張に本店を構える江戸時代からの(といってもつい数年前は江戸幕府だったのだから、老舗というほどのものではナイが)貿易商人で、明治になるやいわゆるギヤマン(これを英訳するとdiamantになる)と当時称されたガラス製品を多く扱ったので一挙に蔵が四つも建つほどの大店になった。当時のガラスはいまでいう宝飾品と同じで、余程の武家などでナイと鏡に貼ることもままならなかった。時折の時代劇に登場する町娘の手鏡にはガラスは用いられておらず、みな金属を磨いたものだ。貧乏長屋で古女房などが鏡を覗き込んで髪の手入れをするようなシーンもあるが、ああいうのはほんとうはあり得ない。しかし時代劇は虚構なのであってもヨイのだ。
 さて、その渡屋にポルトガルからの商社派遣と称する背広(この「背広」の語源は諸説あり、漢字の「背広」は当て字である。「セビロ」の語は幕末から明治初期にかけて見られる、一般には明治20年(1887年)頃から用いられたとされる。語源については
1.背筋に縫い目がないところから「背広」の意。
2.「sack coat」の訳語で「ゆったりした上衣」の意。
3.市民服を意味する「civil clothes」から変化したとする説。
4.英国ロンドンの高級紳士服店街「サヴィル・ロウ」から変化したとする説。
5.紳士服に用いられる良質の羊毛・服地を意味する「シェビオット(Cheviot)」から変化したとする説。など複数ある)
と、まあ、ウィキペディアには銭払ってるので活用させて頂いたが、その語源のもの数名が訪れたのはつい一昨日のことだ。
 のっけから商売のハナシなどはなく、ただ、今後の日本でのポルトガルの彼らの商社経営のための資金を都合してくれの、まるで強請、タカリ同様の談判だった。もちろん渡屋の大番頭はこれを即座に断ったが、彼らが手土産にと置いていったのが、脅迫状めいた一文で、大番頭はすぐさま店主と相談、ここはアテにならない警察よりも余りに余っている強者をかき集めたほうが良かろうと判断、すぐさま手を回した。
 帆裏藤兵衛にその用心棒のハナシを持ってきたのは、ツナギの仕事をしている「参」と名乗る者だ。いずれくずれ忍びだろうが正体は不明だとしても信用は出来る類の族、よって、帆裏藤兵衛は渡屋の仕事を受けて羽秤亜十郎を誘ったところ、羽秤亜十郎は退屈しのぎにちょうどイイやとかなんとかいいつつ、これに同調した。一文字左近が慎重派なら(ちょっとお調子者だが)羽秤亜十郎は好奇心旺盛の行動派だ(こっちもお調子者だが)。単純に南蛮大魔術、伴天連幻魔術とやらを見聞したかっただけという理由で引き受けた。が、もちろんのこと、致し方なくとはいえ、かつてない死闘に巻き込まれる羽目になる。

2019年4月26日 (金)

第七回

牛鍋(ぎゅうなべ)は幕末から明治にかけて始まった料理だが、それ以前には、牛ではなく野の獣の肉、たとえば猪や鹿、兎などの肉を焼いたり煮たりして食べることはあった。「すき焼き」は鉄板の代用として農具の鋤を用いて焼いたので「鋤焼き」というのが語源とされる説もあるが、肉だけではなく野菜や、さらに豆腐に白滝なども入れて煮込むように食べた関西の「すきなように食べる」ので「すき焼き」という説もある。
 何れにせよ「牛鍋」は幕末明治の当初は、肉だけの料理だった。醤油と砂糖、味醂などで味付けをしていたが、後にこの調味料が一体になって「割り下」という濃いめの特別な醤油が登場する。「割り下」を使うと安物の牛肉でも充分食べられるところから、これは下町で流行した。関西では未だに「割り下」は用いない。また、北海道は逆に「割り下」を用いる。薄味で牛の風味を好む関西人と、東京文化がそのまま流れ込んだ北海道のチガイだ。
 その牛鍋を料理屋でつついていたのが帆裏藤兵衛と羽秤亜十郎だ。
「南蛮渡来の牛を食って、南蛮渡来の無頼の族を相手に用心棒とは洒落がキツイが、この肉はなかなかのものだな」
「禅坊主、肉を食いける時世かな、か」
 先のコトバを発したのは羽秤亜十郎、皮肉をいったのは帆裏藤兵衛。
「渡屋は貿易商人だからな。バテレンの一味の恐さも知り抜いているんだろうよ」
 と、これは帆裏藤兵衛。
「牛鍋もオツだが、その幻魔術とやらも拝見したいもんだ」
「呑気に構えていては痛い目をみることになるやも知れんゾ、亜十郎さんよ」
「呑気ではナイ。敵の手の内がワカランままに戦う気はナイ。他にも雇われた十把一絡げがいるんだろ。まずはそやつたちとの一戦を見学するということさ」
「つまり、最初は筒井順慶でいくワケか。相変わらず狡いナ」
 筒井順慶は日和見主義の語源となった戦国の武将だが、これは歴史小説ではなく剣戟講談なので、詳細はウイキペディアか、ウィクショナリーでどうぞ。
「狡猾さは智恵だよ、藤兵衛どの」
 町人、といっても曲げの時代は終焉しているので風体からしかその階級を知るよしはナイのだが、侍ではナイ男が帆裏藤兵衛と羽秤亜十郎を穿って立ち上がった。男は煙の立ち込める店内を擦り抜けるようにして、帳場から外に消えた。
「なるほどねえ、バテレンばてれんと小馬鹿にするもんじゃナイねえ。ちゃんとオレたちのことを見張ってやがる。敵を知りおのれを知れば百戦百勝か」
 羽秤亜十郎はチラリと怪しき町人の背を観るにはみたが、とくに気にする様子でもなく、箸先の肉をひょいと口の中に投げ込んだ。
「いまの男が、間諜だというのか」
 訝しんだ目で帆裏藤兵衛は羽秤をみる。
「敵のね。幻魔術とやらも、そういった役割が必要らしいね。つまり千里眼の術はナシということさね」
「すると、残りの雇われものもすべてresearchされているということか」
「おそらくそうにチガイナイ。まっ、それがどうだということでもないがネ」
「何をどうresearchされたのかな、我々は」
「どんな手品を使うのかはワカランが、それぞれの敵手に適した魔術の類ってのが、あるんだろうよ」
「ただ、傍に座っていただけだったが」
「観受の法なら、禅にも在る。柳生新陰流にもナ。およそ、貴奴らがそれを会得していても不思議はナイ」
 帆裏藤兵衛はしばし思案にくれていたようだったが、
「で、我々は、何を見抜かれたのかな」
猪口の酒をグイっと呑んだ。
「見抜かれてなどおらぬて。そうしようとは試みたようだが、オレの〔断ち切りの法〕がそれを遮ったので、気づいたあ奴は慌てて立ち上がったということだ」
「禅の法術か。さすが羽秤亜十郎、隅に置けんナ」
「坊主、ボンズと莫迦にしなさんなよ。とりあえずの修行はやってきたんだからな」
 牛鍋はぐつぐつと煮えている。帆裏藤兵衛は箸をつけようともしないが、羽秤亜十郎は肉を次々に口に運んだ。
「心配しなさんな。あんたは用心のし過ぎだよ。オレはあの男が立ち去るさいに奴さんのココロを観受したが、押し込み、といっていいのかどうか、渡屋の蔵を狙ってくるのは、夜半過ぎだ。時の刻み方が変わったが丑三つ辺りだろう。従ってその辺りを高見の見物の刻としたほうがイイようだナ」

2019年4月23日 (火)

第六回

ところで、仙洞が逸話として話した尾張柳生が右近に倒された事態においては、まだ続きがある。その屍を密かに子細に検分したものが在った。同じ尾張新陰流の使い手、倒された兵法者とは同胞にあたる者がいたのだ。
 この者こそ、最後の尾張新陰流の継承者だろう。柳生玄十郎純厳(すみとし)。印可伝授はなかったが、倒されし者よりも腕は上だったようだ。当時はまだ二十一歳。倒された者の弟子らしかったが、その技量はすでに師匠を超えていた。彼ほどの使い手になると、死体を検分しただけで、両者がどのように闘ったのかを観抜くことは出来る。屍となった師匠の柄の握りと、刀身(切っ先)の方向、そうして足の位置。さらに受け太刀の痕跡が無いことなど。自身の師匠の太刀筋は熟知している。それがこのように斬られるとなると、敵手の腕前は相当のものだとおもえたが、しかし、一つ不審な点があった。切り口は袈裟懸けで頸動脈から胸のあたりまで傷は達しているが、傷口を丹念に調べると、余程の名刀を使っているとはいえ、深く斬りすぎのキライがある。ここまで斬り込まなくても充分に倒せたはずだ。いや、自分ならそうしたはずだ。と、いうか、殆ど師匠と互角の腕ならば、そうせざるを得なかったはずだ。あまりに斬りかたに余裕があり過ぎる。これではまるで、巻藁を試し斬りしたようなものだ。これは何故だ。余裕というよりも過剰といったほうがよい。敵手はかなりの使い手ではあるが、この斬りスジから考慮するに、自らがそれに劣るということはナイ。玄十郎はそう確信した。
尾張新陰流、最後の門人にしておそらく最強の達人という自負。師匠を手厚く葬ると、この仇は必ず討たねばならぬと宿命を覚悟した。

2019年4月22日 (月)

港町memory 5

/君が心を傾けるべきもっとも手近な座右の銘のうちに、つぎの二つのものを用意するがよい。その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。もう一つは、すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるということ。そしてすでにどれだけ多くの変化を君自身見とどけたことか。日夜これにおもいをひそめよ。
宇宙即変化。人生即主観。(マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子、訳)/

宇宙即変化。人生即主観。これを釈尊のコトバにムチャしていい換えると、前者は諸行無常、後者は諸法無我になるのですが、こういう類を自省として、ローマ帝国皇帝で哲学者のマルクス・アウレーリウスが書き残し、それをみごとに神谷美恵子さんが訳されているってのに、邂逅するのが生き残っているものの一つの愉楽であります。
しかし、〔宇宙即変化。人生即主観〕は、新鮮な感じでイイですねえ。
とはいえ、鬱疾患はそううまく納得してくれません。毎朝の早朝覚醒と悪夢と自殺念慮、痺れにだるさに痛みは、たしかに主観かも知れませんが、現実係数が高いもんですから、主観の持つ特有の虚構係数の値が下がります。ちなみに、こういうのも含めて私、〔変さ値〕という造語を編み出しましたが、使い方はいろいろ。もちろん、客観ではござんせん。Physicalにもmentalにも使えます。通俗的にも使えます。「ああ、きょうは変さ値、高ぇぇっ」とか、「あのこ、変さ値、高いのよ」とかね。ただし、あんまり、ヘイトには使わないように。
〔宇宙即変化。人生即主観〕、うむうむ、気分ヨロシイ。

2019年4月20日 (土)

港町memory 4

桂 九雀さんが、クラリネット演奏するってんで、神戸まで。JR東海は新大阪までだから、新幹線も新大阪からは最寄りの駅の切符(新幹線なんだけど)になって、駅が豪華、賑わいというのがあるのは新大阪までで、新神戸からは突然、田舎駅というか俄に建造したような新駅になる。構内なのにシャッターが閉じている店舗が多い(ように感じるだけかも知りませんが)で、新開地。
ここは立ち飲み屋とラブホだかなんだかわからんホテルが多くて、たいていの流れ者(むかしは行商人など)や、銭のナイ或いはこんなところでホテルに銭払うてもしゃあない、というサラリーマン、かつて『背広姿の渡り鳥』(佐川ミツオさんが歌ってた)まんまの出張もんが利用している宿があって、こちとらは前者のホテルにしたんだけども、と。
で、その催し物なんだけど、もちろん、落語の高座もあって、要するに『本気な落語 喜楽な音楽』という寄席なんだけど、神戸新開地にこのほど落成1年(だったかな、こういうことのいい加減さに関しては釈迦にも劣らずを自負している)を迎えた喜楽館ってのがあって、出無精の私なのだが、京阪神少年少女楽団という中入り後の演奏会で、私が作詞してノノヤママナコが作曲した『さよならの霧が流れる港町』の主題歌を演奏、歌唱までしてくれるというので、出かけたというワケであります。
パンフにその京阪神少年少女楽団の面々の紹介文があって、これは九雀さんの文案なんでしょうけど、いわゆる「話文体-語り口調(太宰治の文体はほとんどこれ)」で、的を射たshort sentenceながら読ませるんですな。こういう文案は、むかしポスティングされていたアダルトビデオの宣伝文に多くみられ、100字そこそこで、おもわず観たくなるような劣情をかきたてられる名文なもんでcollectしていたことがありましたワ。
演奏者メンバーは錚々たるもので(といっても、musicianとしてではないのですが)SF作家の北野勇作さん(このかたは、日本SF大賞受賞者なのです、が、ぜんぜん知らんかったのは、私のそのての小説は高校生で終わってます。光瀬龍さんの『百億の昼と千億の夜』を読んだらもう、アトは無いですナ)落語世界の小説を書いて知る人ぞ知る、というか知るひとしか知らん田中啓文さんとか、と、そういう錚々たるなのです。
で、二度目になるのが、桂二葉さんですが、二度目というのは前に九雀師匠の独演会の三番叟(さんばそう、は、能狂言からきているコトバですが、上方落語には真打ち制度がナイので、序列としての前座というものもナイ。ですから、これは〔まえざ〕と称されるのですが、上岡竜太郎さんとどうでもエエ話をしていたときに、たしか上岡さんが、ともかくウケル者を一つ先に出して客を盛り上げる役を三番叟という、てなことを聞いたことがあるので、ここは、そう称しておきます)をつとめられまして、あれから数年、まだヤッてはんねんなと、と、ここで、ふむ、女性落語家というのはどれくらい存在するのかと、ちょっとリサーチしましたが、そのことについては、改めて書いてみたいこともありますので、女性落語家というのは、イギリスの女性ミステリ作家P.D.ジェイムズの『女には向かない職業』(ここではコーデリアという私立探偵)のごとく、かなり難しいのではないかとおもうのですが、たとえば、浪曲(浪花節)になりますてえと、エンパイアステート、玉川奈々福さんのように驚嘆から駒(は適当な譬えではありませんが)がごとき方がいらっしゃいますが、講談、講釈になりますと、女性はちょっとわたくしなど素人には、「聞けたもんじゃねえな」方々が多く、とはいえ、私のネタを女優の船戸香里に『振り袖講談』という拵えのシリーズでヤってもらっているのですが、そのときに、有志応援で、プロではナイのですが、元大学落ち研の女性の落語を京都で聞いたことがありまして、演目の内容には記憶があるんだけど、タイトルが思い出せない、上方落語では希有(というのかまったくナイのかも知りませんが)な人情ものをおやりになって、これが、上手かった。聞かせました。ですから、まんざら「向いていなく」もナイんだなあとおもったことがあります。
んで、長くなったので、女性落語家についてはまたの機会に。ですから、二葉さんも演目次第じゃないかなあ、と、素人はおもいました。いい演目(根多)を洗濯(選択)して下さい。(といえるほども聞いていないので、また、九雀師匠が強引に引っ張らはったときは、観客席におるようにします)
で、演奏のほうは、いやあ、飾りじゃナイのよナミダは、アサリじゃないのよシジミは、で、シミジミと、ナミダ浮かべて、エエ歌やなあ、と、半分以上自画自賛で聴いておりました。こういう寄席は、名古屋でもヤッてもらいたいもんです。東京はあきまへん。談志家元亡きアト、聴いていません。
クラリネットに年齢はなく、トランペットは未だに吹き方が定まっていないといいます。つまり、上手い下手がハッキリしないんですな。その点は絶望と希望を同時に持っているめずらしい楽器でございます。また、参りたいと存じます(てなこという客に限って、来たためしはあんまりナイんですが)
まっこと、おつかれさまでございました。

第五回

倒せる。これなら斬られずに右近を倒せる。
 左近、鼻息が荒くなった。
「どうした、蓄膿症か」
「いえ、ちょっとコーフンしているだけです」
「何十年ぶりかの師弟対面じゃ、飯でも食っていくか。地酒もあるからの」
「ははっ」
 左近、深々と頭を下げた。
「その前に風呂に入りたいとはおもうが、先客があって、いま、風呂はそやつが使っておる最中での」
「先客っ、といいますと」
「うむ。よくワカラヌのだが、ときどきやって来ては、風呂に入って飯を食っていく」
 まさか、それは内弟子ではあるまい。内弟子がそんな振る舞いをするワケがナイ。
 が、確かに風呂から鼻唄が聞こえる。そればかりか、
「おい、爺、ちいとぬるいぞ。ちょっと焚け」
 なんてこともいってる。師匠の仙洞を爺呼ばわりするとは何者っ。
「いったい何者なんです」
「それはな、ワシもなんべんも訊ねたのじゃが、~まあ、いいじゃないの~としかいわんのでのう」
 不敵なヤツ。
「ひょっとして手合わせなどは」
「いや、それは目的ではナイらしい」
「では、目的は何です」
「風呂と飯かな。ときどき、小遣いをせびりもするが」
 ちょっと顔をみてきてよろしいかと、左近がそう師匠に小声でいったのは多少のワケがある。まさか、隠し子の類ではと妙な憶測をしたのだ。しかし、
「いや、顔はワカランのじゃ」
 と、師匠からは意外なコトバが返ってきた。
「ワカラン、とは」
「ずっと、覆面をしておるからなあ」
「ふっ、覆面っ、風呂に入るときもですか」
「顔は洗うとはおもうが」
「いや、そういう問題ではなくて、」
「時々、泊まっていくが、そのときもマスクをしておるなあ」
「マスク、覆面ではナイんですか」
「たぶん、あれは布を顔に巻き付けた覆面ではなく、maskという」
 コトバを遮るカタチになったが、左近が、
「つまり、目出し帽、などといわれる、時代錯誤になりますがプロレスの覆面レスラーがしている、あの、」
「そうそう、ミル・マスカラスみたいなの」
 なんというヤツだ。
 と、また風呂場から声がした。
「ぬるいんだけどなあ、爺」
 斬り棄ててヤルっ、と左近が憤ったのも無理はナイ。手は刀の柄を握っていた。
 左近は師匠の止める声を無視して、風呂場に向かって疾走し、入り口の戸を開けた。
「キサマあっ、何奴、何者、何様のつもりだっ」
 湯の上から覆面だけしていた人物がそのまま、ザザッと立ち上がった。
 女だった。
「えっ、」
 左近、おもわずヘナった。
「何をドタバタしてんのよ」
 その女は左近を笑うように、そういった。覆面だったので表情はよくワカラナカッタが。
 肉(しし)はslenderではあったが、カタチの良い乳首とbust、くびれたwaist、自分は湯あたりしているのではないかと左近は疑った。これは斬れぬ。
 おもわず左近の口走った一言。
「もったいない」
つまり爺、いや、師匠の仙洞は女を連れ込んでいるだけではナイか。
「惚けてやがるな、師匠。しかし、もったいない」
 再度、左近は呟いた。手は刀の柄から離れていたが、左近のpenisは屹立していた。
 そっちで戦闘準備してどうする、左近。

2019年4月17日 (水)

港町memory 3

何年かぶりで前回書いた例の壁紙を今度は『UNICEF』から送られて来る小冊子の表紙の写真に変えた。中東系(アフリカと混血だろう)の十代の少女の写真なのだが、無断転写だけど、個的使用なのでまあ、イイんじゃないの。実はこの写真を選んだのは、何気なくチラ観していただけが角度を変えて観ると表情が変わるのに気づいたからだ。角度を変えるといってもそう面倒なことはナイ。上部視線(みおろす)から舐めるように角度を変えて下まで視線を移動(みあげる)させると、最初はあどけない少女の顔が大人びて最後には闘争心でいっぱいの少年の顔になる。こりゃまあ、私の幻視にしか過ぎないのだろうけど、私にはそうみえる。それだけのことだが、こういう/思い込みの発見/を好む傾向(〔心理〕というコトバはよくワカラナイから主に最近はこの〔傾向〕というコトバにしている)が私にはあるので、私だけが、毎度出逢って顔を合わせていればそれでヨロシイ。
もうすぐ元号が〔令和〕になる。「れいわ丹下、名は左膳」などと、独り言しているが、これはオヤジgagと称されるものかナ。
なんでも万葉集から引っ張ったらしいが、「命令に和する(従う、迎合する)」というふうに最初、脳がimageしてinputしたものだから、なるほどそんな世界(時代というコトバは好まないので使わないようにしている)になるのかねとぼんやりおもっている。
〔心理〕や〔時代〕も概念(意味)として曖昧なので、物書きとして最近は出来るだけ用いないようにしているが、他にも〔世代〕〔社会〕もその範疇に入る。前者は時間性の係数が高く、後者は空間性の係数が高いとして、それならまとめて〔世間〕〔世の中〕といったほうが(あるいは〔浮世〕でもイイ)ワカリイイというか、近しい感覚がする。もちろん、generation gapというコトバもナンダか怪しいので用いないようにしている。網野史観にも多少影響されているにしろ、いうなれば〔時間〕というモノはいまのところが物理的存在ではナイというふうに考えているからだ。(ニュートン力学の便宜上の概念に過ぎない)
むかしは同様に〔市民〕というコトバもよくワカラナカッタ。(これは〔愛〕や〔孤独〕がワカラナイ私的事情-心情とはまたチガッタものだ)。「市民社会」となると、まるでなんのことだかワカラナイので、トーク・イベントやパネ・デス、座談会なんかのときに多発されるのを聞くと困ってしまった記憶がある。とはいえ、いっとき流行りましたねえ、〔市民〕というコトバ。村に住んでいても市民だったからなあ。大衆食堂が市民食堂に名前を変えた例などはナイんだけど。
時代劇に登場する町民ならよくワカル。武士階級も時代劇程度でならワカル。(てなこといって、最近まで時代劇ファンのくせに「部屋住」てのがナンダか知らなかったんからナア)。
似たようなことで、偉いインテリや公共放送までが日本を「法治国家」だといわはるのには、それでよく憲法改定について話し合いが出来るもんだなと呆れること多し。
市民なんていねえよ。大衆だってそうだアヤシイね、最近は。隣のおじさんやおばさんというのもいなくなったし、二階に誰が住んでいるのかワカンナイのに、社会もヘッタクレもナイ。一方ではprivacyが、個人の権利が、どうのこうのと声高に主張し、一方では社会に孤絶された家族が、個人が、なんてことをのほほんとのたまうのだから、要するにどなたさんも「二枚舌」なのだ。或いは、ご都合主義というモノで、あるときは都合よく社会とやらの市民になり、あるときは都合よくprivacyの中で暮らしているだけのことで、まるでコウモリのように両方をうまいこと飛び交っているだけのことじゃないか。感じるのは大衆の様変わりだけでナア。
市民も社会もねえよ。いうなれば「みんな他人」これが最も正しい。その他人とどういうふうに付き合っていくのか、これを処世といい、世渡りともいう。/むかし「流離(さすらい)」いま「絆(きずな)」/とかいうそうだが、そいつが変わってきてるんだなあ。だから世界が変わったように感じるんだなあ。何れにしても「身過ぎ世過ぎ」、私どもの稼業などは、むかしからそういうことをして〔渡世〕といっていたんだけど、いまだって「渡世」だなあ。
これは渡世の仁義とか、渡世の義理というコトバが廃れて、いまでは死語に近いんだけど。
現前と(あるいは明確に、あるいはレッキとして)残存しているのは、〔権力〕のみだ。いまの世界は、権力と権力が権力を巡って抗争している、そんな単純な構造しか持っていない。従ってヒジョーにワカリヤスイといえばそうなのだが、(閉塞とか、迷走とか、いってるけど、とんでもナイ)かなりオモシロクナイ。そう、オモシロクないのよ。
いったい、中国四千年なんてことをいうが、中国がこの四千年に本質的に何か変化したか。してません。要するに戦乱と権力闘争だけじゃないか。アメリカ合衆国の政治方針も外交もペリー来日の黒船から何の代わりもナイ。貧困でありながら米国や中国とうまくやってる独裁国家北朝鮮は、その点ではかなり頭イイようにおもう。自国領土からアメリカ大陸に届く核ミサイルが難しいのなら、潜水艦搭載でいこうか、なんてのをすぐにヤッチまうんだからなあ。窮鼠はいつだって猫を噛む用意があるということですね。

2019年4月16日 (火)

第四回

「老子っ、どうか、お教えをっ」
 左近が両手をついた。仙洞は頷く。
「徳川も終りの頃、いまだ確執やまぬ江戸柳生と、尾張新陰流とが一度試合うたことがあった。事の起こりはいざ知らず、何れが強いかなどということはもうどうでもイイことであったが、と、いうのも、尾張新陰流などすでに絶えていたとばかり柳生新陰流はおもうておったらしい。そこに、新陰流の免許皆伝の者が現れて、いきなり江戸柳生に挑んだのだ。もとより尾張新陰流は最強、そうしてそれは尾張のもの。江戸柳生など敵うものではナイ。よって、尾張新陰流という本流は大兵法なる江戸柳生の政治に絶やされたはずであった。しかし、その試合、たしかに挑戦者の使う手筋は尾張新陰流の技。しかも、よほどの使い手。次々に江戸柳生の高弟、門下は倒された。もちろん師範も同様、相手にならないにチガイナカッタ。ただ、試合が二日に分けられていたことがその新陰流にとっては不運。一日目が終わっての夜、何者かと手合わせをしたらしく、あっけなく道端に絶命しているのが次の日の明け方に判明した。当初は多勢をもっての江戸柳生の襲撃かとおもわれたが、いや、たしかにそのような企みはあったのだが、その多勢のうちの数人が観たものというのが、尾張新陰流とおそらくは楠木右近とのこれも筋のワカラヌ出来事での一騎討ちで、と、そこからアトはお主が観たものと同様のことであったろうと推測される」
「尾張新陰流がですか」
「そこでだ、左近。一つideaがある」
「idea」
「ideaだ」
「どんな」
「右近に斬らせる。斬られても死なないように仕込みをした上で、じゃがナ」
 左近は、師匠の頭がどうかしたのではないかとその横面を見やった。
「そのようなことが可能なのですか」
「右近の刀は、関の麒六。おそらく鉄鋼をも断ち切るであろう。しかし、鎖帷子を鉄ではなくチタン合金で造ったのなら、関の麒六の刃もこれは斬れぬ。チタンとは1790年代に発見され、ギリシア神話の〈タイタン〉にちなんでチタンと命名された金属じゃ。鉄より軽く、強く、加工しやすい。しかし当時は、ルチル鉱石やチタン鉄鋼の中から元素が発見されただけで、まだチタンとして利用できず、すこぶる残念な希少元素じゃった。しかし、左近、お主も知っていようが、この仙洞、本来は刀鍛冶の家に生まれたものじゃ。その末裔として、チタン合金の刀の製法を伝えられた」
 知っていようがといわれて頷きはしたが、左近、ほんとうは知らなかった。それだけではなく、やはり師匠が惚けた、認知障害に陥っているのではナイかと疑った。が、しかし、だ。
「それ、その鎖帷子はのぉ左近、我が流派伝来の家宝として、いまなおここに祀られておる」
仙洞は左近を怪しげな蔵に案内すると、しばらくガソゴソやってはいたが、「あっそうか」などといい、いきなり黴の生えた白壁をドンと突いた。いわゆるドンデンの返し扉、そこに、それらしきものが引っかけられて在った。
「これじゃこれじゃ、左近」
 実物をみせられたからには、こっちのもの。鎖帷子を手にとった左近はたしかに「こっちのもの」というふうに感嘆したのだ。

2019年4月12日 (金)

港町memory 2

歳をとる、齢を重ねるということは、心身ともに壊れていくことに他ならない。「長寿」というコトバはこの国においては、殆どウソだとおもったほうがヨロシイ。もちろん、このアジアにおいて、下水道がほぼ完備しているのは日本だけなのだから、贅沢はいっていられない。その戒めも含めて、ここ数年は『国境なき医師団』から頂戴した、「少女ほどの年齢の女性が子供を背に薪割りをしている、荒野としかおもえぬ風景(ちょいと向こうにみえるのはホームレスの住居のほうがなんぼかマシといえるような彼女の住居らしいのだが)」を壁紙にしている。
さて、壊れても生きねばしょうがない。
この世は生きるに値するか、と、シッダルータ(釈迦牟尼)はヒッパラの木(後に菩提樹と称される)の下で七年目の修行に入るときに考えた。おそらく、そうだったとおもう。六年間の修行は悟りはおろか、何の役にも立たなかった。彼がまず「生きることは絶望的だ」という前提をもったのは無理もナイことだ。仏教説話にいまものこるような、episodeを思い起こすと、毒矢で打たれたものが、まず考えなければならないのは、誰が毒矢を放ったかではなく、毒矢の読に対する手当てだ。この世界はいったい何なのかと考えるより先に、この世を生きる方法を考えねばならない。かくして、シッダルータ(釈迦牟尼)は瞑想に入る。
「絶望」から始まる思想は西洋にもキェルケゴールの有神論実存哲学が在る。いわゆる「絶望なきものこそ絶望である」だ。シッダルータも私も熱心な信仰はもたないので、キェルケゴールのように絶望から神との邂逅に至るワケにはいかない。
釈迦牟尼の思想はここでは述べないが、ともかく、私自身の壊れ方だけを述べて、それでもしぶとくヤッてますとだけにしておく。
鬱疾患のほうは、ランドセルを一日二錠(朝と夜)服用。このクスリはさほど強い効果はナイが、自殺念慮を防ぐ程度の効果はある、というふうにでもいうておけば足りるだろう。向精神薬や鎮痛剤は、効果のあるものはそれなりの副作用や離脱作用がキビシイことは身に染みて識っているので、この程度でヨロシイ。内科医からは鎮痛剤として、トラムセットをすすめられて数日服用したが、なるほど、痛みのほうはさほどの効果はナイにしても「疲れない」「楽しい」「やる気が出る」。主成分が、オピオイド(ノルアドレナリン・セロトニン)とアセトアミノフェンだから、これは準麻薬だもん、そうなるわなあ。私はセロトニン症候群をやっているので(断薬・離脱終了まで2年かかった)いくら「疲れない」「楽しい」「やる気が出る」気分になっても、クスリが切れればそれまでよ、だ。よって、やっぱりロキソニン。
痛みは、鬱疾患者特有のノルアドレナリンの分泌不足からきているものと、自律神経のバランスの崩れからきている、いわゆるメンタル・ペイン、さらに頸椎の第七関節と第八関節の狭窄による、神経圧迫による両腕の痺れ、だるさ、痛み、これはもう四十年の職業病だから、まだヘルニアに至っていないだけマシてなところですかね。
自律神経のリセットと、血流による沈痛のために、麻酔科で、週に二回星状神経節ブロック注射てのをヤッているが、これはワンセットを70回として(いま64回め)として、経験者によると150回(だいたい2セット)でその、経験者の方は、なんとかなったようですが、私の場合は、もうちょっと気長になるだろう、と踏んでいる。いまのところ副作用はナイので、続行ということにしている。
高血圧の下の数値をコントロールするのに用いているβ-ブロッカーはたしかに当時の医師の優れた判断ではあるとおもうが、如何せんこいつもノルアドレナリンの分泌を抑えるという薬効なので、鬱疾患の痛みとは矛盾はするのだ。とはいえ、数あるβ-ブロッカーの中では、現在のクスリが最も鬱疾患に及ぼす影響が少ないのだから、ある矛盾を抱えながらも、医療というものはそんなものだと考えるしかナイ。(これは精神科主治医と話し合っても結論はそうだった)
一曲、戯曲を書き上げると、1~2週間は気が変になる。心身が壊れ物になる。文筆に加速を使っているのでしょうがナイ。
眼のほうは、奇跡的ともいうべきか「極めて稀なことですが、昨今1年の検査診察から、眼圧の点眼薬はもうささなくてもイイようです。緑内障の心配はナイようです」と、20年ほどの治療の一つは終了し、現在はドライアイの治療だけを受けている。
眼が良くなったぶん、耳がダメになった。難聴からくる耳鳴り(これは現行医療では原因がワカッテいる。脳の過剰な電気信号/聞き取ろうとする必死の努力/が仇になって、耳に音波変換されるので、耳の聞こえないひとにも耳鳴りは在るのだ)が、ひどいときは、耳鳴りではなく後頭部全部ノイズになるのだが、それはなんとかスルー出来ても、聞こえる音がキンキンと反響する(自分の声も含めて)のは、たまらんですな。これは舞台演出のさいの邪魔者になって、前回の舞台は稽古のときは耳栓をして高音部の響きをカットしていた。もちろん、役者のせりふも半分は音量をカットされるので、自分で書いたホンだからこそ出来るという具合だ。

たくさんの盟友、知人、友人、戦友が鬼籍に入った。/相談したいときに友はナシ/が老いて生き残った、死に損なったものの、これからの残りの人生ということになる。
世界、この世がなんなのかワカランが、腹が減るので、飯は食っている。

2019年4月11日 (木)

第三回

「楠木右近の鍔鳴りとやらは、儂がおまえに伝えた鍔鳴りとは似て非なるものではある。いや、まったくチガウといってよいだろう。お主の鍔鳴りは、この頭蓋に入っている脳髄に作用して、相手を一時の戦闘不能状態に陥らせる。いわば熾烈な耳鳴りを起こさせているようなものだ。しかし、鳴るというからには、右近もまた鍔を鳴らすことによって、相手を錯綜、混乱へと導いているにチガイナイ」
 胸あたりまで伸びた白い髭を撫でながら、左近の師匠である仙洞は、おそらく殆ど視力を失っているとおもわれる黒さのナイ眼で天井を睨み付けた。あきらかに白内障だ。
「しかしながら、その音を聞かねばそれでヨイといったのでもありますまい。それは某の鍔鳴りも同じこと」
「右近から刀を奪うか」
「ご冗談を」
「しかし、不思議な技だの。たしかに。彼のものの槍、八節槍術の槍は彼のものの攻撃態勢のとおりに突き出されたのじゃな」
「そうです。おそらく槍の使い手は右近の胸を、おのが槍が貫いたと信じたにチガイありません。しかし、拙者が観たかぎり槍は右近から五寸ばかり離れて突き出されていました。しかも、右近が入り身にかわした様子もなく、いつ抜刀していつその刀で槍の者の胸を刺したのか、観ていた拙者にもワカリマセン。これでは如何なる兵法者といえど、達人、名人といえども、手立ては皆無に等しきかと」
「すると、遠くから矢か鉄砲で狙うか、毒でも飲ませるかしか勝ち目はナイと踏んだか」
「無念、残念の至極ではありますが、右近とは斬り交えるということがまずもって不可能なのですから仕方ありませぬ」
 新野仙洞は深くため息に似た息をもらしたが、みえぬ眼で日に焼けた畳みを暫しみつめていたのは、記憶の中にかくなる兵法があったかどうかを探っていたらしく、
「実際に、相手をしたワケではナイが、ある逸話なら聞き覚えがある」
 と、左近に眼を向けた。まるで、その目に左近がみえているかのようだった。

2019年4月 8日 (月)

seasonⅡ第二回

一文字左近が師匠の新野仙洞のもとを訪れ、これまでの経緯を語ると、師匠の仙洞は、
「左近、ついて参れ」
 と、近隣の山中にある、滝の流れ落ちる荘厳なる風景の修行場へと左近を誘った。こういうところで修行していると修行している気になるから、わりに武芸の修行というのもlocationがタイセツということになる。
「左近、着衣をみな脱げ。下帯もじゃ。脇差しだけは手にしてもよい。これより半時、滝に打たれて身を清める」
 左近、いわれるままに師匠と並んで滝に打たれながら、
「師匠、以前の修行のときより不思議でござったが、滝に打たれるとなにゆえ身が清められるのでしょう」
 合理主義者らしい問いかけだ。
「それはこの仙洞も、幼名仙太郎の名のときから不思議で、思いに沈んだことがある」
「で、何がわかり申されたか」
「要するに、滝に訊けっ、だの」
「御意」
 なんだかワカランが、ワカッタようになるからこれまた不思議なものだ。この手の禅問答のようなものを「禅天魔」とかいうらしい。(ほんらいは禅宗を外道、邪道とみての罵倒のコトバなのだが)
 いきおいづいて横道に逸れていくが、一休宗純の生きた時代も、この手のコトバ遊びに過ぎない禅が上流階級では流行したらしい。それゆえ一休禅師の派閥は「純禅」と称される。上流階級に媚びへつらわないという意味で、で、ある。しかし、そうなると経済的に難しい道を歩くことになる。困窮する。一休は師匠の病のクスリの代金を調達するために内緒で小間物を糾い、京都の店舗に売ってもらった。これはよく売れて師匠の薬代にもなったが、困ったもんで、その一部は一休が京都のハズレの筵がけの売春集落で娼女を抱くのに使った。一休の子供を身籠もったり産んだりした、つまり避妊に失敗した娼婦も幾人かはあったらしく、まったく罪な禅坊主ではあった。(本音をいえば作者は、こういう一休を羨ましく、いや、好きだなあとも畏敬しているので始末が悪いでんな)

2019年4月 5日 (金)

鍔鳴り右近 秘剣武芸帳・seasonⅡ

第一回

 

そもそも、秘剣鍔鳴りとは如何なる剣法なのか。こいつを解き明かさねば勝負にならない。そうかんがえているのは一文字左近だけではない。卍組頭目もまたそうだ。向かうところ敵無しとさへおもわれた薩摩白波五人衆の倒され方屠られ方をみるに、それは敵対する両人の目にもおそるべき事実だった。而、左近は自らの師匠のもとへ、卍組頭目は手下とともに終久門を警邏から奪還し、「この野郎っ」と締め上げの真っ最中。

「お頭、こいつ、ぜったい、贋物ですぜ。ケツに棍棒をぶち込んだのに、まだ口を割りません。要するに、なんにも知らんのとちがいますかネ」

「それはチガウ」

「どうしてですかい」

「おまえが、棍棒をぶち込んだのは、儂の尻だっ」

「あれっ、何でマチガッタのかな」

 と、このとき、終久門がくぐもった声で笑った。おそらく頭目と手下を嘲笑したにチガイナイ。

「まだ、気がつかぬのか。某の尻の穴とみせて、おのが頭目のケツに棍棒を突き刺させる。これは鍔鳴りの道理と同じじゃワ」

「ジャワって、カレーじゃあるまいに」

「とにかく、まず、棍棒を抜け」

「すいません。しかし、変だな」

 ズッポンッ

 頭目は尻を押さえながらも、その痛みに屈しないところはさすが忍びの者。

「すると、お頭、鍔鳴りってのはやっぱり催眠術ですか」

「おまえに催眠術はかからん」

「えっ、なんでです」

「バカには、催眠の法や術は効果がナイことは、忍びの書にも記されておる」

 複雑な手下の顔であったが、納得しているようにもみえた。

「おい、終とやら、いったい何をどうした。いま、お主のヤったことと、右近の鍔鳴りとが、何かツナガリでもあるのか」

 さすが、お頭。尻の穴が痛かっただけではナイようだ。 

「まあな、あるといえばある。おまえさんたちも、幾度となく右近と敵手との争闘はその目で観ているはずだ。右近は鍔を鳴らした後、いつ刀を抜いた。それがみえたか。おそらくみえなかったに相違あるまい。敵手が右近を斬る、が、次の瞬間、抜刀した右近の傍らに敵手はすでに倒れているか、絶命している。まるで時間を切り取ったようにナ」

 なるほど、いわれてみればその通り。

「では、終久門、お主もいまそれをヤってみせたというのか儂の尻を使って」

 久門は気味の悪い笑みを二人に向けながら、声なく笑った。これまた嘲笑。

「しからば、その方法はっ」

 と、頭目が詰め寄った。

「ワカランっ」

「へっ」と、手下。

「ワカランとはどういうことだ、お主、あまりに我々を愚弄すると、」

 と、さらに頭目は詰め寄って、久門と鼻先がくっついた。

「愚弄しているワケではナイ。拙者もな、かつてはあの楠木右近と相対したことがあるのだ。つまり闘ったことがあるのよ。ただ、それが何処でどんなふうであったかという記憶がナイ。記憶はナイが、いまのごとくに、まあ似て非なるものだが、鍔鳴りと同じ道理の技を使えるようにはなった。某の兵法は〈神移し〉というての、相手の技を瞬時に会得することが出来るというシロモノ。もっとも、そういう技は右近も使うがナ。もちろん、右近のほうがスジはイイ。いってみれば某のはcopyに過ぎんからな。いまのようなほんの少しの真似事は出来るが、その本来の質というか、理までは手中にしておらんでナ」

 だからなんだというのだ、いまにもそういうコトバが頭目の口から跳び手相な気配だったが、

「だから、なんだというのだ」

 と、いったのは手下のほう。

「なんだというてもナア。ようワカランだが、ふいにおのれらの動きが緩慢になり、或いは暫し止まっているようにみえる。そのあいだにこっちは仕事をするまでだ」

「なんじゃ、それは」

 手下は久門を蹴飛ばしたが、

「それは、逆かも知れぬな」

 と、頭目は頭目らしく、もったいぶった口調で、

「こちらの動きがゆっくり、或いは留まるのではなく、そちらの動きが速くなるのかも知れんナ」

 結論としては、朧と同じことをおもいついたワケだ。

「しかし、幾らすぐれた忍びでも、さほど速くは動けん。白土マンガのような分身の術などはせいぜいが三つまで。且つ分身三つ身を使われても、こちらはそれが三つであることを観ておるのだから、当方が止まっているワケでもあるまい」

 久門も首を捻った。

「うーん、某にそれが可能なのはほんの寸時、なにしろ右近のような鍔を持っているワケではナイのでな」

「んっ、そうか、鍔か。やはりあの鍔が」

 と、そういったきり頭目は沈思黙考。

2019年4月 2日 (火)

鍔鳴り右近 秘剣武芸帳・seasonⅡ

さて、お約束の『鍔鳴り右近 秘剣武芸帳』シーズン2始まります。

こちらも一所懸命とまではいきませんが、ぼちぼちと書いていきます。なにぶんにもこれは私のお遊戯小説でございますゆえ、時代考証なんてのはありません。いちおう明治維新ということになっておりますが、そのての資料にあたったこともなく、山田風太郎老師のマネをしての、道楽チャンバラ小説でございます。

よって、なにがどうなるか、お付き合い出来る限りでお付き合いねがいます。

 

一 登場人物に依って第一部のplotなどを識る。 

楠木右近/(くすのき うこん)主人公、拵えは関の麒六、「秘剣鍔鳴り」なる兵法を用いて不敗。その存在を知るものからは〈隠れたるもの〉と称される。十万両分の金塊のありかを知る朱鷺姫を求めての旅、手にするのは翡翠の簪、これが朱鷺姫との邂逅の唯一のtool。やや顔の大きいことがcomplexになっているきらいがある。「あの世の終わりからこの世の初まりに現れし者」と、ある托鉢僧は、その実体を説いたことがある。

不知火朧/(しらぬい おぼろ)「赤毛結社」の雇った最強の女忍、「朧十忍」と呼ばれる十の忍法を用いる。「観音の術」にて、〈隠れたるもの〉の末裔だという御告げを師匠から知らされる、が、ほんとかどうかはワカランところ。右近とは一度手合わせしているが、傷を負わされ療養中(ほぼ回復)。刺息の術という十忍の一を次は用いる予定らしい。

羽秤亜十郎/(はばかり あじゅうろう)くずれ禅坊主、さまざまな兵法を工夫しているらしいが、右近には敵わず、現在、帆裏藤兵衛とともに安宿に逗留中。朧とともに右近に挑んだがあしらわれた。腕も確かだが、企み(悪知恵)に優れている。

帆裏藤兵衛/(ほうら とうべえ)工夫された二刀を用いる「血風塵」という戦闘法を使うらしいが、どんなものなのかは、未だ未公開。羽秤亜十郎の旧友。

切場銑十郎/(ぎば せんじゅうろう)鍔の無い黒塗りの長刀を肩に「黒魂斬首刀」なる兵法を用いて、抜刀せずに相手を倒す。赤毛結社の一員。左近から鍔鳴りの話を聞くや、毅然として、楠木右近に挑まんとしている。

一文字左近/(いちもんじ さこん)「赤毛結社」の幹部。右近と似たような兵法を用いるが、いまだ右近には勝てぬと心得て、思案の中。一度羽秤亜十郎に手玉にとられている。師匠のadviceを受けに師匠のもとに帰るところ・・・かな。

卍組頭目/「朱鷺姫の十万両、当初は我が卍組と政府御用達の赤毛結社だけが狙っているという構図だったが、妙な禅坊主くずれまで現れるしまつ、情報が漏れて賞金稼ぎまでが動き始めてきた気配がある。あの終久門もmarketの値踏みをしているにチガイあるまい。さて、邏卒から身柄を奪いに参るぞ」というせりふがあってから、登場していない。

その手下/名前はナイ。手下は(てか)と読む。

終久門/(おわり くもん)自らも〈隠れたるもの〉と称し、右近の鍔鳴りの秘密を知るものとはいうてはいるが、ほんまかどうかはアヤシイ。

北司伊右衛門/右近の雇い主、元松阪藩城代。

朱鷺姫/松阪藩が隠した十万両の在り処を知るお姫さん。未だ登場していない。

〈伴天連幻魔術〉の一団/これも未だ登場していないが、第二部ではその正体を現す予定になっている。

 

(特別巻頭付録・第一部の粗筋)ときは明治の初めごろ、ヤッタメタラな剣戟が起こっていた。ほんらいならば、松阪藩が秘匿した十万両の金塊の争奪戦のはずなのだが、物語は作者の暇つぶしによって、山田風太郎老子の忍法ゴッコのようになってきていたのだ。(粗筋、オシマイ)

2019年4月 1日 (月)

港町memory 1

タイトルは、2020年に公演予定の書き下ろし舞台の仮題だけど、まあ、そんなふうにしておきます。

全国、max150人のブログ読者のみなさま、お待たせいたしました。

本日より、開店休業も終了し、何か書きます。明日からは、ブログ小説(例のチャンバラ時代劇)もseason2が始まる予定。

もうすぐ私も67歳でござんすので、ボチボチでやんすが、書けるときに書けるものを書いておこうとおもいます。Take it easyでありますナ。 

まんず、今日はApril foolですので、こういう宣言もあやしいもんですがね。うちのトイレにあります「日めくりさん」なんかは、4月800日になっちょります。

もうすぐ、新元号が発表とかで、私は平成天皇(皇后)は尊敬いたしておりました。

こんどの天皇が皇太子のときに、ちょくせつ、お話したこともありますが、公務というのはタイヘンな仕事だなあと感じました。

私なんざ、市井のものかきでござんすので、出来るだけ気楽に、いい加減に、これは釈尊の教えでありますが、そんなふうにもうこの年齢になったら、そういきたいのですが、なかなか、この国は或いはニンゲンたるや、歳とってからのほうが苦労が多いようで、困惑、錯綜、面倒のスキーム真っ只中でございます。

というワケで、本日は、長い休業終了のご挨拶まで。

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