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2018年11月 5日 (月)

塾長lecture ④

色即是空 空即是色/しきそくぜくう くうそくぜしき/

色と空はなぜ分けられないのかという解釈、説教が、この繰り返しの文言にあたるのですが、この繰り返しはナニを意味しているのでしょうか。

そのために、ここではまず両者を結んでいる〈即 すなわち〉がなにを意味するのかに注目してみましょう。

〈即〉が、どういう意味(理由、理路)で用いられているのかが正しく理解されねばなりません。

段取りとしてこの文言を普遍的、客観的なものに近づけます。ここではその方法として〈即〉を、普遍性の高い数式に書き改めます。

すると〈色=空〉〈空=色〉となります。〔つまり等号で左辺と右辺を結んだ等式になる〕

しかしこの等号〈=〉は安直に用いると大きなマチガイを招くことになります。その典型的な例がマルクスの『資本論』における貨幣価値を導くための「価値形態」論だと、私はかんがえています。マルクスは価値の形態を「等価価値形態」と「相対的価値形態」に分けて、それを等号で結び、みごとに貨幣とは何かを導きました。名著『資本論』の冒頭「商品と貨幣」です。

たとえば、

20エレのリンネル=一着の上着

この等式がいわんとしているところは「20エレのリンネルは一着の上着に値する」です。つまり、リンネルと上着の価値形態を「等価価値形態」と「相対的価値形態」に分けて、双方の価値は等しいと述べたのです。ところで双方の〈どんな・ナンノ〉「価値」が〈等しい〉のでしょうか。マルクスによると使用価値ではなく〈交換出来る価値〉が等しいことになるのですが、そうして、このあたりから〈貨幣〉というものナニかが見事にあぶり出されていくのですが、この等式は「交換価値」が右辺と左辺とでは同じということを意味しているだけでそれ以上の意味はアリマセン。

けれども〈等号〉は数学においては「右辺と左辺が等しいこと表す」という素朴な概念、それのみを意味しているだけ、あるいは示しているというワケではナイのです。

あまり知られてはいませんが、数学においては数式における等号には〈十五とおりのルール〉が存在します。また等号は「右辺と左辺が思想的に同じ表現である」という重要な定義としても用いられています。つまり数式というものは、哲学と同じ意味合いを持って読むべき〈表現〉だと心得たほうがイイのです。

『経済学批判』や『経済学哲学草稿』で経済に対して思想的かつ〈浪漫・物語〉的に接近し、さらにそれを表現しながら、マルクスは『資本論/商品と貨幣』でそれを捨象してしまった感が強いのです。何故かここにおいてのみ、唯物弁証法は後退しリンネルも上着も、その「表現価値」を消去されたかのようにみえます。まるで悪しき形式論理の操作に陥ったかのような雰囲気が漂います。

 マルクスの最大の発明と思しき「貨幣」という価値の導きは、のちに誤解を生みます(というか、正しく理解されません)。その理由は等号を形式的にだけ(ルールの一つだけ)に操作したという、たったそれだけの油断だったようにおもわれるのです。

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