第二十九回
「何なんです、お、頭」
訊ねたのは近場の樹木の枝に立つ影、というと、なにやらカッコイイが、あの卍組の頭と手下のうちの手下だということは、いちいち説明しているのも焦燥する。
「こちらが雇ったものではナイゆえ赤毛結社の手の者とみえる。朧十忍か、噂にはきいたことがあるが、くノ一ではなく、九と一の女忍びらしい」
「九と一。座頭一と関係はアリマセンよね」
「ナイわ。十忍とはいうが、十人の忍びがいるワケではナイ。あの女、十通りの秘術を駆使するらしい。従って、朧十忍と呼ばれている。そんな噂を聞いたが実在するのか」
「めっちゃ美人ですね」
「あの容貌も女の術かも知れんぞ。鎖鎌の分銅は二撃ともあのカラダを素通りしておる。つまりあそこに立っているのは女の実像ではナイ」
「では、ナンナノです」
「いちいち、他人の術にかまっているヒマはナイが、白土三平先生の忍術マンガから類推すると、あれは、幻灯機を利用しているのかも知れぬ。たしか、そういう術が在ったはず」
「幻灯機。開化的ですが準備するのが面倒な術ですね」
「それをいいだせばキリがナイわ」
実体、実像でなければその実体を探せばイイだけのこと。衣紋も佐野介も薩摩白波五人衆と称される手練のもの。それくらいのことはすでにワカッテいた。実体は何処に在る。問題はそこだ。二人の視線は暗闇を四方八方に動いていた。
「いたか」
「みつからん」
もちろん、この声は音声として発せられているのではナイ。ただ、息の吸い方吐き方でコード化されている。
「下がっておれ、風向きを読んだ。北東に向けて邯鄲を使う」
そういったのは、菊間佐野介。
邯鄲(の術)とは、特殊な毒を空間に散らすことによって敵手を一時的な眠りに誘う術らしい。これで、北東方向に何か気配がなければ引き算で敵手は南西に在ることになる。衣紋は鎖鎌を手にその方向に進む。
と、「ううっ」という男の呻き声がした。
「佐野介っ、如何がしたっ」
そう衣紋は後方に向けて、これは声を発した。唸りあるいは呻きはたしかに菊間佐野介の声だった。で、あるのに、一向に敵手の気配が察知出来ない。衣紋の焦燥は次第に高まっていく。何故、気配がナイ。これほど見事な隠遁を使うとは。
「おっ、頭さま。なんで気配がねえんでしょうね。スゴイ術者ですね」
「隠遁の法でも最高levelのものを使っておる。おそらくそれも朧十忍の術の一つにはチガイナイだろうが。わしの知っている限りでは、この隠遁は火遁や土遁などで身を隠すものではナイ。夢遁の術と称されるものであろう」
「さすが、おっ頭。ダテに歳をとってませんね。で、その、ムートンてのは、どんな隠遁なんですかい」
「アホを相手にしておると疲れるが、夢遁の術とは別名を眠遁ともいう」
「ミントン。バドミントンなら横浜の港で観たことがありますが」
「アホを相手にしておると疲れるが、解説せねばなるまい。夢遁の術、眠遁とは、気配を消すために眠ってしまうことだ。ただし夢はみている。夢の中で己れの意識を動かして敵を攪乱すると聞いている」
「そりゃ、すげえ。さらに幻灯機まで使うんですねえ。キャハッ」
お頭はコメカミを痙攣させながらも、目を閉じた。