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2018年10月 9日 (火)

第三十回

 衣紋は心身脱落したかのようにみえた。鎖も分銅もそれを示すごとくだらりと地に垂れていた。ここにきて、右近の尾行もままならず敵手に後れをとるのか。菊間佐野介の気配すら消えた。おそらく敵の手中に落ちたにチガイナイ。悔恥とも自嘲ともとれる細かな痙攣が頬あたりを走った。

「なるほど、世の中はまだまだ広いものよ。無敵を誇った五人衆だったが、我等よりさらに強い武芸者は数多、在るものだのう」

 ごちるような呟きだったが、せめて、敵手に聞かせたかったのしも知れない。団 衣紋から、もはや戦闘する気力は失せていた。あるいはそれは朧十忍の術中にあったからなのかも知れぬ。だとすれば、朧十忍を使う女忍のskillは計り知れぬほどのもの、と、いわねばならない。羽秤亜十郎といい、この朧十忍の女忍といい、楠木右近の敵手は次第に手強いものとなってきたことは否めない。

 

 その羽秤亜十郎については、新たな敵が出現したとの報せとして右近に届いた。北司からの密偵からの転走伝というものだ。密偵である彼らは、密命が何かの報告や情報の伝達の場合、単独で行動するのではなく、数人から十数人にまで分かれてこれを受領しては次のものへと届ける。ある者は走り、ある者は伝書鳩を使い、ある者は馬を飛ばす。これを転走伝と称する。

 では、彼ら密偵は如何にして右近の居場所を知るのか。それは予め右近と北司とのあいだに取り交わされた方法なのだが、その方法たるや種明かしをしてみれば単純なことで、右近に着かず離れずに行動している密偵が複数名、在るのだ。もちろん、右近がこの者を巻くのは簡単なことなのだが、右近のほうも北司の密偵たちには常に合図を遺しておく。道祖神の傍らに並べられた小石がそうだ。この方法は、『子連れ狼』の拝一刀が雇用者への連絡の方法として用いたものとだいたい同じだとおもえばイイ。

 が、しかし、その新たな敵の報告が右近に届いた頃、すでに当人の羽秤亜十郎は右近の前に姿を現していた。

「楠木右近、秘剣鍔鳴り、お宝十万両、だね。おいらは羽秤亜十郎という賞金稼ぎだ。いやいや、あんたが賞金首になっているワケではねえよ。しかしながら、おいらの嗅覚は正確でねえ。あんたを出すところに出すか、仕留めるかすれば、ごっそり報奨金が入ることくらいはresearchしてあるのさ」

 不敵といえば不敵。しかし、右近は涼しい眼で羽秤亜十郎をみると、

「その報せ、今し方こちらも受け取ったが、そっちの動きも素早かったようだな」

 さほど驚きもせずに、まるで、旧知の友人と偶然出逢ったかのような調子で眼前の作務衣にコトバを投げた。

「傾斜流韋駄天、というのをつかったんでね」

「傾斜流韋駄天か。なるほど韋駄天は韋駄天というワケだな。実に、そのものズバリの命名だな。傾斜流というのは、そういう流派か。不動術とやらで、これもその名のとおり、おぬし一文字左近の動きを封じたとか」

「ほほう、そんなことまで密偵に報告させているのか。あの元城代もなかなかだなぁ」

 おそらく、羽秤亜十郎が右近に対して絶対の余裕をもって対峙出来たのはこの辺りまでだったろう。強気のコトバを吐きながら羽秤亜十郎、ゆるやかな口調とは裏腹に楠木右近が一分どころか一厘の隙もみせぬことに、さすがに驚愕していた。

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