第三十三回
分身の術だとおもわれるが、その数が合わせ鏡に映った鏡の如く無限の数に増えていく。
これには、右近よりも羽秤亜十郎のほうが驚いている。
「こいつぁあ、飽きねえなあ」
羽秤亜十郎は戯れて影を一つ二つ斬ってみたが、手応えはナイ。それくらいは予想していたらしく、
「やっぱりキリがねえか。じゃあ、オレはオレで右近さんの命、頂くぜ」
と、下段地擦りに構えた。
じつに奇妙な構図だ。右近は無数の影にかこまれながら羽秤亜十郎と相対している。
「新陰流、後の先の極意の構えに似てはいるが、似非禅坊主、それも傾斜流の工夫か」
と、右近は微動だにせず、そう、いう。
「新陰流とはチイっとちがうのさ」
「チガウといえど、後が先になる、先が後になる変化程度だな」
と、右近は面白そうに羽秤亜十郎を穿った。
「おおっと、そのとおり。お見通しだが、見通されてもどうってことはナイんでえ」
つまりは、攻撃に対し、撥ね上げるのが先になるか後になるかだけのこと。と、右近は述べたことになる。
しかし、この撥ね上げを狙った地擦りにはもう一工夫、というか、かなり卑劣な仕掛けがあった。
それを知ってか、あるいは他にかんがえがあったのか、めずらしく右近は関の麒六を事も無げに抜いた。
それを観て、羽秤亜十郎は剣先を撥ね上げた。と、刀身が柄から抜けて飛んだ。これが仕掛けだ。間合いも見切りもあったものではナイ。刀身は、矢のように右近の胸に向かって飛んだのだ。
これを右近が己れの抜き身で弾いたかというと、そうではナイ。羽秤亜十郎の飛ばした刀身はいきなり曲線を描いた。カーブを切ったといってよい。それが、無数に蠢く朧の影の一つに突き刺さった。
「ううっ」
呻いたのは、朧の影だ。
一瞬にして影は一つとなり、それが不知火朧の実体だということがワカッタ。羽秤亜十郎の抜いた刀身は朧の太股を貫いている。
「刀をオモチャにするとは、所詮はスタスタ坊主の剣術。女の太股が好きなところは、久米の仙人かも知れぬが」
朧にとってはトバッチリなのか、あるいは右近の狙いどおりなのか、何れにせよ、たまったものではナイ。
「何故、実体に気づいたっ」
と、右近に発したはまさに朧の慟哭。
「そんなことは、刺さった刀にでも訊くがイイ」
柳に風とその咆哮を受け流し、右近は関の麒六を鞘に納めた。
「これ以上の闘いは、双方とも無理だと存ずるが」
いわれるまでもなく、羽秤亜十郎も朧も、遁走した。