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2018年10月14日 (日)

第三十四回

 敵に後ろをみせるとは、羽秤亜十郎も、朧にしても、これが初めての経験だった。負けたというよりあしらわれた。屈辱の敗走だ。

羽秤亜十郎は、二の足にひそめた短刀に触れてみた。あそこで飛ばした刀身を弾かれれば、すぐさまその短刀で第二撃の攻撃がなされるはずだった。普通の剣客ならば、飛んできた刀身、これは本来地擦りから撥ね上げられるものなので、竜尾の剣と勘違いしその防御をとる。ある程度の達人であれば剣でこれを弾く、あるいは受けることはしない。そうすれば、すぐさま竜の尾のように返す刃が降り注ぐ。この応用が巌流佐々木小次郎の燕返し。達人、出来るものならば、おそらくは見切って僅かにそれを避け、上段から真っ向唐竹割に入る。しかし刀身は飛んでいる。避け方は難度を極める。その隙に乗じて短刀の第二撃が相手の胸元へ。傾斜流虎の牙と称される二段攻撃だったが、一撃目の刀身が曲線を描いて外れるとは、四方(よも)や。

 朧は太股の付け根をシゴキで強く縛ると、出血を観て悔しさに拳で地面を撃った。不知火朧の十忍の中でも極めての秘術が、事も或るや、あのように敗れ去るとは。あれは偶然の出来事か、それとも、楠木右近の技なのか。右近の策ならばいったいあの右近とは何奴っ。嘲るように敵手の剣を利用して不知火舞影を破綻に導くとは。未だかってナイ恥辱。楠木右近、必ずや、倒す。たとえ刺し違えてもその命もらい受けるぞ。今一度、朧の拳が地面を叩いた。

 破れたことがナイ技を用いて負けたときの武芸者たるや殆ど錯乱の域にある。無論、優れたものや熟練の強者ならば、そこからしばらくすれば冷静を取り戻し、敗因をつぶさに検討、次の戦いに備えるのだが、羽秤亜十郎も朧もその如く、ほんの一刻前の右近との戦いの様相を脳裏に浮かべていた。

 羽秤亜十郎は、飛ばした仕掛けの刀剣が飛燕の如く曲線を描いた理由に黙考していた。

 直刀ではナイにせよ、反りはあるにせよ、特殊な投げ方をする手裏剣のようにcurveを描いて飛ぶということがあり得ようか。もし、それが右近の技ならば、いや、右近の技にはチガイナイのだが、どんな技法、剣法を用いればあのような作用が起きようか。

/みたこともナイ/、としか、いいようがナイことをかいま観たのだ。楠木右近の鍔鳴りとやらの兵法はああいう現象をつくりだすものなのか。しからば、何かそれに抗する手立ては或るや、無きや。おそらく多くの剣客が右近に対して同じ苦悶をおぼえたにチガイナイはずだ。

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