第六回
四、雨御堂四面楚歌(あめのおどうしめんそか)
稲妻の閃光が走った。雷が遠雷から次第に距離を縮めてきた。夕立がくるようだ。
林道から、さらに山は深く、楠木右近はめざすモノの場所を知っているかのように、足早に歩みを進めていた。確かに、あたかも宝への地図でも所有しているかのような足どりだが、そんなものは、この男の懐にはナイ。あるのは簪一本。おそらく、この男、楠木右近に在るのは、闘う者に自然に芽生えてしまう何かの戦闘能力としかいいあらわすことの出来ない、いわゆる、潜在的な闘争本能。静かなる剣気なのだろう。殺気ほど切羽つまったものではナイが、潜水艦のソナー探知機のようなものだ。
その右近、ふいに歩の進みを停めると、空をみあげた。
「一雨くるかナ。山の天気はワカランなあ。さてと、このような街道外れの山中では、民家も茶店もあるまい。その代わり、修験者、行者たちが休憩に使うお堂の一つもみえるはず」
果たして、廃れてはいるが、はるか前方にその簡素なお堂らしきものがみえた。
すでに雨は降り始めている。右近、今度は小走りになった。
本降りになる直前、右近はお堂に駆け込んで、その表戸を開いたが、
「これは満員御礼か」
右近がそう苦笑を交えていったのも無理はない。先客が多すぎる。鳥追姿の女がひとり、作務衣の坊主らしき男がひとり、刀を肩に抱いて座っている旅支度の侍らしきがひとり、このものは散切り頭ではなく、髪は束ねて肩に垂らしている。そうしてもうひとりは、行商人のようだ。このような山中で、たしかにこの人数は多すぎる。
「煩(わずら)わす。御免」
右近、ともかくひとこと挨拶すると、片隅に座した。
途端に落雷がして、お堂の中も白ずんだ紫の光が通りすぎた。行商人が顔を歪める。
「いやっ、いまのは、近い。こりゃ落ちましたね。ひっひっひ」
「ここは大丈夫よ」
すかさず、自分にいいきかすかのように、鳥追が、声を震わせた。
行商人、今度は愛想笑いで、
「とはいえ、みなさま、これが、呉越同舟でございますね」
と、応えたが、
が、それを聞くと、よほどの皮肉と聞こえたらしく、それぞれが、鋭い眼で行商人を観た。
無論、行商人にしてもそれなりの揶揄を含めたつもりだったが、右近も苦笑いして、
「商い屋、それはちとチガウようだな。呉越同舟は敵味方ご一緒の舟遊び。しかし、拙者にとってこれは、同じように司馬遷の『史記』からこじつければ四面楚歌。何処からも楚の国の歌が聞こえてきそうな按配といったところかナ。とはいえ、拙者は楚の国のものではナイゆえ、ご期待には添えぬ」
この右近のコトバには、今度は堂内のそれぞれが殺気だった。それに呼応するようにまた、落雷の青白い光と轟音が鳴り渡った。
「まあ、待て。急ぐことはあるまい。せっかく濡れぬように飛び込んだところだ。雨があがってからでもよかろう」
右近は、そう制して、不敵にも簪を取り出してみせる。
「この簪が、朱鷺姫の居所へ導いてくれるらしい。その朱鷺姫は、元松阪藩の隠し蔵に眠る十万両相当の金塊の在り場所を知っている。単純な話だ。私を倒せばこの簪はその者の手に入る。しかし、単純なことが簡単とは限らぬ。それをおぬしたちは、これから四半時(現時間にして30分)と経たぬ間に思い知ることになる」
まったく、この状況下における、恐れを知らぬ右近の挑発に、先客たちは一斉に立ち上がった。
五、剣戟奇体也其敵(チャンバラだ、あいてはへんなのばかり)
お堂の前にsceneは移る。
自然に出来た空き地なのか、どの宗派のものかはワカラヌが、お堂を一つ建てるために木々が伐採されて造られた広場なのか、何れにしても、剣を交えるには好都合、とまではいえないが、道場剣法でもナイ限り、闘うに場所など選んではいられまい。土塊とこの山地特有の泥岩がところどころに剥き出したその〈場〉に、すでに、垂れ髪を結んだ剣士と右近は対峙していた。
無言で剣の柄にも手をかけぬまま立つ右近に、垂れ髪の剣士が甲高い声を発した。
「申しておくが、朱鷺姫、十万両奪取の指令、その使命は、拙者においては二の次だ。拙者、直心影流、男谷の門下。目録を拝受しておる。鰓水魁偉(えらみずかいい)と申す」
「直心影流。あの他流試合で有名な、男谷精一郎信友どのの直弟子か」
垂れ髪の名乗りを受けての、この右近のコトバには、幾分かの敬意が含まれている。直心影流の男谷精一郎の他流試合は広く知られているからだ。
「左様。我が流派が他流試合を数多く試みるのはダテではござらぬ。他流派と闘うたびに、勝とうが分けようが、さまざまな他流の兵法を我がものにするが、その兵法の一つ。従って我等の直心影流には、決まった剣のカタチはござらぬ。常に変化する。拙者、他流試合で学びとった、机竜之介の〈音無しの構え〉ご覧にいれる」
机竜之介の〈音無しの構え〉、まさかここで、中里介山のfictionを観ることになろうとは、右近ですらも予想だにしてはいなかった。(もちろん、つづく・・・今後はこのお報せはありません)

