第十七回
彼らは特に選んだワケでもナイが、ふらりと飛び込んだ道場の師範(道場主はたいてい老体なので、師範が最も凄腕ということになる)を倒すさいにその技を使ったが、後にその場に居合わせた警邏(けいら)の語ったところによると、まず師範を挟むように赤星と南郷は立ち、師範を中心にその回りを周回し始め、周回が三周目を終えた頃、師範は血反吐とともに伏していたらしい。つまりは、どういう攻撃を仕掛けたのかは、警邏の目には映らなかったのだ。当時の警邏(邏卒・・らそつ)は階級が下のものでも、剣術では現在の三段あたりを有していたし、目録、免許皆伝という強者もいたのだが、そうして、その道場を警邏中の邏卒もまた、目録伝授程度の腕前はあったのだが、それでも、赤星と南郷霧丸が如何なる技で師範を倒したのかは、ワカラナカッタ。
首魁、団 衣紋はあきらかに油断(と、いうか軽口のが失敗)によって、右近に手玉にとられたが、二度目はそういうことはあるまい。また、団 衣紋の口から右近のことを聴いた残りの四人も、心して右近との死闘にあたるだろう。この五人衆、侮るべきではナイ。
では、sceneをもどす。
一文字左近の左手は鯉口を切ることはなかった。彼は抜刀しなかったのだ。左近は、暫し右近の様子を観た。右近のカラダには何も変化はナイ。これは、左近の鍔鳴りが右近に通じなかったことを自ずと意味している。常人ならば左近の鍔鳴りの波動に脳髄を貫かれて、もん取り打っているところだ。しかし、右近は素知らぬ顔で立っている。
あまりに平然としている右近を、左近は怪訝というより畏怖に近い面持ちで凝視した。通じない、左近の鍔鳴りはまったく効果をみせていない。
「抜かぬ、のか」
と、という右近の声が、地獄からの招きのように左近に届いた。
左近は、左の腕(かいな)をだらりと垂れると、ふううっと長い息を吐いた。
「君子、危うきになんとやらだ。実に奇態なことだ。拙者の鍔鳴りを如何にして避けきったのか、まるでワカラヌが、いま一度試しても同じことだろう、くらいは見当がつく」
柄からゆっくりと右手を離した。
「利口だのう、おぬし」
右近、慈悲さへ感じさせる涼しい眼で左近をみたが、
「いまの時代まで、葵から菊と、ようよう生き延びたでナア」
一文字左近もまた、苦々しくはあったろうが、薄く笑った。
「もはや、立ち会いはヤメということだな」
右近の拳が、柄から離れた。
「負けを認めたワケではナイ。きょうのところは、と、いっておこう。悔し紛れにゆうているのではナイ。拙者はウヌに勝ちたい。おぬしを斬りたい。されど、余程の研鑽がなければ、おぬしと戦うのは危険らしい」
左近は、さきほどの戦意を何処へ仕舞ったのか、積み上げられた材木から飛び下りると、踵を返して右近に背を向けた。
もしかすると、こういう兵法者のほうが、右近とマトモに戦える者なのかも知れない。
右近も、そうおもったようだ。それゆえ、ずっと去りゆく左近の後ろ姿をみていた。
が、平和はここまで。
右近は、ゆっくりと再び拳を柄に置いた。左近と交替とばかりに材木の束に飛び乗った者が二人。
「今度は、pearか」
と、その右近のコトバに、赤星が、小さく、ウッという声を発した。
「拙者の思い違いというのではなかろう。片割れは、男装だな」
赤星、短い剣の柄を握った。
「よくぞ、見抜いたな」
そう答えたのは、南郷霧丸のほうだ。
もちろん、作者は知っていたが(けして、いま、思いついたのではナイ)、ここで右近がそれを見破るほうがオモシロイだろうと、読者には内緒だった。見破った右近もさすがだが、作者もさすが。
その右近、
「二人一組の戦い方か。では、この木材の上では足場が悪かろう」
いうと、いつ飛んだか、積まれた木材から三間ばかり離れた地上に現れた。
まさか、戦法を見抜かれたのでは、という困惑は南郷霧丸を観る赤星の目にあきらかだった、が、しかし、
「たとえ、我らが戦法を見抜かれていても負けるとは限らぬ。いや、我らが兵法、けっして敗れはせぬ。臆するな赤星」
南郷霧丸は跳躍すると右近の前に降りた。赤星も続いて跳ねて、右近の後方に着地した。
両者は右近を挟むような位置にあった。あの道場破りで師範を倒したときとまったく同じ位置取りだ。
「何が始まるのか知らぬが、稚戯はヤメたほうがよい」
右近は、鍔を打った。赤星と南郷霧丸は右近の周囲を廻りだしたが、その足はすぐに止まった。
「むっ」
「えっ」
という、驚きとも恐怖ともつかぬ声は、赤星、南郷の両者から同時に発せられた。
「右近はっ」
と、吐いたのは赤星だ。
姿がなかった。周回する彼らの中心に在るはずの右近の姿が無いのだ。
その、右近の声は、再びあの積まれた材木の辺りから聞こえた。
「稚戯はよせ、というたであろう。おのれらの術はもう、ようワカッタ。無駄なことはヤメにせい」
みると、右近が材木に腰掛けている。これほど莫迦にされた仕様(ざま)はナイ。赤星と南郷は右近めがけて二人して跳んだ。
が、今度は、右近の姿はすでに三間先の地面に移っている。
赤星と南郷は顔を観合わせた。
「どうする」
と、赤星が訊いた。
「団 衣紋どのの忠告、よくワカッタ。しかし、ここで逃げ去るワケにはいかぬぞ」
「心得た」
とはいったものの、両者とも、手のひらの汗を心地よくはおもっていない。