第八回
その声に右近が振り向くと、three piece suit に太い葉巻をくわえた紳士ひとり。左手にはstick、そうして、右手のコルト・ピースメーカーは、右近に銃口を向けている。
維新にはこういう、の、も存在したのだ。(その辺りのことは『明治戯人画録』という図録に詳しい)
その辺りのものが葉巻をくわえたまま、右近にニタリ、笑んだ。
「飛び道具が卑怯だったのは江戸時代までのこと。文句はあるまい」
「いやいや、織田信長は鉄砲で日本を制覇したと聞く」(右近がここでさほど驚いた素振りをみせないのは、この物語にとって、ほんとうはもう少し深い意味も持つのだが、それはかなり後になってからワカル)。
もちろん、織田信長が鉄砲で日本を制覇したワケではナイ。しかし武田の騎馬隊を破ってからの破竹の進軍と、天下取りまでアト一歩まで歩を進めた理由は鉄砲にあることにマチガイはナイ。合理を好んだ信長は、戦国大名の中でもいち早く、素人が用いても殺傷能力の高い鉄砲に目をつけた。ただ、それを操る技術の習得の訓練と、連写がままならないという難関の解決は信長ならではの功績だろう。
「では、遠慮なく。地獄へ行っていただく」
葉巻の撃鉄がカチリと音をたてた。
「あいにくだが、行きとうても、地獄などというものは、無い。無いところへは行けぬ。無論、極楽やハライソあったとて、行く気はナイが」
と、さらりといってのけると、右近は柄を軽く叩いて、鈴の音を鳴らす。
拳銃から弾丸が数発、撃音を轟かせて発射された。よもや、両者のこの距離では的を外すことはあり得ない。
の、だが。
「飛び道具から身を守るためには、まず三間の距離をとり、左右に動く。それだけで命中率は格段に下がる。が、拙者とお手前との距離およそ二間。拙者、じっとしていたのだが、よほどの腕前とみえる」
右近の嘲笑にではナイ。あり得ないことの生じたワケがワカラズ、葉巻の紳士はあきらかに狼狽している。
「こんなバカな。この距離で、拳銃の弾がっ」
と、さらに数発。だが、命中しない。
「こんなバカでも、あんなカバでも、象だろうが虎だろうが、ライオンだろうが、」
「黙れっ、信じられん」
弾が尽きたらしい。
右近の刀が一閃。葉巻が半分の長さになった。
「信じられぬのも無理はナイが、次は、その葉巻にあらず、臍から半分に、カラダの上下が分かれることは信じてもらおう」
紳士は銃をホルダーに収め、stick(おそらく仕込み)を抜かんとしたが、
「いや、待て、馬鹿馬鹿しくなった。どうせ勝ち目は出まい。此方はバクチで勝負はしない。しかし、此方も西洋で学問を収めた身上だが、其方の剣法、鍔鳴りとやら、まるでワカラン。常識を逸しておる。刀はともかく、拳銃の弾まで逸れるとは」
「秘剣の〈いわれ〉は、そこにあるのさ」
右近の静かな口辺の笑みは続いている。
「大筒でも撃てばよいのか」
「さあ、それは試されたことはナイ」
葉巻の紳士は半分になった葉巻をくわえたまま、首を左右に振った。まるでワカラヌ。
と、何かの気配を感じたらしい。急に、木の上に視線を投じた。
「んっ、新手だな。今度はチガウ相手のようだが。引っ切り無しに狙われる其方に同情申し上げるよ」
引かれ者の小唄にも似た逃げ口上を残して、suitの紳士はその場を去った。
鈴の音が右近の頭上から複数で聞こえ始めた。もちろん、右近のそれではナイ。卍組の連中だ。右近の眼が影の数を勘定した。七人ばかりはいるだろうか。それぞれ鈴の音を鳴らしながら木々から地上に着地すると、右近に近づいてきた。
「戯れた真似を。忍びらしい工夫だが、褒めるわけには参らぬ。先程の鳥追も中におるのか。なるほど、九の一とは気がつかなかった。それがし、九の一とは、いま少し麗しいものと心得ていたからな」
と、そんな軽口もこのオトコの余裕なのだろう、少々好色な面をつくりながら、柄を軽く叩いた。
忍びの群れは、一斉に右近に斬りかかったが、いわずと知れたとは、このことだろう。すべての刃は空を斬っただけだ。
「退けっ」
頭目らしき者の声に、忍びたちの足は地を離れ、いずれも木の上に消えた。
「右近とやら、ひょっとして、鍔に下がる鈴の音は、ほんものの鳴りを隠すためのまやかしに過ぎぬのか」
「よく気がついたな。鈴が鳴るのでは、鈴鳴りになる。拙者は鍔鳴り右近」
「ここは退く。が、しかし、鍔鳴りの謎、必ず見破ってみせる」
頭目も、木の葉の中に姿を消した。
右近は刀を収めると、懐から簪を出した。
「朱鷺姫か、これは、予想以上に長い旅になりそうだな」

