無料ブログはココログ

« 第六回 | トップページ | 第八回 »

2018年9月10日 (月)

第七回

〈音無しの構え〉とはもちろん、中里介山の世界最長の小説『大菩薩峠』のダーク・ヒーロー、ニヒリスト(精神疾患だとする説もある)机竜之介の使う剣技だが、原型は江戸時代後期の実在の剣客、高柳又四郎の用いた剣法を中里介山がヒントにしたらしい。

カタチだけを説明すれば、青眼(正眼)から馬手の方向に刀を三寸から五寸近く開く。つまり弓手が隙だらけになる。ということは、相手方からみると、敵の右半身がまったくのがら空きになることになる。ここで打ち込んでいいものやら、しばしの或いは、やや長き逡巡の沈黙が訪れる。この無音と、打ち込んださい、高柳又四郎は、一度も剣を交えることなく相手を斬り倒したとされることから、刃の触れ合う音も聞こえない。その無音とを統合して称された構えをいう。

右近にしてみれば、なんであろうと、ともかく相手になるしかあるまい。

「ほほう、それは珍しい。というか、珍し過ぎるワ。しかし、ほんとうに観られるなら一興だな」

 たしかにそうにチガイナイのだが。

「お手前の秘剣鍔鳴り、破ってみせる。これが拙者の一義だと知れっ」

「明治になって廃れはしたが、武士は武士か。悲しいものだな。しかし、その意気は買おう」

 もちろん、その語彙どおりではない。この対峙する二人を遠くからみつめている他のものは、右近の皮肉と、そう聞いた。

鰓水は中段(正眼)からやや左に刀身を開いた。これは、映画では市川雷蔵の演じた、机竜之介の〈音無しの構え〉だ。

「なるほど、僅か三寸に正眼を開くことで、スキをつくり、よって、相手を誘いこむことも出来、そのまま喉、脇腹への攻撃に移すことも出来る。その構えは、そういうことだな」

聞くと、鰓水は不敵に笑って、

「手の内を読んだつもりらしいが、拙者の工夫はここからだ」

と、刃を内に向けた。これで刀身はほぼ水平になったことになる。

「その工夫、さらに、オモシロイ」

右近、口辺でほんのすこうし笑うと、鈴が鳴った。右近が抜いた。相手より先に抜くところをみせるのは初めてのことだ。おそらく、相手の構えに乗ってみようという酔狂な魂胆。なんという不敵さ。

「鍔鳴り、敗れたりっ」

と、一声、鰓水は一足ばかり踏み込むと刀身をハネ上げた。しかし、右近は受け太刀をとらナイ。

鰓水の逆袈裟に伸びた刀身があっというまに水平にはらわれた。誰の眼にも、最初の逆袈裟の一撃をかわした右近の左肩か首が、二撃目に仕掛けられた虎尾の靡(なび)きの如き流れの太刀で、斬られた、かに、みえた。しかし、鰓水の剣は空を斬っただけで、鰓水の横を通り過ぎただけの右近の剣は、いつのまにか、鰓水の胴をはらっていた。

鰓水、工夫の二段斬りは、ただ、彼の横を擦り抜けただけにみえた右近によって、一瞬のうちに無に帰したのだ。

「そ、そんなっ。斬ったはずだ」

「はず、だけではひとは斬れぬ。音無しの構えとは、面白いフェイクだったが」

 これは、先程の赤毛の剣士、蝉丸との闘いとまったく同じ出来事だ。お堂の前に居並ぶ面々には、右近は確かに鰓水によって斬られたかに、みえたからだ。

鰓水が倒れ伏すのを待っていたかのように、作務衣の男が右近の前に立った。

「赤毛結社、組頭を務める、木之井幽心。どうやら、不思議な剣法を使うようだが、ご覧のように、こちらは帯刀してはおらぬ。いかに楠木右近の鍔鳴りといえど、斬ってこぬ相手を封じることは出来まい」

 なるほど、道理。

「組頭か。すると、少しは使うワケだな。素手とはいえ、唐手や拳法使いでもナイとみたが」

「神田お玉ヶ池の千葉道場、しかしながら、お察し通り北辰一刀流ではござらぬ。そこに通う少年剣士、通称、赤胴鈴之助より伝授されたる〈真空斬り〉。それがしの技は無刀でござる」

「真空斬りっ。シンクウギリィィィ。赤胴鈴之助とは、もう珍しいどころの騒ぎではナイな」

 失笑だか、哄笑だか、右近の頬のゆるみを判断するのは、もう難しい。

 おそらくは読者が失笑している。

「さあ、これを如何に防ぐや」

木之井、拝むように片手を差し出すと、

「参るっ」

これに応えて右近、ほんの暫し、頭を掻いたが、

「参れっ、」

鍔の鈴が鳴った。

木之井の掌は、空間に何やら文字でも書くように動いていたが、大上段に構えが変わると、気合いとともに振り降ろされた。

しかし、それによって倒れたのは、勝負を観ていた物売りだ。

「そ、そっ、そんな、まだっ、」

 泡を吹いている物売りをみると、鳥追は、物売りのいいたかったコトバを続けた。

「闘ってもいないのに。冗談じゃナイわ」

そうして、アッというまに、その場を去った。つまり逃走、逃げたワケだ。

「どうも真空斬りの方向が違ったようだな」

「まさかっ」と、木之井、もう一度手文字を書き始めるが、

「懲りない御仁だな、まだヤル気か」

再び鍔の鈴が鳴った。

 木之井、気合い一発。だが、倒れたのは、当人の木之井だ。

「わ、ワカラヌっ。こんな、はず、では」

「申し上げたであろう。はず、では、ひとは倒せない。真空斬りとは、要するに〈かまいたち〉。修練によって、空気中に真空状態をつくり、それを飛ばず技の類だろう。おぬしが、どのような修練、修行を積まれたのかは存じあげぬ。ただ、いわせてもらえば、真の修行をなさったほうが良かった。赤胴鈴之助の技も、千葉道場での剣の修行のはてに手にしたものだ。けしてケレンな技ではナイ。秘剣鍔鳴りには、真空だろうが、孫悟空だろうが、ましてや、ケレンな小手先の技など、通用は、せぬ」

 では、何が通用するのか、と、さぞやいいたかっただろうが、木之井真空斬りは、地に伏したまま、もはや息すらしてはいない。

 と、刀を収めた右近に、~では、これならどうかな~、嘲笑うような声がかかった。

« 第六回 | トップページ | 第八回 »

ブログ小説」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/67151350

この記事へのトラックバック一覧です: 第七回:

« 第六回 | トップページ | 第八回 »