第十三回
ついでのこと、というワケでもあるまいが、ついでのことといえば、ついでのこと。千眼通に、右近の正体をみせよというmissionが、〈ご支配〉と呼ばれる声から発せられた。
が、しかし、
「それだけはみえませぬナ。この千眼通の術技を駆使しても、徳川の時代の何処にも、その楠木右近とやらの姿はありませぬ」
「そんな莫迦なっ」
座しているものが、老人に詰め寄った。
「千眼通にもみえぬとは、そんなことがあり得るのか。というか、徳川の時代の何処を探しても姿がナイなどということが、」
あの左近ですらも驚きを隠せぬ。
老人は、特にすまなさそうな様子でもなく、
「それは、ございますぞ。そういうことはございますのですじゃ」
と、やや情なさそうな笑みを交えて 老人は小さく息を吐いた。
「この世には、隠れたる者という、まことに奇態な者がございましてな」
と、そういって、今度は意味ありげに唇を歪めた。それがこの白装束の老人の悔しさだったのか、あるいは呻吟であったのかは、座敷の二人には判別がつかなかった。
「隠れたる者、とは」
左近が訊ねた。座したものも、老人の応えを待つ。
老人は暫し顔を天井に向けていたが、襟元の乱れをなおすかのような仕種をみせると、また俯きかげんに首を垂れた。
「隠れたる者、でございますな。古に、この術を授けた我が父より聞いたことでございますれば、そうとしかいえぬのでござるが、我が尊父曰く、この世には隠れたる者在り、彼のもの千眼も通さぬ」
「千眼通さぬ隠れたる者。隠れたるとは、何処に隠れておるのだ。歴史の中にという意味か。あるいは何かのmetaphorか」
再び左近が問うた。
「それも、わかりませぬ。ただ、隠れたる者としか聞いてはおりませぬ」
なるほど、それも道理。それがワカレば隠れたる者とはいわぬだろう。
そんなふうに左近は納得した。他に術はなかろうと、おもった。
しかし、座したものは、承諾も合点もいかぬとみえて、追問を諦めない。
「では、元松阪藩の城代は、如何にして右近なるものを探しアテたというのだ」
老人はしばし、黙していたが、おそらくおのれの記憶を探っているにチガイナイ。
と、顔をあげると、
「右近とやらの腰のもの、あの拵えは、関の麒六でございましょう」
誰に向けてというでもなかったが、座したものの問いに答えたカタチになったようだ。この老人のコトバに、左近がすかさず、ウムッと反応したからだ。
「さすがに、齢不知の千眼通、貴奴の刀まで観ていたとは。なるほど関の麒六、たしかに、拙者もそう観てとったが、マチガイなかろう」
「さすれば、関の麒六は、刀匠関の孫六の最後に打ち鍛えし業物。それが何れの者の手に渡ったかは、これを知る者ナシとか伝わりしところ。おそらくは、」
と、座敷の二人を穿った。
「なるほど、刀の行方を探索していって楠木右近に辿り着いたということか。隠れたる者の拵えが、関の麒六であったということは何処かで目星がついていたということだな」
座したものも、今度は納得した様子。
「セキノ、キロク」
と、支配の声が、そのひとことで老人のかんがえを復唱した。
「御意にて、候。関の麒六は、孫六の向かい槌を稲荷明神の狐が務めたとされております。右近とやらの秘剣も、その辺りに秘を解く鍵がござろうと推しまする」
左近、この老人の提示に顎に手をやり黙考に沈んだ。自らの鍔鳴りの技との相違を模索しているようにみえる。
で、
「いや、またれよ。それは、稚速、拙考に過ぎる」
と、ひとこといい置いて、おのれの刀の柄に右手を乗せた。そうして、
「拙者の剣も、右近の剣も、刀身が鳴っているのではナイ。鍔鳴りと称しているからには、鍔にその秘があるはずだ」
軽く柄を手で打った。
とくに音がしたワケではナイが、座したものも老人も耳を押さえて仰け反った。
「いや、ご無礼。これが、拙者の鍔鳴り。聞こえはせぬが頭蓋を通り抜けて、そのものの脳髄を振動させる。と、かくも秘密を明かそうが、この剣は破れぬ。拙者の鍔鳴りを聞いた、いや、聞こえはせぬが、受けしものは、いまの其処許たちのごとく、いっとき錯乱におそわれる。この錯乱が妄想を呼び起こす。それは防ぎきれぬ。いつの間にやら自らの剣を振るいながら、在りもせぬものを斬っているという寸法だ」
「右近の鍔鳴りも、また然りということでござるか」
と、座したものが、汗を拭いながら左近をみあげた。
「さあて、それは、ワカラン。似て非なるということもあるからな。相、対してみないことにはなあ」
このオトコにはめずらしく苦笑いという顔をみせた。ただし、これは自らの鍔鳴りに対する自信に他ならない。