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2018年9月29日 (土)

第二十三回

 武士の黄金時代は、戦国武将の時代とともにさらに栄えたが、江戸徳川幕府の時代になると急速にその勢いを失った。

 このことは、多数対多数の戦闘(軍対軍)における兵法の没落を意味したが、逆に、幕藩の何処かに士官するための、個人的な武芸の鍛練には有効といえた。そうして、徳川の幕藩体制による江戸時代がオワリを告げても、なお、自身の磨いた武芸を伝えんとするものは未だに山野や海道、山道には数多、在ったのだ。彼らの夢みたことは武士の時代の再来ではなく、おのれの武芸の固有の活かし方だった。表攻めの合戦になれば火器のもとに無力な剣一振りの兵法も、一対一となれば様相がチガッタ。これが、廃刀例が出されても、なおも刀剣の歴史が終わらなかった一因であり、また、廃刀例をもって刀剣が使えぬなら、チガウ武芸を以て敵を倒す工夫が自ずと成されたのは、しごく当然といえよう。

 これらを、現在における〔核〕の有効性にあてはめれば、何れはハイパーな電子兵器によって〔核兵器〕が無効化されることがあり得るということを意味している。

 

ともあれ、私たちは、夢のカケラに過ぎぬとも、その者どもの死闘をしばらくは鑑賞するという特権に甘んじてよさそうだ。

そうして、この時代の流れの中にあって、〈隠れたるもの〉として存在した楠木右近の闘いぶりに溜飲を下げるという、特権にも。

 

北司(きたつかさ)伊右衛門は、ただひとつのhintを手がかりに、その〈隠れたるもの〉を追った。朱鷺姫を名うての達人や強者から護りきれるのは、その、〈隠れたるもの〉以外にはナイ、という直観と信念が彼にはあった。その信念が何処からやってきたのかには、理由がある。小判をすべて黄金に換え、これを秘匿すべく松阪藩の者たちが奔走していた頃、当然ながら、その財宝を如何に守り抜くかという詮議がなされた。

そのとき、戦国武将、武田信玄の秘宝にハナシが及んだ。

この信玄の隠し財宝は、いまなお発見されていないのだが、その理由には二つの説がある。

まず、一つめは、幕藩から維新に時代が変わる頃、時の明治政府によって密かに掘り出されたという説。次に、伝説に過ぎないという説。

二つめの「伝説」は具体的な金の隠し方に触れられていて、竹林の竹に穴を開け、そこに流し込んだというのだ。当時、竹林はあちこちにかなりの面積で存在し、その中から金の流し込まれた竹林を探すのは、沙漠で針を探すようなものだった。当時の竹林は、竹の子の収穫のために、かなり厳重に監視されており、入り込むのすら難しかった。

この信玄の財宝を代々守るものがあって、それをして〈隠れたるもの〉と称したのではないかという、これまた一説が提示された。つまり「宝守」だ。他に何の探索方針もナイゆえに、この案は事細かに詮議される対象となったが、信玄以降の古文書の何れにも、そのような記述は見当たらなかった。

〈隠れたるもの〉それ自体においてもコトは同じだった。これは信玄以降どころか、集められるだけの古文書、伝記をしらみ潰しに調べたが、ただの一行、一文字も、糸口になる文書は無かった。

それならば、と、伊右衛門は思案した。

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