ブログ小説 第一回
鍔鳴り右近 秘剣武芸帳
北村想
吉田松陰が漢語から引用した「藩」というコトバは、本来は古代中国の周の国で用いられていた概念(ことば)である。これは幕末にかけて諸国に広まった、とあるが、公称とされたのは、明治時代になってからで、テレビの時代劇で用いられる場合は、あくまで「時代劇用語」としてのことばだ。似たものに「天領」がある。これも江戸時代では公称されたことばではナイ。
とはいえ、まったく使われていなかったかというとそうでもない。吉田松陰は、藩というのは、幕府から拝領のものとして認められている証のような名称であるとこれをカテゴライズして、そのように用いた。それはそれで、格付けとしては便利なことばだった。たとえば、それまではたんなる地方の国名を唱えていた郷士たちも、「某は、なんとか藩のだれそれである」とこれを用いるようになった。そうすると、武士としての箔がつくというワケだ。実際に貫祿がついたかどうだったかは別にして、なんとなくそんな気がする、という貧乏武士、弱小国士の面目にしか過ぎないのだが。
その藩も、大政奉還で、時代が明治になるや、廃藩置県という面倒な区割りで(これも、正確にいえば、いったん藩と公称したものを県にいいかえたということなのだが)、たとえば、愛知県の場合、かつて織田信長の統治下の尾張と、徳川家康の領地三河だったのが、「愛知県東部・西部」に分けられ、東部は「西三河東部、西部・東三河南部」になり、西部は「尾張東部、西部・西三河北西部・西三河南部・知多地域」と、少々ややこしくなった。さらなるその後の統廃合で、同じ市であるのに、豊田市西部は愛知県西部の西三河北西部に、豊田市北部は愛知県東部の西三河東部に分かれて存在しており、天気予報などラジオで聞いていると、アナウンサーも理解して語っているのかどうなのか、ワカラナイときがある。
「愛知県西部、尾張東部、西三河西部に大雨注意報」といわれて、それが何処なのか、すぐにワカルひとは、よほどの土着民で、流入してきた民にはまったくワカラナイ。愛知県東部(三河)と西部(尾張)の方言も異なっていて、名古屋弁というのは尾張東部(名古屋市の在るところ)の訛りではなく、西部の三河弁に充当するため、尾張のものと三河のものが方言で話をすると通じないのだ。
江戸から明治にかけて混迷したのは、地図の上の区割りだけではナイ。江戸時代、表の社会に生きたものたちの階級も同様で、武士たちも、それぞれの経済情況や世渡りのうまい、へたの善し悪しがあり、裕福な大名などは〈華族〉と名乗ったが、多くは商人、警官(警邏・邏卒)、平民となった。しかし、それらはまだ運のいいほうで、のちに暴力団となる博徒の用心棒に身を持ちくずすもの、食い詰めて夜盗(野盗)に、落ちぶれるものも在った。そうして、いわゆる裏のものたち、俗にいう「道中隠密」「御庭番」「忍びのもの」たちの殆どは、郷里にもどって農民となる以外に途はなかった。
廃刀令が実施されたのは明治九年だが、「散切り頭」となると、そのhairstyleがようやく行き渡ったのは明治二十二年の頃で、散切り頭に帯刀というスタイルも、その頃までは存在していた。
腕の立つ、あるいは名のある「忍び」たちは、その技を活かして、盗人の一味となるものあり、あるいは、政府の諜報活動や、要人暗殺の仕事を引き受ける者になるものもあった。これは、兵法者とも称される剣の達人や武士とて同じだった。
この、ほんの刹那の錯綜の時代、この剣戟(チャンバラ劇・・あるいは伝奇時代劇)は、そんな時代の物語である。
一、始鍔鳴闇夜(つばなりやみよのはじまり)
夕刻から葉ぶりの飛沫のように降り始めた雨が、夜半には本降りになり、常夜燈の無い裏路地などはなおさらに陰鬱さを増して、深い闇に支配されていた。
その闇だまりを選んだかのように、紺色の着流しに陰陽勾玉の巴紋を羽織って、やや長髪を、ままよに垂らした武士がひとり、番傘片手に雪駄で歩いている。番傘であるからには、宿屋の借り物の唐傘(宿屋の傘には番号がふってあるので、これを番傘というようになった)ゆえ、どうやらその宿への還り道とみえるのだが。
しばしの早足が突然に、止まった。微動だにせぬまま、番傘の侍は闇を視すえて、その先に感じ取った気配にこう、語りかけた。
「この雨で、月の明かりもナイ闇だ。おまけにここは野良猫一匹通らぬ裏の路地、人通りはナイときている。さて、と、拙者の声が聞こえたなら、もうそろそろ出てきたらどうだ。せっかくの、雪駄を濡らしての、この回り道、無理に選んだ甲斐がナイ」
漆黒の暗闇から、それに応える声がする。
「尾けていることはお察しと推してはいたが、やはりそうでござったか。お手前、楠木右近どのでござるな。またの名を鍔鳴り右近、おんし、それにマチガイはござらぬなっ」
声は荒んでいる。少々、虚勢を張っての胴間声だからだろう。むろん、姿はまだみえぬ。
「マチガイはナイが、拙者が楠木右近であればどうするつもりだ。と、訊くのは野暮か。といって、何か土産でも頂けるのか、と、戯れて、訊くワケにもいかぬしな」
「それがし、由(ゆえ)あって名乗ることは出来もうさぬ。どうか、ご容赦賜りたい。とは申せ、もとより、そこもとに遺恨のあるものでもござらぬ。全ては、甲斐性なき、それがしの手付きのためとお察し下され。ご勘弁、願う」
「武士の時代は遠に終わったとおもうが、そんな時代に食い詰めて、侍の魂までも溝に棄てたというワケか。しかしなあ、おぬしの糊口のために斬られてやってもよい、などという命の余裕はあいにく持ち合わせがナイのだ。命というものは、ひとりに一つ。その命、おぬしも、タイセツにされたらどうだ」
右近と呼ばれた番傘の武士は鬢を撫でる。
「無念ながら、切羽詰まってござるゆえ」
という返答とともに、たしかに〈食い詰めた〉風体が襤褸の着物を身につけている、といったふうの無精髭が顔を出した。
もちろん、暗闇が支配の中のことゆえ、よほどの目利きでナイ限り、その姿を捉えることは出来ないのだが。
それを観るに、番傘のほうは憐憫の眼差しを視線に交えたが、
「手付きが切羽詰まって、今度は抜き身で切羽詰まらせる気でいると、そういうことか」
その不敵な語気は静かに発せられてはいるが、相手を圧して衰えない。
「申し訳ござらぬが、お命、頂くっ」
もはや、待ってはいられぬ。かのように、無精髭は鯉口を切った。
「さて、そう上手くいくかな。拙者と切羽を詰まらせたものは、古今東西、未だにひとりもおらぬことをご存知の上か」
番傘のほうは、奇妙なことをいって、腰のものに右手の手首を乗せた。
「噂に聞く、貴公の剣法、秘剣鍔鳴りのことでござるな。刃を交えることなく、ひとを斬ると聞いておるが、もし、冥途の土産になるのなら、拝見させて頂こう」
無精髭のほうも、あながち強がりではなさそうで、それなりに腕におぼえはあるとみえる。
「冥利につきるが、この闇に雨では、さて、それが視えるかどうか」
その声に怯みもせず、相手は差料を抜いた。スタスタと早足で駆け寄って来る足音がする。
と、チリ~ンと鈴の音がした。
駆け寄った早足の武士は、番傘片手の右近のそばを擦り抜けざまに、一太刀、抜き打ちで胴を逆袈裟にはらったが、いつの間に抜いたのか、番傘片手はそのままに、右近の右手の刀はゆっくりと鞘におさまった。
そうしてまた、チリーンと鈴が鳴ると、無精髭が膝から濡れた路上に沈んだ。破れ袴が鎮座しているようにみえるが、腹部からの出血は雨に流れだしている。
「わからぬ。たしかに一太刀、斬ったと思うたが。何故だ。いつ斬られたのかもワカラヌ。なるほど、秘剣鍔鳴り、恐るべし」
「思っただけではひとは斬れぬ。とはいえ、心配めさるな、急所ははずした。手当ていたせ」
いうと右近、懐から財布を即座に出して、それをまるごと鎮座のままの侍の手前に投げた。
「残りは手付きにいたさばよい。いうておくが、これを乞食扱いと、間違いめさるな。お主がそこで、腹、かっさばいても、喜ぶものは誰ひとり居らぬはずだ。時代も世も、支配者さへも変わったが、変わらぬ魂もある。それを示されて生きられよ」
「かたじけない。これにて御免」
財布を引っ掴んで拾うと、刺客は腹に手を当てて立ち去った。(つづく)
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