第十五回
七、砕白波鍔鳴(つばなりにくだけるしらなみ)
楠木右近の差料(さしりょう)は「関の麒六」という銘の、関の孫六が最後に打ったとされる業物だが、かの白装束の老人、盲目の千眼通が見通したように、徳川の時代には松阪藩の城代だった北司伊右衛門(きたつかさ いえもん)は、その拵えの鞘を造ったといわれる鞘師のことを、同じく鞘師であり噺家だった五代目曽呂利新左衛門から聞いた。五代目は北司に、これは初代から伝えられたハナシなので確かなことではナイと一応ことわりをいれた上で、伝説となっている鞘師、奇道誠心なるもののことを話して聴かせた。
「なにぶんにも、不思議な伝聞でございまして」
と、五代目は小首を傾げながら、次のように語った。
「孫六の遺刀ともいわれております、刀身(とうみ)の麒六は、何れの鞘にも納まらなかったようでして、鞘に入れますと、鞘が真っ二つになるというシロモノだったようでございます。そのことを聞きつけた奇道誠心は、ならばと身命を籠めて拵えをつくったとか。で、これがみごとに納まりまして、関の麒六は、そのまま鹿島神社に納刀されたということですが、維新をまたいでの頃には、もはや、そこには在らず、何者かがこれを持ち去ったということでございます。とはいえ、禰宜が裏でいうことには、その刀剣は明治政府に差し出すのがイヤで、ある者に託したとか。そのある者は、いいつたえでは〈隠れたる者〉と称される正体不明の者であったということでございます」
もちろん、北司も、この〈隠れたる者〉が何を示してのcategoryなのかを訊ねてみた。すると、五代目は、マイッタ、マイッタとばかりに笑うと、
「申し上げましたように、正体不明でありますれば、その正体は、不明、で、ございまする」
と、述べた上で、
「とはいえ、如何な者といえども存在いたしますからには、その存在の理由というものがありましょう。また、これを探し出すおつもりなら探せぬということはございません」
と、意味ありげにいうのだった。
このepisodeは、ここまでになる。この後、北司は楠木右近を探しあてたのだから、その方法を手にしたワケだ。しかし、〈隠れたる者〉とは如何なる存在なのか、いまここでその正体を明かすワケにはいかない。次第に明らかになっていくはずだとしか、作者もまた、いいようがナイ。
団 衣紋は、白波の衆の四人を集め、自分が右近とどういう戦いをしたのかを、誇張はあるが嘘はナイという程度に説明した。もちろん、右近という手練が油断出来ぬ相手だということを、首魁として四人のものにいい聞かせているつもりでだ。
しかし、団 衣紋が予想したように、四人は首魁のハナシをせせら笑うように聞いた。そんなバカなことがあってたまるか、首魁、血迷うたナ、だ。とはいえ、さすがに歴戦の雄とでもいおうか、彼らの心中は穏やかではなかった。彼らは団 衣紋の戦いぶりをこれまで幾度となく目にしている。その鎖鎌の恐ろしさは味方とはいえ身に沁みるように知っている。それがまるで子供のように相知らわれたとなると、楠木右近、秘剣鍔鳴り、よほどの使い手の剣技、兵法であることにマチガイはナイ。
「菊間佐野介どのは、闘いを間近でご覧になったのでは」
そう問うたのは槍術の只飲理兵だ。
「いや、某も右近というものを実際に観たワケではナイ。拙者が参ったときは、すでにそのものの姿は無かった」
「しかし、団 衣紋どのの鎖鎌を、そのように手玉にとるとは、信じられん」
「首魁は、何か妙な毒薬でも飲まされていたのでは」
今度は、南郷霧丸が、唇を歪めて問うた。
「まさか、この儂(わし)が、そのような」
団 衣紋は一笑に付した。
「菊間どのの〈無人影〉とも、またチガウのでござるか」
南郷霧丸は、菊間佐野介に質した。
「我が術〈無人影〉とは、まったく異にするもののようだ、と、心得るが。たしかに、相手の虚を突いて相手の懐に忍び寄るという点においては同じかも知れぬ。しかし、同じといえば、そこのところだけだろうナ。これ以上は仲間といえど、我が術のことはいえぬので、勘弁せい」
そう、菊間佐野介はいって、
「ともかくも、きやつの鍔鳴りで、赤毛結社の手練が次々と倒されたことは明白な事実だ」
そう、付け加えた。
「いつのまにか姿を消して背後にまわる、か。とはいえ、忍びの術でもなさそうだな」
只飲理兵はそういって、おのれの槍を握りなおした。そうして、もう一言。
「武芸者ならば、戦ってみたいなどというだろうが、我々はそのような芸者ではナイ。とはいえ団 衣紋どのの鎖の回転を如何にして掻い潜ったのかがワカラヌうちは、下手に争わぬほうが良いのかも知れぬ。と、いえる身分でもナシか」
弱音というワケではあるまい。只飲理兵は慎重を促したのだ。
「五人衆が四人三人(よたりみたり)になるやも知れぬナ」
菊間佐野介はそう自嘲しつつ、脳裏では、右近との戦い方をsimulationしていた。自身の〈無人影〉とを比較して、黙々と戦い方を思案していたといってもイイ。
「私と霧丸さんとで、ヤッてみましょうか。二人なら、右近とやらの剣法、観抜けるやも」
赤星は腰に小振りの刀を帯ながら立ち上がった。南郷霧丸もこれに頷いた。この二人が一組となってどのような剣技を使うのか、それは五人衆しか知らなかった。何故なら、それを観たものは悉く討ち果たされていたからだ。