第二十四回
なるほど、〈隠れたるもの〉だけに、そのような文書に書き残されることはナイのかも知れない。と、すると、「人伝て」「口伝」の類には、ひょっとすると在るのではないか。そう思い立った伊右衛門は、good timingとでもいえばイイのか、直属の下っ引き(密偵のこと)から、この上もない情報を得た。もはや病床にある老剣客が、かつて不思議な兵法と剣を交えたことがあるというのだ。これぞ、まさに青天の霹靂、よしっ、伊右衛門、膝を打った。
病床の老剣客はいわゆるどぶ板長屋と称される貧乏集合住宅の片隅に独居、なおかつ、中気を病んでいた。それゆえ、話すコトバも聞き取りにくいということだったが、会ってみると、さすが武士、意外に矍鑠としており、布団に座して自分は〔吹雪剣流〕を用いるものだと語った。それは伊右衛門には聞き覚えのまったくナイ流派の剣法だったが、老剣客、真庭小四郎の語るところから、どうやら伊吹剣流に独自の工夫を加えたものだということがワカッタ。
柳生新陰流が、その名の示すごとく、陰の流れ、兵法に忍法を採り入れたのと同様に、伊吹剣流も忍びの剣技を融合させているのだが、そうして、それゆえに柳生とは対立、対峙せざるを得ない立場となって、剣の世界からは半ば政治的に駆逐されたのだが、吹雪剣流はそれを独自に継承したものらしい。
その老剣客、真庭小四郎の語るところはこうだ。
「宮本武蔵が、六十余度の闘いにおいて後れをとったことはナイと、自慢をしておりますが、拙者とて、それ以上の数の私闘において不敗。吹雪剣流はそのような兵法、剣の技だと心得ていただきたい。その拙者がまだ三十の半ば頃でござったろうか。(と、老剣客は、ここで暫し天井をみつめ、視線を畳にもどした)天下無敵、無双の剣という奢りもあったとはおもうが、何気ない事情で、というか、面白半分というたほうがよかろうが、野党に落ちぶれた牢人の集団と刃を交えることに相成った。我が方は三名。あちらは三十数名を数えた。我が方の三名のうち、拙者は吹雪剣流、そうしてもう一人の、これはやや年配の剣客の流派はたいていの見当はついた。おそらく一刀流の流れのもの。しかし、いまひとり、楠木右近と名乗った者の剣技は、観たこともナイものでござった。拙者、初め、それは〈邯鄲〉の術でも使っているのではナイかと考えたのだが、どうもそういうことではナイということは、しばらくしてワカッタ。しかし、ならば、如何なる剣法、兵法なのか、我が吹雪剣流も希有なる技でござるが、秘剣鍔鳴りと称するその剣技は、まったく謎としかいいようのナイものでござった。然るに、野党の牢人すべてを斬った後、一手ご指南とその剣士に相向かったのは、兵法者としては当然の成り行き。だが、だが、(と、老剣客は、ここでも暫しの沈黙をつくった)いまからおもうに、拙者が斬られなかったのは運が良かったとしかいいようがござらぬ。吹雪剣流の極意とされる、〈波走り雪崩斬り〉という技で、拙者は、その右近とやらを確かに斬ったのだが、打ち寄せる波のごとく走り、押し寄せる雪崩のごとくに斬る、この技は敗れたことが無かったのだが、両者の剣が一閃して、拙者、勝ちを確信したその瞬間、右近とやらの太刀は彼のものの鞘に収められ、拙者の印籠の根付が切り落とされていた。彼の者の申すに・・・斬るには惜しい。そういう剣客もまた在ってよしと、いうことだ・・・ヒトというものは悲しいものだ。己れに支配されながら、己れを支配することが出来ぬ。武芸者もまた然り。・・・たしかに、拙者は吹雪剣流を編み出しながら、その剣技を支配することが叶わないでいたようだ。我々を雇った、その集落の村長(むらおさ)にわしは訊ねた。あの剣客は何者だ、と。村長の答えていうに、あれなるは世にいう〈隠れたるもの〉、と。では、〈隠れたるもの〉とは何者。村長曰く、この世に在らずこの世に在るもの、と、イエの先祖の代よりのいい伝えになるが、それはすでに百年を経てのむかしのハナシゆえ、実に在るとは、村長自身も信じられなかったと」
北司伊右衛門は、老剣客の語り終えるや、ごくりと生唾を飲んだ。
その者を置いて、ナシ。その者、探索すべし。

