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2018年9月

2018年9月30日 (日)

第二十四回

なるほど、〈隠れたるもの〉だけに、そのような文書に書き残されることはナイのかも知れない。と、すると、「人伝て」「口伝」の類には、ひょっとすると在るのではないか。そう思い立った伊右衛門は、good timingとでもいえばイイのか、直属の下っ引き(密偵のこと)から、この上もない情報を得た。もはや病床にある老剣客が、かつて不思議な兵法と剣を交えたことがあるというのだ。これぞ、まさに青天の霹靂、よしっ、伊右衛門、膝を打った。

 

病床の老剣客はいわゆるどぶ板長屋と称される貧乏集合住宅の片隅に独居、なおかつ、中気を病んでいた。それゆえ、話すコトバも聞き取りにくいということだったが、会ってみると、さすが武士、意外に矍鑠としており、布団に座して自分は〔吹雪剣流〕を用いるものだと語った。それは伊右衛門には聞き覚えのまったくナイ流派の剣法だったが、老剣客、真庭小四郎の語るところから、どうやら伊吹剣流に独自の工夫を加えたものだということがワカッタ。

柳生新陰流が、その名の示すごとく、陰の流れ、兵法に忍法を採り入れたのと同様に、伊吹剣流も忍びの剣技を融合させているのだが、そうして、それゆえに柳生とは対立、対峙せざるを得ない立場となって、剣の世界からは半ば政治的に駆逐されたのだが、吹雪剣流はそれを独自に継承したものらしい。

その老剣客、真庭小四郎の語るところはこうだ。

「宮本武蔵が、六十余度の闘いにおいて後れをとったことはナイと、自慢をしておりますが、拙者とて、それ以上の数の私闘において不敗。吹雪剣流はそのような兵法、剣の技だと心得ていただきたい。その拙者がまだ三十の半ば頃でござったろうか。(と、老剣客は、ここで暫し天井をみつめ、視線を畳にもどした)天下無敵、無双の剣という奢りもあったとはおもうが、何気ない事情で、というか、面白半分というたほうがよかろうが、野党に落ちぶれた牢人の集団と刃を交えることに相成った。我が方は三名。あちらは三十数名を数えた。我が方の三名のうち、拙者は吹雪剣流、そうしてもう一人の、これはやや年配の剣客の流派はたいていの見当はついた。おそらく一刀流の流れのもの。しかし、いまひとり、楠木右近と名乗った者の剣技は、観たこともナイものでござった。拙者、初め、それは〈邯鄲〉の術でも使っているのではナイかと考えたのだが、どうもそういうことではナイということは、しばらくしてワカッタ。しかし、ならば、如何なる剣法、兵法なのか、我が吹雪剣流も希有なる技でござるが、秘剣鍔鳴りと称するその剣技は、まったく謎としかいいようのナイものでござった。然るに、野党の牢人すべてを斬った後、一手ご指南とその剣士に相向かったのは、兵法者としては当然の成り行き。だが、だが、(と、老剣客は、ここでも暫しの沈黙をつくった)いまからおもうに、拙者が斬られなかったのは運が良かったとしかいいようがござらぬ。吹雪剣流の極意とされる、〈波走り雪崩斬り〉という技で、拙者は、その右近とやらを確かに斬ったのだが、打ち寄せる波のごとく走り、押し寄せる雪崩のごとくに斬る、この技は敗れたことが無かったのだが、両者の剣が一閃して、拙者、勝ちを確信したその瞬間、右近とやらの太刀は彼のものの鞘に収められ、拙者の印籠の根付が切り落とされていた。彼の者の申すに・・・斬るには惜しい。そういう剣客もまた在ってよしと、いうことだ・・・ヒトというものは悲しいものだ。己れに支配されながら、己れを支配することが出来ぬ。武芸者もまた然り。・・・たしかに、拙者は吹雪剣流を編み出しながら、その剣技を支配することが叶わないでいたようだ。我々を雇った、その集落の村長(むらおさ)にわしは訊ねた。あの剣客は何者だ、と。村長の答えていうに、あれなるは世にいう〈隠れたるもの〉、と。では、〈隠れたるもの〉とは何者。村長曰く、この世に在らずこの世に在るもの、と、イエの先祖の代よりのいい伝えになるが、それはすでに百年を経てのむかしのハナシゆえ、実に在るとは、村長自身も信じられなかったと」

 北司伊右衛門は、老剣客の語り終えるや、ごくりと生唾を飲んだ。

 その者を置いて、ナシ。その者、探索すべし。

2018年9月29日 (土)

第二十三回

 武士の黄金時代は、戦国武将の時代とともにさらに栄えたが、江戸徳川幕府の時代になると急速にその勢いを失った。

 このことは、多数対多数の戦闘(軍対軍)における兵法の没落を意味したが、逆に、幕藩の何処かに士官するための、個人的な武芸の鍛練には有効といえた。そうして、徳川の幕藩体制による江戸時代がオワリを告げても、なお、自身の磨いた武芸を伝えんとするものは未だに山野や海道、山道には数多、在ったのだ。彼らの夢みたことは武士の時代の再来ではなく、おのれの武芸の固有の活かし方だった。表攻めの合戦になれば火器のもとに無力な剣一振りの兵法も、一対一となれば様相がチガッタ。これが、廃刀例が出されても、なおも刀剣の歴史が終わらなかった一因であり、また、廃刀例をもって刀剣が使えぬなら、チガウ武芸を以て敵を倒す工夫が自ずと成されたのは、しごく当然といえよう。

 これらを、現在における〔核〕の有効性にあてはめれば、何れはハイパーな電子兵器によって〔核兵器〕が無効化されることがあり得るということを意味している。

 

ともあれ、私たちは、夢のカケラに過ぎぬとも、その者どもの死闘をしばらくは鑑賞するという特権に甘んじてよさそうだ。

そうして、この時代の流れの中にあって、〈隠れたるもの〉として存在した楠木右近の闘いぶりに溜飲を下げるという、特権にも。

 

北司(きたつかさ)伊右衛門は、ただひとつのhintを手がかりに、その〈隠れたるもの〉を追った。朱鷺姫を名うての達人や強者から護りきれるのは、その、〈隠れたるもの〉以外にはナイ、という直観と信念が彼にはあった。その信念が何処からやってきたのかには、理由がある。小判をすべて黄金に換え、これを秘匿すべく松阪藩の者たちが奔走していた頃、当然ながら、その財宝を如何に守り抜くかという詮議がなされた。

そのとき、戦国武将、武田信玄の秘宝にハナシが及んだ。

この信玄の隠し財宝は、いまなお発見されていないのだが、その理由には二つの説がある。

まず、一つめは、幕藩から維新に時代が変わる頃、時の明治政府によって密かに掘り出されたという説。次に、伝説に過ぎないという説。

二つめの「伝説」は具体的な金の隠し方に触れられていて、竹林の竹に穴を開け、そこに流し込んだというのだ。当時、竹林はあちこちにかなりの面積で存在し、その中から金の流し込まれた竹林を探すのは、沙漠で針を探すようなものだった。当時の竹林は、竹の子の収穫のために、かなり厳重に監視されており、入り込むのすら難しかった。

この信玄の財宝を代々守るものがあって、それをして〈隠れたるもの〉と称したのではないかという、これまた一説が提示された。つまり「宝守」だ。他に何の探索方針もナイゆえに、この案は事細かに詮議される対象となったが、信玄以降の古文書の何れにも、そのような記述は見当たらなかった。

〈隠れたるもの〉それ自体においてもコトは同じだった。これは信玄以降どころか、集められるだけの古文書、伝記をしらみ潰しに調べたが、ただの一行、一文字も、糸口になる文書は無かった。

それならば、と、伊右衛門は思案した。

2018年9月28日 (金)

第二十二回

第二十二回

「クワッ」という喉からの呻(うめ)きを発して、只飲理兵はもんどりうった。その間隙を逃さず、一文字左近の刃は、まさに一文字に只飲理兵の仰け反った喉笛に斬りかかった。

 キーンッと、金属の弾かれる音がした。左近の刃が只飲理兵の槍の一節に跳ね返されたのだ。それはもはや、反射的な防御だ。さらに、すかさず只飲理兵の八節槍の先端が一文字左近の喉元まで伸びた。これを左近は寸前で交わしたが、間合いをとると刀を収めた。

「無駄な争いと、そう、おもったが、チガウか」

 腕前は同等。ならば、相討ちなどという、相互の利益にならぬ事態になることもあり得る。

それを避けたといっていい。

「確かに、狙う相手はお互いに、かの楠木右近。ここで怪我をしても無用のこと」

 只飲理兵も槍を懐に収めた。

 つまり、かつての近藤勇との戦いと同じことが、ここでも起こったことになる。

「初めての経験をしたが、その槍術、相当のものだな」

「いやいや、それがしも、ヤラれる恐怖を感じたでござるよ」

 両者はそういって暫し黙したが、どちらともなく、その場から姿を消した。

 

 かくなる死闘というべき、兵法者、あるいは武芸者どうしの闘いは、人知れずつづいているのだが、徳川幕府からの権力者転換の戦闘において、すでに刀剣の時代は終わっているはずなのだ。

弓矢が戦場に〈飛来する〉武器として登場した折、これ以上の防御に難しい殺傷力を持った武器は今後造られることはナイだろうというのが、当時の戦術家の殆どが持った見解だった。しかし、その後の火気兵器の登場は、次々と新式の兵器の登場を無限の階段を駆け上がるかのように予言していた。

 元寇(げんこう)と称される、モンゴル蒙古の鎌倉時代の日本侵略において、武士は初めて〔鉄砲・てつほう〕という火器に遭遇した。蒙古の軍勢の用いた〔鉄砲〕は、いまでいう鉄砲とはまったく関係のナイ手投げ爆弾だ。さらに、この火器兵器は蒙古軍の主力兵器というワケではなく、主には撤退の時の追撃を防ぐために用いられた。よって、この〔鉄砲〕によって日本軍の軍勢に大きな被害が出たワケではナイ。また、広く流布されている「神風」による蒙古船団の壊滅は多くの歴史家のあいだで否定されている。

 元寇第一期、文永の役では当時の気象状態は台風にはまったく関係がなく、また、蒙古軍船が被害にあったのは敗退、撤退における海上で、このときの蒙古の敗退は蒙古軍が大陸の軍勢であるところから、海上の戦いには意外に弱く、逆に鎌倉幕府のほうはその前身である源氏が海上戦で平家を破った経験を持っており、その戦い方が伝統的に残っていたのと、陸上戦闘においても蒙古軍は地理がまったくワカラズ、ある程度勝ち進んでも後続部隊や救援部隊との連絡がうまく計画されておらず、途中撤退を余儀なくされたためで、当時の幕府軍は多大な損害を受けながら(これは妻子眷属に及んでいる)も、いまでいう遊撃戦において蒙古軍を拡散させこれを破ることが出来た。

 第二期の弘安の役にいたっては、北条時宗の指示により、九州各地に防衛態勢が整っており、このときは、ちょうど台風のシーズンと重なっていたこともあって、海上気象のことについては不慣れな蒙古・高麗連合軍は天候においても窮地に陥り敗退を余儀なくされている。

 ちょうど、この頃は、武士にとっては黄金時代だったことが日本に幸いしたのだ。

2018年9月27日 (木)

第二十一回

第二十一回

 さすが、というべきか、それを観て動物的な、いや、武芸者としての勘で危険を感じた只飲理兵は後方に三間ばかり跳び離れた。無論、そこまで離れれば左近からの何かの攻撃をかわすことが出来るという確信があったワケではナイのだが、結果として左近の鍔鳴りの波動は、拡散してしまったことになる。これは左近の鍔鳴りが球面波だということを示している。球面波は波源からの距離が大きくなるにしたがって減衰していくからだ。

 そうしてそこから、槍が、まるで投げられたかのように一文字左近の眼前に突き出された。

 これぞ、只飲理兵の八節槍術のうち、眩傍(げんぼう)。ほんとうは、只飲理兵の槍は、相手にその先端を向けただけなのだが、敵にとっては、眼前に突き付けられたようにみえる。そうして、その動揺のうちに只飲理兵は相手に近づき二撃目の槍を実際の距離で突き入れるのだ。目眩ましにみせて実撃する二段攻撃が、八節槍術、眩傍。

 おもわず左近は、この先端を柄で受けとめた。と、その柄に槍が蛇の如く絡みついた。さらに、もう一方の穂先が。

 只飲理兵の操る八節槍は、穂先を両端に持っている。これはもはや槍というcategoryさへ超えている。

 絡みついた槍の先端は、そのまま一文字の剣を抜き去った。一瞬にして一文字左近は、自身の刀を奪われたカタチになった。

「先程の、右近と我が同志との戦いのさい、右近は柄を拳で叩いた。何かそこに仕掛けがあるとみての我が槍術。やはりおぬしの剣も似た者どうしか」

 そのような説明を聞くまでもなく、槍に剣をうばわれるとは、一文字左近にとっては重大なmissに違いなかった。しかし、彼とて、八節槍とは初めての戦いだ。真逆(まさか)こんなふうに、と、いう思いには駆られていたろう。

二度の退却は左近にとって恥辱この上ナイ。とはいえ、なんとかしなければという焦燥の最中、左近は同時に、なるほどそうかと、このオトコらしく楠木右近との戦い方を突発的に脳裏に編み出していた。

 そうか、かくなる如く剣を奪い去ればよいのだ。

 卑怯もナニもあったものではナイが、いま、そのような事態に陥っている左近にとっては、それは天外からの閃きだった。しかし、

「八節槍術には、蛇の牙という異名もござってな」

 只飲理兵は、すでに勝利、手中にありと嘲笑っている。

 ここで、小刀を手にすれば、それすらも目の前の敵の思うつぼにチガイナイ。と、左近は反射的に小柄を抜いて投擲した。小刀にすら小柄の拵えがあったとは、只飲理兵には想定外だったらしく、奢りも含めての油断、やや怯んだ。このスキを捉えて左近は素早い動きをみせた。小刀を抜くかとみせて、只飲理兵がその防御に瞬時移った瞬間、身を翻しておのれの大刀を取り返していた。このオトコもそうとうの手練なのだ。

「ほほう、お見事としかいいようはナイが、これでまたno sideというところか」

 只飲理兵の八節槍がバラっと割れて、八つの筒の束になった。次にいったいどんな攻撃をみせるのか、一文字にはまったくワカラナイが、自身のヤルことはワカッテいる。拳は柄を打った。

 この波動は只飲理兵を直撃した。

2018年9月26日 (水)

第二十回

 第十九回から四日を経たが、四日間、只飲理兵と近藤が凝っとしていたというワケではナイ。どういうワケか、近藤が刀を収めた。

「隊規違反じゃが、三人斬っておるからエエじゃろ。ここでその武具とやりあっても、相討ちの公算が大き過ぎる。いま私は怪我で不具になるワケにはイカンからなあ。どうだ、きみもそうだろ。薩摩か、長州か、土佐か、何処に雇われておるかは知らんが、金子のために命を棄てるなどということは、くだらぬことだぞ」

 たしかに、只飲理兵も、目前の武士を相手に素直に勝てるとは考えていなかった。相手が鞘に収まるなら、そのほうが好都合。

 なるほど銭、金子の多寡で命を棒に振ってもつまらんことだ。

 と、こういうことだけの逸話なのだが、それだけでも、只飲理兵の槍術の手強さがワカルというもの。

 さて、右近の後を追って駈け出さんとした只飲理兵に、

「槍のようだが、槍に在らず。めずらしい武器を所持しておるな」

 と、一声かけて、その足を留めさせ、積み材の陰から姿を表したのは、ニッカボッカーに開襟シャツ。去って行きしはずの一文字左近。

「貴様はっ」

「味方ではナイ。とだけ、答えておこうか」

 只飲理兵、相手の風体を観て、足幅のstanceを防御にとった。

「ほほう、おぬし、赤毛なんたらの雇われもんだな」

 八節の槍が、八つから一本にあっという間に組み換えられた。

「だったら、どうする」

 槍の先端は、左近の間合いに入ろうとしている。

それを観つつ、左近は不敵な眼差しを只飲理兵に向けた。敵意があるとも、無いとも、判断のつかぬ、このオトコ特有の眼光だ。さらに、

「いやあ、実はな。拙者もあの、楠木右近と戦い損ねて、気まずい思いでいたところだ。とはいえ、そこの二つの骸の、右近との戦いはこの眼でしかと拝見した」

 一文字のそのコトバを聞くと、只飲理兵は足の位置を防御から攻撃の姿勢へと換えた。

「なるほど、泥棒猫のような真似をしよったか」

 只飲理兵の八節槍の穂先が今度は地面を舐めるように動く。

 一文字もいよいよ殺気を隠しはしない。左手の親指は鍔にかかっている。

 この二人、ヤル気らしい。

「研鑽だよ、貴様の武器に対する研鑽。好奇心の趣さ」

 と、いうや、左近の右手の拳が柄を軽く打った。

2018年9月23日 (日)

第十九回

 只飲理兵の槍術、その槍は「自在槍」とも称されるものだ。江戸徳川幕府における槍術宗家の何処の流派にも、この槍術はナイ。只飲理兵が中国の武器「八節根」に工夫を加えたもので、八つに折りたたまれ、その寸法も自在だが、攻撃法も自在。あるときは鞭のように撓(たお)り、あるときは鎖鎌の鎖分銅のように回転もする。左右上下、何処からも槍の穂先の突き刺す攻撃がまさに自由自在に仕掛けられる。

 普通、この槍術と相対したとき武芸者はまず、その観たことも無い武器が如何なる攻撃を仕掛けるものかと考え、とはいえ思案している時間はナイので、とりあえずは間合いだけは確かめんとして正眼に構える。そこから「後の先」をとるべく、にじり寄って相手の出方を待つ。およそ槍の太さは握りによろしき一寸。長さは、この長さが判然としない。穂先の長さは一尺に満たないが、長さ自体が三尺あたりのときもあれば、六尺となることもある。それがいわゆる「八節根」の特長なのだが、剣が穂先をくぐって懐に飛び込むのを許さない道理となる。

 もうひとつ、この槍の特長、特異なことは穂先が両端にあることだ。つまり、棒術のように槍を操りながら、槍術として用いることが可能なのだ。

 只飲理兵の槍術については、ご託をくどくど記すよりも、有名な剣士との一騎討ちに触れたほうがイイだろう。

 有名な剣士とは、幕末の暴れもの新撰組隊長近藤勇。

 近藤勇は武士とはいっても郷士の出身で、郷士というのは農業を営みながら剣術に勤しむ輩をいう。はっきりいってしまえば、録がなく、農民と同じ生業で生きていたのだが、幕末動乱の気配もあってか、その当時は田畑の傍らに道場が幾つもあったという。ここで近藤勇は天然理心流を修行した。

 この天然理心流という流派は少々変わった兵法で、剣術のみではなく、柔術、棒術、気合術を複合した剣技からなっていた。中でも重視されたのが気合術で、これは〈気組〉と称された。おそらくは薩摩の示現流から汲み取ったものとおもわれるが、相手の刀を叩き折ってでも前進、気合いによって斬るというもので、まったく実戦的な剣法だった。

 それでなのか、近藤は道場の竹刀の勝負においては殆ど勝ったことはなかったといわれる。ただ、真剣を持たせたときの強さは格段で、まったく「斬る」ということに迷いがなく、一気に七、八人を斬ったということも伝わっている。名刀「虎徹」を帯していたといわれているが、それは贋物だったらしい。

 構えはいつも下星眼(正眼やや下段)で、腹を突き出しながらの気合いは、敵に相当な威圧感を与えた。

 只飲理兵はその頃も傭兵だった。長州が雇った牢人の一組で飯を食っていた。つまりはテロ集団ゆえ、いつ、何処の誰と戦うのかについては殆ど知らされていなかった。従って、只飲理兵が近藤勇と相対したのも、単なる偶然、運命の悪戯としかいいようはナイ。

 殺せ、斬れ、と命じられたらそこまでで、そういうmissionに従うだけだ。

 その日も組員数名で、この男を、という指令を受けた。夜目にも恰幅のいい男だったが、宴席の帰りなのか少々足下がゆれる程度に酔っていた。これが油断となったのか、只飲理兵の他の数名は、あっという間に倒された。

 只飲理兵は、これは容易ならざる敵と看破して、おのれの武具を構えた。

 この侍、先程まで千鳥足、たしかに酩酊していた。しかしいま連れの三名を立ちどころに斬りさばいたときは、正気。いまも、正気。とても酒気をおびているようにはみえぬ。たしか「気組」という気合い術を複合する剣の流派が在るとは聞いていたが、これがそれか。

 只飲理兵、瞬時にそれだけを脳裏に、おのれが八節槍を横一文字に構えた。

 これには今度は近藤勇のほうが当惑した。敵の武器は槍だ。それを切っ先向けずに横一文字に構えるとは、何を考えてのことか。

 二人の間合いが詰まった。

 

第十八回

 再び、pearは跳んだ。と、同時に右近が材木から跳ぶのが、二人には視えた。

 このときぞっ、逃すなっ、このtimingを。と、ばかりに赤星、南郷、両者の唇から吹き出されたモノがある。

 それは吹き針、含み針の一種にはチガイナイが、材質が金属ではナイ。透明のところをみると、ギヤマンか或いは石英ガラス(crystal)、いや、微妙に振動を伴っているところを鑑みれば、quartzと称するのが正しいかも知れぬ。この微振動のために針は視覚では捕捉出来ない。また、これが身体を貫通せしめれば、その振動の波動で骨の髄を砕くことは必至とおもえる。しかも別々の方向から、というより、周回、跳躍しながらの二人の唇から吹き出されるモノの飛来であれば、その攻撃は四方八方、さらに宙空からとなり、避けることは不可能になる。

 のばず、なのだ。赤星も、南郷も、そう信じていた。そう信じていればこその必殺の攻撃だ。このとき、右近の鍔はすでに打たれていた。鍔鳴りは始まっていた。

 彼らの武器は右近をあらゆる方向から貫通した。と、pearには視えた。

 が、あろうことか、赤星の針は南郷に、南郷のそれは赤星に、片方は頭蓋、もう片方は胸部をそれぞれに貫通したのだ。この思いも寄らぬ事態に、

「まさかっ」

「なにゆえっ」

 と、血飛沫とともに地面に激突した赤星と南郷を哀れとおもったか、それとも何か苦吟することでもあったのか、横たわるpearをみやりもせずに、右近、

「哀れだが、勝負とは非情なものだ。工夫され修練された武器だが、拙者には稚戯に過ぎぬ」

 と、ひとこと呟いた。。

 瀕死ではあったが、赤星も南郷もその身を起こした。

 去りゆく右近の背姿。これが、彼らがこの世で観た最後の視像となるのはマチガイのナイ事実だろう。

 再び、赤星と南郷が地に横たわると、駆け寄ったのは、只飲理兵。

「恐るべし、畏るべし、楠木右近。赤星と南郷霧丸の必殺の技を破り、いとも容易(たやす)く二人を屠(ほふ)るとは」

 只飲理兵は、赤星と南郷を並べてその両手を重ねると、怒りと憐憫の交錯した眼差しで二つの亡骸をみつめ、

「しかし、赤星、南郷、おぬしたちの戦いは無駄にはすまい。右近めの戦う姿、しかとこの目で観たぞ。仇は必ずやこの只飲理兵、この槍でとってみせるぞ。南無三宝」

 と手を合わせた。

2018年9月21日 (金)

第十七回

彼らは特に選んだワケでもナイが、ふらりと飛び込んだ道場の師範(道場主はたいてい老体なので、師範が最も凄腕ということになる)を倒すさいにその技を使ったが、後にその場に居合わせた警邏(けいら)の語ったところによると、まず師範を挟むように赤星と南郷は立ち、師範を中心にその回りを周回し始め、周回が三周目を終えた頃、師範は血反吐とともに伏していたらしい。つまりは、どういう攻撃を仕掛けたのかは、警邏の目には映らなかったのだ。当時の警邏(邏卒・・らそつ)は階級が下のものでも、剣術では現在の三段あたりを有していたし、目録、免許皆伝という強者もいたのだが、そうして、その道場を警邏中の邏卒もまた、目録伝授程度の腕前はあったのだが、それでも、赤星と南郷霧丸が如何なる技で師範を倒したのかは、ワカラナカッタ。

 首魁、団 衣紋はあきらかに油断(と、いうか軽口のが失敗)によって、右近に手玉にとられたが、二度目はそういうことはあるまい。また、団 衣紋の口から右近のことを聴いた残りの四人も、心して右近との死闘にあたるだろう。この五人衆、侮るべきではナイ。

 では、sceneをもどす。

一文字左近の左手は鯉口を切ることはなかった。彼は抜刀しなかったのだ。左近は、暫し右近の様子を観た。右近のカラダには何も変化はナイ。これは、左近の鍔鳴りが右近に通じなかったことを自ずと意味している。常人ならば左近の鍔鳴りの波動に脳髄を貫かれて、もん取り打っているところだ。しかし、右近は素知らぬ顔で立っている。

 あまりに平然としている右近を、左近は怪訝というより畏怖に近い面持ちで凝視した。通じない、左近の鍔鳴りはまったく効果をみせていない。

「抜かぬ、のか」

 と、という右近の声が、地獄からの招きのように左近に届いた。

 左近は、左の腕(かいな)をだらりと垂れると、ふううっと長い息を吐いた。

「君子、危うきになんとやらだ。実に奇態なことだ。拙者の鍔鳴りを如何にして避けきったのか、まるでワカラヌが、いま一度試しても同じことだろう、くらいは見当がつく」

 柄からゆっくりと右手を離した。

「利口だのう、おぬし」

 右近、慈悲さへ感じさせる涼しい眼で左近をみたが、

「いまの時代まで、葵から菊と、ようよう生き延びたでナア」

 一文字左近もまた、苦々しくはあったろうが、薄く笑った。

「もはや、立ち会いはヤメということだな」

 右近の拳が、柄から離れた。

「負けを認めたワケではナイ。きょうのところは、と、いっておこう。悔し紛れにゆうているのではナイ。拙者はウヌに勝ちたい。おぬしを斬りたい。されど、余程の研鑽がなければ、おぬしと戦うのは危険らしい」

 左近は、さきほどの戦意を何処へ仕舞ったのか、積み上げられた材木から飛び下りると、踵を返して右近に背を向けた。

 もしかすると、こういう兵法者のほうが、右近とマトモに戦える者なのかも知れない。

 右近も、そうおもったようだ。それゆえ、ずっと去りゆく左近の後ろ姿をみていた。

 が、平和はここまで。

 右近は、ゆっくりと再び拳を柄に置いた。左近と交替とばかりに材木の束に飛び乗った者が二人。

「今度は、pearか」

 と、その右近のコトバに、赤星が、小さく、ウッという声を発した。

「拙者の思い違いというのではなかろう。片割れは、男装だな」

 赤星、短い剣の柄を握った。

「よくぞ、見抜いたな」

 そう答えたのは、南郷霧丸のほうだ。

 もちろん、作者は知っていたが(けして、いま、思いついたのではナイ)、ここで右近がそれを見破るほうがオモシロイだろうと、読者には内緒だった。見破った右近もさすがだが、作者もさすが。

 その右近、

「二人一組の戦い方か。では、この木材の上では足場が悪かろう」

 いうと、いつ飛んだか、積まれた木材から三間ばかり離れた地上に現れた。

 まさか、戦法を見抜かれたのでは、という困惑は南郷霧丸を観る赤星の目にあきらかだった、が、しかし、

「たとえ、我らが戦法を見抜かれていても負けるとは限らぬ。いや、我らが兵法、けっして敗れはせぬ。臆するな赤星」

 南郷霧丸は跳躍すると右近の前に降りた。赤星も続いて跳ねて、右近の後方に着地した。

 両者は右近を挟むような位置にあった。あの道場破りで師範を倒したときとまったく同じ位置取りだ。

「何が始まるのか知らぬが、稚戯はヤメたほうがよい」

 右近は、鍔を打った。赤星と南郷霧丸は右近の周囲を廻りだしたが、その足はすぐに止まった。

「むっ」

「えっ」

 という、驚きとも恐怖ともつかぬ声は、赤星、南郷の両者から同時に発せられた。

「右近はっ」

 と、吐いたのは赤星だ。

 姿がなかった。周回する彼らの中心に在るはずの右近の姿が無いのだ。

 その、右近の声は、再びあの積まれた材木の辺りから聞こえた。

「稚戯はよせ、というたであろう。おのれらの術はもう、ようワカッタ。無駄なことはヤメにせい」

 みると、右近が材木に腰掛けている。これほど莫迦にされた仕様(ざま)はナイ。赤星と南郷は右近めがけて二人して跳んだ。

 が、今度は、右近の姿はすでに三間先の地面に移っている。

 赤星と南郷は顔を観合わせた。

「どうする」

 と、赤星が訊いた。

「団 衣紋どのの忠告、よくワカッタ。しかし、ここで逃げ去るワケにはいかぬぞ」

「心得た」 

 とはいったものの、両者とも、手のひらの汗を心地よくはおもっていない。

 

2018年9月20日 (木)

第十六回

 一文字左近は、ニッカボッカーに開襟シャツという奇妙な出で立ちで、特別に設えたらしい太いベルトに大小を帯刀しながら赤毛結社agitpunkt を出た。奇妙な出で立ちと書いたが、この時代、このような風体の何者ともワカラヌ人々はけっこうな数で闊歩していた。維新の自由さというより、むしろ、無秩序な出鱈目さといったほうがイイ。或いは、その後の明治時代の文化的な展開を俯瞰すれば、この時代はある意味で〈可能性〉がゴロゴロ転がっていたといっても過言ではナイ。

 ただし、一文字左近のcostume styleが、そうだったといっているワケでもナイ。

左近の足の向く先は千眼通から脳髄に直截みせられた岩礁のある海の漁師町だ。いくら〈隠れたるもの〉といえど、現時点の所在地を探るくらいは出来るだろう、そうしてくれぬか、という左近のmissionに千眼通が応えたワケだ。

海は心なしか荒れている。岩礁を眺めていると、「東映」の三角マークが浮かび上がってきそうな気配さへする。どうやらその辺りに右近が潜んでいるらしいのだ。このオトコの魂は未だに兵法者らしく、右近と刀を交えることの悦びに武者震いすら感じていた。

 ところで、岩礁を眺める付近に右近は潜んでなどいなかった。しかし、残念ながらということではナイ。波飛沫から遠ざかって、しばし松林の辺りに進んだ一文字の足の動きが、ピタリと止まったのも無理はナイ。さきほど千眼通の術で観た、あの右近が、目の前に姿をみせたのだ。

「〈隠れたるもの〉にしては、えらく都合良く現れたナ」

いってはみたが、左近、もちろん驚いている。

 右近は無言、無表情で左近をみつめている。

 述べたとおり、海鳴りが聞こえるところからは些か離れている松林の砂地だ。おらくその辺りは新しく開墾されてやがては家並みになるらしく、伐採され製材された木材が無造作に積み上げられている。

 その木材の上に、空気を泳ぐようにふわりと一文字左近は飛び上がって着地した。飛んだというより浮遊したという感触だが、それはこの剣士の技量のひとつかも知れない。 

 しかし、すでに右近もそこに、左近の眼前に在った。

「なるほど、拙者ほど身軽というワケでもなさそうだな。瞬間的に動ける俊足の術でも心得ているのかも知れぬが、そんな体術はこの一文字左近には、何の意味もナイと知れ」

 不敵な眼差しで、左近が右近を見据える。右近は未だ表情ひとつ変えない。

 何の合図もなく、両者は互いの柄を軽く拳で打った。何れかの兵法/鍔鳴り/が、何れかを倒すことにマチガイはナイ。

 と、またsceneが変わる。

ちょっと試しにとでもいうふうに、そんな「ノリ」とでもいうべきなのだろうか、赤星と南郷霧丸は最寄りの剣術道場に飛び込むと、サーベルを腰にぶら下げた制服警邏の観ている前で、片っ端に門弟たちを薙ぎ倒した。いうれば江戸時代によくあった道場破りというところだ。もちろん、二人一組の秘技を門弟たちに披露したワケではナイ。

 それを使ったのは、まったくの試しとばかりに師範らしき者にのみだ。

 徳川の時代、兵法者にもっとも恐れられたのは柳生の三位一体の攻撃で、いかに達人といえどもこれに対峙することは不可能とされていた。三位一体は何もキリスト教の特許ではなかったのだ。(ただし、東方正教会ではローマカトリック/西方教会/の用いる「三位一体」をそのママ認めているワケではナイ)

 具体的には、三位だから攻撃は三人で、一体、つまり同時に行われる。一人は飛んで頭上から、一人はそのままの位置から胴を払い(突きの場合もある)、一人はかがみ込んで足を斬る。伝説の剣豪、宮本武蔵も、ものの本によってはこの攻撃を受けたことがあるが、武蔵は飛び上がった者と同時に飛び、そのまま一太刀浴びせて、逃げた。これは跳躍力が並外れてあった武蔵だからこそ出来たことで、三位一体が何組もあって、次々と襲いかかられては武蔵とてやがては倒されただろう。

 では、赤星と南郷霧丸による、二人同時の戦法とは如何なるものなのか。

2018年9月19日 (水)

第十五回

七、砕白波鍔鳴(つばなりにくだけるしらなみ)

 

 楠木右近の差料(さしりょう)は「関の麒六」という銘の、関の孫六が最後に打ったとされる業物だが、かの白装束の老人、盲目の千眼通が見通したように、徳川の時代には松阪藩の城代だった北司伊右衛門(きたつかさ いえもん)は、その拵えの鞘を造ったといわれる鞘師のことを、同じく鞘師であり噺家だった五代目曽呂利新左衛門から聞いた。五代目は北司に、これは初代から伝えられたハナシなので確かなことではナイと一応ことわりをいれた上で、伝説となっている鞘師、奇道誠心なるもののことを話して聴かせた。

「なにぶんにも、不思議な伝聞でございまして」

と、五代目は小首を傾げながら、次のように語った。

「孫六の遺刀ともいわれております、刀身(とうみ)の麒六は、何れの鞘にも納まらなかったようでして、鞘に入れますと、鞘が真っ二つになるというシロモノだったようでございます。そのことを聞きつけた奇道誠心は、ならばと身命を籠めて拵えをつくったとか。で、これがみごとに納まりまして、関の麒六は、そのまま鹿島神社に納刀されたということですが、維新をまたいでの頃には、もはや、そこには在らず、何者かがこれを持ち去ったということでございます。とはいえ、禰宜が裏でいうことには、その刀剣は明治政府に差し出すのがイヤで、ある者に託したとか。そのある者は、いいつたえでは〈隠れたる者〉と称される正体不明の者であったということでございます」

 もちろん、北司も、この〈隠れたる者〉が何を示してのcategoryなのかを訊ねてみた。すると、五代目は、マイッタ、マイッタとばかりに笑うと、

「申し上げましたように、正体不明でありますれば、その正体は、不明、で、ございまする」

 と、述べた上で、

「とはいえ、如何な者といえども存在いたしますからには、その存在の理由というものがありましょう。また、これを探し出すおつもりなら探せぬということはございません」

 と、意味ありげにいうのだった。

 このepisodeは、ここまでになる。この後、北司は楠木右近を探しあてたのだから、その方法を手にしたワケだ。しかし、〈隠れたる者〉とは如何なる存在なのか、いまここでその正体を明かすワケにはいかない。次第に明らかになっていくはずだとしか、作者もまた、いいようがナイ。

 

 団 衣紋は、白波の衆の四人を集め、自分が右近とどういう戦いをしたのかを、誇張はあるが嘘はナイという程度に説明した。もちろん、右近という手練が油断出来ぬ相手だということを、首魁として四人のものにいい聞かせているつもりでだ。

 しかし、団 衣紋が予想したように、四人は首魁のハナシをせせら笑うように聞いた。そんなバカなことがあってたまるか、首魁、血迷うたナ、だ。とはいえ、さすがに歴戦の雄とでもいおうか、彼らの心中は穏やかではなかった。彼らは団 衣紋の戦いぶりをこれまで幾度となく目にしている。その鎖鎌の恐ろしさは味方とはいえ身に沁みるように知っている。それがまるで子供のように相知らわれたとなると、楠木右近、秘剣鍔鳴り、よほどの使い手の剣技、兵法であることにマチガイはナイ。

「菊間佐野介どのは、闘いを間近でご覧になったのでは」

 そう問うたのは槍術の只飲理兵だ。

「いや、某も右近というものを実際に観たワケではナイ。拙者が参ったときは、すでにそのものの姿は無かった」

「しかし、団 衣紋どのの鎖鎌を、そのように手玉にとるとは、信じられん」

「首魁は、何か妙な毒薬でも飲まされていたのでは」

 今度は、南郷霧丸が、唇を歪めて問うた。

「まさか、この儂(わし)が、そのような」

 団 衣紋は一笑に付した。

「菊間どのの〈無人影〉とも、またチガウのでござるか」

 南郷霧丸は、菊間佐野介に質した。

「我が術〈無人影〉とは、まったく異にするもののようだ、と、心得るが。たしかに、相手の虚を突いて相手の懐に忍び寄るという点においては同じかも知れぬ。しかし、同じといえば、そこのところだけだろうナ。これ以上は仲間といえど、我が術のことはいえぬので、勘弁せい」

 そう、菊間佐野介はいって、

「ともかくも、きやつの鍔鳴りで、赤毛結社の手練が次々と倒されたことは明白な事実だ」

 そう、付け加えた。

「いつのまにか姿を消して背後にまわる、か。とはいえ、忍びの術でもなさそうだな」

 只飲理兵はそういって、おのれの槍を握りなおした。そうして、もう一言。

「武芸者ならば、戦ってみたいなどというだろうが、我々はそのような芸者ではナイ。とはいえ団 衣紋どのの鎖の回転を如何にして掻い潜ったのかがワカラヌうちは、下手に争わぬほうが良いのかも知れぬ。と、いえる身分でもナシか」

 弱音というワケではあるまい。只飲理兵は慎重を促したのだ。

「五人衆が四人三人(よたりみたり)になるやも知れぬナ」

 菊間佐野介はそう自嘲しつつ、脳裏では、右近との戦い方をsimulationしていた。自身の〈無人影〉とを比較して、黙々と戦い方を思案していたといってもイイ。

「私と霧丸さんとで、ヤッてみましょうか。二人なら、右近とやらの剣法、観抜けるやも」

 赤星は腰に小振りの刀を帯ながら立ち上がった。南郷霧丸もこれに頷いた。この二人が一組となってどのような剣技を使うのか、それは五人衆しか知らなかった。何故なら、それを観たものは悉く討ち果たされていたからだ。

2018年9月18日 (火)

十四回

 その鍔鳴りの最中にsceneは移る。

 アタリマエのことだが、鎖鎌は敵対する相手に距離をとらねば戦えない。しかし、敵対する楠木右近は団 衣紋のすぐ傍らから離れない。左右に動くどころではナイ。飛ぼうが、転がろうが、まるで背後霊のように寄り添っているのだ。

 振り向いても、振り向いても、右近は背中に在る。いったいこんなことが、いやそれよりも、これはどうすればイイのか。団 衣紋は焦りの色が隠せない。

「なな、何故だっ。如何なる術、兵法を用いている」

 それが叫び声になった。

「術でも兵法でもナイ。これが鎖鎌を封ずる最善の手段だということは、おぬしも察しているはずだ。いうておく、おぬしはすでに、秘剣鍔鳴りの中に在る」

「ワッ、ワカラン」

「ワカッテもらおうとはおもわぬ。もちろん、ワカルものでもナイ。ワカッタところで、おぬしに成す術はナイ」

 団 衣紋の焦りはここで恐怖に転じた。

「た、戦え。まともにヤロウじゃナイか、右近。尋常に勝負せい」

「尋常な勝負。奇怪(おか)しなことをいうときではあるまい。古今、勝負は勝ちと負け。その何れかに決まっている。そうして、おぬしに勝ち目はナイ。おとなしく負けを認めれば、離れてもやろう」

 冗談ではナイ。団 衣紋もまた剣客。離れたときは一太刀あびせられていることくらいは承知している。では、参ったとでもいって土下座すればイイのか。まさか、道場剣術でもあるまいし。

 と、このとき、何処からか、団 衣紋に向けて手裏剣らしきものが飛来してきた。団 衣紋は、それを分銅で叩き落として、

「何者っ」

「俺だ」

 と、団 衣紋のその声に向かって、駆け寄ってきた者がある。あの、〈薩摩 白波五人衆〉の中にいた一人、菊間佐野介と名乗ったオトコだ。

「おう、菊間佐野介ではないか。どうしてここへ」

「それより、団 衣紋どのは、何をしてござるのだ」

「何をと・・」

 振り向いたが、右近の姿は無い。

「いや、その、つまり。それがしは、楠木右近との戦いの最中だったのだが」

 たしに、そのはずだった。

 これは恥ではナイか。そう、団 衣紋は感じ取った。菊間佐野介は周囲をみやると、

「右近とやらは、何処に在る」

 と、問うた。

「今し方まで、それがしの鎖の、いや、背中に、いや」

「団 衣紋どの、しっかりされよ。うぬは、我らが首魁ぞ」

 だから、恥だとおもったのだ。

「拙者が、手裏剣を投げなければ、団 衣紋どのは、何やら鎖をぶんまわしながら、崖へ崖へと、あたかも、誘われて、そのまま、」

体よく右近の術中で踊らされていたらしい。

「鍔鳴りとやらの兵法、侮っていたわ。しかし、団 衣紋ともあろうものが、そのような瞞(まやか)しやら、妖々な怪しき術に落とされるとは、おもいもせなんだ」

 なんとか、イイワケを繕った。

「では、噂に聞く、鍔鳴りの秘剣とは、そのような催眠の、」

「いや、そんなものに陥るワシではナイ」

「然らば」

「わからぬ。ワカランが菊間、彼(か)の兵法、鍔鳴りとやら予想に違わぬ恐るべき剣ぞ。油断めさるなよ」

 油断していたのは、もちろん団 衣紋なのだが。

 而(しかして)、右近は何処に。

 岩礁にぶつかる波の音だけが騒がしい。

2018年9月17日 (月)

第十三回

 ついでのこと、というワケでもあるまいが、ついでのことといえば、ついでのこと。千眼通に、右近の正体をみせよというmissionが、〈ご支配〉と呼ばれる声から発せられた。

 が、しかし、

「それだけはみえませぬナ。この千眼通の術技を駆使しても、徳川の時代の何処にも、その楠木右近とやらの姿はありませぬ」

「そんな莫迦なっ」

 座しているものが、老人に詰め寄った。

「千眼通にもみえぬとは、そんなことがあり得るのか。というか、徳川の時代の何処を探しても姿がナイなどということが、」

 あの左近ですらも驚きを隠せぬ。

 老人は、特にすまなさそうな様子でもなく、

「それは、ございますぞ。そういうことはございますのですじゃ」

と、やや情なさそうな笑みを交えて 老人は小さく息を吐いた。

「この世には、隠れたる者という、まことに奇態な者がございましてな」

 と、そういって、今度は意味ありげに唇を歪めた。それがこの白装束の老人の悔しさだったのか、あるいは呻吟であったのかは、座敷の二人には判別がつかなかった。

「隠れたる者、とは」

 左近が訊ねた。座したものも、老人の応えを待つ。

 老人は暫し顔を天井に向けていたが、襟元の乱れをなおすかのような仕種をみせると、また俯きかげんに首を垂れた。

「隠れたる者、でございますな。古に、この術を授けた我が父より聞いたことでございますれば、そうとしかいえぬのでござるが、我が尊父曰く、この世には隠れたる者在り、彼のもの千眼も通さぬ」

「千眼通さぬ隠れたる者。隠れたるとは、何処に隠れておるのだ。歴史の中にという意味か。あるいは何かのmetaphorか」

 再び左近が問うた。

「それも、わかりませぬ。ただ、隠れたる者としか聞いてはおりませぬ」

 なるほど、それも道理。それがワカレば隠れたる者とはいわぬだろう。

 そんなふうに左近は納得した。他に術はなかろうと、おもった。

しかし、座したものは、承諾も合点もいかぬとみえて、追問を諦めない。

「では、元松阪藩の城代は、如何にして右近なるものを探しアテたというのだ」

 老人はしばし、黙していたが、おそらくおのれの記憶を探っているにチガイナイ。

 と、顔をあげると、

「右近とやらの腰のもの、あの拵えは、関の麒六でございましょう」

 誰に向けてというでもなかったが、座したものの問いに答えたカタチになったようだ。この老人のコトバに、左近がすかさず、ウムッと反応したからだ。

「さすがに、齢不知の千眼通、貴奴の刀まで観ていたとは。なるほど関の麒六、たしかに、拙者もそう観てとったが、マチガイなかろう」

「さすれば、関の麒六は、刀匠関の孫六の最後に打ち鍛えし業物。それが何れの者の手に渡ったかは、これを知る者ナシとか伝わりしところ。おそらくは、」

 と、座敷の二人を穿った。

「なるほど、刀の行方を探索していって楠木右近に辿り着いたということか。隠れたる者の拵えが、関の麒六であったということは何処かで目星がついていたということだな」

 座したものも、今度は納得した様子。

「セキノ、キロク」

 と、支配の声が、そのひとことで老人のかんがえを復唱した。

「御意にて、候。関の麒六は、孫六の向かい槌を稲荷明神の狐が務めたとされております。右近とやらの秘剣も、その辺りに秘を解く鍵がござろうと推しまする」

 左近、この老人の提示に顎に手をやり黙考に沈んだ。自らの鍔鳴りの技との相違を模索しているようにみえる。

 で、

「いや、またれよ。それは、稚速、拙考に過ぎる」

 と、ひとこといい置いて、おのれの刀の柄に右手を乗せた。そうして、

「拙者の剣も、右近の剣も、刀身が鳴っているのではナイ。鍔鳴りと称しているからには、鍔にその秘があるはずだ」

 軽く柄を手で打った。

 とくに音がしたワケではナイが、座したものも老人も耳を押さえて仰け反った。

「いや、ご無礼。これが、拙者の鍔鳴り。聞こえはせぬが頭蓋を通り抜けて、そのものの脳髄を振動させる。と、かくも秘密を明かそうが、この剣は破れぬ。拙者の鍔鳴りを聞いた、いや、聞こえはせぬが、受けしものは、いまの其処許たちのごとく、いっとき錯乱におそわれる。この錯乱が妄想を呼び起こす。それは防ぎきれぬ。いつの間にやら自らの剣を振るいながら、在りもせぬものを斬っているという寸法だ」

「右近の鍔鳴りも、また然りということでござるか」

 と、座したものが、汗を拭いながら左近をみあげた。

「さあて、それは、ワカラン。似て非なるということもあるからな。相、対してみないことにはなあ」

 このオトコにはめずらしく苦笑いという顔をみせた。ただし、これは自らの鍔鳴りに対する自信に他ならない。

2018年9月15日 (土)

第十二回

  しかして、その右近。

 眼下に海を眺める険しい崖に、吹きつける風を全身に浴びるように受けながら、毅然とした面持ちで立っていた。

「つい、数年前、あの海の向こうに幾つもの文明を持つ数多の国のあることを、この国の若き獅子たちはそれぞれの思いの中で描いたのだな。その広きココロもいまは何処に、ありやか。開化とは笑止。のう、そうは思わぬか」

 誰に話しかけたのか、たしかに、それは独り言ではなく、その右近の呟きを聞いているものが在った。ただし、呟きを聞くために、そこに在ったワケではナイ。

「赤毛か、卍か、どちらに属しているのか知らぬが、命知らずも生きているうちにいえる戯れ言と知れ。拙者の命、そう簡単にくれてやるワケにはいかぬ」

 すでに、鈍く唸る音が右近に迫っていた。

「分銅、ほう、鎖鎌か」

 そうはいったが、右近、振り向こうともしない。

 鉄塊の一撃が右近を襲った。

 鎖鎌の分銅は、相手の刀に巻き付けるために在るのではナイ。むしろ、巻き付けられたら鎖鎌の負けだ。分銅と鎖の部分を敵に奪われたことになる。鎖で相手を引き寄せるなどということは力学的に無理だ。刀の側が、鎖の動きを決めてしまうだろう。従って、ほんとうに相手を封じようとするなら、相手のカラダに鎖を巻き付けるようでなくてはならない。相手の腕、足、手首、そこに巻き付けるなら、勝てる確率はかなり高くなる。しかし、そんなことをやすやすと許す武芸者は、そう、いるものではナイ。

分銅は、もともとは、天秤秤で重さを計るさいの計量具だった。これを鎖の先端に取り付け、あるときは地を撃って敵の立ち位置のバランスを欠き、回転させながら分銅で打撃を狙う。またあるときは分銅を真っ直ぐに飛ばして飛び道具のように相手を攻撃する。つまり、鎖鎌の分銅とは、二種の攻撃武器を一つにした武具といえる。

 まだ名乗りもしない敵の分銅は正確に右近の頭蓋骨、その後頭部に飛来した。

 が、右近の髪の毛一本に掠ることもなかった。さぞかし、鎖鎌を用いた敵は驚いたろう。たしかに鉄塊は右近の頭蓋を直撃したはずだ。と、そうおもっただろう。しかし、右近の鍔はすでに鳴っていたのだ。

 唸りと分銅の回転が起こす旋風の中で、

団 衣紋と申す。〈薩摩 白波五人衆〉が、ひとりと心得よ。楠木右近、相手めされい」

 鎖鎌の男の、そう叫ぶ声が聞こえた。

「やっと、名乗ったか」

 右近も、ようやく敵のほうに顔を向けた。と、敵の相好がくずれた。右近を観て笑ったのだ。

「何を笑う」

 いかな右近といえど、これには少々憤慨したらしい。

「いやいや、楠木右近、ゆるせ。それがし、さまざまな剣豪、達人と戦ってまいったが、みなそれなりに、それなりの顔つきでござったよ。されど、右近さんよ、あんたの顔、イケメンというのではナイな」

 これは、分銅の一撃よりも強く右近の胸を抉った。

「むしろ、なんつうかな、主役を演ずるには、なんつうかな」

「みなまでいうな。こういう顔の主人公があっても、不思議ではあるまい。たしかに、劇画的ではなく、いうなればマンガ的だということは、本人がもっとも承知している」

 剣の達人でも、顔の造作にケチをつけられることにココロ穏やかになれぬのは、人の子ゆえ。

「その顔は、それがしのような敵を欺く作戦か」

 これも、揶揄にチガイナイ。まったく予想だにしなかった陽動戦術。

「生まれつきだっ」

 右近の怒声に、鎖鎌の敵は破顔した。が、その間に、右近の姿が視界から消えた。

「えっ」

「ここだ」

 先程の怒鳴り声とはうって変わっての、右近の静かな声は、団 衣紋の耳元で聞こえた。右近は、鎖を回転させる団 衣紋に寄り添うように立っている。

「少々、愚弄が過ぎたな、鎖鎌。猿飛佐助も痘痕面だったことを知らぬのか」

 それは初耳。とはいえ、右近の顔面がアバタだらけというワケではナイ。寸尺で計れば、多少は身長とのbalanceからいって顔が大きいという程度なのだが、そうして、これは時代劇役者にとっては必要条件なのだが、あいにく、右近は役者ではナイ。ではナニモノかということについて、sceneはそのresearchに喧しい、かの赤毛結社、奥の間にまた戻ることになる。

2018年9月14日 (金)

第十一回

いま一度、赤毛結社の本拠と思しき場所、あの奥の間へもどる。

何処からともなく聞こえる、寄る辺なき声が、いま、座しているものと、帯刀して立っているものの二人になった座敷に暗く響いた。

「センガンツウ、ヲ、ヨベ」

「千眼通でございますな」

 座しているものが応えた。

「なるほど、それなら、拙者も観たい」

 左近も頷く。

 しばしあって、茶坊主に手を曳かれながら、盲いた老人が白装束で現れた。

「初陣は天下分け目の夏の陣、齢、もはや数えず、されど衰えず。千眼通、罷り越しました」

「楠木右近の戦いぶりが観てみたい。おそらくご支配さまも、そうでござろう」

 そう、左近が白装束の老人に命じた。

 ご支配さまと左近が呼んだのは、寄る辺なき声の持ち主のことだろう。

 千眼通、というのは、白装束の老人が用いる何らかの術、技とかんがえていいようだ。

「楠木右近、ふむ。くすのき、うこん」

 そう、右近の名を二度唱えると、老人は、骨と皮だけになった二の腕を差し出した。掌は上に、何かその掌に乗せているようなふうに観てとれるが、とくに、何もナイ。

 とくに何もナイ、のだが、老人の身躯だけは小刻みに震えている。

「んっ」

 と、声を発したのは、左近だ。続いて、座したものも、同様の声を発した。

「うん、さすが、千眼通っ、みえてきたぞ」

 左近、今度はそういって、眉間のあたりに手をあてると、頷いた。

 これが、「千眼通」という、術、あるいは技なのだろう。何かが二人の脳内で、像となってみえているにチガイナイ。テレパスとはやや異なるがcategoryは同じらしい。

 「千眼通」、その奇妙な儀式は小半時ほど奥の間の座敷を占領した。

 やがて、老人の手がその儀式のオワリを告げるかのように、畳の上に落ちた。

「如何、か」

 息がだいぶ荒くなっているが、絞り上げる声で老人は、問うた。

「左近どのは、どうでござった。拙者には、何故、同志の剣が空を斬っているのかがワカリ申さんが」

 座したものは、左近に問う。

「いや、あれが、鍔鳴りだ。同志たちは、確かに右近を斬っているのだ」

「斬っているのですか」

「ああ、斬ってはいる。しかし、袈裟懸けも、逆袈裟も、抜き胴も、斬ったとき、右近はその場にはもう、おらぬ」

「見切っているとでも」

「見切っているというより、躱しているといったほうがよい」

「躱している」

 座したものは疑問をあらわに、怪訝な面持ちをみせた。

「ワカラヌのも無理はナイ。同志たちが斬っているのは、ほんの一瞬前の右近だからな」

「ますます」

「ワカランのも無理はナイ」

 と、左近は、座しているものの表情とは、まったくチガウ、何やら嬉しくてたまらないといった顔をしている。

「これは、楽しみになってきた。拙者の鍔鳴りと、右近の鍔鳴り、如何に、相成るや」

 そうして、堪えきれぬといった笑い声が、左近の喉からこぼれた。

 果たして一文字左近は、秘剣鍔鳴りの秘密を見破ったのか。

 どうも、そうではナイらしいということが後ほど判明する。この一文字左近、なかなかのハッタリ屋らしい。

2018年9月13日 (木)

第十回

「これは、一文字左近どの」

 座した幹部は、現れた痩身の武士を一瞥して、そう、名を呼んだ。

「その楠木右近とやらの奇怪な剣法というは、これか」

 不躾に帯刀すると、一文字左近は右近と同じ仕種で柄を叩いた。

「さて、某は直に観てはおりませぬが、おそらく」

 座したものが答えた。

「おそらく、その剣法は秘剣鍔鳴り」

「ご存知で、ございますか」

「拙者と似たような剣を使う者在りとは、噂に聞いたことがあるが、なるほど、その右近とやらが、そうだったか」

「似たような剣と申されましたな」

 間、髪を入れぬやりとりが続く。それが、何やら不思議な緊張感を漂わせて、奥の間の空気をさへ冷たいものに変えている。

「この一文字左近が使う鍔鳴りと、手合わせしたいものよの」

「斬れますか」

「あちらは右近、こちらは左近。位ならば、こちらが上」

「なるほど」

 座したものは頷いたが、総じて首肯したというふうではナイ。

天平元年におかれた近衛府という役所では、左近衛府と右近衛府とがあり、それぞれに一名大将が存在したが、位は左近衛府の大将が上であった。しかし、そのような時代背景を持ち出されても、剣技とはいささかの関係もナイ。

「して、鍔鳴りとは、如何なる剣法でござるか」

 そう、座したものが訊ねた。

「拙者の技をご覧にいれてもよいが、そのほうも、命が惜しかろう」

「と、申されると、もし、それがしがそれをこの場で観れば」

「そのときは、死ぬときと心得よ」

 いいつつ一文字、眉ひとつ動かさずに座したものを観た。

 

ところは変わる。こちらは、卍組の巣窟から、しばらくの距離を経た、俗に海道と呼ばれる海沿いの道、或いは海沿いの道に沿った地を臨む浜辺。波の音が、終わらぬ時を刻んでいるかのように聞こえる。

楠木右近は、間もなくそこに姿をあらわすだろう。

その前に、ドロドロと鳴り物入りで出て参りし、五人の衆がある。これを、〈薩摩 白波五人衆〉という。いずれ、一癖ある強者だ。まるで、歌舞伎の「稲瀬川勢揃いの場」よろしくの登場で、口上まで述べていく。

のだが、

「問われず名乗るもおこがましいが、生まれは薩摩、隼人の在。十四(じゅうし)の年から親に捨てられ、身の生業も白波の中、盗みもしなけりゃ非道もせず、人に情を掛川の金谷に在りし道場で、習い覚えた鎖鎌。ただ、鍛練の毎日に、危ねえその身の境涯も、もはや、四十になりにしは、ひとの定めは五十年、六十余州に隠れのねえ、賊徒の首領、団 衣紋とは俺のこと」

「知らざあ、いって聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人(ぬすびと)の、種は尽きねえ桜島、噴火をしたら止まらない、忍びに五遁ありとても、須べからく隠遁の法。森羅万象使い分け、姿を消して忍び寄り、相手の喉元切り裂いて、気配もみせずに去っていく。誰が名付けた、無人影(むじんえい)。月光仮面も驚きの、菊間 佐野介とは俺のこと」

「つづいて次に控えしは、月が出たでた炭鉱育ち、ガキの頃から手先が器用、目を付けられての忍法修行、そこで鍛えた槍術は、敵が懐、飛び込む前に、すでに串刺しあの世いき。おそるべし、おそるべし、その名も只飲理兵」

「またその次に列なるは、以前は武家の中小姓、今牛若丸と名も高く、身の軽さから忍びの仲間となりたるが、今日ぞ命の明け方に消ゆる間近き星月夜、その名も赤ぁ~星」

「さて、どんじりに控えしは、仁義の道も白川の花船へ乗り込む船育ち。波にきらめく稲妻の白刃に脅す人殺し、背負って立たれぬ罪科は、その身に重き虎が石、悪事千里というけれど、しかし、哀れは身に知らぬ、赤星とそろって編み出した、二人念仏殺しの達人の、その名も南郷霧丸」

あの忍びの頭目と手下が、波打ち際で彼らを凝視している。

「お頭さま、あやつら、ナニモノなんです」

 と、手下が問うた。

「忍びがいつも雇われてばかりとは限らぬ。忍びが手練を雇うというのがご時世よ」

「雇ったんですか、あの変ナノを」

「おう、いずれ、食いはぐれの多い巷だ。まとめて雇って、名付けた名前が、〈薩摩 白波五人衆〉よ」

「鎖鎌と、槍はわかるんですが、アトの三人の武器はナンです」

「秘剣鍔鳴り、さて、鎖鎌とどう闘う。天下無双の槍をどうかわす。それが出来ても、姿を消したものをどう扱う。さらには、二人一組の念仏殺し。これはわしも未だに観たことはナイ」

「うっわあっ、強敵ですね」

「おまえが喜んで、どうする」

「面白そうなもんで」

「遊びでやってんじゃナイぞ」

「もう、右近なんか、絶対、ヤラレちゃいますね」

 手下のハシャギように、頭目は黙しているだけだ。

「お頭、黙り込んでどうしたんですか。それって、アラカンの当たり役のむっつり、え~と、むっつり助平マネですか」。

頭目は黙ったまま手下を殴った。

2018年9月12日 (水)

第九回

六、騒白波鍔鳴(つばなりにさわぐしらなみ)

 

江戸、徳川家を頂点とする武士の〈イエ構造〉であるいわゆる幕藩体制は、歴史の現実としてはさほど堅牢なものではなかった。権力は朝廷との二本立てではあるが、朝廷(天皇)にはまったく権力などは存在せず、それらは京都に封じ込まれた公家という名の、まさに名ばかりの存在でしかなかった。

 この徳川幕府の方針、形態は、鎌倉に幕府を置いた源頼朝を真似たものだ。源頼朝は朝廷から離れることによって、朝廷を孤立させる政策をとった。これは平家の失敗を踏んだものだったが、まったく成功したとはいいがたい。以降、戦国時代に突入しても、朝廷をどう扱うかは、武士集団である武家の存亡課題となる。

 徳川家は、尾張、紀州、水戸と、イエにたとえれば分家を設置し、参勤交代や普請の押し付けなどで諸藩の力を弱め、ともかくも身の安泰を計ることにヤッキだったが、諸国の戦国大名の裔からしてみれば、これを覆すことはさほど苦労はなかったと、のちの歴史家の中には、体制の脆弱さを指摘する者も多い。

 とはいえ、諸国の大名にしてみれば、再び戦国の時代にもどるのは、如何に武士であろうと面倒なことだという〈空気〉があった。この厭戦の気分こそが徳川家の土台だったというワケだ。

 この空気を破ったのは、国内の乱ではなく、外国からの干渉だ。

幸いにして、開国を迫った米国は、英国や仏蘭西のような植民地制度をとらなかった。それが不平等なものであれ、相手を屈して貿易が出来れば、それでよかった。米国は、仏蘭西や英国の植民地制度の失敗を学んでいたのだ。

さらに日本にとって運が良かったのは、米国に内戦、南北戦争が勃発したことだ。このドタバタに乗じて尊皇攘夷などというツギハギの主義が罷り通ることになる。おそらく庶民大衆は、江戸から明治に移行する日本の時代の流れに冷やかだったにチガイナイ。安直なコトバでいいきってしまえば、武士だろうが、天皇だろうが、「どっちでもよかった」のだ。葵のご紋から菊のご紋へと頭はすげ替えられたが、お天道様が西から昇るようになったワケでもなく、文明開化といわれても、つまるところ牛鍋が普及した程度のことだ。

 

ところ変わって、おそらくは赤毛結社の本拠と思しき場所へと、sceneは移る。いま、その奥の間で、結社の上級幹部らしきものが、座して拳を床につき、頭(こうべ)を垂れている。やがて、冷静を装っているだけの声がそのものからこぼれ出た。

「後見からの報告によりますれば、楠木右近を討伐の手練の者、ことごとく討ち果たされましてございます。楠木右近なる者、鍔鳴りという、奇怪な剣法を用います。後見によれば、それぞれ、まったく歯が立たなかったということでございます」

と、何処からか、くぐもった声だけが聞こえた。

「ツバナリ、キカイナ、ケンポウ、カ」

「は、然りっ」

「ウコン、トハ、ナニモノ」

「我が組織の情報網を以て調べました限りのことをご報告いたしますれば、この右近というもの、江戸幕藩の如何なる人別帳にもその名はありませぬ。では、陰のものかと、その方面の生き残り、地獄耳と称される者どもにもあたりはしますれど、存ずる者、ただのひとりとしてありませなんだ。これは、実に奇怪といってよろしきことでございます」

「ヨロシキ、デハ、スマヌナ」

「仰せの如くにございます」

 季節はまだ夏ではナイ。しかし、座しているものの額には、汗の小さな粒がひかっている。

と、このとき、開襟シャツに袴、長髪に色眼鏡の、奇妙な出で立ち、痩身痩躯の男が刀を手に現れた。

「鍔鳴り、といったな」

 不躾に、そういうと、座した幹部の傍らに立った。

2018年9月11日 (火)

第八回

その声に右近が振り向くと、three piece suit に太い葉巻をくわえた紳士ひとり。左手にはstick、そうして、右手のコルト・ピースメーカーは、右近に銃口を向けている。

維新にはこういう、の、も存在したのだ。(その辺りのことは『明治戯人画録』という図録に詳しい)

 その辺りのものが葉巻をくわえたまま、右近にニタリ、笑んだ。

「飛び道具が卑怯だったのは江戸時代までのこと。文句はあるまい」

「いやいや、織田信長は鉄砲で日本を制覇したと聞く」(右近がここでさほど驚いた素振りをみせないのは、この物語にとって、ほんとうはもう少し深い意味も持つのだが、それはかなり後になってからワカル)。

 もちろん、織田信長が鉄砲で日本を制覇したワケではナイ。しかし武田の騎馬隊を破ってからの破竹の進軍と、天下取りまでアト一歩まで歩を進めた理由は鉄砲にあることにマチガイはナイ。合理を好んだ信長は、戦国大名の中でもいち早く、素人が用いても殺傷能力の高い鉄砲に目をつけた。ただ、それを操る技術の習得の訓練と、連写がままならないという難関の解決は信長ならではの功績だろう。

「では、遠慮なく。地獄へ行っていただく」

 葉巻の撃鉄がカチリと音をたてた。

「あいにくだが、行きとうても、地獄などというものは、無い。無いところへは行けぬ。無論、極楽やハライソあったとて、行く気はナイが」

と、さらりといってのけると、右近は柄を軽く叩いて、鈴の音を鳴らす。

拳銃から弾丸が数発、撃音を轟かせて発射された。よもや、両者のこの距離では的を外すことはあり得ない。

の、だが。

「飛び道具から身を守るためには、まず三間の距離をとり、左右に動く。それだけで命中率は格段に下がる。が、拙者とお手前との距離およそ二間。拙者、じっとしていたのだが、よほどの腕前とみえる」

 右近の嘲笑にではナイ。あり得ないことの生じたワケがワカラズ、葉巻の紳士はあきらかに狼狽している。

「こんなバカな。この距離で、拳銃の弾がっ」

 と、さらに数発。だが、命中しない。

「こんなバカでも、あんなカバでも、象だろうが虎だろうが、ライオンだろうが、」

「黙れっ、信じられん」

 弾が尽きたらしい。

右近の刀が一閃。葉巻が半分の長さになった。

「信じられぬのも無理はナイが、次は、その葉巻にあらず、臍から半分に、カラダの上下が分かれることは信じてもらおう」

紳士は銃をホルダーに収め、stick(おそらく仕込み)を抜かんとしたが、

「いや、待て、馬鹿馬鹿しくなった。どうせ勝ち目は出まい。此方はバクチで勝負はしない。しかし、此方も西洋で学問を収めた身上だが、其方の剣法、鍔鳴りとやら、まるでワカラン。常識を逸しておる。刀はともかく、拳銃の弾まで逸れるとは」

「秘剣の〈いわれ〉は、そこにあるのさ」

 右近の静かな口辺の笑みは続いている。

「大筒でも撃てばよいのか」

「さあ、それは試されたことはナイ」

 葉巻の紳士は半分になった葉巻をくわえたまま、首を左右に振った。まるでワカラヌ。

と、何かの気配を感じたらしい。急に、木の上に視線を投じた。

「んっ、新手だな。今度はチガウ相手のようだが。引っ切り無しに狙われる其方に同情申し上げるよ」

引かれ者の小唄にも似た逃げ口上を残して、suitの紳士はその場を去った。

鈴の音が右近の頭上から複数で聞こえ始めた。もちろん、右近のそれではナイ。卍組の連中だ。右近の眼が影の数を勘定した。七人ばかりはいるだろうか。それぞれ鈴の音を鳴らしながら木々から地上に着地すると、右近に近づいてきた。

「戯れた真似を。忍びらしい工夫だが、褒めるわけには参らぬ。先程の鳥追も中におるのか。なるほど、九の一とは気がつかなかった。それがし、九の一とは、いま少し麗しいものと心得ていたからな」

と、そんな軽口もこのオトコの余裕なのだろう、少々好色な面をつくりながら、柄を軽く叩いた。

 忍びの群れは、一斉に右近に斬りかかったが、いわずと知れたとは、このことだろう。すべての刃は空を斬っただけだ。

「退けっ」

 頭目らしき者の声に、忍びたちの足は地を離れ、いずれも木の上に消えた。

「右近とやら、ひょっとして、鍔に下がる鈴の音は、ほんものの鳴りを隠すためのまやかしに過ぎぬのか」

「よく気がついたな。鈴が鳴るのでは、鈴鳴りになる。拙者は鍔鳴り右近」

「ここは退く。が、しかし、鍔鳴りの謎、必ず見破ってみせる」

 頭目も、木の葉の中に姿を消した。

右近は刀を収めると、懐から簪を出した。

「朱鷺姫か、これは、予想以上に長い旅になりそうだな」

2018年9月10日 (月)

第七回

〈音無しの構え〉とはもちろん、中里介山の世界最長の小説『大菩薩峠』のダーク・ヒーロー、ニヒリスト(精神疾患だとする説もある)机竜之介の使う剣技だが、原型は江戸時代後期の実在の剣客、高柳又四郎の用いた剣法を中里介山がヒントにしたらしい。

カタチだけを説明すれば、青眼(正眼)から馬手の方向に刀を三寸から五寸近く開く。つまり弓手が隙だらけになる。ということは、相手方からみると、敵の右半身がまったくのがら空きになることになる。ここで打ち込んでいいものやら、しばしの或いは、やや長き逡巡の沈黙が訪れる。この無音と、打ち込んださい、高柳又四郎は、一度も剣を交えることなく相手を斬り倒したとされることから、刃の触れ合う音も聞こえない。その無音とを統合して称された構えをいう。

右近にしてみれば、なんであろうと、ともかく相手になるしかあるまい。

「ほほう、それは珍しい。というか、珍し過ぎるワ。しかし、ほんとうに観られるなら一興だな」

 たしかにそうにチガイナイのだが。

「お手前の秘剣鍔鳴り、破ってみせる。これが拙者の一義だと知れっ」

「明治になって廃れはしたが、武士は武士か。悲しいものだな。しかし、その意気は買おう」

 もちろん、その語彙どおりではない。この対峙する二人を遠くからみつめている他のものは、右近の皮肉と、そう聞いた。

鰓水は中段(正眼)からやや左に刀身を開いた。これは、映画では市川雷蔵の演じた、机竜之介の〈音無しの構え〉だ。

「なるほど、僅か三寸に正眼を開くことで、スキをつくり、よって、相手を誘いこむことも出来、そのまま喉、脇腹への攻撃に移すことも出来る。その構えは、そういうことだな」

聞くと、鰓水は不敵に笑って、

「手の内を読んだつもりらしいが、拙者の工夫はここからだ」

と、刃を内に向けた。これで刀身はほぼ水平になったことになる。

「その工夫、さらに、オモシロイ」

右近、口辺でほんのすこうし笑うと、鈴が鳴った。右近が抜いた。相手より先に抜くところをみせるのは初めてのことだ。おそらく、相手の構えに乗ってみようという酔狂な魂胆。なんという不敵さ。

「鍔鳴り、敗れたりっ」

と、一声、鰓水は一足ばかり踏み込むと刀身をハネ上げた。しかし、右近は受け太刀をとらナイ。

鰓水の逆袈裟に伸びた刀身があっというまに水平にはらわれた。誰の眼にも、最初の逆袈裟の一撃をかわした右近の左肩か首が、二撃目に仕掛けられた虎尾の靡(なび)きの如き流れの太刀で、斬られた、かに、みえた。しかし、鰓水の剣は空を斬っただけで、鰓水の横を通り過ぎただけの右近の剣は、いつのまにか、鰓水の胴をはらっていた。

鰓水、工夫の二段斬りは、ただ、彼の横を擦り抜けただけにみえた右近によって、一瞬のうちに無に帰したのだ。

「そ、そんなっ。斬ったはずだ」

「はず、だけではひとは斬れぬ。音無しの構えとは、面白いフェイクだったが」

 これは、先程の赤毛の剣士、蝉丸との闘いとまったく同じ出来事だ。お堂の前に居並ぶ面々には、右近は確かに鰓水によって斬られたかに、みえたからだ。

鰓水が倒れ伏すのを待っていたかのように、作務衣の男が右近の前に立った。

「赤毛結社、組頭を務める、木之井幽心。どうやら、不思議な剣法を使うようだが、ご覧のように、こちらは帯刀してはおらぬ。いかに楠木右近の鍔鳴りといえど、斬ってこぬ相手を封じることは出来まい」

 なるほど、道理。

「組頭か。すると、少しは使うワケだな。素手とはいえ、唐手や拳法使いでもナイとみたが」

「神田お玉ヶ池の千葉道場、しかしながら、お察し通り北辰一刀流ではござらぬ。そこに通う少年剣士、通称、赤胴鈴之助より伝授されたる〈真空斬り〉。それがしの技は無刀でござる」

「真空斬りっ。シンクウギリィィィ。赤胴鈴之助とは、もう珍しいどころの騒ぎではナイな」

 失笑だか、哄笑だか、右近の頬のゆるみを判断するのは、もう難しい。

 おそらくは読者が失笑している。

「さあ、これを如何に防ぐや」

木之井、拝むように片手を差し出すと、

「参るっ」

これに応えて右近、ほんの暫し、頭を掻いたが、

「参れっ、」

鍔の鈴が鳴った。

木之井の掌は、空間に何やら文字でも書くように動いていたが、大上段に構えが変わると、気合いとともに振り降ろされた。

しかし、それによって倒れたのは、勝負を観ていた物売りだ。

「そ、そっ、そんな、まだっ、」

 泡を吹いている物売りをみると、鳥追は、物売りのいいたかったコトバを続けた。

「闘ってもいないのに。冗談じゃナイわ」

そうして、アッというまに、その場を去った。つまり逃走、逃げたワケだ。

「どうも真空斬りの方向が違ったようだな」

「まさかっ」と、木之井、もう一度手文字を書き始めるが、

「懲りない御仁だな、まだヤル気か」

再び鍔の鈴が鳴った。

 木之井、気合い一発。だが、倒れたのは、当人の木之井だ。

「わ、ワカラヌっ。こんな、はず、では」

「申し上げたであろう。はず、では、ひとは倒せない。真空斬りとは、要するに〈かまいたち〉。修練によって、空気中に真空状態をつくり、それを飛ばず技の類だろう。おぬしが、どのような修練、修行を積まれたのかは存じあげぬ。ただ、いわせてもらえば、真の修行をなさったほうが良かった。赤胴鈴之助の技も、千葉道場での剣の修行のはてに手にしたものだ。けしてケレンな技ではナイ。秘剣鍔鳴りには、真空だろうが、孫悟空だろうが、ましてや、ケレンな小手先の技など、通用は、せぬ」

 では、何が通用するのか、と、さぞやいいたかっただろうが、木之井真空斬りは、地に伏したまま、もはや息すらしてはいない。

 と、刀を収めた右近に、~では、これならどうかな~、嘲笑うような声がかかった。

2018年9月 9日 (日)

第六回

四、雨御堂四面楚歌(あめのおどうしめんそか)

 

稲妻の閃光が走った。雷が遠雷から次第に距離を縮めてきた。夕立がくるようだ。

林道から、さらに山は深く、楠木右近はめざすモノの場所を知っているかのように、足早に歩みを進めていた。確かに、あたかも宝への地図でも所有しているかのような足どりだが、そんなものは、この男の懐にはナイ。あるのは簪一本。おそらく、この男、楠木右近に在るのは、闘う者に自然に芽生えてしまう何かの戦闘能力としかいいあらわすことの出来ない、いわゆる、潜在的な闘争本能。静かなる剣気なのだろう。殺気ほど切羽つまったものではナイが、潜水艦のソナー探知機のようなものだ。

その右近、ふいに歩の進みを停めると、空をみあげた。

「一雨くるかナ。山の天気はワカランなあ。さてと、このような街道外れの山中では、民家も茶店もあるまい。その代わり、修験者、行者たちが休憩に使うお堂の一つもみえるはず」

 果たして、廃れてはいるが、はるか前方にその簡素なお堂らしきものがみえた。

すでに雨は降り始めている。右近、今度は小走りになった。

本降りになる直前、右近はお堂に駆け込んで、その表戸を開いたが、

「これは満員御礼か」

 右近がそう苦笑を交えていったのも無理はない。先客が多すぎる。鳥追姿の女がひとり、作務衣の坊主らしき男がひとり、刀を肩に抱いて座っている旅支度の侍らしきがひとり、このものは散切り頭ではなく、髪は束ねて肩に垂らしている。そうしてもうひとりは、行商人のようだ。このような山中で、たしかにこの人数は多すぎる。

「煩(わずら)わす。御免」

右近、ともかくひとこと挨拶すると、片隅に座した。

途端に落雷がして、お堂の中も白ずんだ紫の光が通りすぎた。行商人が顔を歪める。

「いやっ、いまのは、近い。こりゃ落ちましたね。ひっひっひ」

「ここは大丈夫よ」

 すかさず、自分にいいきかすかのように、鳥追が、声を震わせた。

行商人、今度は愛想笑いで、

「とはいえ、みなさま、これが、呉越同舟でございますね」

 と、応えたが、

 が、それを聞くと、よほどの皮肉と聞こえたらしく、それぞれが、鋭い眼で行商人を観た。

 無論、行商人にしてもそれなりの揶揄を含めたつもりだったが、右近も苦笑いして、

「商い屋、それはちとチガウようだな。呉越同舟は敵味方ご一緒の舟遊び。しかし、拙者にとってこれは、同じように司馬遷の『史記』からこじつければ四面楚歌。何処からも楚の国の歌が聞こえてきそうな按配といったところかナ。とはいえ、拙者は楚の国のものではナイゆえ、ご期待には添えぬ」

 この右近のコトバには、今度は堂内のそれぞれが殺気だった。それに呼応するようにまた、落雷の青白い光と轟音が鳴り渡った。

「まあ、待て。急ぐことはあるまい。せっかく濡れぬように飛び込んだところだ。雨があがってからでもよかろう」

右近は、そう制して、不敵にも簪を取り出してみせる。

「この簪が、朱鷺姫の居所へ導いてくれるらしい。その朱鷺姫は、元松阪藩の隠し蔵に眠る十万両相当の金塊の在り場所を知っている。単純な話だ。私を倒せばこの簪はその者の手に入る。しかし、単純なことが簡単とは限らぬ。それをおぬしたちは、これから四半時(現時間にして30分)と経たぬ間に思い知ることになる」

 まったく、この状況下における、恐れを知らぬ右近の挑発に、先客たちは一斉に立ち上がった。

 

 

五、剣戟奇体也其敵(チャンバラだ、あいてはへんなのばかり)

 

お堂の前にsceneは移る。

 自然に出来た空き地なのか、どの宗派のものかはワカラヌが、お堂を一つ建てるために木々が伐採されて造られた広場なのか、何れにしても、剣を交えるには好都合、とまではいえないが、道場剣法でもナイ限り、闘うに場所など選んではいられまい。土塊とこの山地特有の泥岩がところどころに剥き出したその〈場〉に、すでに、垂れ髪を結んだ剣士と右近は対峙していた。

 無言で剣の柄にも手をかけぬまま立つ右近に、垂れ髪の剣士が甲高い声を発した。

「申しておくが、朱鷺姫、十万両奪取の指令、その使命は、拙者においては二の次だ。拙者、直心影流、男谷の門下。目録を拝受しておる。鰓水魁偉(えらみずかいい)と申す」

「直心影流。あの他流試合で有名な、男谷精一郎信友どのの直弟子か」

 垂れ髪の名乗りを受けての、この右近のコトバには、幾分かの敬意が含まれている。直心影流の男谷精一郎の他流試合は広く知られているからだ。

「左様。我が流派が他流試合を数多く試みるのはダテではござらぬ。他流派と闘うたびに、勝とうが分けようが、さまざまな他流の兵法を我がものにするが、その兵法の一つ。従って我等の直心影流には、決まった剣のカタチはござらぬ。常に変化する。拙者、他流試合で学びとった、机竜之介の〈音無しの構え〉ご覧にいれる」

 机竜之介の〈音無しの構え〉、まさかここで、中里介山のfictionを観ることになろうとは、右近ですらも予想だにしてはいなかった。(もちろん、つづく・・・今後はこのお報せはありません)

2018年9月 8日 (土)

第五回

 柳生石舟斎との逸話は、いま書いてしまうと少々、今後の展開に支障があるので、例の茶髪との対決にハナシをもどす。

「わっしのことはおわかりと思うが」

と、赤毛の着流しがオノレの頭を撫でて、悪戯小僧のように微笑んだ。

右近は、その微笑に苦笑を以て応えてみせた。

「赤毛結社の御仁だな。一目瞭然、髪の色をみればワカル。というかワカリヤスイなあ。しかし、その理由はさっぱりワカラヌ」

「ナニ、ホレ、いまこの国でふんぞりかえっている、外人たらの赤毛ものを揶揄しているだけでござるよ」

「なるほど、新政府のように、外国のものに腰を低くはせぬという、心意気というワケか」

着流しは、右近のそのコトバに大きく頷いてみせた。

「左様。では、もはや問答無用、参るぞっ、楠木右近。赤毛結社、羽儀蝉丸(はぎせみまる)。この名、覚える必要はナイ。何故なら、お主はここで地に伏すゆえに」

「もとより、覚えはせぬが、地に伏したくもナイ」

両者が間合いに入った瞬間、蝉丸と名乗った剣客の居合が放たれた。右近はこれをたやすくした。

蝉丸、抜刀したまま暫し、呆気にとられていたが、剣を鞘に収めると、

「なるほど、噂どおりの使い手だな。わっしの抜刀を刀以外であしらった者は、お主が初めてだ」

「ふつうなら血飛沫があがっていたというワケだな。残念だったな」

 今一度、羽儀蝉丸の右手が仕込みの柄に乗せられた。

と、同時に右近の鍔の鈴が鳴った。

それが合図でもあったかのように、こんどは両者がほぼ同じ速度ですれ違った。

「勝負っ」

蝉丸の仕込みは瞬速で抜かれ、右近を胴斬りに払った。

たしかに蝉丸は、そのごとく斬り込んだようなのだが、すれ違って振り返ったときには、夢でもみているのか、といった顔だけが残った。

蝉丸の仕込みに網代笠がぶら下がっているだけで、抜刀したアトがみられないのだ。

「これは、どういうことだ」

 夢みる顔が驚愕に歪む。

「どういうことだ、も、そういうことだ」

 平然として、右近がその顔につぶやきを投げた。

「まさか、たしかに、一太刀浴びせたはずだ」

 今度は幽霊でもみるかのような表情で、蝉丸、右近をみた。

「そういう夢でもみていたのではあるまいかな」

 しばし、蝉丸とその仕込みは沈黙していたが、唸るような声が蝉丸から漏れた。

「なるほど、よくワカッタ。秘剣鍔鳴りとはかくなる剣法か。しかと覚えて、」

 が、その声もここまで、蝉丸は、なんの支えもなく真っ直ぐ前に棒のごとく倒れ伏した。

「覚えておく必要はあるまいが、秘剣鍔鳴り。これと交えて、この世でそれを覚えておる者など、未だひとりとしておらぬ」

いつ抜いたのか、右近の刀は右手に抜かれてある。右近はそれを鞘に収めると、網代笠をかぶりなおした。

着流し、羽儀蝉丸は地に伏して、もはや、動かない。

右近が去っていくと、おそらくは忍びの組織、卍組のもの、三名。現れはしたが、頭らしきものが、アトの二人のイキリを制した。

「お頭、何故っ」

「まあ待て、いま襲っても斬られるだけだ。観たであろう、あれが楠木右近の秘剣鍔鳴りだ。あの赤毛の男にしてみれば、たしかに右近を斬っているのだ。しかし、じっさいはそう思い込まされているだけだ」

「すると、何か、瞬間催眠の法でも」

「鈴の音で相手を催眠状態にするには、闘うまえに、そうなるような仕掛けが必要だ。それは我が忍法にも似たような術がある。しかし、武士である、かの右近が、相手にそのような術を使ったとは思えん。それに我々も観たであろう。あの赤毛の仕込みは確かに右近とやらの胴を払った。そのとき、右近は抜刀してはおらぬ。受け止めもせず、もしなかった。ただ通りすぎて、赤毛が振り向いたとき、これを斬っている」

「では、お頭、如何にして」

「鍔鳴りという剣法、如何なる技か、いまはワカラヌ。しかし、その正体を見破らねば、みな、あの赤毛の如く犬死になるは必定。いまは退け」

 おそらくは苦渋の選択。あるいは、忍びならではの慎重な判断、対策とでもいえばイイのだろうか、〈忍び〉とはまた耐え忍ぶことの、成せる業にはチガイナイ。かくして卍組の面々は姿を消した。

 

2018年9月 7日 (金)

第四回

三、旅初赤毛敵(たびははじまるてきはあかげ)

 

何処かの林道とおもっていただければいい。およそ時代劇、あるいは剣戟物語、いわゆるチャンバラの場面は限られている。それは、現代の刑事ドラマも同じ。また、超時空を扱うSFにしても似たようなもので、各々のドラマにそれぞれのお決まりの〈時空-場面〉は、つきものだ。

相変わらずの着流しを関東帯で締めて、巴紋の長羽織、浅い編代笠だけの旅支度。右近は、その何処かの林道に差しかかっている。

林道は急ぎ旅の者が使って歩く裏街道とおもわれる。そんな名もナイ街道を選んだのは、あながち急ぎ旅のせいではナイ。その理由はすぐに判明する。

常人には感じられない、血の臭いに右近は気づいていた。

行く手に、おそらく仕込みの杖であろう、帯刀せずに右手でその柄を下段、斜め前にぶらりと差し出した、赤毛頭にやくざ者が身につけるような朱色の着流しが現れた。頭髪も赤なら、costumeも赤。右近は、このような曲者を待っていた。裏街道の林道は、このような敵を誘い込むには最も適している。いわば右近の策略だ。いずれ闘わねばならぬならば、襲われやすい場所を選んで歩けばよい。それだけのことだ。限りのナイ敵ではナイ。ならば、これ、すべて倒せばよし。大胆不敵ともいえる兵法だ。

 無論、右近は立ち止まる。

「先程から血の臭いがしていたが、お主の、その仕込みのせいだな」

先にその赤毛に声をかけた。

これを聞くと、赤い着流しが、声高に笑った。

「カッカッカ。いや、ご明察、さすが右近さんだ。ここより十数間ばかり行かれると、いやいや、行くことが出来れば、の話だがナ。すると、黒装束の木っ端ものが数人倒れておる。もちろんのこと、わっしが斬ったばかりだ。卍組とかいうくずれ忍びの衆だろうが、おそらく、お主を待ち伏せしていたのであろう。忍びらしい小癪なマネだ。こちらは待ち伏せなど卑怯な真似はせぬ。邪魔者は、わっしが片づけておいたというワケだ。さあて、楠木右近、またの名を鍔鳴り右近っ」

 着流しは仕込みの杖を左手に持ちかえると、そのまま中段、ほぼ水平に上げた。右掌はその柄の部分にふわりと浮いている。

「仕込み居合か」

「これより、お目にかけるは、鬼一法眼より伝わりし古流、京八流の流れを組む居合と心得よ。もうひとつ、断っておくが、これは刀ではなく剣だ」

「ほほう、なるほど、両刃ということか」

 

考古学的にいうと、剣と称するは両刃、片刃のものが刀ということになっている。日本刀は、片刃の鉄剣で反りがあるが、当初、日本に中国から伝来した刀は直刀で、いまでも中国の『武侠映画』に登場するのは主に両刃の直刀だ。これに反りが加わったのは、馬というものが戦場に現れるようになってからだ。馬上からの闘いで、直刀だとスッポ抜けやすいので、少し曲げたワケだ。これを「蕨手刀(わらびてとう)」と称する。

鬼一法眼とは、関東七流と並ぶ大きい剣技の流れ、京八流の創始者だが、『義経記』に剣の達人で陰陽師というふうに名を残しているものの、その実在性は不確定だ。源義経に鞍馬の山奥で剣を教えたとあるが、伝承でしかナイ。

この時代、明治の初め、「居合」と「抜刀術」は同じような使われ方をしていたようだが、もともとは、敵の不意打ちを迎撃するのが「居合」で、〈不意に〉先に抜いて斬りかかってくる相手を如何に倒すかに重点が置かれていた。たとえば映画『座頭市』の場合は、当人が座頭であるため常にこの形態をとらざるを得ない。この剣技は、のちのち、柳生新影流の「後の先」にも通じていくことになる。

「抜刀術」は基本的には、相手に「見切り(身切りともいう)」をさせなくするための工夫の一つで、抜くまでは刀身の長さはワカラズ。先に抜かせて見切りをつけ、斬り込ませ、後で抜く刀で、剣先が見切られる前に相手を倒す。「抜刀術」も、また「後の先」の技が基本だった思われる。

京八流にそういう技があったかどうかは、fictionだが、これらの剣流は、新影流の上泉信綱によって考案、完成し、「無刀取り」から「活人剣(かつにんけん)」として、柳生石舟斎に伝授されていった。「活人剣」といえども、やはり、ひとを斬って殺す技である。この辺りは、現在の時代劇でも誤解されているフシがある。

のちに柳生宗矩が「活人剣」を鼓舞したのは、あくまで剣はひとを殺すものに非ず、天下国家(ガバメント)を守るものと規定したからに過ぎない。大事の多を活かすために禍の少を斬る、というのが「活人剣」といわれるもので、よって、剣の技を競う他流試合を認めなかった。

ところで、柳生新影流の始祖、柳生石舟斎はまだ若い頃(但馬守宗巌の頃)じつは、楠木右近と邂逅したepisodeがある。これは時代が大きくずれるので、妙なハナシにおもわれるが、これは歴史劇ではなく時代劇であり、illusion(伝奇)小説なのだから、そんなことにはかまっていない。(つづく)

2018年9月 6日 (木)

第三回

二、簪宝朱鷺姫(すさぎひめたからのかんざし)

 

袈裟こそ身につけてはいないが、僧侶姿は先程の城代であろう、右近と呼ばれた巴紋の武士と向かい合いながら座している。

庭の東屋ではなく、寺の庫裏にしつらえられた、簡素な茶室だ。茶釜からの湯気だけが音も無く二人を包んでいる。

「この寺はたまたま住まいにしておるだけで、このような茶室があったものでの、このようなことを始めた、いわば真似事。習い覚えた茶の道ではござらぬのでな、表も裏もワカラヌ見よう見まねでござる。しかしながら、大事の頼みごとに酒というワケにもいかぬゆえ不作法はお許し願いたい」

質素な素焼きの碗を右近の前に、すうっと滑らせるかのように静かに差し出した。

「こちらも無調法。あいにく剣を振り回すこと以外は知らぬ無骨者ゆえ、お許しねがいたい」

と、それらしく片手で碗を手にした。そうして、

「茶が裏であろうと、表であろうとかまわぬが、大事の依頼に裏表、あってはならぬぞ」

伏せ眼だが、それでも眼光が感じられるこの男、碗を口に運んだ。

城代は右近の膝の右に置かれた剣に目をやると、

「その太刀、鍔に鈴が根付のごとく結わえられておるが、先程の暗闇での鈴の音は、それでござるか」

 と、問うた。

「さて、どうかな」と、これには、右近、含み笑いで応じた。

「如何に暗闇といえども、お手前がその刀をいつ抜いて、どう斬ったのか、拙僧にはみえなんだ。これでも、元は武士の端くれ、腕前も流派も自慢出来るものではござらぬので、口には出来申さぬが、闇に目の効く忍びの者すら、いつ斬られたかわからずに倒されたようだったが。あれが、噂の〈鍔鳴り〉の技とすれば、秘剣と称されるだけのことはござるな」

「あのような手踊りをお褒めにあずかって恐縮だが、秘剣といえども、すでに、この時世にあっては無用の長物。もはや誰に伝えることも無意味な技でござるよ」

「なるほど、それは然り。では、最後の仕事と思うて、当方の頼み、お聞きくだされ。それがしが城代を務めた松阪藩は十二万石の祿高といえども、実質は八万石足らずの雑穀でござってな、そこで、先達は養蚕と、畜牧、さらには医療用の薬草の育成によってこれを補ってまいった。ところが、この補祿のほうが米の石高を上回り蓄えになりもうした。特に取り締まりの殆どなかった薬草と養牧の産高で、おおいに潤った。維新直前に外様であった我が松阪は、持てる小判を全て溶かし、これを金塊に換え、およそ十万両相当の財を蓄えることが出来もうした。維新となり、新政府に没収されることを逃れるためでござる。この財の隠し蔵の場所は大殿の孫娘、朱鷺姫にのみ伝えられておりまする」

 ここまで、釜の湯気を眺めながら話すと、剃髪の元城代は、穿つように右近に眼を向けた。

「で、その朱鷺姫とやらの身辺が、昨今、危険に晒されていると、おっしゃりたいのだな」

 右近、碗の茶を飲み干すと、畳に置いた。

「見事なお察し」

 僧は碗を下げた。

「事の成り行きから察したまで。で、十万両、朱鷺姫の敵、その刺客というのは」

「はっきりとしているのは、次の二つ。幕府の飼い犬の残党、いまは強盗集団と成り果てた、くずれ忍びで、卍組と称しておる。いま一つは新政府の密偵組織で、何故か、髪の毛を赤く染めておる赤毛結社と名乗る手練の集。この二つ」

「くずれ忍びの強盗集団に、新政府の密偵とは、いずれも十万両に群がるに相応しい喰わせ者だな」

そんな右近の冗談めいた口調に、一息ついたか、やおら城代は懐から簪を差し出して、右近の前に置いた。

「朱鷺姫の居場所、この簪が導いてくれましょう。礼金は朱鷺姫自らが守りたる十万両より、お好きなだけおとりになるとよい」

右近は、簪を手にとると、古物商にでもなったかのように、じっと、それを眺めたが、

「珊瑚に翡翠をあしらった簪。これは粋な判じ物。で、朱鷺姫とやらはお幾つでござるかな」

 逆に、お宝のことなど意に介さぬ、といったふうに、そう問うた。

「かぞえで十五」

「お年頃でござるな」

「お引き受けいただけるか」

右近は簪を懐に仕舞うと、

「諾(うなべ)いて、お引き受けいたそう。而(しかして)、その根拠を二つ申しあげる。先程から血の臭いがしておるが、城代、そなた、陰腹を召されてらっしゃいますな」

「おわかりでござったか」

城代の片手が己が腹を軽く押さえた。

「さて、もう一つは、先程からこの庫裏の屋根裏に忍んでおるもの一人、在り」

と、刀の柄を軽く叩くと、鈴の音がリイイ~ンと庫裏の闇に響き渡った。

その音に驚いたワケでもあるまいが、黒い衣の男が天井辺りから降って来た。男は古畳に着地ざま、抜刀すると、右近に斬りかかった。一太刀、二太刀。だが、これはまったくの無駄骨に終わったようだ。右近、傍らの太刀をいつ抜いたか、いつ斬ったか、黒装束はその場にのめって伏した。

「これはっ、」

「お試しの続きではござらぬようですな」

「戯れたことを」

城代はおもわず立ち上がる。

「庫裏の茶室を汚さぬよう、血が流れぬように斬りもうした。何れの手の者にせよ、すでに拙者が敵の標的となったことは明白。ご依頼の仕事、急がねばなりませんな」

 なるほど、畳の何処にも血飛沫はみえぬ。

「この陰腹にかえて、お願い申し上げる」

 が、こちらは血が滲み出している。

「とはいえ、血の臭いからして、そりゃあ、腹に仕込んだ牧畜の馬肉のものですな」

 右近、微かに笑った。

「えっ、バレておりましたか」

「馬肉ゆえにサクラに使われましたか。まあ、よろしいことにしておきましょう。せっかく幕末を生き延びたニンゲン、そう簡単に死んではイケマセンからな。しかし、覚悟のほどはわかり申した。では、そのお年頃の姫を探すといたしましょうか」

「ありがたき、おことばでございます」

 城代は、坊主頭を畳みに擦りつけた。

「に、しても、拙者をお選びになった理由は、如何に」

「右近どのは、〈隠れたるもの〉と、聞き及んでございますれば」

「〈隠れたるもの〉、なるほど、そう称されることも、あるにはあるが」

 右近の笑みは苦笑いともおもえた。(つづく)

2018年9月 5日 (水)

第二回

この暗闇では、両者の闘いは常人にはみえなかったにチガイナイ。番傘片手の右近、歩をすすめようとしたが、それも刹那に気が変わった。

「新手か。どういうワケか、今宵は千客万来、いや、百鬼夜行というべきか」

 いいつつ、瞬時、身をかわした。手裏剣の飛ぶ音がする。一枚や二枚ではナイ。それらは全て番傘で叩き落とされたが、そのうち一枚を、右近は悠々と拾うと、

「苦無(クナイ)か。なるほど、今度はくずれ忍びの出番らしいな。のう、そこいらに潜んでおられる陰の衆。幾らでその命、売られたのかは知らぬが、この時世だ、地道に畑で鍬でも握っていたほうが身のためと思え。おぬしらにかける情までは、拙者、今度こそ持ち合わせてはおらぬっ」

 くずれ忍びたちは鍛練した眼で、右近と貧乏侍の闇の中の闘いを視てはいた。彼らの眼にも逆袈裟で右近が斬られたように映った。しかし、倒れたのは右近ではなかった。これは彼ら忍びにも合点のいくものではなかった。よって、試しにクナイを投げてみたのだ。けれども、右近はその腰のものを抜きはしなかった。

三つの影は同時に襲いかかった。ある者は飛び、ある者は走り、ある者は真っ直ぐに、それぞれ忍者刀で斬りつけたが、そのいずれかは、右近に斬り付けられるはずだった。しかし、これらはことごとくを舞うように躱された。

そうしてまた鈴が鳴った。三つの影の第二撃。右近が何処をどんなふうに動いたのか、そうして、どんなふうに斬りさばいたのか、三つの影は殆ど同時に倒れ付した。

刀身を鞘におさめる音だけがした。右近の視線は未だ前方をみつめている。

「もうひとり、いらっしゃるな。とはいえ、殺気がナイ。拙者に何の用だ」

 この右近の問いかけを受けて、闇から声がした。

「楠木右近どの。これで、腕前のほうは存分に拝見いたした。ご無礼の段、お詫び申し上げる。それがしは元松阪十二万石の城代、明治のいまとなっては、ただの老いぼれ坊主の身、名乗るほどのものではござらぬ。しかしながら、それがしには、亡き大殿の遺言(いごん)による重き役目がござる。大事の儀はこの先の先祖の菩提寺にて申し上げる。お出で頂けましょうや」

「よくもそんなことがいえたもんだな。四人、無益な殺生をさせられた。いまさら断れぬとは承知の上か。ただし、そちらの儀とやらが、拙者の気にいらぬことならば、元城代どのだろうが、老いぼれ坊主だろうが、斬って棄てるが、それでもよろしゅうござるな」

「無論。覚悟は出来てござる。然らば、右近どの、何卒、こう、参られい」

右近は、ふっと空を仰いだ。

「雲がきれたの。雨はやんだか。月とは、これは粋な道案内」

なるほど、雲の切れ間に月が輝いて、右近の足下まで照らしている。(つづく)

2018年9月 4日 (火)

ブログ小説 第一回

鍔鳴り右近  秘剣武芸帳

 

 

                         北村想

 

吉田松陰が漢語から引用した「藩」というコトバは、本来は古代中国の周の国で用いられていた概念(ことば)である。これは幕末にかけて諸国に広まった、とあるが、公称とされたのは、明治時代になってからで、テレビの時代劇で用いられる場合は、あくまで「時代劇用語」としてのことばだ。似たものに「天領」がある。これも江戸時代では公称されたことばではナイ。

とはいえ、まったく使われていなかったかというとそうでもない。吉田松陰は、藩というのは、幕府から拝領のものとして認められている証のような名称であるとこれをカテゴライズして、そのように用いた。それはそれで、格付けとしては便利なことばだった。たとえば、それまではたんなる地方の国名を唱えていた郷士たちも、「某は、なんとか藩のだれそれである」とこれを用いるようになった。そうすると、武士としての箔がつくというワケだ。実際に貫祿がついたかどうだったかは別にして、なんとなくそんな気がする、という貧乏武士、弱小国士の面目にしか過ぎないのだが。

その藩も、大政奉還で、時代が明治になるや、廃藩置県という面倒な区割りで(これも、正確にいえば、いったん藩と公称したものを県にいいかえたということなのだが)、たとえば、愛知県の場合、かつて織田信長の統治下の尾張と、徳川家康の領地三河だったのが、「愛知県東部・西部」に分けられ、東部は「西三河東部、西部・東三河南部」になり、西部は「尾張東部、西部・西三河北西部・西三河南部・知多地域」と、少々ややこしくなった。さらなるその後の統廃合で、同じ市であるのに、豊田市西部は愛知県西部の西三河北西部に、豊田市北部は愛知県東部の西三河東部に分かれて存在しており、天気予報などラジオで聞いていると、アナウンサーも理解して語っているのかどうなのか、ワカラナイときがある。

「愛知県西部、尾張東部、西三河西部に大雨注意報」といわれて、それが何処なのか、すぐにワカルひとは、よほどの土着民で、流入してきた民にはまったくワカラナイ。愛知県東部(三河)と西部(尾張)の方言も異なっていて、名古屋弁というのは尾張東部(名古屋市の在るところ)の訛りではなく、西部の三河弁に充当するため、尾張のものと三河のものが方言で話をすると通じないのだ。

江戸から明治にかけて混迷したのは、地図の上の区割りだけではナイ。江戸時代、表の社会に生きたものたちの階級も同様で、武士たちも、それぞれの経済情況や世渡りのうまい、へたの善し悪しがあり、裕福な大名などは〈華族〉と名乗ったが、多くは商人、警官(警邏・邏卒)、平民となった。しかし、それらはまだ運のいいほうで、のちに暴力団となる博徒の用心棒に身を持ちくずすもの、食い詰めて夜盗(野盗)に、落ちぶれるものも在った。そうして、いわゆる裏のものたち、俗にいう「道中隠密」「御庭番」「忍びのもの」たちの殆どは、郷里にもどって農民となる以外に途はなかった。

廃刀令が実施されたのは明治九年だが、「散切り頭」となると、そのhairstyleがようやく行き渡ったのは明治二十二年の頃で、散切り頭に帯刀というスタイルも、その頃までは存在していた。

腕の立つ、あるいは名のある「忍び」たちは、その技を活かして、盗人の一味となるものあり、あるいは、政府の諜報活動や、要人暗殺の仕事を引き受ける者になるものもあった。これは、兵法者とも称される剣の達人や武士とて同じだった。

 

この、ほんの刹那の錯綜の時代、この剣戟(チャンバラ劇・・あるいは伝奇時代劇)は、そんな時代の物語である。

 

 

一、始鍔鳴闇夜(つばなりやみよのはじまり)

 

夕刻から葉ぶりの飛沫のように降り始めた雨が、夜半には本降りになり、常夜燈の無い裏路地などはなおさらに陰鬱さを増して、深い闇に支配されていた。

その闇だまりを選んだかのように、紺色の着流しに陰陽勾玉の巴紋を羽織って、やや長髪を、ままよに垂らした武士がひとり、番傘片手に雪駄で歩いている。番傘であるからには、宿屋の借り物の唐傘(宿屋の傘には番号がふってあるので、これを番傘というようになった)ゆえ、どうやらその宿への還り道とみえるのだが。

 しばしの早足が突然に、止まった。微動だにせぬまま、番傘の侍は闇を視すえて、その先に感じ取った気配にこう、語りかけた。

「この雨で、月の明かりもナイ闇だ。おまけにここは野良猫一匹通らぬ裏の路地、人通りはナイときている。さて、と、拙者の声が聞こえたなら、もうそろそろ出てきたらどうだ。せっかくの、雪駄を濡らしての、この回り道、無理に選んだ甲斐がナイ」

漆黒の暗闇から、それに応える声がする。

「尾けていることはお察しと推してはいたが、やはりそうでござったか。お手前、楠木右近どのでござるな。またの名を鍔鳴り右近、おんし、それにマチガイはござらぬなっ」

 声は荒んでいる。少々、虚勢を張っての胴間声だからだろう。むろん、姿はまだみえぬ。

「マチガイはナイが、拙者が楠木右近であればどうするつもりだ。と、訊くのは野暮か。といって、何か土産でも頂けるのか、と、戯れて、訊くワケにもいかぬしな」

「それがし、由(ゆえ)あって名乗ることは出来もうさぬ。どうか、ご容赦賜りたい。とは申せ、もとより、そこもとに遺恨のあるものでもござらぬ。全ては、甲斐性なき、それがしの手付きのためとお察し下され。ご勘弁、願う」

「武士の時代は遠に終わったとおもうが、そんな時代に食い詰めて、侍の魂までも溝に棄てたというワケか。しかしなあ、おぬしの糊口のために斬られてやってもよい、などという命の余裕はあいにく持ち合わせがナイのだ。命というものは、ひとりに一つ。その命、おぬしも、タイセツにされたらどうだ」

 右近と呼ばれた番傘の武士は鬢を撫でる。

「無念ながら、切羽詰まってござるゆえ」

 という返答とともに、たしかに〈食い詰めた〉風体が襤褸の着物を身につけている、といったふうの無精髭が顔を出した。

 もちろん、暗闇が支配の中のことゆえ、よほどの目利きでナイ限り、その姿を捉えることは出来ないのだが。

 それを観るに、番傘のほうは憐憫の眼差しを視線に交えたが、

「手付きが切羽詰まって、今度は抜き身で切羽詰まらせる気でいると、そういうことか」

 その不敵な語気は静かに発せられてはいるが、相手を圧して衰えない。

「申し訳ござらぬが、お命、頂くっ」

 もはや、待ってはいられぬ。かのように、無精髭は鯉口を切った。

「さて、そう上手くいくかな。拙者と切羽を詰まらせたものは、古今東西、未だにひとりもおらぬことをご存知の上か」

 番傘のほうは、奇妙なことをいって、腰のものに右手の手首を乗せた。

「噂に聞く、貴公の剣法、秘剣鍔鳴りのことでござるな。刃を交えることなく、ひとを斬ると聞いておるが、もし、冥途の土産になるのなら、拝見させて頂こう」

 無精髭のほうも、あながち強がりではなさそうで、それなりに腕におぼえはあるとみえる。

「冥利につきるが、この闇に雨では、さて、それが視えるかどうか」

その声に怯みもせず、相手は差料を抜いた。スタスタと早足で駆け寄って来る足音がする。

と、チリ~ンと鈴の音がした。

駆け寄った早足の武士は、番傘片手の右近のそばを擦り抜けざまに、一太刀、抜き打ちで胴を逆袈裟にはらったが、いつの間に抜いたのか、番傘片手はそのままに、右近の右手の刀はゆっくりと鞘におさまった。

そうしてまた、チリーンと鈴が鳴ると、無精髭が膝から濡れた路上に沈んだ。破れ袴が鎮座しているようにみえるが、腹部からの出血は雨に流れだしている。

「わからぬ。たしかに一太刀、斬ったと思うたが。何故だ。いつ斬られたのかもワカラヌ。なるほど、秘剣鍔鳴り、恐るべし」

「思っただけではひとは斬れぬ。とはいえ、心配めさるな、急所ははずした。手当ていたせ」

いうと右近、懐から財布を即座に出して、それをまるごと鎮座のままの侍の手前に投げた。 

「残りは手付きにいたさばよい。いうておくが、これを乞食扱いと、間違いめさるな。お主がそこで、腹、かっさばいても、喜ぶものは誰ひとり居らぬはずだ。時代も世も、支配者さへも変わったが、変わらぬ魂もある。それを示されて生きられよ」

「かたじけない。これにて御免」

財布を引っ掴んで拾うと、刺客は腹に手を当てて立ち去った。(つづく)

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