こころの距離はいつも1センチメンタル・8
(8)吉本さんと橋爪さん
橋爪大三郎さんの『永遠の吉本隆明』(2003・初版・洋泉社新書)を再読してみたのは、ともすれば、自分が何を学んできたのか〈疑わしく〉なるからだ。
で、橋爪さんは1948年生まれだから、私より四つ上だが、やはり全共闘世代で、全共闘で、吉本学徒から学問を始めたので、私が劣等生、橋爪さんが優等生という部分を無視すれば、同じ吉本学徒だ。
橋爪さんのこの著作のタイトルからしてワカルように橋爪さんはクリスチャンだ。と、ここでそうことわっておくと、アトアトのことがワカリヤスクなる(はずだ)。
この書籍が出版された頃、吉本さんは存命で、まだ『ハイイメージ論』が連載されていたのではないかとおもう。このホンの内容については、読んだほうが早いし正確だからここでは省略するが、特徴をいうと、橋爪さんは(その学問は)、吉本さんの著作を読んで圧倒されつつも、どうしても繰り込めない理論、論理に疑問を抱き、それを解決するには自分が勉強するしかナイと考えたからで、このあたりも吉本さんの方法論(追求動機)を踏襲しているのだが、この中で「重要な疑問」の三つのうち一つに、ここで触れてみる。
それは、
〇権力がなぜ、悪いのだろう。どうして権力は、最後に消滅しなければいけないのか。
なんだけど、これは、本論以外の「付録」で論じられている。
まず、/どうして権力は、最後に消滅しなければいけないのか/については、これは共産主義の理想的目標の国家の消滅と同じことをいっている。(共産主義では国家権力は消滅する。そのための装置として「国家」は必要とされる・・・この論理については、マルクスとバクーニンのあいだで激しい論争があった。当時はマルクスに分があったが、現在ではバクーニンの・・・このひとはanarchistなんですが・・・論理がみなおされている)。
で、と、問題は/権力がなぜ、悪いのだろう/というところに、ほんとうはつきている。
こうかんがえると、では「権力とはナニか」に踏み込まねばならない。
つまり、くだいていってしまえば、橋爪さんには「良い権力だってあるんじゃないか」という信条・心情があるのだから。(だって、クリスチャンですからね。〈神〉に対しては、たとえ無教会主義者であろうと、主従の関係で、〈神〉は、まごうことなく「権力」だもの)。
そこで、もっとも「権力」という名で現しやすい「国家権力」というところにまず立ち寄ってみると、こりゃあ、ヤだねえ。この「国家権力」に抗するために日本国憲法が在ることくらいは識っておいたほうがイイ。第九条にしても、国民がその敵と闘うことを禁じているのではナイ。「国権の発動による」戦争を放棄しているのだからナ。日本は「法治国家・・・法がひとを治める」ではナイ。立憲国家で、人権が国家よりも優先しているのだからナ。それを保証しているのが、現状憲法なんだからナ。
ここで、吉本思想の著作『共同幻想論』から、ずばりその〈共同幻想〉の概念を拝借してくるが、たいていのひとは、共同幻想の最高形態が「国家」だとおもったり、或いは「共同幻想=国家」だというふうに錯覚している。そう、それは、錯覚だ。
しかしながら、共同幻想の生まれるところには、たしかに〈権力〉は派生する。この場合は、〈権力〉はその共同幻想のcore(核)に該る。それがあったほうが都合がイイのだ。ここはふつうかんがえられているのとは順序がチガウところだ。core(核)があって、そこに集まって共同幻想が生まれたワケではナイ。
さて、国家は共同幻想ではナイが、共同の何かのシステムにはチガイナイ。従って、ここに〈共同幻想〉が生ずることはあり得る。つまり、権力構造が働くから「国家」なのだ。それに服従するから、それが共同幻想なのだ。
では、と、〈対幻想〉はどうだ。
〈対幻想〉とは、恋愛、つまり〈性〉に対しての幻想だ。さほど考え込まなくても、ここにだって〈権力構造〉は形成され得る。語弊をおそれずにいうと、近代の「イエ」というもの、あるいは、男女の関係における主従関係の如き「男尊女卑」などと称された類のもの。これは「男女同権」なんてコトバがあるのだから、逆によくワカル。
もう一つ。〈個幻想〉はどうだ。
ここにも私は〈権力構造〉がアルとかんがえる。私が私を支配する。逆にいえば、私が私を支配出来ない。これは〈疎外〉というふうにマルクスの自然哲学ではいわれるが、これだって、権力といえるのではナイか。
つまり、〈権力〉は、「共同」「対」「個人」を問わずに働くということだ。
そうなってくると、いちがいにその善し悪しをいうことは不可能に近い。
この「権力」について、生涯(道半ばにして死んじゃったけど)考察を続けたのは、フーコーで、これは橋爪さん(などの)構造主義思想が専門だが、私なんざの頭脳ではとても読解出来るシロモノではナイ(ということがワカルだけは一応ヤッたけど)。ともかくも、フーコーが執拗に「権力」というものと取り組んだ理由は理解出来た。おそらく人類の抱えた、もっとも難しくて重要な「謎」が〈権力〉だ。
果たして、「権力とはなんぞや」。
ぼちぼちと、は、かんがえられるように、ココロの片隅に置いておく。
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