無料ブログはココログ

« 法然-親鸞のかんがえ | トップページ | 色即是空について② »

2017年11月18日 (土)

色即是空について①

「色即是空空即是色とはなにか」というタイトルでもイイのだが、とりあえず、一般的に口にされるのが「色即是空」だけなので、そのようにしてみた。

もちろん、この「色即是空」は『般若心経』に登場するもっとも有名な文言だ。そうしてもっとも誤解されている文言でもある。

何故、誤解されているのかというと、そんなに難しい理由からではナイ。『般若心経』では、この「色即是空」のすぐ後に「空即是色」とある。これは、一見して反復、繰り返しのようでもあるが、そうではナイ。これは「色即是空空即是色」で一文として読まなければ、何の意味もナイ。また、その読み方を「色(物質)は即ち、是れ空(実体はなく)、空(実体)のナイものは色(物質)である」と読むと、文章としても意味をなさない。これは「空」を、空間概念として読むことによるマチガイで、空間概念としての「空」は、老荘思想の「空」だ。仏教は「何もナイ(実体がナイ)」ことを「無」と表現している。従って、この場合の「空」は、空間概念における「何もナイ」ではなく、時間概念としてのblankと考えなければ、スジが通らない。

読み方を、「色は即ち是、空であり、空は即ち是、色である」という「色=空」の「等号」の使い方で読むとマチガイが起こる。この「等号」は「同等」「等しい」という意味の「=」ではナイ。数式における「=」の意味は十種類以上あるのだ。その中で、この「=」は、次のように読むのが正しい。

「色は即ち是、空と成る、空は即ち是、色と成る」

読み方を換えれば、「生成は消滅となり、消滅は生成となる」。これは『資本論』の基本概念の「生産=消費」と同じことだ。なにかが生成されれば、なにかは消滅し、なにかが消滅すれば、なにかが生成される、ということだ。生産されるということは消費されることであるのが『資本論』ならば、なにかが生成されるということはそこに在ったなにかが消滅することだし、なにかが消滅するならば、なにかが生成されている、よって「不生不滅」なのだ。という読み方が正しい。この読み方に至った読み方をしているのは、『法華経』に傾倒した宮沢賢治と、その作品の『春と修羅(序)』くらいかなあ。

« 法然-親鸞のかんがえ | トップページ | 色即是空について② »

仏教・宗教」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/66057299

この記事へのトラックバック一覧です: 色即是空について①:

« 法然-親鸞のかんがえ | トップページ | 色即是空について② »