ある魂(spirit)
途端にブリキで衆院選挙が始まったが、こういう頭のネジがグラグラするというか、配線が混ぐらがる選挙もめずらしいのではないか。と、おもっていたのだが、どんでん、だ。どんでんになって、まだ棄てたもんじゃナイんじゃナイかとおもわせるようなことも起こってきた。
まず、小池都知事が水洗トイレの水が吸い込まれるような勢いで、「希望の党」をぶちかます。これはたいてい予想されていたとおりのことだったらしい(私は政治政略の専門家ではナイのでそう書いておく)が、次はドン、民進党の前原若親分が、事実上の解党(参議院には民進党はいるから)のごとく、この「希望の党」に身売りする。そこで反前原派とでも称していいのだろうか、この小池-前原のやり方(リベラルの斬り方)に叛旗を翻して、枝野リベラルが「立憲民主党」をおっ建てた。ここでどんでんが起こる。「立憲民主党」を、おそらく必ずしも支持はしていないが、小池-前原は、安倍と目くそ鼻くそなんじゃないかと、「立憲民主党」にツィート応援と、候補者への個人献金が、突然怒濤の如く始まった。これは昨今の政治世界を敷衍するかのように痛快にみえた。そうなのだ。敷衍、つまり、簡単明瞭、単純明快にいえば、そういうことではないのかという、一般庶民の、ある魂の噴出だ。
これは『忠臣蔵』か『高田の馬場』か、はてまた、『鍵屋の辻』か『次郎長三国志』か。とりあえず、まだまだ日本人、棄てたもんじゃナイね。いまは、いまはだが、このどんでんをそうおもう。感情的、感傷的といわれようと、どんでん。
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