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2017年9月 8日 (金)

DVD感想『車夫遊侠伝 喧嘩辰』

 

久方ぶりにtrumpetの練習、しようとナビロフトへの道中。地下鉄のコンコースからエスカレーター、ホームへの途中、ちょうど私の後ろを老婦人二人。私も老人の範疇なんだけどもね。

「怖いでよ。なんにもいわんで、黙ってるほうがええだで」

「恐いナア」

「キレるとかいうんか、ナニされるかワカランでな」

「放っておくのがエエわ」

「幾つになりなさったん」

「上が高二、下が中ニ。恐いときだで」

お孫さんの話をされているのだが、なるほど、いまの世間、世情の祖母と孫というのは、身近なところでも、こんなもんか。

「上はな、チンチンに毛が生えとるんやけど、下はまだやで」

「中ニやと、まだ毛がナイのは、気にしてやるやろな」

私の記憶では、私に陰毛が生じ始めたのは、中一の頃。

「はずみで、殺されてみや、怖いで」

「恐いなあ」

〈恐い〉は客観的な恐怖に用い、〈怖い〉は主観的な恐怖に使う。で、書き分けたが、そういうことではなくてえ、老いたるご婦人が自分の孫のことをこういう日常会話の中に、こういうふうに語り合っているのが、コワイ。

時代かなあ。時代が悪い。国家と国家がゴロメンツしているのだから、倫理も道徳もへったくれもナイんだなあ。孫が祖母(祖父)を殺す。めずらしくなくなった。それはイイとして、いやヨクナイのだが、それが世間話になるということが、世も末、穢土。

 

『車夫遊侠伝 喧嘩辰』(1962、東映、加藤泰監督・脚本(鈴木則文と共同脚本)、原作・紙屋五平、主演・内田良平、桜町浩子)は、加藤泰ファンのみならず、垂涎の掘り出し物、傑作、名作。シナリオは、なんつうか、ここで思いついて書きましたという部分がナイとはいえないが、加藤泰監督の、あの独特のcamera angle には、やっぱり引っ張り込まれる。ともかくも、何がイイといって、内田良平もさることながら、桜町浩子さん(現80歳)がメチャクチャええのだ。このひとお姫さましかやんないのかとおもったら、こういう任侠映画に芸者役で、かつ、辰巳芸者で、その気っ風の良さと美しさ。この映画は、その後、70年代、80年代にブームとなったいわゆる東映任侠路線のcategoryを全て含んでいるところが、また驚き。なんといっても、私、劇作家ですからさまざまな「せりふ」の良さに感嘆。感じて嘆く。三回泣いたワ。クウーッ嗚咽。

こんな男は在るワケナイ。こんな女は在るワケナイ。こんな時代が在ったのかい。在ったんでしょうねえ。映画はillusionではありますが、story展開のこの速度。いまではベタかも知れないが、物語世界の心地良さ。桜町浩子さんも内田良平も抱きしめたいネ。

どんどんどんどん厭世し、花や樹木と語りながらの毎日。Fictionのなかに生きている、セッキョクテキトウヒ、の、きょうこのごろ、世界の終わりが迫っていても、あたしゃ、映画を観てるねえ。ヒト科の中ではチンパンジーより劣るホモ・サピエンス、猫に人生観を教わり、チンパンジーからは演劇を教わる。映画からは死生観かなあ。

ラストシーン、お決まりの一騎討ち、

「おっと、柔術じゃあんたが勝つに決まってる。しかし、ドスじゃ、わからねえ」

と、辰がいって、構えるのは、観るものがみればワカル、相討ちの構えだ。

勝てないのなら、必殺の相討ちだ。

掘り出し物のある限り、草食っても生きよう。

 

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