映画感想『ハローグッバイ』
菊地健雄・監督、萩原みのり、久保田紗友、2017(2016製作)作品。
久しぶりに映画館(名古屋シネマテーク)で映画を観た。とくに何を期待、というワケではなく、ダブル主演の萩原みのりは、2017の夏、シス・カンで初舞台でヒロインを演じているのだが、このときオーディションで残った二人のどちらをとるかで、(このどちらをとるかが、勝負の別れ道だったんだとおもうが)いったん決まった一方をヤメ、演出の「下手なほうで」という選択にproducerも一発賭けたのだが、そのヒロインが、そう、だったからで、なるほど、この映画のcrank
inが2017の初夏とあるから、シス・カンの舞台の前だ。映画ではここまでカメラと監督が撮ってくれるものなのだなあと、初舞台の「下手なほう」の萩原みのりは、とても舞台では通用する技量はなく、それを例によって、演出の「誘導尋問的演出」で鍛えられて、ずいぶん得をしたなあと、まず、そうおもった。
いまの映画はフィルムではナイので、撮り直しに銭がかからないから、時間のゆるす限りのテークが撮れるから、ランスルー、リハーサルを一回で本番となるのだが、かつては、撮影一日のうち一回もカメラを回さない監督もいた。
とはいえ、この脚本はただごとではナイと、ちょうど寺山修司が、井上陽水の『傘がない』を聞いて詩を書くのをヤメル決意をしたのと同じく(そんなにたいそなもんやないけど)、けっこうヤルじゃねえか。とおもいつつ、冗談じゃねえなに変化して、参ったなあに至ったのだが、脚本は加藤綾子になってはいるが、監督とプロデューサとの三人で、ああでもないこうでもないと、かなりの練られたものだとワカッタときにはほっとした。こんなもの、ひとりでヤラレちゃかなわねえよ。
一見、バラバラなものを扱いながら、そのさまざまな波がコヒーレントしていく。Imageでいえば、いろんな波を一本の糸のついた針が貫いて縫っていく、と、そんなふうで、その縫い方のみごとさに、これを私ひとりDVDで観ていたのなら、遠慮なく嗚咽していたとおもう。
つまり、てんでテキトーにみえたもの、が、もたいまさこの老婆登場から糸が締まっていくのだ。混合状態だった量子が純粋状態に移行して、密度matrixをつくり、ついに波束の収縮となる。そんな感じかなあ。
いや、驚きました。この監督、producer、まだまだ日本の映画は健全です。

