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2017年8月

2017年8月10日 (木)

戦略的には正しい

北朝鮮が核弾道ミサイルを研究実験、保持するということは、人道的、倫理的には、もちろん正しいことではナイが、「戦略的」には正しい。「戦争は人道倫理とは関係ナイ」からだ。

北朝鮮のこの戦略は、ものすご~くハッキリとした戦略で、〈対アメリカ〉と、同じ政治的テーブルに着くためには、これしか方法はナイ。これ以外にはナイのだ。

北朝鮮はアメリカ合衆国と戦争がしたいのではナイ。むしろ、「話がしたい」のは北朝鮮の側だ。双方ステゴロで向かい合うことが出来ないのなら、同等の軍事力が必要になるが、とてもじゃナイけど、アメリカの軍事力に拮抗、対峙出来る軍事力を持つ銭なんかナイ。だったら、一足飛びにICBMを所有する(それだけが、アメリカの軍事力と対等になる)他、戦略はナイのだ。キム・ジョンイルは、馬鹿ではナイのだ。ロシアも中国も、いわゆる核保有国というのは、アメリカとの軍事力を対等にするために核を保有しているのであって、それ以外に、核を保有している理由はナイ。以前にもフログに書いたが、ロシアと中国が同盟を結んでも、アメリカの通常兵器(軍事力)とは対等にはならない。アメリカってのは、ほんとにスゴイのだ。

8/9、長崎の日(正式には長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典)、長崎市長は日本も「核兵器禁止条約」への批准を促したようだけんど、23年続けて「核兵器廃絶決議案」を国連で提出し続けている日本もまた、軍事同盟国がアメリカなもんだから、核保有国と軍事同盟の仲である日本は、核保有しているのと寸分チガイはナイ。よって、これは、批准したところで、絵に描いた餅。先述したが、「戦争は人道倫理とは関係がナイ」んだから、〈人道倫理〉を基盤とした「核兵器禁止条約」は現実にまったく効力というものはナイ。批准したら、「で、けっきょく、おまえは鳥か獣か」とコウモリ扱いされるだけでんな。

トランプがいくら大袈裟に吠えても(あれがオバマだったら、ちょっとヤバイけど)、側近がトランプに「北の外道くらいいつでもタマとれまっさかいに、ここは、貫祿みせて、飯でも食うてやったらどないです」と、囁いたら、そんで事は収まるでしょう。

私、個人としては、いっぺんヤッてみたらどないやのココロ。「窮鼠、猫を噛む(食む)」てな諺もあるくらいやから、六十五歳の死に際に、オモロイもんが観られるなと、そら、あんた、日本海側に難民から武装難民まで、押し寄せて、これが自衛隊との戦闘になりまんな。日本海側の砂浜が血で染まるどころか、日本海側の日本の国民も逃げなアカンねんけど、逃げ場があるワケでなし、地震や台風の自然災害とはワケがチガウ。てんやわんやの大騒ぎ。寄り合い酒の一席になるでしょう。必見でんな。

2017年8月 6日 (日)

映画感想『ハローグッバイ』

菊地健雄・監督、萩原みのり、久保田紗友、2017(2016製作)作品。

久しぶりに映画館(名古屋シネマテーク)で映画を観た。とくに何を期待、というワケではなく、ダブル主演の萩原みのりは、2017の夏、シス・カンで初舞台でヒロインを演じているのだが、このときオーディションで残った二人のどちらをとるかで、(このどちらをとるかが、勝負の別れ道だったんだとおもうが)いったん決まった一方をヤメ、演出の「下手なほうで」という選択にproducerも一発賭けたのだが、そのヒロインが、そう、だったからで、なるほど、この映画のcrank inが2017の初夏とあるから、シス・カンの舞台の前だ。映画ではここまでカメラと監督が撮ってくれるものなのだなあと、初舞台の「下手なほう」の萩原みのりは、とても舞台では通用する技量はなく、それを例によって、演出の「誘導尋問的演出」で鍛えられて、ずいぶん得をしたなあと、まず、そうおもった。

いまの映画はフィルムではナイので、撮り直しに銭がかからないから、時間のゆるす限りのテークが撮れるから、ランスルー、リハーサルを一回で本番となるのだが、かつては、撮影一日のうち一回もカメラを回さない監督もいた。

とはいえ、この脚本はただごとではナイと、ちょうど寺山修司が、井上陽水の『傘がない』を聞いて詩を書くのをヤメル決意をしたのと同じく(そんなにたいそなもんやないけど)、けっこうヤルじゃねえか。とおもいつつ、冗談じゃねえなに変化して、参ったなあに至ったのだが、脚本は加藤綾子になってはいるが、監督とプロデューサとの三人で、ああでもないこうでもないと、かなりの練られたものだとワカッタときにはほっとした。こんなもの、ひとりでヤラレちゃかなわねえよ。

一見、バラバラなものを扱いながら、そのさまざまな波がコヒーレントしていく。Imageでいえば、いろんな波を一本の糸のついた針が貫いて縫っていく、と、そんなふうで、その縫い方のみごとさに、これを私ひとりDVDで観ていたのなら、遠慮なく嗚咽していたとおもう。

つまり、てんでテキトーにみえたもの、が、もたいまさこの老婆登場から糸が締まっていくのだ。混合状態だった量子が純粋状態に移行して、密度matrixをつくり、ついに波束の収縮となる。そんな感じかなあ。

いや、驚きました。この監督、producer、まだまだ日本の映画は健全です。

2017年8月 3日 (木)

おわかれですね お姉さん

 

夏の日の白い雲が夕陽に焼けてしだいにあかくなっていく

台所から外にぬける裏口の戸をあけはなって 

あなたはそこに立っていました

まなざしを田園に向けて 背を向けて

あなたが田圃をみていたのか 夕陽をみつめていたのか

みつめているものなどナニモなく

ただ眼をひらいていただけなのか 風などナイのに吹かれていたのか 

あのとき十六歳の わたしには知るスベなどなく

あなたの痩せた背中に 沈黙のことばをつぶやいていただけでした

けれども お姉さん

あなたは 恋に破れたことを負けたと思わず悔やみも憎みも恨みもせず

こういうわかれかたもあるのだと もう泣きもせず

だからよけいに 余命をしらされた カラダの こけた頬だけが痛ましく

二十代の半ばにして 消えていくあなたが悲しくて

わたしは息をすることすら くるしかったのに

あなたの後ろ姿に張りつめたせつなさが それでも冷たくなかったのは

おそらく もうあなたは そこにまぼろしだけを縫いつけて

あなたのたましいは すでにそこにアルのではなく

わたしの心臓をつらぬいて その その 情景を わたしのあらゆる神経と

わたしを流れる すべての血のなかに 溶かしてしまったからだったのですね

 

あんしんしてください お姉さん

あの日 あのときの あなたのあの絵姿は いまでもじゅうぶんに わたしの涙を誘い

記憶の糸を引けば ほほをつたいます

 

あなたは わたしのけはいに気がついて

ふりむくと 少しのあいだ わたしをながめ

なにをおもったか やさしい顔をつくって それがわたしには笑顔にみえた

 

あれから五十年 

あなたを棄てたおとこは すでにその眼を奈落に落としています

ことし七十七の喜寿だというのに 喜びも寿(ひでし)こともなく

生きながら亡者でいます

 

あなたは 勝ったのだと わたしはおもいます

わたしも そんな勝ちかたをしてみたい

ですから お姉さん

きょう あなたと いつものように おわかれをしても

さきほどまでのように もう泣きません

たとえ泣いても 負けません 勝てなくても 負けません

あなたに 笑顔を おかえしいたします

ふりむいて あなたに笑顔を

 

DVD感想『マグニフィセント・セブン』

黒澤明『七人の侍』のリメイク、というよりトリビュート。主役のデンゼル・ワシントン演じるチム・チザム(このひとがリーダー)、リベンジを依頼するヒロインのエマ・カレン(ヘイリー・ベネットが演じる)は、復讐を目的としていることがハッキリしているが、チザムについていく六人の目的は報奨でも、名誉でも、ナイ。ガンマンとしての正義の遂行という大義名分はあるにしても、それが目的というワケではナイ。

要するに〈死に場所〉を求めて、なのだ。それも積極的なものというほどではナイ。「どうせ死ぬなら」程度だ。

劇中チザムは、コマンチ族のレッドと遭遇、一触即発の情況かと思いきや、チザムはレッドにこういう「悪人を退治しにいく。みんな死ぬ」(こんなふう)。これを聞いてレッドは、では自分もと、仲間に入る意志を示す。チザムのコトバを聞いたからには、コマンチ族の誇りとして、黙って立ち去るワケにはいかないからだ。つまり、動機は、みなこんな感触だ。

相手は400人以上のガンマンとガトリング砲。悪党たちというより、傭兵の軍だ。それだけで、同様リメイク映画『荒野の七人』よりもqualityの高いウエスタン・アクションになっている。それはそれで、かなりのオモシロさなのだが、何よりも、私を引きつけるのは、このなんとなくの〈死に場所〉へ向かう妙な気概だな。とくに屹立しているワケでも凛としているワケでもナイ。〈死に場所〉で、まっ、イイか。「男だって虹のように砕けたいのさ」という、潜在的な虚無感。時代は西部劇の時代、アメリカの開拓時代なのだが、充分に〈いま〉の世界の鬱蒼は映画の中に垂れ込めている。

どうしても、私の変なクセで、ガンマンたちが死んでいくところより、最後の晩餐のごとく、ともに飯を食うシーンが印象に残る。それは、黒澤『七人』も同じ。黒澤『七人』はただ、百姓たちの「腹いっぱい白飯を食わす」という条件のみで、侍たちは〈死に場所〉に立った。

いいよね、それで。なんとなく〈死に場所〉で。

 

こんな夏の息苦しさで死ぬのはゴメンだな。「なんとなく」、rear carを止めて、荒野を観ている。

2017年8月 2日 (水)

豆腐難聴

梅雨明け宣言が出たにのに、きょうのようなぐずついた湿りけの日、空気清浄機を使うと、必ず、PM2.5の表示が現れる。PM2.5は直径2.5μm1μm(マイクロメートル)=1mm1000分の1)以下の非常に小さな粒子で、「Particulate Matter(粒子状物質)」のことだ。 成分炭素成分、硝酸塩、硫酸塩、アンモニウム塩のほか、ケイ素、ナトリウム、アルミニウムなどの無機元素などが含まれる。豆腐難聴と直接関係があるワケではナイが、尖閣がどうの、魚釣島がどうのと、いう前に、「中華」と世界の中心を名乗る大雑国(いうておくが日本だって極雑国だ)に対して、つまり、歴史的にユージン・スミスが克明に写真で記録した、「ミナマタ」の状況に在る中国(中毒している国という意味だ。もちろん、人民が共和しているワケではナイので、共和国とは表記出来ない。裏をとったワケではナイが、地方農民は都市に入るのに制限・・というより禁止・・があるんだナ)に対して、てめえんところの空気くらいなんとかしろっ、と抗議してイイんじゃなかろうか、どうなんだ、菅官房長官。「問題ない」のかヨ。

さて、豆腐難聴とは、私ていどの齢になると、どうしても始まるやっかいな難聴で、音は聞こえているのだが、その音をコトバとして意味判別しにくくなっている状態をいう。

私のようにラジオしか聞かないものは、聞き流し(easy listening)していると、「破壊人」なんてコトバが聞こえたり(ほんとは「社会人」なんだけど)する。

聞き流しはまあ、どうでもイイんだけど、邦画をmonitorするときは、ひどいときは三分の一が聞き取れなくて、しょうがなく、パイオニアのheadphoneを購入。ああ、鮮明。しかし熱いなこの耳あて。

トランプ大統領が、対日貿易赤字が689億ドル(約7兆7千億円)だから、輸出肉を値上げするとかで、日本の外食産業は苦しい立場を強いられている。けんどもよう、対中国は3470億ドルの赤字なんだぜ(時事ドットコム・2017/04の記事による)。トランプがこれになんかいうたか。聞いたことねえな。いってるらしいんだけど、だからどうしたで、中国は黙殺。聞こえないワケではナイのだ。聞こえているはずなんだけど、豆腐難聴だからしょうがナイのか。米国にとって、日本は占領地だからな。講和条約なんて屁の突っ張りにもなんねえ。

中国の海洋侵出は目にみえて、やりたいことがワカッテいるので、対応の仕方も抗議も出来るだろうが、ほんとうにオトロチイのは、水面下で進む「帰化侵入」だ。中国人の方々がどんどん帰化して、日本に(具体的にいうと多いのが沖縄なんですけど)侵出してらっしゃる。そいでどうするつもりなのか、豆腐難聴なもんで、聞こえてこない。

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