修行無常
OMS戯曲賞vol.23 感想。
大賞、佳作、選評、選考経過掲載の、いつもの本が送られてきた。
そこで、胆(ハラ)に残ったコトバだけを、失礼ながら無断ながら、転載させて頂く。
乞容赦。
/演劇はほんらい、人間の身体という唯一無二の存在、そして決して「これ」という形では差し出せないけれども、ひとりひとりの中に確実に、かつ豊かに存在しているそれぞれ固有の精神世界というふたつの具体性に依拠した表現です。
演劇こそが、他者を、自分とは別のもうひとつの身体と精神世界をはらむ存在として、入れ子構造の物語の中にではなく、現実世界の中にもっとも深く追い求めることが出来る作業であるということを忘れてはいけないと思います。
内部の「わたし」ではなく外部の「わたし」への想像力を凝らすこと、もって自戒の弁とします/(選評より)
大賞作品『悪い癖』(福谷圭祐)の作品について
/確信犯として×を付けた。三重構造で外部がないことを徹底してやっていて完成度は高い。徹頭徹尾自己言及的で、頭のいい人。世代の越境をやらなきゃいけない。挑発したほうがいいと思い、安易に理解を示さず、一番よくできている戯曲だが、あえて×にした。外部がないのはダメと言い続けないと。愛想よく相手に近づくが本気で対話せず、関心が自分達に剥いている風潮に呑み込まれてしまう/(選考経過より)
/芝居を始めて50年になりますが、若い人の芝居を理解するふりはやめよう、今年からいやな頑固爺になる役割を担います/(同)
すべて、佐藤信さんのコトバだ。キチンと自らの仕事の〈足下・足元〉を観据えた発言だと、感じた。(足下と足元のチガイは、単純には身体下の面積の範囲をあらわすが、この空間性は「精神世界」・・・私は〈心的精神世界〉というふうに用いますが・・・において時間的、情況的に拡張される)
信さんの戦闘宣言と、作品として佳作の『また夜が来る』(橋本健司)だけは、収穫だった。
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