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2017年2月11日 (土)

夢幻の函 Phantom share 29

「ところで、御坊は、蘇生術は知らんかの」

 おんや、口調がうつったナ。

「蘇生術というと、死人(しびと)を生き返らせるバテレン魔術のようなアレか」

「それ」

「やったことはナイが、方法なら一応学んだ」

 えっっっ、

「頭に木の葉を乗せて、アダブカダブラと唱える」

 嘘だろ。

「そんな簡単なものなんですか」

「どんなに難しいことをしても、石ころから金、goldは造れん。錬金術は成功した試しはナイ。しかし、あのフランケンシュタイン博士が造ったmonsterにしても、ようするに、肉のつぎはぎに墓場から掘り出した他人の脳髄を入れただけだからの」

 そういわれれば、そうだけど。

「一度、やってみるかナ」

 曹洞宗三休は、腰をあげた。

 で、レイさんとハルちゃんは蘇生した。

 夢だからナ。そんなもんなんだろう。

「肉体は蘇ったが、魂が抜けたままだ。どれ、では、魂入れをやるか」

 と、御坊は、ご立派な法根を下半身から剥き出しにすると、

「なあに、ちょっと目交(まぐ)あえば、よろしい」

 たしか、菩薩行の中に、そういう修行法もあるとは聞いていたが、いわゆる座位のラーゲで、二人にpenisを、いや、魂をいれなすった。

「生命(いのち)の交わりだからの」

 たしかに、そういわれれば、

「では、拙僧は失礼する。どうもケツカッチンでな」

 と、坊さんの姿は、もはや、ナイ。

 のかと思ったら、まだいるんだから、夢だなあ。

レイ・ハルちゃん「私たち妊娠しました」

 と、ザ・ピーナッツのように二人声を合わせていう。これまた夢だからナア。

「あんたかよ、孕ませたのは」

 と、坊主に訊ねたが、

「かも知れぬ」

 涼しい顔すんじゃナイよ。

「なあ、夢みる御仁よ。貴公は、こんなことを書いたな。女とは、

狡猾である。

自己中心的である。

他人の悪口を広めることが何より好きである。

姑息である。

嘘つきである」

 まあ、そう書いたかなあ。

「しかし、それは、みなおまえさんの〈思い〉に過ぎぬ。難しくいうなら〈了解〉というものじゃ。而、了解とはまたおまえさんの〈表現〉に過ぎぬ」

 正体を現したか禅坊主。さっきとは口調も趣もチガウ。

「『この世』というのが何故在るのか、それはワカラナイ。ワカラナイものは考えてもしょうがない。即ち〈不説〉。おまえさんが『この世』というとき、「この」というのはどの「この」か、それはおまえさんの了解において成り立っておるのだ。つまりは、おまえさんの〈表現〉じゃ。〔この世がナンであるのか〕という問いをたてれば、その命題にはおまえさんの表現がすでに含まれておる。了解とは表現と等価だからの。ただ、表現は加速度で変容する。加速度とは、おまえさんとこの世との微分係数をさらに微分して求められるものだからの。それは、現実と虚構の座標系じゃ。座標も接点を通過する線分の傾斜も、おまえさんとこの世との係数だからの。しかしの、表現であれば、変容もするというものじゃ。よって、『この世』をおまえさんがどう表現するかということだけが問題になるだけじゃ。

〔世界(この世)は私の表現であり、私は世界(この世)の表現である〕という、おまえさんの命題は、純粋疎外というものじゃ。この疎外を加速度をもった表現で倒していく。いいかえれば、〔私を表現する、ではなく私が、どう表現するか〕じゃ。つまりは、最後の敵、ほんとうに倒すものが、おのれ自身だと、禅坊主がよく口にするのは、このことだの。人生に勝ちは無い。おのれを倒し、さらにまた倒して、是、人生を倒すと云う。負けても、人生は〈倒せる〉。それが、『この世』における勝負、かつ、菩薩道の修行というものじゃ」

 んで、レイさんとハルちゃんの妊娠は、どうなる「の」。

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