無料ブログはココログ

« 夢幻の函 Phantom share 24 | トップページ | 夢幻の函 Phantom share 26 »

2017年2月 6日 (月)

夢幻の函 Phantom share 25

函館市内は、焦土かと思ったが、そうでもなく、廃墟に近かった。将来はフォーリーになるのかもしれない。木造家屋は殆ど焼け落ちていたが、コンクリート建造物は焼け焦げのままの姿を映画のオープンセットのように晒して、すでに道路はブルドーザーが働いていた。

 燃え尽きた都市。

 しかし、〈この世〉、現世、現実の世界、夢ではナイ世界。ここではナイ世界。そことのチガイは何だ。燃え尽きる前と後だけじゃないのか。

何故〈この世〉というものがあるのか。若き日の釈迦なら当然、真っ先に疑問に思ったはずだ。あらゆる苦しみが存在する世界が何故、存在しなければならないのか。釈迦はとりあえずだが、答を出している。〈穢土〉。しかしてその存在意義は、〈修行〉の場。単純明快、簡潔明瞭だが、それしか在るまい。そう、答えるしか、他、在るまい。〈浄土〉に至る道は遠く、浄土に至ることを目的とした菩薩たちの修行は、すでにその修行自体が目的と同一化している。仏の国土は〈穢土〉の他にあるのではなく、求道そのものの中に在る、と。

まあ、これは原始仏教の答弁ではナイ。釈迦入滅後五百年ばかりアトのサマザマな経典に記されたことばかりだ。ほんとに釈尊がそう考えたのかどうかはワカラナイ。とはいえ、ある程度はそう考えたのだろう。原点がナイと推論もなりたたないからな。アーナンダ(阿難・・・釈迦の説法の旅の世話をした弟子)によると、釈迦は食あたりだか食中毒だかで、死ぬ間際、アーナンダに遺言(いごん)している。「私の教えは、待機説法(対機ともいう)ゆえに、それはその説法、教えを聴くものそれぞれを相手にしての方便ともいえる。よって、私の教え、説法を統一しようなどとしてはならぬ」。

ところが、当時の最大派閥(というか、まあ、最も多く弟子を持っていた釈尊の弟子だった)の長老、マハーカーシャバが「これでは、釈迦世尊の教えはバラバラになってしまう」と、〈結集〉なんて、統一集会を開催した。全国の阿羅漢よ集まれっ、てな具合だ。アーナンダは旅が長かったので、阿羅漢ではなかったが、ともかく釈迦の述べたことをイチバン多く聞いていたので(多聞第一と称される)、guestとして召還された。

ここで、アーナンダは正直に釈迦の遺言にあったコトバをいってしまう。

「私の滅後に、細かい戒律の条項は廃止せよ」

それでは、仏教は組織としてやってけナイやおまへんか。エライさんたちは慌てたねえ。そうなんだよなあ。仏教もこの辺りから〈権力〉への意思が生じていたのだ。そういうところはキリスト教となんら、変わりはナイ。なにごとも〈権力〉。ニーチェもフーコーもさすがやなあと思いますワ。人間の歴史を権力の歴史として思惟したんだからなあ。

つまり、そうなると、マルクス(正確にはマルクス-レーニン)主義も、ある権力の一時代の思想として切り取れるのだ。

こんなところで、哲学してても、しょうがナイや。〈この世〉の他に世界などはナイ。あるのなら、こんな夢の中だけだ。しかし、これもここも、夢、幻の詰まった函にしか過ぎぬ。

と、ブルドーザが急に作業をやめ、ヘルメットに防塵マスクをつけた作業服の男が降りてきて、私の前に立った。

« 夢幻の函 Phantom share 24 | トップページ | 夢幻の函 Phantom share 26 »

ブログ小説」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/64857912

この記事へのトラックバック一覧です: 夢幻の函 Phantom share 25:

« 夢幻の函 Phantom share 24 | トップページ | 夢幻の函 Phantom share 26 »