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2017年2月

2017年2月20日 (月)

ブルカニロ博士の告白或いは、Document演劇の試み~表現論の実験による証明~

 

二年前から始められた私の「私の表現論」における演劇の実験は、観測した事実において成功したと考える。

此度のavecビーズ公演『And in the End~つまりそういうこと』は、私自身にとってはどういうことなのかというと、現実(演者たちの二年間の楽器演奏習得~document)という微分係数と、虚構(『And in the End~つまりそういうこと』という劇~fiction)という微分係数から求められる関数の方程式(微分方程式)が、[表現]というものを成立させるという、私の表現論を実験(舞台-上演)で証明し、さらに、「世界(此度の場合は演劇による創作が成したところの情況)は私の表現であり、私はその世界の表現の成したところの存在である」という命題をマチガイのナイものとして「証明」した。

これによって、「世界は〔現実それ自体〕で成立しているのではなくまた〔虚構それ自体〕というものが存在するのではナイということが立証されたことになる」コトバをちがえていえば、虚構は現実から産み出されるものだが、虚構はまた現実の存在に強く関与(影響)するということが実証されたことになる。

さらにべつのいいまわしでいえば「実生活を繰り込めない演劇は〔価値〕をもたない。演劇に携わって生きるならば、演劇を実生活に繰り込めない人生は〔意味〕をもたない」ということになる。

これは、経済学とは切り離して考えていい。「食う」ための演劇とは、幾ばくかの銭の取得のcategoryでは論じても無駄だとしかいいようがナイからだ。心すべきは、ここのところに在る。何で食ったってかまやしない。「食うべき」ということが実生活ならば、それが現実ならば、上記の論旨において、それが繰り込めない演劇論などは何の値打ちもナイといっているだけだ。

誤解されると困るので、もうひとこと付け加えておくと、前述の論旨は職能劇団の営為とは何の関係もナイ。もちろん、労働の価値云々はまったく問題にしていない。これは、ず~っと、私自身が課題にしてきた「現実と虚構」についての論考上にある論理以上のナニモノでもナイからだ。その点においては、「なんで演劇をやってるのか」という問いかけには、ハッキリと「食うためです」と応えることは出来る。

もちろん、私のそんな目論見に気付いた観客は一人もいないはずだ。それはアタリマエでイイのであって、観客に向けては、私は『And in the End~つまりそういうこと』という舞台をみせたに過ぎないし、役者、スタッフはその舞台をみごとにやり遂げたということに尽きるからだ。此度の公演は、そういうparallelな構造を持っての上演だったのだが、私は結果として「二兎を追って二兎を得た」ということになる。これは誇ってイイ。私にとっては、僥倖な時間だったと、感謝でイイのだ。And in the End、つまりそういうことだ。

自負と謝意を含め、なにはともあれ一応、書き留めておく。

夢幻の函 Phantom share 37

「これは、あれですね」と、私は感想をいう。

「それは、あれだよ」と、童話作家はなんだかフテる。

レイさん・ハルちゃん「トルストイの『イワンのばか』と旧約聖書の『ヨブ記』の/リミックス/ということですね」

「私も、そう読んだけど」

「そうなんだから、そうだ」

 と、童話作家は私を睨むように、いや、どっちかというと憐れむようにみて、

「あんた、社会不適合者だな。独り暮らしは出来るが、結婚、夫婦生活、家庭、そういものは出来ないんだろ」

 と、鼻で笑った。

 だから、なんだってんだ。

童話作家は、声高にいう。

「わたしゃね、いいたいことぁね、これだけ。あのね、/あんたなんのために生きてんだ、こんなバカバカシイ〔この世〕に/、ね。それはそれ、私自身に突きつけてるアポリアなんだけどね」

 そうして今度はバカ笑いした。

 しかし、私は、この童話作家を軽蔑する。低能だろうと思われる思想を嗤う。

 

 さて、海のほうに向かうか、山沿いにいくか。

 レイさん・ハルちゃん「山は熊いるので、ヤです」

 でしょうねえ。じゃあ、海に向かいますか。

 と、海に向かったが、ひょっとして海に向かって逃げたひとの屍体が浮いてるんじゃなかろうな。と懸念、思案しているあいだに函館の港だ。

 どこへいってもどこでもナイ。あっちがどっちだかも知れない、〔私〕と、孕み女ふたりの旅は、ここから始まるかのようだ。

 

Season1 はここまで。

Season2 は、本年の六月頃始まります。

2017年2月19日 (日)

夢幻の函 Phantom share 36

天国です。

「あのバカのドブには困ったもんだな。二級天使じゃ相手にならんな。まあいいか。そんなことは大天使のわたしにはワカッテいたことだ」

天国のルシフは、昼寝している神ヤハイを起こしました。

「ヤハイさま、出番ですよ。ヒトは弱りはてています。いまこそ、神さまのヤハイさまの偉大さをみせてやるのです」

「そうか、そうだな、そうするか」

ヤハイは、大きなあくびをひとつすると、それから地上近くにおりていきました。 

ドブは、たおれたままです。

「おい、ドブよ」

と、ヤハイは、空いっぱいにとどろくような声でドブの名をよびました。

「オレをよぶのはだれだ」

「わしは、ヤハイという神だ。よく聞くがよい、この世界をつくったのは私だ」

「そうかい。けれども、この田畑はオレがつくったよ」

「こんな田畑と、世界とはくらべものにならん」

ヤハイの声はカミナリのようにきこえました。

「田畑がなければ、ヒトは食っていけなくなるよ」

「田畑くらいがなんだというのだ。わしは、山を動かすこともできるのだぞ」

「山なんて動かされたら、ヒトは困るだけだ。田畑のほうがタイセツだ」

うーん、こいつはかなり、バカだな。とヤハイは思いました。

「ドブよ、おまえのタイセツなツキを生きかえらせることも、わしにはできる。そうしてほしいか」

「ヒトは死ぬもんだ。せっかくやすらかに死んだのに、ツキはもう生きかえりたくナイにチガイナイ」

「毒へびにかまれて、苦しんで死んだのだろう」

「毒へびにかまれても、熊に食われても、死ぬときは同じだ。みんなやすらかだ。ツキも、さいごのときは、そんな瞳をしていたよ」

ほんとうに困ったバカだな。ヤハイは、舌をうちました。

「お前の父も母も兄たちも、いっしょに生きかえらせてやろう。それから、お前のチカラももとにもどしてやろう」

「そうするなら、そうすればイイさ。そうなったところで、どうなるのか、オレにはワカラナイけどな」

「おまえには、あっというまに木々が千本も伐りたおせる斧をやろう」

「オレは、たかが一本の木を伐るときも、いっしょけんめいにする。なぜなら、木も伐られたくはナイだろうからな。だから、オレの命もやがて土になって、お前たち木々にくれてやるからと、そう思いながら木を伐るんだ。その刃を木にむける斧だって、オレと同じ気持ちにチガイナイ」

ヤハイは少し腹立たしくなってきました。

「ドブよ、おまえは、神のいうことを信じないのか」

「オレはバカだから、神というものがどんなものなのかワカラナイ。ワカラナクても生きてきたから、それでイイのだ」

「あらゆる苦しみをとりのぞき、死ぬことのナイ命すら、おまえにやるといっているのだ」

ヤハイの声は天にも地にもひびきわたりました。

「オレはバカだが、生きるのは苦しいものだと生きてみてよくワカッタ。それでも生きてこられた。それにヒトは死ぬものだということくらいは知っている。それでも生きてきた」

はなしにならんな。ヤハイは天国にもどっていきました。 

ルシフは、とっくにどこかにすがたをかくしています。

「ああ、たいくつだ。ヒトなどいらないな。いらないものはいらん」

ヤハイは、また、大あくびをしました。 

さて、それから、ドブは最後のチカラをふりしぼってツキを埋めてやり、自分もそのかたわらによこになりました。

そうしてやがて土になりました。

次の年、そこから新しい芽が二つ出て、それは100年ほどで二本の木になりました。

そうして、毎年、それぞれの木にチガウ花が咲くようになりました。

もう、国はありませんでした。ヒトもいませんでした。

田畑はだんだん森にもどっていき、川のせせらぎと、鳥の声が聞こえるだけになりました。

ことしも二本の木には、それぞれの花が咲いています。/

2017年2月18日 (土)

夢幻の函 Phantom share 35

エブの国が、つまりはビブやドブたちの住む国なのですが、しだいに弱々しくなっていることを知り、となりの国が攻め込みました。戦争をしかけたのです。

もう兵隊がほとんど動かなくなっていたので、エブは嫁を置きざりにして、ビブといっしょに逃げ出しました。けれども、帰り着くころに、家は戦火に燃えてしまって、アトかたもなく、父親も母親もとなりの国の兵隊たちのために、命をうばわれてしまっていました。

「やあ、兄さんたちおかえり」

それでもドブは笑顔で、兄たちの帰りをよろこびました。

「ドブ、父さんも母さんも死んだのか」

「ああ、戦争だったからね。しかたがナイよ。でも、父さんも母さんも寿命だったし、それに、ヒトは何処でいつ死ぬかなんてワカラナイもんだよ」

そういって、ドブはエブとビブに山羊の乳をふるまいました。

「田畑がふえたよ。また、いっしょにタネをまこう」

けれども、エブもビブも、なんにもヤル気がしないのでした。

「夢はかなったらオワリだ。けれども欲はチガウ。欲にはキリがナイ。エブ兄さんの夢はほんの少しのあいだだったが、げんじつになった。げんじつになったら、このザマだ。オレの大金持ちになる欲もかなったが、キリがナイというのは、カラダに悪いらしい。どうも苦しくてたまらない」 

そんなときに、となりの国の兵隊たちが、エブとビブをつかまえにきました。ツキはドブにしがみついていました。

となりの国の隊長さんは、それをみて、

「この二人はいいだろう。となりきんじょにきいたのだが、男のほうはちょっとバカで、娘のほうは口と耳が不自由らしい。そちらの二人だけをつれていけ」

それをきいたとたん、まずビブが弱りはてたようすで死んでしまいました。

それからすぐに、エブも、力なく、はててしまいました。

「ちょっとへんだが、死んだものはつれていってもしかたがナイ」 

ドブは穴をほって、エブとビブを埋めてやりました。ツキは兄たちの墓に、どこからか花をつんできて、そえました。それから二人は新しい田畑にタネをまきにでかけました。

すると、ツキのようすがおかしくなりました。

毒へびにかまれたようなのです。

「こんなところに毒へびなんていないはずなのに」

ドブは、いっしょけんめいツキの、てあてをしましたが、ツキはドブをみつめたまま死んでしまいました。 

ドブはしばらく泣きました。けれども田畑にタネをまくことにしました。

そのとき、あの二級天使があらわれました。

「おい、ドブよ、おまえはひとりぼっちになってしまったな」

「いいさ、オレには田畑がある」

「その田畑をたがやす力も、タネをまくチカラも消してやろう」

二級天使がそういうと、ドブのカラダからチカラがぜんぶ抜けて、ドブは、なえてしまい、土の上にたおれてしまいました。

「いいさ、オレはこのまま田畑の土になっていくさ」

2017年2月17日 (金)

夢幻の函 Phantom share 34

「もっと立派なお城が欲しいな」

とエブがビブにいいました。

「そりゃあ、そうだよ。エブ兄さんにふさわしいお城をつくらないと」

ビブは、エブに、国の民から税金をおさめるだけではなく、城づくりのしごとをするように命令すればイイとアイデアを出しました。もちろん、賃金はナシです。そのうえ、城づくりのとき、国の民にビブの経営する弁当屋がつくった弁当を買わせることに決めました。

ビブは大金持ちになってから弁当屋をはじめたのです。もちろん、弁当屋はタイセツなしごとです。しかし、ビブは、税金がお金ではらえない民に米や野菜をおさめさせる命令を、兄の国王エブに出させました。それを使った弁当ですから、タダどうぜんでつくれます。

さて、城の次は宮殿、その次は高い塔、その次は、その次はと、国の民の税金のとりたてとタダ働きがつづいたので、国の民はだんだん、びんぼうになっていきました。

税金の支払いがとどこおってきました。あれこれと、国王のしごとばかりで、米も野菜もつくっている時間が民にはありませんでした。ですから、弁当どころか、兵隊たちの食料も少なくなってきました。

やがて、そっと国を逃げ出す民がふえはじめました。

兵隊たちも、どんどん腹ペコになって動かなくなりました。

 

二級天使がやって来た日、ドブが仕事を終えて家にもどると、父親と母親がしょんぼりした顔で、ろうそくを一本だけたてたテーブルを前にすわっておりました。

「どうしたんだい、父さん、母さん」

父親と母親は、エブとビブと牛と馬がいなくなったことを話しました。

「それは、たいへんなことだ。でも、しんぱいしなくていい。オレが明日から100倍働く。だから、山羊の乳を毎日バケツに一杯飲ませてくれ」

たいせつな商いの品でしたが、父親も母親もドブを信じて、そうすることにしました。

そうすると、ドブは次の日から眠らず休まず、たった十日で、木こり千人分を働いて、新しい田畑になる土地をひらきました。ツキはうれしくてパチパチ手をたたきました。

ドブとツキは毎日、夜明けになると、手をつないでは森にいき、いちばん星が出ると、手をつないで家にもどっってきました。それから父親と母親と四人で、カボチャを食べました。カボチャだけは、農作地でなくても、どこにでも実をつけるべんりな食べ物でした。

ドブはいつも三つは食べましたし、ツキはカボチャのつるを、ちゅうちゅう吸うのが好きでした。

 

このできごとには、天国のルシフもあきれながら、二級天使をしかりつけました。

ヤハイの神さまは、あくびを連発しています。

「ヤハイさま、これから、オモシロクなるのは、これからですよ」

とりつくろってルシフはいいました。

2017年2月16日 (木)

夢幻の函 Phantom share 33

さて、次はドブのところに二級天使はやってきました。

「おい、ドブよ。おまえはたいへんな仕事をしているな。その斧、一本と、木こり千人とを、とりかえっこしてやってもいいぞ」

「そんな木こりが、どこににいるんだ」

二級天使は、ざるにいっぱいの麦わらを差し出して、それをひとつかみ、バラバラとまきました。すると、麦わらは木こり千人になりました。

しかし、

「こんなにおおぜいの木こりを食わせていくことはできない。オレは斧、一本でイイ」

あらららっ、二級天使はちょっとあわてました。しかし、

「食事つきならどうだ」

と、なにくわぬ顔でいいました。

ドブは、しばらく考えていましたが、

「オレは頭が良くないので、千人もの木こりの名前なんかおぼえられない」

と、いいました。

「木こりたちに、なふだ、を、つければどうだ」

「オレは字が読めない」

こいつ、ほんとうにバカだな。二級天使は、木こりたちを消しました。

「じゃあ、そ、そ、そうだな」

と、二級天使はかたわらの娘、ツキをみました。

「このこは、耳と口が不自由なんだろ。それを治してやるぞ」

いくらなんでも、これには反対しないだろう。二級天使はしてやったりの顔です。

ドブはじっとツキをみました。ツキの瞳をみているだけで、二人のココロは通じるのです。

ツキは首をよこにふりました。

ドブは二級天使にいいました。

「ツキは世の中のよくない話なんか、聞きたくナイそうだ。それに、ひとの悪口やうわさをするのもイヤだそうだ」

うえっっっ、困ったヤツだな。

二級天使はしかたなく、出なおすことにしました。

 

「なんだ、やっぱり、たいくつだな」

と、天国では、神のヤハイが大あくびをしました。

「ここからですよ、オモシロクなるのは」

と、大天使ルシフはニタニタ笑いました。

2017年2月15日 (水)

夢幻の函 Phantom share 32

その日の朝ごはんも、トウモロコシのスープと、牛や馬や山羊に食べさせる麦わらを粉にして焼いたパンでした。山羊からは乳がしぼれましたが、それは売り物で、父親と母親は山羊の乳をしぼっては町の市場にそれを売りにいくのが仕事です。

エブは牛を、ビブは馬を使って、田畑をたがやす仕事をしていました。ドブとツキの仕事は少しでも農作地を広げるために、森林の木を伐り、根っこを引き抜き、草を刈ることでした。

ツキはまだ幼かったので、ドブのあとについて、小さな雑草を抜いていました。

 

二級天使はまずエブのところにいきました。ぬかりなく、ちょっとした魔法使いのかっこうをしていました。

「おい、エブよ、おまえは兵士になって、戦争をして国王になりたいというのが夢だったな」

「そうだが、それがどうした」

二級天使はニヤリと笑って、

「では、戦争に必要な兵隊とその牛とを、とりかえっこしてもイイぞ」

「そんな兵隊がどこにいるんだ」

二級天使は、ざるにいっぱいの麦わらを差し出して、それをひとつかみ、バラバラとまきました。すると、麦わらは数千人の兵隊になりました。

「どうだ、ひとつかみで数千人の兵隊、それが、ざるいっぱいだ。これでおまえはいまからその隊長さんだ。この国の城に攻めこんだら、あっというまに、この国はおまえのものだ。そのときは、王様の首はハネてもイイが、お姫さまは生かしておいて嫁さんにすればイイ」

エブはよろこんで、ざるの麦わらと牛をかえっこしました。

そうして二級天使のいうとおりに、その兵隊を使って戦争を起こし、あっというまに国王になりました。

 

次に二級天使はビブのところにいきました。今度は大金持ちのかっこうをしています。

「おい、ビブよ、お前は私のように大金持ちになりたいのだろう。ありあまる金貨と、その馬とを、とりかえっこしてやってもイイぞ」

「そんな金貨がどこににあるんだ」

二級天使は、ざるにいっぱいの麦わらを差し出して、それをひとつかみ、バラバラとまきました。すると、麦わらはすべて金貨になってふってきました。

ビブはよろこんで、馬と、ざるいっぱいの麦わらをかえっこしました。

「それから、いいかよく聞けビブよ。金貨というのは使い切ってしまえばなくなるものだ。おまえは兄のエブの国へいけ」

「エブ兄さんの国って」

「エブは牛と兵隊をかえっこして、たったいまこの国の王さまになったのだ。いまでは兵隊の数は数万人以上だ。ところが、この兵隊たちを食わせていくのには、食料を買う金貨がいる。そこでその金貨を使うのだ」

「でも、使い切ればなくなるっていったじゃないか」

「エブは国王だ。そこで、国の民から税金をとりたてるように命令させればイイ」

「なるほど、そうすれば金貨がなくなることはナイな。おまけにエブ兄さんと助け合って、オレも商売ができる」

ビブは大よろこびでエブのところにでかけ、二級天使のいうとおりにしました。

2017年2月14日 (火)

夢幻の函 Phantom share 31

ドブ記

 

 

ある天国のお昼すぎです。

あんまり神さまがたいくつそうにしていたので、大天使のルシフが近づいてきました。

「ヤハイさま、ずいぶんと、たいくつそうですね」

ヤハイというのは、神さまのなまえです。

「そんなふうにみえるかな」

ヤハイは大きなあくびをしました。

「どうです、このまえつくった、ヒトを使って、遊んでみませんか」

「ヒト、そんなものつくったかな」

「いっしょにつくったじゃありませんか。わたくしたちとよく似たのを」

「そういや、そうだったな。それで、どんな遊びをするんだ」

「試してみるんですよ」

「試すって、何を」

「ヒトが、どれだけヤハイさまのことを信仰しているか、そいつを試してみるんです」

「オモシロイかな」

「そりゃあ、オモシロイですよ」

「じゃあ、やってみるか」

神さまは、目をまんまろにして、わくわくしながらルシフをみつめました。

「で、ナニをどうする」

「まず、遊ぶあいてをえらびましょう」

そういうとルシフは、てきとうに地上に向けて指をさしました。

 

ルシフの指先の地上。そこには、三人の兄弟と、一人の娘と、その父親と母親が住んでいる農作地と小屋のような家と、小さな納屋がありました。

いちばん上の兄はエブ、二番目がビブ、三番目はドブという名で、末娘の名はツキでした。

農作地といっても持っている田畑は少なく、牛と山羊と馬が一頭ずつ、納屋のそばに飼われているのでした。

 

「あのものたちをどう試すのか」

と、ヤハイはルシフにたずねました。

「それは、わたくしの手下の二級天使にやらせます。なあに、ヒトのことですから、わざわいがふりかかれば、すぐにヤハイさまを呪いますし、うらみますよ」

「呪われたり、うらまれたりは、ヤだな」

「いえいえ、そこで救ってやるのです。そうしたら、あのものたちは、また神、ヤハイさまをあがめます」

「なるほど、しかし、そんなことがオモシロイのかな」

「オモシロクするんですよ」

ルシフがたのしそうに笑うと、ヤハイもうなずいて笑いました。

 

ルシフの手下の二級天使が、すぐに兄弟と娘、両親の情報をルシフにしらせてきました。

「兄のエブは、びんぼうな暮らしがイヤで、兵士になって戦争にいき、やがては国王になる夢などをもっています。ビブもびんぼうから逃げて、大金持ちになりたいと思っているようです。ドブとやらは、少しバカのようで、とくに何も考えてはいません。ツキという娘は口がきけませんし、耳がきこえません。父親と母親は、もうなにもかもあきらめています」

「戦争に国王か。それと大金持ちだな。よくもそんな、だいそれた出来もしないことを。しかし夢や望みは大きいほうが、やぶれたときのショックも大きい。ドブというのはバカのようだが、バカはバカなりに欲しいものもあろう」

二級天使はルシフの命令で、地上におりていきました。

2017年2月13日 (月)

夢幻の函 Phantom share 30

「本質(タチ)はどうしようもナイ。しかし、情況は変えていける。要はそのみきわめということかの」

 「の」ばかりだな。

 なるほど、それで夢幻「の」函か。なにがなるほどなのか、なんだかな。洒落にもならんワ。

 比目魚の禅坊主は、そういい残すと、今度こそ、何処かへ去った。

が、さらに、

去りぎわに、

「虹だけは、抱いていくがいい」

 と、最後っ屁だ。

こういうillusionは嫌いではナイけど。

私は、プラトンからアリストテレス、カント、ヘーゲル、シェリング、スピノザ、キルケゴール、ハイデガー、フッサール、マルクス、バクーニン、ソシュール、ウィトゲンシュタイン、フーコーと時系列を追っていって、お復習いし、デリダのデコンストラクション(déconstruction脱構築)までやってくると、なるほど、その考え方は、昨今いわれているsamplingremix というcategoryに置き換えられるナ、と、漠としてバクしていた。貘は夢を食べるというからな。私は私の夢を食っていたのだ。

ほう、虹ね。たしかにありゃあ、そうだワなあ。

 prism、断片化した光を、デフラグする。そういうの、抱いてみたいね。

 

「これだけ焼けると、どっちが北だか南だか、焼けなくてもワカラナイんだけど」

レイさん・ハルちゃん「あちらが小樽、あちらが津軽。海と山の位置でワカリマス」

 林檎のふるさとは、北国の街。トボトボと、孕み女二人を供にに、焼け跡をいく。

 いまだ燻る瓦礫の中に、呆然と立っているのは、誰だろう。

「オレは、これでも童話作家でね。とはいえ、持ち出せた原稿は、この一掴みだけなんだけどナ」

 白髪交じりの長髪はいう。いって、手にしている原稿らしきものを私に差し出した。

「童話作家ね。とすると、これも、作品でござんすか」

「ああ、そうだ。書き終わった頃に、ちょうど家のほうも丸焼けで、オレはこの原稿だけ抱き抱えて、押っ取り刀さ」

「拝読いたします」

2017年2月11日 (土)

夢幻の函 Phantom share 29

「ところで、御坊は、蘇生術は知らんかの」

 おんや、口調がうつったナ。

「蘇生術というと、死人(しびと)を生き返らせるバテレン魔術のようなアレか」

「それ」

「やったことはナイが、方法なら一応学んだ」

 えっっっ、

「頭に木の葉を乗せて、アダブカダブラと唱える」

 嘘だろ。

「そんな簡単なものなんですか」

「どんなに難しいことをしても、石ころから金、goldは造れん。錬金術は成功した試しはナイ。しかし、あのフランケンシュタイン博士が造ったmonsterにしても、ようするに、肉のつぎはぎに墓場から掘り出した他人の脳髄を入れただけだからの」

 そういわれれば、そうだけど。

「一度、やってみるかナ」

 曹洞宗三休は、腰をあげた。

 で、レイさんとハルちゃんは蘇生した。

 夢だからナ。そんなもんなんだろう。

「肉体は蘇ったが、魂が抜けたままだ。どれ、では、魂入れをやるか」

 と、御坊は、ご立派な法根を下半身から剥き出しにすると、

「なあに、ちょっと目交(まぐ)あえば、よろしい」

 たしか、菩薩行の中に、そういう修行法もあるとは聞いていたが、いわゆる座位のラーゲで、二人にpenisを、いや、魂をいれなすった。

「生命(いのち)の交わりだからの」

 たしかに、そういわれれば、

「では、拙僧は失礼する。どうもケツカッチンでな」

 と、坊さんの姿は、もはや、ナイ。

 のかと思ったら、まだいるんだから、夢だなあ。

レイ・ハルちゃん「私たち妊娠しました」

 と、ザ・ピーナッツのように二人声を合わせていう。これまた夢だからナア。

「あんたかよ、孕ませたのは」

 と、坊主に訊ねたが、

「かも知れぬ」

 涼しい顔すんじゃナイよ。

「なあ、夢みる御仁よ。貴公は、こんなことを書いたな。女とは、

狡猾である。

自己中心的である。

他人の悪口を広めることが何より好きである。

姑息である。

嘘つきである」

 まあ、そう書いたかなあ。

「しかし、それは、みなおまえさんの〈思い〉に過ぎぬ。難しくいうなら〈了解〉というものじゃ。而、了解とはまたおまえさんの〈表現〉に過ぎぬ」

 正体を現したか禅坊主。さっきとは口調も趣もチガウ。

「『この世』というのが何故在るのか、それはワカラナイ。ワカラナイものは考えてもしょうがない。即ち〈不説〉。おまえさんが『この世』というとき、「この」というのはどの「この」か、それはおまえさんの了解において成り立っておるのだ。つまりは、おまえさんの〈表現〉じゃ。〔この世がナンであるのか〕という問いをたてれば、その命題にはおまえさんの表現がすでに含まれておる。了解とは表現と等価だからの。ただ、表現は加速度で変容する。加速度とは、おまえさんとこの世との微分係数をさらに微分して求められるものだからの。それは、現実と虚構の座標系じゃ。座標も接点を通過する線分の傾斜も、おまえさんとこの世との係数だからの。しかしの、表現であれば、変容もするというものじゃ。よって、『この世』をおまえさんがどう表現するかということだけが問題になるだけじゃ。

〔世界(この世)は私の表現であり、私は世界(この世)の表現である〕という、おまえさんの命題は、純粋疎外というものじゃ。この疎外を加速度をもった表現で倒していく。いいかえれば、〔私を表現する、ではなく私が、どう表現するか〕じゃ。つまりは、最後の敵、ほんとうに倒すものが、おのれ自身だと、禅坊主がよく口にするのは、このことだの。人生に勝ちは無い。おのれを倒し、さらにまた倒して、是、人生を倒すと云う。負けても、人生は〈倒せる〉。それが、『この世』における勝負、かつ、菩薩道の修行というものじゃ」

 んで、レイさんとハルちゃんの妊娠は、どうなる「の」。

2017年2月 9日 (木)

夢幻の函 Phantom share 28

私としては、レイさんとハルちゃんの蘇生を試みることにする。あれだけの宗教派閥が共生、共有してきた函館だ。どこかで蘇生術の研究をしている輩か族がいるやも知れぬ。と、私は比目魚いた。比目魚じゃねえだろ、閃いただろ。でも、比目魚も焼いて食っちまえ。

 えーと、黒ミサとかやってるとこはござんせんか。山田風太郎さんふうの、怪異な寺社はござんせんか。都筑道夫さんの伝奇小説ふうの屋敷はござんせんか。

 こういうとき、探しているものとはまったく関係のナイものが出没するのも夢の方程式だが、つまり、関数が等号(=)でむすべないということなのだが、比目魚だけは等価形態と相対的価値形態が等合していたようで、比目魚を焼いている雲水くずれ(だいぶんに汚い雲水、だからまあ、逆に信用出来るかも)が現れた。

「坊主が魚なんかを食っていいのかね」

 私は皮肉のつもりで、そう訊ねた。

「魚というても、これは布施だからの。それは拒むことなく受けねばならない。五種浄肉の一つということじゃな」

 なるほど。仏教は方便が多いからな。

 と、思った私のココロを観透かしたかのように、

「方便というのも方便での。釈尊がそれを〈方便〉としたので、ああ、方便かと修行者も信者も思うワケじゃな。しかし、方便が〈法〉ということも釈尊はおみ通しだったワケじゃの。嘘も方便というが、方便は嘘ではナイ。まっこと、うまく出来とるナ、仏教というものワ」

 だいぶんに年季の入っている坊主のようだ。たぶん、禅宗なんだろうけど。

「曹洞宗のくずれ坊主で、三休と申す」

 訊く前に答えた。千眼力とやらの神通力でもあるのかしらん。

「つまり、マルクスの最もアヤシイところは、『資本論』の最初のところ、そうそう、第1部「資本の生産家庭」/第一編 商品と貨幣/、あれね、交換価値形態から貨幣を導き出すところでな、あれは、あたかも、価値形態を等号でむすんでいくことによって、貨幣を導いているようにみえるのだが、実はその逆だ。もともと貨幣という交換価値形態を導くためにやっとることだから、貨幣が導かれるのはアタリマエなんじゃな」

 あるようだな、千眼通。

「マルクスがどれだけ数学とやらに通じていたかどうかは、知らん。しかし、拙僧の乏しい数学理解程度でも、あの等価形態と相対的価値形態をやたらとイコールで並べるのはどうかと思う。とはいえ、そうしないと肝腎の貨幣は出てこないからなあ。交換価値が同じだから、イコールで並べる。そのとき〈交換価値〉には/貨幣に変換したときの価値/というものがすでに含まれている。あれらは、物々交換による交換価値ではなくて、貨幣に変換したら、という前提が秘密のうちに入り込んでいる。ここは狡いのか、マルクスが数学について無知だったのか、その何れかじゃな。ともかくも、あの方程式はアヤシイ」

 ただの千眼通の年季じゃねえな、この坊主。

「まあ、比目魚、食え」

 あっどうも、いただきます。

「それに、マルクスによると、労働それ自体には価値はナイことになっとる。つまりは労働の対象化こそが価値ということだな。ところが、それはそれでマチガッテはおらんのじゃが、そのまんま認めてしまうと、ちと面倒になる。なんとならば、曹洞宗の修行は生活そのものだからな。労働も飯の食い方、つまり箸の使い方ですら修行じゃ。これらに価値がナイといわれては、修行が成り立たん」

 ますますもって、いや、もうマルクスはイイよ。

「まあ、そんなことは拙僧の解きたいことではナイ」

「御坊は、何の答を求めてらっしゃるんでござんしょうか」

 比目魚をご馳走になったので、態度を変えちゃう。

「簡単にいうと、/何故、ゴータマ・シッダールタが彼の苦悩を引っ提げて出家、彼の場合は、王子であるという享楽も家庭も棄てての出家なんじゃが、そうしなければならなかったか/だのう」

 だのう、といわれても、私の堕脳では、ナニをいわれているのかワカラナイ。

「あたかもそれが、運命のように、釈尊自身が否定した因果のように、突発的に、偶発的に、インシデンタルに、だ。誰でもよかったんじゃナイのかなあ。なのに、では、何故、シッダールタだったのか。彼でなければならなかったのは、何故か。そうなると、『法華経』の「如来寿量品」でも信じなければならなくなる」

「曹洞宗は、『法華経』を認めていないんですか」

「そうではナイと拙僧は思っている。『法華経』は要する/修行に分け隔てナシ/というスローガンだからの。開祖、道元の『正法眼蔵』は少なからず、『法華経』の影響がみられるように思う。何処ここということは、劣学の拙僧には指摘は出来んが」

「『法華経』というのは、あの大パノラマ劇場ですね」

「大パノラマじゃが、いうておることは、たった一つだけじゃ。さっきもいうたように/修行すれば誰でも仏になれる/これだけ」

「なんか、ナンかのcatch copyみたいですね」

「『法華経』を記したのは、かなりの智恵者、優れた学僧か、碩学の僧だろう。単数か複数か、拙僧の考えでは複数のものによってかなり意図的に書かれたと思われる。意図的にというのは、仏教の情況における問題をいっきに解決しようという目論見がみてとれるところからワカル。ま、しかし、問題はシッダールタだが」

 うーん、

「それはですね、御坊、こういうことじゃナイんですか」

「どういうこと」

「いっぱいいたんですよ、シッダールタみたいなのが、当時、ゴロゴロと、で、その中で彼が何とか成功したんですよ、悟りとかに。アトのものは全員失敗したので歴史に残らなかっただけ」

「それは、拙僧も、そう考えた。では、何故、シッダールタが成功したのか。こうなると、堂々巡りの自動律、同義反復になってしまう」

 そりゃ、まあ、運命、いや、仏教は運命論じゃナイからなあ。

「因果応報は、釈迦牟尼の考えではナイ。あたかもそうであるように後生が取り違えたんじゃが、さまざまな出来事には、つまり結果には原因が在る、というのはバラモンの考えだ。釈迦牟尼は、それに反撥して、結果にはどんな原因も無いと、こう解いた。つまりラプラスの悪魔の否定を物理学よりも数千年早くみつけたんじゃな」

 じゃあ、あれかい、

「そう、それだね。仏陀の思想は、いまでいう量子力学に最も近い」

 私もエライ夢をみてるな。

「そうすると、」

「そうそう、いわゆる〈縁〉という在って無きが如くのような結びつきじゃな」

 どうも、夢の中まで、私の悪い癖、論理癖、理屈が蔓延ってきそうなので、話題転換することにした。

2017年2月 8日 (水)

夢幻の函 Phantom share 27

 話題を転換する。

「土方さん、そういう考え方はChristianの信仰と矛盾するんじゃナイんですか」

 と、土方、カッカと笑い、

「~さん、ぼくはいま土方ではなく、ブルドーザーを操る、単なる土方(ドカタ)なんだよ。マリアってのは、ほんとうは淫蕩な女でねえ、いろいろローマの男、たぶん、下級兵士だな、これをくわえこんでは悦楽に耽っていたのさ。イエスの父親なんて誰だかワカンナイんで、無原罪の宿りなんて、テキトーなこといってただけさ。そんでもって、ぼくも、そいつにあやかろうと思ってね、俄Christianになっただけさ」

 この話題はたしか二度目だ。

「そういうことをいうと、バチカンから、このブログ小説にclaimがきますよ」

「イエスが生まれたのは、馬小屋だ。干し草の中だ、そこは、淫売には都合のイイ連れ込み宿だったろうな」

 さらにドカタはこんなこともいうのだった。

「干し草の匂いってのは、ある脳内物質を刺激して分泌させるらしい。いわゆる媚薬効果というアレだな」

 そんなことを何処で調べたんだろう。ウィキかな。

「馬のナニが馬並みなのは、って、まあ、アタリマエだけど、どうも干し草にその要因が多々あるらしい」

 つまり、勃起係数を高め、生殖欲をたかぶらせるというのだ。(この場合〈係数〉というのは要するに比率のことだが)。

「土方さん、ドカタになるのはイイけれど、そいで、ここを、この焦土をどうするつもりなんですか」

「ぼくはね、ここに新しい五稜郭を建設するつもりだ。現在の五稜郭は、観光用になって、基地機能はナイ。要塞としては使えない。だからね、新しい要害の建築だ」

「そんなもの造って、それから、また闘うんですか」

「いまの世界は、ぼくの生きていた時代より闘いやすい。何しろ、身分というものがあやふやだ。極端なことをいえば、核兵器はあってもナイのと同じ。戦略核は使えない。中国がやたら台湾を怖がって、南シナ海に基地なんか造ってるのは何のタメか。あそこを原潜と、空母の基地にしたいワケさ。どうしてか、それを解説してみようか。とはいえ、ぼくはこの時代の者ではナイので、混沌、錯綜にしか話せないんだけど」

 てなことで、謙遜はしつつ、ずいぶんと自信があるらしい。聞こうじゃないか。

「アメリカにせよロシアや、他の国々にせよ、だ。空爆なんぞという第二次大戦と同じ戦法、戦術をやってみて、敵、この場合はテロだが、その効果がゼロに等しいことを、ようやっと気付いた。じゃあ、討つ手はあるのか。ナイんだこれが。いまはまだかつての帝国日本軍のように特攻戦術で、テロたちは人間爆弾攻撃をやってるが、これはアメリカ空軍がおこなっているようなドローン空爆にとって変わるだろう。自国にいて他国を空爆しているのとどうよう、遠隔地から、ドローンで原発を攻撃する。攻撃たって原発そのもの、を、ではナイ。原発の電気系統さへ破壊出来れば、原発は脆いということをフクシマは露呈させた。だから、逆に日本の原発は攻撃しにくくなった。テロが、アメリカの属国である日本の原発を攻撃しないのは、二つの理由による。一つは、もちろん、アメリカの属国であることをを哀れんでいるという心情的なものだ。彼らにだって、意地も矜持もあるのさ。飼い犬を殺しても仕方ない。二つ、フクシマの災害に学んで、さすが日本というのは頭のイイ、技術国だ。テロ対策のために原発技術者がやっていることは、防衛省が北に対してやってる地対空ミサイルの配備なんかじゃナイ。あんな命中率の低い兵器は、自衛隊がみせかけに持っているだけだ。ほんとうは、電気系統の隠蔽、秘匿、守秘、防衛なんだ。現在の認可原発の電気系統は秘中の秘というワケで、報道関係に対してもこれを明らかにしない。電気系統は二重三重の堅牢な防御に守られているんだ。発電所が発電所を秘密裏に確保しているという、まるでjokeだな。それじゃあってんで、もし、日本をテロが攻撃しなければならなくなった場合は、いますぐでなくてイイと安気なもんさ。中国が揚子江の河川近くに建造する予定の14基の原発の幾つかの完成を待てばイイ。これは2025年までに8割あたりは終わるだろうといわれてはいるがね。中国は化石燃料による工場運転をなんとかヤメタイんだ。何しろ、北京がガスの中だからな。いまに人民とやらの鬱積した不満は、まさにガス爆発するだろう。そうなるまでに、四川ダム、こいつは世界最大のダムだが、この完成と、原発の建造をもって、北京をガスの街から修復させねばならない。で、ここを攻撃すれば、もちろんドローンでね、日本は放射能汚染で死滅する。中国をヤってしまいたいのなら、四川ダムだけで充分だ。あれを壊せば北京はガスどころか、水の中に沈むからね。だから、中国は表向きにしていないが、やっきになっているのは、このテロのドローン対策なんだ。で、中国のテロ対策というのが、とどのつまりテロに対する経済支援ということで決着した。いいかい、いまいろんなテロ集団に銭をまいているのは、中東の富豪じゃなくて、中国なんだぜ。やたらと中国が中東外交やってるだろ。ありゃねえ、裏のほうが大事でね、テロ集団にロンダリング・マネーを握らせて、相手にするのは米国とロシアだけにしてもらいたいと、そういう外交さ。ついでに対米戦略のほうもいってみようか。南シナ海の人工島には上空に空中レーダー基地が浮かぶだろう。これによって捕捉されたドローンを、人工島に寄港している空母から発艦した戦闘機が打ち落とす。もちろん、空母に積載の空軍機は、空中レーダー基地の守備、防御にもあたる。なんのことはナイ、大事なのは、人工島のほうじゃなくて、その上空のレーダー基地なのさ。さて、原潜だ。現在アメリカ海軍の原潜は、全ての国の保有する原潜を追尾している。セカンド・ストライクを未然に防ぐために。ところで、中国はさすがに殷の時代から戦争しかやってこなかった国だな。有能な軍師がいっぱいいるんだなあ。囮原潜をあらゆる海域に向けて出航させる。米軍もロシアも、ともかくはこれを追尾しなければならない。つまりは無為な努力をしなければならないというワケだ。これじゃあ、中国の一人勝ちのようにみえるだろうが、先般、米国もロシアもEUもそれは承知。ロシアは諜報戦術で、中国の内乱を煽っている。アメリカはフィリピンの首を締めなおして、さらには台湾と経済外交を密にする。さあ、世界がどうぶっ壊れるか」

 気持ちよさそうな演説だ。多少(いや、ずいぶん)の妄想が入っているとしても。

 これはほんとうに土方の作戦披露なんだろうか、夢の中の私の発案なんだろうか。どっちだってイイよ。けっこうオモシロクなってきたから。土方にはドカタをやらせておこう。

2017年2月 7日 (火)

夢幻の函 Phantom share 26

男はヘルメットとマスクをとった。

ありゃ、土方。

「何してんですか」

 もちろん、そう訊ねたのは私だ。

「五稜郭は無事だったよ。さすが要塞はチガウね。とはいえ、立て籠もって闘う相手などもういない。私もそんなつもりはナイ。歴史の上では、私は討ち死にしたことになっているが、それを都合よく、この瓦礫から始めてみるかな」

 何を。

 そんなことにはいっこうに頓着していないようにみえた。

「~さん、女のはなしをしよう」

 と、突然だ。土方さんが、笑いながらそういった。

「えっ、どうしたんです」

「きみは、さきほど女のことを考え考え歩いていたね。難しいことはナイ。女というのは〈おもちゃ〉だ。蔑視していっているのではナイ。祇園の芸妓などは自らそう誇っていってたよ。男はたしかに子供だ。いつまでたっても、そうだ。だから〈おもちゃ〉を欲しがる。そうして、女は〈おもちゃ〉に成りたがる。~よくも、私のことをオモチャにしたわね~と怒る、恨む、という女を描いた虚構があるが、あんなものはウソだ。男が女をオモチャにすることを、女は羨望している。男のオモチャとなって、弄ばれることを悦びにしている。それに気がついていた男は、マルキ・ド・サドくらいかな。彼の作品においても、姉のジュリエットは面白みがナイが、ジュスティーヌは魅力満載だ。つまり、オモチャとして最高のqualityなんだ。だから、私は聖母マリアをオモチャにしてみたんだ」

 それについてはno commentにしておきましょう。

「しかし女性も、お人形を持つじゃないですか」

「ありゃきみ、オモチャではナイ。人形というのは、読んで字のとおり「ひとがた」だ。ひとがたは、男の代用品だ。つまりは子供だ」

 そうなのか。そうなのかな。そうなんだろうきっと。

「ボクは、もてたよ」

 〈ボク〉ね。

 そりゃそうだろう。まだ二十代の美剣士だ。

「遊んだ、な」

 そりゃそうだろ。銭なんかどうでもイイってくらいに玄人だって寄ってきただろう。

「しかし、生活はなかった」

 あたりまえだろ。

「女房にしようとか、嫁にもらおうとか、いえるような生き方じゃなかったからな」

 カッコイイじゃねえの。

「どうせ死ぬのなら、子供が欲しいワ、と、いってくれる女のひとりくらい、いてもよさそうだったが、なかったな」

 ほう、そうですかい。

「つまりね、~さん、女ってのは概ね残酷なもんなんだよ。こっちが遊びなら向こうも遊び、割り切りがハッキリしている」

 そんなもんですよ。

「けれども、ぼくは、ほんとうは遊んでなんかいなかったんだ」

 ほんとかよ。

「男たるもの、跡目が欲しいのに決まっている」

 そういう時代だったからな。

「だから、どんな女にもいってみた。ぼくの子供を産んでくれないか」

 ほーっ、そんなこと、いったんだ。

「そうしたら、どんな女も、歳さん、冗談ばっかり、ほほほほほほっだ」

 あたりまえだ。それをして、残酷は、ナイんじゃないのかな。

「~さん、女という生き物は、函だ。夢と幻の函だ」

 ええっ、そこにつなげるっ。ラストシーンのせりふになっちゃうぞ。

 

2017年2月 6日 (月)

夢幻の函 Phantom share 25

函館市内は、焦土かと思ったが、そうでもなく、廃墟に近かった。将来はフォーリーになるのかもしれない。木造家屋は殆ど焼け落ちていたが、コンクリート建造物は焼け焦げのままの姿を映画のオープンセットのように晒して、すでに道路はブルドーザーが働いていた。

 燃え尽きた都市。

 しかし、〈この世〉、現世、現実の世界、夢ではナイ世界。ここではナイ世界。そことのチガイは何だ。燃え尽きる前と後だけじゃないのか。

何故〈この世〉というものがあるのか。若き日の釈迦なら当然、真っ先に疑問に思ったはずだ。あらゆる苦しみが存在する世界が何故、存在しなければならないのか。釈迦はとりあえずだが、答を出している。〈穢土〉。しかしてその存在意義は、〈修行〉の場。単純明快、簡潔明瞭だが、それしか在るまい。そう、答えるしか、他、在るまい。〈浄土〉に至る道は遠く、浄土に至ることを目的とした菩薩たちの修行は、すでにその修行自体が目的と同一化している。仏の国土は〈穢土〉の他にあるのではなく、求道そのものの中に在る、と。

まあ、これは原始仏教の答弁ではナイ。釈迦入滅後五百年ばかりアトのサマザマな経典に記されたことばかりだ。ほんとに釈尊がそう考えたのかどうかはワカラナイ。とはいえ、ある程度はそう考えたのだろう。原点がナイと推論もなりたたないからな。アーナンダ(阿難・・・釈迦の説法の旅の世話をした弟子)によると、釈迦は食あたりだか食中毒だかで、死ぬ間際、アーナンダに遺言(いごん)している。「私の教えは、待機説法(対機ともいう)ゆえに、それはその説法、教えを聴くものそれぞれを相手にしての方便ともいえる。よって、私の教え、説法を統一しようなどとしてはならぬ」。

ところが、当時の最大派閥(というか、まあ、最も多く弟子を持っていた釈尊の弟子だった)の長老、マハーカーシャバが「これでは、釈迦世尊の教えはバラバラになってしまう」と、〈結集〉なんて、統一集会を開催した。全国の阿羅漢よ集まれっ、てな具合だ。アーナンダは旅が長かったので、阿羅漢ではなかったが、ともかく釈迦の述べたことをイチバン多く聞いていたので(多聞第一と称される)、guestとして召還された。

ここで、アーナンダは正直に釈迦の遺言にあったコトバをいってしまう。

「私の滅後に、細かい戒律の条項は廃止せよ」

それでは、仏教は組織としてやってけナイやおまへんか。エライさんたちは慌てたねえ。そうなんだよなあ。仏教もこの辺りから〈権力〉への意思が生じていたのだ。そういうところはキリスト教となんら、変わりはナイ。なにごとも〈権力〉。ニーチェもフーコーもさすがやなあと思いますワ。人間の歴史を権力の歴史として思惟したんだからなあ。

つまり、そうなると、マルクス(正確にはマルクス-レーニン)主義も、ある権力の一時代の思想として切り取れるのだ。

こんなところで、哲学してても、しょうがナイや。〈この世〉の他に世界などはナイ。あるのなら、こんな夢の中だけだ。しかし、これもここも、夢、幻の詰まった函にしか過ぎぬ。

と、ブルドーザが急に作業をやめ、ヘルメットに防塵マスクをつけた作業服の男が降りてきて、私の前に立った。

2017年2月 5日 (日)

夢幻の函 Phantom share 24

いやあ、もう、ハルちゃんから、レイさんから、森林警備隊から、頭陀まで、死体が多すぎる。

  死屍累々。これが私の潜在願望なのか。抑圧されてきた無意識領域なのか。しかし、我慢は意地であり忍耐ともいうぞ。ユビキタス(偏在、あるいは変幻自在)だ、諸法無我だ。

 大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)の頃、日本本土に空襲が本格的になってから、庶民大衆は初めて〈戦争〉を肌身で感じた。焼夷弾という、爆裂する爆弾ではなくナパーム弾どうよう、火災を起こすための爆弾で、多くの無辜の人々が炭になって転がり、あるいは艦上から発進した単機戦闘機の無差別掃射によって道端に、いまのいままで世間話をしていたオバハン、オッサンが血だるまになって、庶民大衆はただ「生きる」のではなく「生き延びる」ことの選択を余儀なくされた。もちろん、中には「もう死んでもイイや、どうせ負け戦だ」と、灯火管制の中でじっとしている者だってあったろう。若者は明日は徴兵赤紙なんだからと、ヤリまくったにチガイナイ。乙女子も、同じくヤラセまくったにチガイナイ。半ば本能的に、性欲は亢進し、あるがままの人間性をさらけ出し、坂口安吾の文学など微塵なほどに「生き延びた」のだ。

 とはいえ、銀座をサンダルとスカートで闊歩していた女性も在ったのも事実だ。

「負けんのか、負けたらどうなるんだろねえ」

「アイノコなんて産みたくナイけど、まっ、覚悟しとかないとね」

 ときの政府は、「操の楯とならんっ」と、全国の娼婦を募集して、勝利者米軍のための慰安婦所をわんさか造ったことは歴史的な事実であり、それでもなお、封印されてはいるものの、沖縄をはじめ、あっちこっちで婦女暴行(殺人まであった)事件は勃発したのだ。慰安婦問題、少女の慰安婦像、くそくらえとはこのことで、当の韓国人も敗戦国の婦女子を犯しまくったじゃないか。そんな記録や証拠が何処にある、ナイよ、記録なんて。あるのは事実だけよ。戦争というのは、いつの時代もそんなもんヨ。

 国家の平和のためではなく、てめえの恋人を凌辱から守るために、戦争はヤッチャイカンのヨ。えーか、若者たち。日本は米国の核の傘の下に守られて、平和ボケしてるとかいわれてさ、積極的平和主義とか煽られてさ、それで肩身の狭い思いしてるんだろうけど、この辺りには、幾つかの思い違いがある。

 まず、日本は米国の核の傘の下にいるワケではナイ。北朝鮮などは未だに「核っ」と吠えているが、アメリカ前大統領のオバマ氏が、核軍縮を声高に語ったのには(ノーベル平和賞もらったんだけど)、理由がある。それはね、military balance てのを考えると、たとえばロシアと中国が軍事同盟組んで米国と戦争したとしても、勝敗はやる前にワカッテいるのだ。通常兵器の戦闘において、アメリカはNATOを頼らずとも、ロ中に勝利出来るのよ。トランプ大統領が「一国主義」とか「保護政策」なんてわめいても、米国が孤立することはナイ。なんでかというと、米国がその気になれば、世界征服も軍事的には可能なのよ。しかし、そんな面倒なことやる必要もナイしな。

日本は、この軍事力を銭で買っているのであって、タダで利用しているのではナイ。「核の傘」ではなく「通常兵器」を買ってるの。買ってるというのは体裁としては、ようするに用心棒を「雇ってる」んだけど、悲しいかな敗戦国の身上としては、「守ってやる代わりに居すわるぜ」というシステムなの。あのな、「思いやり予算」なんてのがあってな、その呼称とは裏腹に、いわゆる上納金、みかじめ料みたいなもんで、これが年間に2014年度分でいうと6710億円ヨ。ちゃんと銭払うてんねん。この他に「地位協定」なんてのがあって、ちょっとその一部を具体的にいうと、日本の旅客機は東京上空を飛べないのよ。何故なら米軍横田基地があるもんだから。ANAもJALも迂回して飛んでるのよ。さらにだな、日本という国土は「地勢学」的にいい位置にあるもんだから、米国はここに基地を造り放題で、2015年現在、83カ所の米軍基地があって(うち沖縄県は32カ所。嘉手納だの辺野古だけが問題ではナイ)自衛隊との共用を含めたら132カ所になる。

「核」が何故、在るのか。核保有国というのは何故「核」を保有しているのか。答は至極簡単で、米軍という軍事力に対峙するのは「核」しかナイからなのよね。「通常兵器」での戦争は世界中が束になっても、アメリカには勝てないんだなあ。あのね、北朝鮮程度なら、アメリカは陸海空軍を出動させなくても、海兵隊だけで制圧出来るワケ。まあ、そういうことは戦術的にはやりませんけどね。アメリカ海兵隊の軍事力は、それだけで日本の自衛隊の全兵力と同じだと思ってマチガイありません(もちろん、ほんとをいえば、その軍事力はもっと大きいんですけどネ)

床屋の政談のオワリに余談を一つ。映画なんかによく出てくる空軍のB-2ステルス戦略爆撃機てのは、すっごく高価で、その重量は同量のgoldと同じといわれてまんな。

2017年2月 4日 (土)

夢幻の函 Phantom share 23

茫漠としているうちに、また後ろからさっきの声がした。

「ここからどうやったら、出られるっ」

 と、妙なことを質してきた。振り向くと猟銃を構えた頭陀が立っている。

「誰なんだあんたは」

「俺が誰だかはもう忘れた。眠っているうちに、夢をみていて、その夢が自分の夢ではナイことに気付いたら、迷子になった」

「さっきは、自分の夢だと、そういったじゃないか」

「そうあって欲しいからそういった。これは、ひょっとしておまえの夢か」

 なるほど、黒の女王より錯綜している。

「だったら、どうなんだ」

「これで、お前をぶち抜いて、お前の夢が終われば、俺は現実に帰れるかも知れない」

 なるほど、理屈だな。

「じゃあ、そうしてみろ」どうせ、夢なんだから。

 しかし、夢の中で殺されるというのはどんな気分なんだろ。

 いや、気分というか、いったい何がどうなるんだろ。

 男はtriggerを引いた。

 暴発した。

 頭陀は肉片になって飛び散った。

 まあ、こんなとこだろう。

 こんなところだろうけど、私はこの夢の中の函館の焼け跡で、これから、アリスさながら、さまざまなイロイロと邂逅、遭遇、していくことになる。

20回くらいで終わるかと思っていたが、書き出すとDon Quijote、先行きのことなど考えてナイのだから、無論、夢なんだから、それに編集者や出版社や読者への気兼ね気づかい一切ナシときているので、退屈しのぎにヒジョーによろしい。よって、テキトーなるこの小説は長くなるような予感がする。

 もちろん、殆どはrealfictionの微分係数の構造で描かれている。誇張はあるが、嘘ではナイ。虚構ではあるが、嘘ではナイ。

2017年2月 3日 (金)

夢幻の函 Phantom share 22

「止まれ」

 という声が聞こえた。恐喝的怒声。

 私は無視して歩いた。振り向きもせず。 

「これは俺の夢だ」

 と、その声はいった。

「俺の夢に侵入するな」

 と続けた。

 つまり、アリスにおける位置でいえば黒の女王というワケだ。

「誰の夢でもかまわねえ」

 と、私は応えた。

 私に必要なのは、〈夢みる意志〉だけだ。

 

 夢は砕けて夢と知り

 愛は破れて愛と知り

 友は別れて友と知る

(『古城の月』・阿久 悠)

 

「人生なんてのはね、夢の中で夕立にあうようなものだよ」

 と、言い遺したのは祖母だ。夕立にあうほうがまだマシだよ。

「純情を生きてごらん。ひとには不可能なことが多過ぎると気付くだろう」

 とも、いわれたな。

「聖書を読むよりも、トルストイの『イワンの馬鹿』を読むほうがいいね」

 とも。祖母は偉いよ。

「覚有情とは、満身創痍の菩薩行だよ」

 いい過ぎだぜ、お祖母さん。

「抱くのなら、女より、虹のほうがイイね」 

 どうやって、どうすれば、それが出来るっ。

 祖母は、京都の被差別部落出身者だ。何かコトがあって日本にはいられなくなり、マレーまで逃避行、そこで馬賊時代のハリマオと行動を共にして、日本にもどってからは、近江の豪商の妾奉公を経て、仲居さんに落ち着いた。よろしきもそうでナイのも隔世遺伝しているナア。

 茫漠としているうちに、また後ろからさっきの声がした。

「ここからどうやったら、出られるっ」

 と、妙なことを質してきた。振り向くと猟銃を構えた頭陀が立っている。

「誰なんだあんたは」

「俺が誰だかはもう忘れた。眠っているうちに、夢をみていて、その夢が自分の夢ではナイことに気付いたら、迷子になった」

「さっきは、自分の夢だと、そういったじゃないか」

「そうあって欲しいからそういった。これは、ひょっとしておまえの夢か」

 なるほど、黒の女王より錯綜している。

「だったら、どうなんだ」

「これで、お前をぶち抜いて、お前の夢が終われば、俺は現実に帰れるかも知れない」

 なるほど、理屈だな。

「じゃあ、そうしてみろ」どうせ、夢なんだから。

 しかし、夢の中で殺されるというのはどんな気分なんだろ。

 いや、気分というか、いったい何がどうなるんだろ。

 男はtriggerを引いた。

 暴発した。

 頭陀は肉片になって飛び散った。

 まあ、こんなとこだろう。

2017年2月 2日 (木)

夢幻の函 Phantom share 21

例外があるということは認めるが、その例外とは深い関係になったことがナイので、確かなことはいえないが、

女とは、

 狡猾である。

 自己中心的である。

 他人の悪口を広めることが何より好きである。

というふうに、漫画家の須藤祐実『ミッドナイトブルー』で書いてたな。女性がいってんだから、ほんとうにそうなんだろう。ほんとうにそうだったもんな。そこに、

 嘘つきである。

 姑息である(これは、よく狡いと使い方を間違われるが、その場凌ぎといことだ)

と、付け加えてと、そういや「女は生まれながらにして女優である」てのがあったな。誰がいったのか、記憶にナイけど。ついでにいうなら、貧困のお針子から世界的ナンタラにまでになった、ココ・シャネルは「男は子供だということ、それさへ知っていれば、他に知識は要らない」みたいなことをいってたな。

「女の嘘は勘弁してやれ」というのが、私の先輩、恩人の遺したコトバだったが、「しかし、とり返しのつかない嘘は別だ」と、付け加えた。

最初の勘弁出来る嘘というのは、保身のための嘘で、それが両者の関係に溝をつくるかも知れないという危惧からきている。私の最初の関係者は「私、おでんの中ではコンニャクが好き」という嘘をついた。おでんの中ではコンニャクがもっとも安かったからだ。だから私も「俺は梅干しでビールを飲むのが好きなんだ」という嘘をいった。

その女性の産んだ子供は私の子供ではなかった。しかし、まあ、イイではないか。その子供が18になるまで、育てる決心をして、そんな事情で、私はおそらく〈愛した〉のだと思う女性三人と、憎まれながら別れた。泣かれたね二人には。アトの一人は、どうだったっけ。

二人目の生活者は、私を三年間棄てた。十八年の生活の最初の十年で私は人生の幸福を総て使い切った。残りの八年のうち最後の三年は、私は棄てられた犬だった。でもまあイイか。十年は幸せだったんだから。

三度目は、アトガマをみつけたらしく、ワザと私に嫌われる嘘をついたが、アトガマが思うように崩せず、ヨリをもどしたいと泣いた。けれどもそういう涙を私は最大値で嫌悪する。このひとのいうことヤルことナスことは徹頭徹尾、ハナからケツまで嘘だったんだが、パフォーマンスが上手くて、勘弁してたが(というより騙されているなあと思いつつ赦免してたが)、取り返しのつかないのは、ちょっとなあ。

例外は認めるけども、だ。例外、例外、早く来い。せめて夢の中なんだから、ねえ。

そんな現世、現実世界のことを朧朧と思いながら、私は歩いた。何処へ、黒煙あげる函館市内に無勝手(向かって)。

2017年2月 1日 (水)

夢幻の函 Phantom share⑳

アリスの夢は不思議ではあるが、〔非-条理〕という条理が存在した。たとえば、チェスの枡目を一つ一つ進んでいくといったものだ。しかし、私の夢は〈飛躍〉しかナイ。私は自身の思惟活動の傾向を悔やんだ。夢の中だけではナイ。現世においても、私の思考や意思はともかく飛躍を好んだからな。乱調、「愚は乱調にアリ」、だ。

 とはいえ私は、蹂躙されているレイさんを救おうという気はまったくなかった。何故なら、犯されているレイさんのほうが積極的だったからだ。あの声で蜥蜴喰うかやホトトギスという諺だかなんだかがあるが、あの顔でAVやるのかいまのこは、というのが最近の私の女性不信で、無垢だの純情だの、ましてや清純だのというコトバをいまの女性に求めることはかなり難しい。お産のときの痛みというのは、男ならばショック死するくらいのものらしいが、性交の快感は男性の百倍まであるという説に、私は同意する。男は白目を剥いて射精することなど100%ナイが、女性のorgasmは、白目剥くからなあ。かつて一年ほど付き合った女性に、このひとは何回くらい「イク」のだろうかと、持ち前のおそれ知らずの好奇心だけで、〈実験〉してみたことがあったが、ちょうど8回目の「イク」で、もはや「イク」という発声もなくなり、呼吸困難の様子で白目になって背中に爪を立てられた。「イク、イク」から「シヌ、シヌ」になるというが、ほんとうに死ぬのではないだろうか。ほんとかどうか、最近の性科学では、女性のorgasmの場合、脳に廻る酸素の量が減るらしい。その代わり、脳内物質の分泌が増加して、臨死のときのように快感が増幅されるらしい。ほんとに死んだ例はまだ報告されていないが、悶絶、気絶、失神の類なら多々あるらしい。腹上死というのは男だけかと思っていたが、臨死あたりまでは女性はいくのだそうだ。(ちなみに、男女ともほんとうに死ぬ場合、脳内物質のモルヒネの100倍の強さのなんらかが分泌されるそうで、何故、そんな現象が死ぬ間際におきるのかはワカッテいない)

 そんなことを考えていたので、レイさんは放っておいて、何処となく、私はその場を離れた。と、猟銃の音がして振り向くと、テンガロンの男のひとりの頭蓋が吹っ飛んだところだった。レイさんは無我夢中に猟銃の引き金を引いたらしい。

 アブねえよ。イってる女にそんなもの持たせたほうが悪いよ。

 次の一発は、もうひとりの男が、レイさんの首から上をカボチャのように砕いた音だ。

 夢の中にせよ、潜在する女性がこんなふうに具現することに、私はそんな女性を恨みはしなかったが、自身を呪うことはした。

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