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2017年1月

2017年1月31日 (火)

夢幻の函 Phantom share⑲

翌朝、いつの間に翌朝になったのか、夢だからワカラナイ。夢の中で眠ったのかどうかもワカラナイ。焚き火は消えている。寒くはナイ。熊はまだ座っている。ハルちゃんの食い散らかされた屍が眼前に転がっている。熊だな。食いやがったな。

 衣服はズタズタにされ、肉は引き裂かれていたが、どういうワケかパンツだけは、傍らに無傷のまま、置かれていた。脱いだのか、熊に脱がされたのか。

 と、熊が首を外した。なんだ、着ぐるみじゃないか。

 熊の首がとれて、レイさんの顔が現れた。

「えっ、レイさん、何してんですか」

「この毛皮、かなり温かいワ。だって、」

 と、そのとき銃声がしてレイさんが膝から崩れた。

 テンガロン・ハットを被った男が二人、何処に潜んでいたのか、私のほうに駆け寄って来た。

「我々は、」

 宇宙人じゃナイよな。

「森林警備隊のものです。森林火災や、熊による人間の襲撃を未然に防ぎ、森と人間の安全を守ります。森林警備隊の行動規律第三条の二項において、」

 これは熊ではナイ。着ぐるみだ。観ればワカルだろ。

「大丈夫でしたか。危ないところでしたね」

 熊じゃねえっての。

「いまの季節の熊は、タイヘン危険です」

 だから、熊じゃナイことくらい観ればワカルだろ。

「いまの季節の熊は、平気でひとを食います」

 で、あんたらは、平気で着ぐるみの熊を撃ったのか。

「隊長、こちらのナニカが死んでます」

 もうひとりのほうが、隊長とやらにそういって、ハルちゃんの屍を指さした。ナニカが死んでるというのはどういう表現なのだ。

「おっ、これはっ」

 と、隊長は、ハルちゃんの遺したパンツを拾い上げた。それからちっと匂いを嗅ぐと、すぐさまポケットに仕舞い込んだ。

「この熊はどういたしますか」

「うーん、かなりの熊だな」

 かなりの熊、といういい方も私にはよくワカラナカッタ。

「すぐにでも処理しないとな」

 それからテンガロンの二人はレイさんの着ぐるみを脱がした。例さんは下着以外身につけているものはなかった。

「おお、これはっ」

 なんだっての。

 それからテンガロンたちによるレイさんへの淫行が始まった。

「森林っ」

「森林っ」

「警備隊っ」

「警備隊っ」

「インコー条例、発動っ」

「よおっしぃぃ」

 なんやねんそれ。

 私はこれが私の夢ならば、なんというおぞまししい夢なのかと、そのとき初めて私の夢に嫌悪感を感じた。遠くに目をやると、たぶん函館市内だろう、黒い煙があがっていた。まだ燃えているのだ。

2017年1月25日 (水)

夢幻の函 Phantom share⑱

「ここから奥の山へ行くと、熊が出没します。最近は出没の回数が多いそうです。やはり開発で山の食物が少なくなったんでしょうね」

 と、ハルちゃんはその場にしゃがみ込んで、泣いた。

「熊、かわいそうです」

 ふつうは泣かないよな。しかし、何事もふつうではナイのだ。これは夢なのだから。

 私たちは、鮭を熊のように手掴みで捕らえ、焚き火をして焼いて食べた。かなり大きな鮭だったので、一匹で満腹になった。

いつの間にか星空だ。焚き火と私とハルちゃんと、熊。二人と一匹は焚き火を囲み、星の渦に抱かれながら、えっ、熊っ、熊は余計なんじゃナイの。じっとしてよっと。

じっとしていなかったのは、ハルちゃんのほうで、10センチばかり腰を浮かし、30センチばかり焚き火から離れた。熊を警戒しているのかと思ったが、

「ヤバイですよ。こういうロマンチックな雰囲気、~さん、私のパンツ脱がそうなんて考えてるでしょ。」

 冗談ではナイ。こういう場合、女性のほうから「お誘い」されているというのがいわゆるいうところの「心理」とやらなのだが、何しろ熊がいるのだ。

「むかしね、高校生のときだな。夏休みに無届けキャンプ、つまりキャンプなんかするときは予め学校に届け出なきゃイケナイんだけど、面倒だから、悪友四人で行っちゃったんだ。湖畔でね、夜だ。こんな星空だったな。寝そべった。そうしたら、みんな黙ってしまって、私は妙なことだけど、始まったばかりの夏休みが今夜でオワリになるような、そんな気がしてきた。そうしたら、だ。四人のうちのひとりが、そういったんだ。なんだか、夏休みがオワルみたいやな、と。そうすると、他のものも異口同音に同じことを考えていたと吐露した。不思議だったな」

「寝そべるんですか」

「いや、そんなことをしたら風邪ひいちゃうからな」

「寝そべってる私に覆い被さってきても、パンツ脱ぎませんよ」

 こういうのはいわゆる「心理」として、そうしろといっていることくらいはワカルが、熊がいるんだよ、ハルちゃん。

「私、ジーンズ脱ぎますけど、パンツはダメですよ」

 いや、それはマズイよ。熊が。

 しかし、ハルちゃんはジーンズを脱いでしまった。純白の下着が目前にあって、早く早くといっているようだったが、熊が。

 しかし、据え膳食わぬは(ほんとうは据え膳とは本妻のことをいうのだが)、私はもうほんとうに仕方なく立ち上がった。と、熊が。

2017年1月24日 (火)

『月山』読後感

 

ご当地では日曜日の11時だったか、アットFMで作家の小川洋子さんがpersonalityをやってらっしゃる、ちょっと長ったらしいタイトルなので、いつもそれは聞き逃すのだが、内容は、つまり、小川洋子さんお薦めの読書、一冊。私はかけ流しなので、気にとまったものだけは聞くんだけど、今週は森敦さんの『月山(がっさん)』を途中から聞いて、といっても、しっかり聞いたワケではないのだが、ふと、読みたくなったので、アマゾンの古本マーケットに注文、読んでみた。

これは記憶にある一冊で、というのも、森敦さんが、これで芥川賞を受賞されたとき、六十二才だったからで、そういう年齢のひとも芥川賞って受賞するんだと、当時、そんなことを思ったけど、当時は興味がなくて、読まなかった。

此度、読んでみたくなったのは、なにやら番組内での解説が、生と死についてで、全体、よくワカラナイところが面白いということだったからで、そういうの好みだから。

長編というより、中編に近いものだったから、それに河出書房新社の単行本は活字が大きくて読みやすかったし、読めない漢字はテキトウに読んだから、一日で読めた。

で、やっぱり私は戯曲、劇作のほうに進んで良かったと思った。こういう小説は、善し悪しがワカラナイ。正直にいえば、これは折口信夫(これ、しのぶ、と読みます)の模倣で、とはいえ、圧倒的に折口信夫のほうがオモシロイ。まあ、折口さんはどちらかというと、古典エンタメだからなあ。

リアルタイムで読んでいたら、まったく読後感は変わったろうと思うのだが、この手のcategoryは、すでに日本のcomicに凌駕されていると思う。こういう感触のマンガは、ある程度、いまの日本では量産されていて、かつ質のイイものも多い(はずだ)。

私の読み方が誤読だとして、いうと、『月山』は、オチが悪い。こういうふうに落とす、決着させるか、とガッカリしたワ。それと、これは著者が何十年も放浪生活をおくった経験をもとに書かれているのだろうけど、そういうものは、当人(作者)は実際に目にしてきたものだからスイスイいけるのだが、読者としては、edge(輪郭)の鈍いspotlightの中の像を観るようで、私の脳髄ごとき想像力では、なかなか全体と部分の像が〈美しく〉きりむすんでくれないのだ。スカ屁のような風太郎さんを読んでいるようで、この小説を味わうほど、まだまだ私は成長(成熟)していないようだ。セロファン菊の女にしても、situationの描写とその女との関係の描写が、「おっさん、これは、古い、くさい、安い、の三拍子や」といいたくなるのだ。

これねえ、いっそのこと、近藤ようこさんが、マンガにしてくれたらなあ、と願う次第。

夢幻の函 Phantom share⑰

ある研究によると、約四十億年前に地球という天体がこの宇宙に現れてから、少なくとも、氷河期(アイスボール・ice ballと称されている)を挟んで、二度、火球(ファイアボール・fire ball と称されている)となって、熱エネルギーの第二法則による洗礼を受けて、灰の塊になったらしい。つまりhighballだ。何を意味するかというと、地球というのはこの四十億年に二度、完璧に死滅、灰塵、しているのだ。では、いまの地球とは何か。三代目といことになる。とはいえ、熱エネルギーの第二法則から考えれば、灰の球が、エネルギーを再度取り込むことは不可能だ。そこでこのideaは廃棄されたかというとそうではナイ。灰塵と帰したのは、地球表面だけで、内部のコアあたりには再生可能な熱エネルギーが残存していたのではナイかと訂正された。

 これをどう取り違えたのか、ワザとか、意図的にか、無理やりにか、金星もどうようの状態だったと推定、ここから一気に現状も金星のコア付近には植物が生い茂っているという説があって、これは書籍にもなっているのだが、この珍妙なる学説に興味を持っているのが、なんとまあ、とある植物園の園長なのだ。

 私はその植物園の職員の女性と危機一髪の仲になったことがあって、この女性は結婚すると同時に軟禁状態にされ、ともかくほぼ一年半にわたって、新郎、つまり旦那だな、その男に犯され(いや、結婚していたんだから、合意なんだろうけど)続けられたらしく、結婚当初は処女だったのが、新郎の甘言にいいくるめられて、新郎の複数の友人からも虐待的な性行為を受け、た、という話を軽々と私に語って聞かせたのち、そんなことよりスゴイのは(そんなことよりスゴイことがあるのかと慄然としたが)、金星には植物が存在するのよ、という学説を私に説いて、私たちは赤ちゃんをつくりましょうと、迫られ、あなた、産んで育てるのはタイヘンですよというと、私は産むだけ、育てるのはあなたよ、と、ホテルに連れ込まれ、一晩中、カラダを舐めまわされたが、さあ、ここに入れてと広げられた股間は、そう多くの女性のものは観てはいないのだが、あきらかに、ふつうの女性のものではなく、陰唇の大小から、膣の入り口の区別もワカラナイ、単なる真っ黒な漏斗状態になっていたことだ。私の脳裏には「black hole」というコトバだけが過った。(信憑率30%・・・けっこう高いナ)。

 もちろん、生殖行為は遠慮して、私は脱出した。

  後々、知人の女性に「それは大正解でした。ヤってたらタイヘンでしたよ。女というのは、ちょっと狂ってますから」といわれたけど。

 地球も、ああいうところにチンボツするのではナイのだろうか。

 というような記憶を背負っている間に私たちは何処をどう逃げたのか、川辺に立っていた。ちょうど産卵を終えた鮭が、アトは死ぬだけで泳いでいる。その上をかもめが脳みそを失くしたように飛んでいる。

2017年1月23日 (月)

夢幻の函 Phantom share⑯

「あのね、イエスは私の子供では、」

 ちょっと待った。それはいわないほうがイイ。いや、いわせないほうがイイ。夢とはいえ本来は小説だ。バチカンの三つの封印書の最後の封書はまだ開かれていないが、そこにはイエス出生の秘密と神の国というのは何か、とうことが書かれている。これは死海文書の中から発見されて、長い間、解読(というか復元)されなかった『ユダの福音書』にも書かれていたとかなかったとか、で、最近コンピュータ技術を駆使して、その三分の二までが読めるようになった。もちろん、バチカンは重要なその部分だけを回収して、秘匿。ここで、私がそのことを書くと、手がまわって暗殺されかねない。

「マリアさん、それはイイ。ここは夢の中だから、それより歳さんと一緒に逃げて、海を渡り、Chinggis Khanとなって、」・・・いや、それは出来ないな。

 だったらもう、迫り来る炎の中で焼け死んでもらうか。ジャンヌ・ダルクだ。

 しかし、私とハルちゃんは逃げないと。

 夢の中とはいえ、ハルちゃんが焼死するのを観るのは忍びない。

 ハルちゃんの手を引っ張って外の広い道路に飛び出すと、本願寺一向宗の集団が、坊主を先頭に筵の幟を掲げて後進しているところに出くわした。後進だ。行進ではなく、彼ら烏合の群れは、歩をアトへアトへと向けている。

「歴史逆行、史実変革、南無阿弥陀仏」

 何を唱えてやがんのか。歴史を逆行させられるものなら、一向一揆や天草四郎の島原の乱までとはいわない。唐牛健太郎よりまだこっち、東大安田講堂の時計台までやってくれ。

「えっ、どこさあ~、それっ」

 タクシーの運転手が歯茎を剥いた。何でタクシーなんかひろったんだろ。

「いえっ、いいです。降りますから」

 そうか、ハルちゃんの車が燃え出していたからだ。

 タクシーから降りると、地面に激しい揺れを感じた。

「地震だな。下北半島からこっちへの、火山帯か、活断層が蠢いてやがる」

「沈むのかな」

 ハルちゃんが私の腕にしがみつきながら、森から逃げ出さんとしている小動物のような瞳で、私をみた。

「あのね、日本列島というのは海に浮いているんじゃナイのよ。だからブクブクとはいかないと思うよ」

「~さん、ほら、むかしの日本のあまりオモシロクナイ映画で『日本沈没』というのがあったでしょ」

 あったあった。日本のSF小説の大御所が原作のアレね。原作のほうは400万部以上売れて、原作者が、印刷所の輪転機を止めてくれと、出ないと税金が巨額になるばかりだと、出版社に電話したとか、そういうほんとかウソだかのepisodeがある。

「あのときさ、うちの店のお客さんでね、半剃りの留さんというのがいてね、なんで半剃りなんてあだ名かというと、髭があまりに硬くて、いつも三本shaverを使っても、半分しか髭が剃れないのよ。でね、そのひともその映画観て、お店でこういったのよ。・・・日本沈没なんて怖くはナイよ。怖いのは〈地球沈没〉だよ。そうしたら、マスターが、留さん、地球はいったい何処に沈没するんですかって、笑ったの。そうしたら、留さん、マジメな顔して、そりゃあ、宇宙だよ。あのね、宇宙に沈没すると、何処までいっても底ってのがナイのよ。けれども、いつかは底までいくんだ。そうしたら、その底を突き破って、今度はどうなると思う。ん、ん、ん、・・・マスターもう笑ってなかったなぁ。どうなるの、留さん、そう訊いた。そうしたら留さん、それを考えるの怖いのよ。まあ、たしかにそうよね」

2017年1月22日 (日)

夢幻の函 Phantom share⑮

 しかし、函館の街は燃えている。おそらく火の手は広がって大火になるだろう。ひょっとして私は焼け死ぬのか。私の夢の中で。待てよ、夢の中で夢をみているものが死んだら、どうなるんだろう。夢は終わるのかな。それならそれでもイイような気がしてきた。しかし、

「夢、覚めませんよ」

 と、ハルちゃんが私の肩に手をやって、耳元でそういった。

「覚めないって、どういうこと」

「覚めないんです。ずっとずうっと夢なんです」

 えっ、と、私は半ば白目をむいたのではなかろうか。

「~さんのこの夢は、覚めないんです」

「じゃあ、どうなるんです」

「ですから、ずっと、夢の中です」

「いつまで」

「永遠が終わるまで」

 そのせりふは、他人の戯曲からの盗用じゃナイか。

 ともかく、

「おいっ」

 私は、マリアの乳を吸っている土方に声をかけ、次は声もかけずに蹴飛ばした。

「なんのつもりナンだ」

「だって」

 と、マリアの乳房に念を残した顔を、そう、残念な、だ。土方がそういったのかと思ったのだが、そんな顔をしていったのは、聖母のほうだった。

「オッパイあげたことナイんですもの」

 と、いうと、イエスは、誰の乳吸ったんだ。

「私、子供、産んだことないし」

 目眩がした。それ以外、私に起こるべきことはなかったろう。

あなた、大工のヨセフの妻のマリアなんでしょ。さっきまで向かいの教会の像だった、Maria。

「左様なんじゃナイんですかっ」(左様、と書いて〔そう〕と読む。「あら、左様(そう)なの」と、かつては筆記されたらしい)。

私は鼻がくっつくほど、マリアの顔に接近した。その鼻をマリアが舐めた。

ほんとに夢なんだろうな。メルメスの催眠術だったなんてオチは許さないぞ。そんなもんは、黒沢清が『CURE』で映画にする前に、久生十蘭が『予言』という小説でネタに使ってんだから。あの映画は、起こっていることがメルメスの催眠術によって起こっているのだということさへ、それさへ無ければ、ほんとうに恐ろしい映画だったんだけど、そういう合理的なネタがワカッタところで、興味がかなり減衰した。ヒッチコックの『鳥』のようにすれば良かったのだ。しかし、そうなるとオカシナ不条理映画になっちゃったかな。

目眩の間に、これだけのideasynapsethroughした。

「ハルちゃん、それはそれでイイんだ。それも一興。覚めない夢の中で生きているほうが、ただ目が覚めているだけの日常で生きるよりもオモシロイ。もちろん、ボクにとってはだけども」

 それに、この夢はおそらくAliceの夢と同じだ。私は自分のみている夢の中に進入(或いは侵入)している。

「歳さん、とにかく、ここから逃げましょう。きっと火の手が襲ってくる」

「いや、いいんだ。オレはもう逃げるのはイヤになった。ここで焼け死ぬつもりだ。だからここを選んだんだ」

 本能寺。

そういうことか。

2017年1月21日 (土)

夢幻の函 Phantom share⑭

「そりゃあ、きみ。私はクリスチャンだからですよ。キリシタンじゃありません。ありゃあ、ポルトガル語か何かでしょ。キリシタン、クリスタン、クリスチャン。そんなふうにラテン語が変化したのかなあ。どう思います」

 何にも思わネエよ。土方歳三がキリスト教徒っ。どういう歴史だ。

「~さん、ここはね、人種のドツボなんだよ」

「坩堝でしょ」

「そう、ウツボ、海ん中にいる怖い魚」

 まあイイかと思った。信長が出てきても奇怪しくはナイんだから。

 いや、まあイイということはナイ。

「そりゃ、ちょっと困りますね」私は、やや凄んだ。

「困るってっ」

「土方さんがクリスチャンだということになってしまうと、まるで、storyが展開しているかのようにみえるじゃナイですか」

storyが転回っ」

「展開です」

「あの、徳川三代に仕えたという、存命二百年を経て、影で君臨したという、」

「天海僧正ではありません。私がclaimをつけているのは、土方さんがクリスチャンてなことになると、まるでこれはparallel worldのような世界になってしまうという危惧が生じるからです。いいですか、これは私の夢なんです」

 夢は夢らしく、錯綜し、破綻していなくてはいけない。新撰組一番隊長土方歳三がキリスト教徒で、しかもマリアと密通しているなんて。いや、密通はナイだろうけど。なら、何で、聖母はこんなところでこんなふうにstoryになってしまうのだ。しかし、錯綜して破綻しているのだから、これは夢ではいいのではないかしらん、という気もしてきたが、それを私は奇妙な論理癖で払拭した。錯綜、破綻しているのは〈夢〉でなくてはいけない。いま錯綜と破綻を感じとっているのは私だ。夢の中でもっとも正気なのは夢みている本人であるはずだ。べつに奇妙ではナイ。この論理はしっかりしている。

 と、突然、私の思考を遮るように、マリア(敬称略)が、

「私も、creamはつけてます。ヒアルロン酸入りの、」

 いうと思った、このマリアなら。とはいえ、claimcream、聖母がいってイイような親父gagか。

「親父ガグ、ガグってナアニ」

 gag、なるほど、「ガグ」と読むほうが自然だろう。yかuが綴りに入っていてもよさそうなもんじゃナイか。

 すました顔でマリアは、乳房を出した。何のマネだ。

「お乳の時間なの」

 母子像にでもなるつもりか。神の子イエスに乳を飲まそうというのか。

 そうではなかった。夢なら覚めてくれ。いや、夢なんだよな。

 乳を吸っているのは土方だ。

 とりあえず、私が吸いつくというplotでなくて良かった。

2017年1月20日 (金)

夢幻の函 Phantom share⑬

「どうしましょう」

「しばらく安全な場所で休憩するか。さて、ロシア正教会と、ローマ・カトリック教会と、どっちにほんもののMariaChristがいるのかね、ワトスンくん」

「シャーロック、きみの推理ではどっちなんだ」

Mariaさまに逢いたいのなら、Catholic ということになる。何しろイエスを産んだのはマリアだからな。産んだほうがエライというのが、カトリックのいいぶんだ」

 ところが、どっちも、いやどちら様も、出掛けていると門番長がいう。門番はひとりなのだが、ひとりでも門番長だ。何故なら「きみを門番にする」とmissionしたところ、彼は門番なんかはイヤだとごねたので、「じゃあ、門番長にする」とmissionのコトバを変えたところ、彼はOKしたのだそうだ。

「マリアさんが何処へお出かけなんだろう」

 ワトスンの疑問にシャーロックはすんなり、

「向かいの本願寺というワケではナイだろう。本願寺のもう一つ向こうは確か、本能寺だったね」

「そうだけど」

「じゃあ、そこだ」

「どういう推理なんだ、シャーロック」

「なあに、本能の赴くままに、さ」

 今度は信長か。いくら夢でも錯綜がひどすぎるナ。

「燃えているのはどの辺りなんだろう」

 と、私はハルちゃんに訊ねた。

「パリ」

 そう答えるだろうと思った。

 秀逸なラストシーンだったなあ、あの映画。受話器にHitlerの声だけが聞こえる。

「巴里は萌えているか」字がチガウ。もう巴里は萌えていない。1960年以降、巴里からは有名な画家は現れていない。その理由を真剣に研究している美術史家もいるほどだ。で、その答えには笑ってしまう。

〈おそらく、画家は、みな、食えるように、また、健康になったからだろう〉

 貧しさと疾病は芸術の源泉なのだ。(それと女と、ね)

 ゴッホも生前は一枚の絵も売れなかった。ムンクは健康になってからは絵柄が180度転換し、プロレタリアートの絵ばかり描くようになった。

 とはいえ、信長だろうが何だろうが、マリアさんのいるところに行かねばナラナイ、と思ったのは何故だろう。ワカランが、もう、私たちは本能寺の堂内にいる。

「いやあ、また遭ったネ。官軍の攻撃で、あちこち火の手が上がってるだろ」

 と、いったのは、次のせりふからワカルようになっている。このへんが作者が劇作家たるところだ。

「土方さん、あんた、どうしてこんなところに」

 隣に佇んでいるのは、その装束からワカル。何度も観たワケではナイが、教会ではお目にかかっている。

「どうして、Mariaと土方さんが一緒なんです」

 いくら夢とはいへど。

2017年1月17日 (火)

夢幻の函 Phantom share⑫

「こんな大火は、タイカの改新以来ですよ、たぶん。どうします。突っ込みますか」

「男というのは、突っ込むのが好きなものです。とはいえ、なるべく小火(ボヤ)のところから入って行きましょう」

 そうすると、ロシア正教会と隣り合わせにあるローマ・カトリック教会の坂道、片方に本願寺一向派の本山寺を観る急な坂道、を、下っていかなければならない。

 らしい。地理はよくワカンナイので、ハルちゃんがそういうんだから、

「そこ、降りればいいじゃナイですか」

「ええ、でも、ひょっとすると、火から逃れるためにレミングたちが、その道を塞いでいるかも知れませんよ」

 ハルちゃん、それは、まったく実証されていないんだよ。たぶんハルちゃんは、レミングの集団自殺、動物生態学でいうところの〔密度効果〕のことをいっているのだが、つまり、個体数を調整するためにハーメルンの笛吹だか法螺吹きだかが吹く笛に合わせて、海に集団でなだれ込み自殺をする種が在るという、いまだかって記録には残っているが、誰も観たこと(観測したこと)がナイ伝説を、ハルちゃんはいっているのだ。

「あの、レミングというのはmetaphorですけど」

「あっ、そうなの」

 つまり、そこに避難民やら避難自動車やらが押し寄せているのではナイかと、そう注意を喚起させているワケか。

radioをつけてみて」

newsですか」

「そうそう」

 switchが入る。と、『2001年宇宙への旅』のテーマ『ツァラトウストラはかく語りき』(リヒャルト・シュトラウス)が厳かに鳴り響き始めた。

 函館市の道路は広い。これはかつてやはり大火があって、何処どの大金持ちがポンと寄付金を出して類焼、延焼を防ぐために広くしたもので、その中央を路面電車がいまも走っている。(このかつての大火と何処どの金持ちの寄付と広い道路については、ネットを検索すれば出てくる。だからそのことについての詳細が知りたければ、そういう輩はそうすればイイ)。

 函館に降り立ったもの(というか訪れたもの)が、その街の外観にヒジョーにmentalに反応するのは、条例による夜景を守るための高層建造物の禁止と、広すぎる道路に潜在的な異和感を覚えるからだ。逆に私などは名古屋という広い道路の街を観慣れてしまっているために、この函館の道路の広さに当初は気がつかなかった。夢の中だから、感覚がこんな変な具合なんだろう、程度に思っていた。

 時々ではあるが、水族館を見学して、帰り道に自殺するものがあるという。これはとある水族館の副館長からの裏情報なので信じなくてイイ。

 が、水族館もmental系が弱いひとはココロの辛い日は見学を避けたほうがイイ。これは副館長も私のその提案に同意している。

 函館も同じだ。

 夢の中だ。

 ちょうど自分の夢の中に自分が迷い込んだ、そんな心情に陥る。ましてや、いまその都市は一部を紅蓮の炎が包んでいる。かの道路はハルちゃんのご託のとおり、レミングでごった返している。

2017年1月16日 (月)

夢幻の函 Phantom share⑪

どうしてこんなacademicな話になったのか、ああ、愛だったな。愛ねえ。

「そうだ、ハルちゃん、愛というのは重力のようなものだよ」

 と、口が滑るんだから、夢のおかげだ。

「ああ、そうですね、私もそう思います」

 と、二人はdeep kiss をするのも夢だから。口が滑る、舌が滑る、この連想だナ。

「ああ、ん、重力がっ」

「重力には四十八手があるんです。その一つが重力波です」 

 一句出来た。/シートベルトをしているからといってハンドルを離してはアカン/

 これって、自由律なのかい。どうでもいいけど、カーブだよハルちゃん、いつまでも舌吸ってナイで、ハンドル握って。って、握るところがチガウ。そこは、いやもう、二年近く女体に接していないと、書くことまでfrustrationの発露だ連発だ。これを夢だと誤魔化すとは物書きの風上にも置けない。から、風下へっ、

「ハルちゃん、函館市内は風下って矢印がっ、掲示板に」

「函館はね、色街がナイんです。だから、女子大生が売春するんです」

 その話はレイさんからも聞いた。ここでそれを始めるとloopしてしまう。

「『愛して愛して愛しちゃったのよ』って歌ありますよね」

 ハルちゃん、息が荒い。うーむ、まだくるか。

「マヒナスターズだったか、暇になりなすった、だったかが歌っていました。いや、ここは正確を期しましょう。和田弘とマヒナスターズに田代美代子さんが加わって、これはハマクラさん、浜口庫之助さんの作詞作曲ですよ。あのひとらしい歌だなあ」

「みんな走るんですよね」

 走るって、なんでっ。

「~愛しちゃったのよララ、ラン ラン~ でしょ」

 ああ、そうだ走るのだ。愛すれば走るのだ。run run run runだ。しかし愛を知らぬものも走るのだ。『走れっ、愛を知らぬ子よ』という戯曲もあるぞ。

「愛して愛して愛しちゃったら、もう走るしかナイんですよっ」

 そうだっ、ハルちゃん、きみは正しい。しかし、函館は風下の⇒だよ。そっちに向けて車は走らそうね。

「みえてきました、函館の市内に間もなく、あれっ」

 どうしました、と訊くまでもナイ。燃えているのだ。火事。函館市内だ。かなりの大火だ。

2017年1月15日 (日)

夢幻の函 Phantom share⑩

そんなに驚くほどdrasticな発言ではナイ。法然や親鸞が悟った話など聞いたことはナイ。しかし、彼らにも信念はあった。その信念は何処からきていたのだろうか。信念の根拠。確信の確信。信念おめでとう。ただのドクサ(思い込み)なんじゃねえのぉっ。兵法、剣法じゃないんだからさ、悟りの目録、免許皆伝なんてものはいくらなんでも(ソレがあったらしい)。あんたは悟った、という「御免状」は、室町、鎌倉の時代には発行されていたのだ。さっきからすれ違う車の運転席に座っているのが総て坊主で、デコちんにスタンプで「免」と捺印されていたことはワカッテいる。そんなことを観逃す夢ではナイ。

「しかしね、曹洞宗の道元によれば、というか、これはもう臨済宗でもそうなんだけど、悟りというのは、自分の外にあるものではナイので、悟りというのは、どっかから得るものではなくて、自らの何かを、ナニカ〈が〉かな、つまり、開かれるという、というか、気がつくのかなあ、姿三四郎だって、泥沼の杭につかまって、蓮の花が咲いたとき、柔道とは何かを悟った、てなふうになってますから」

「でも、修行している坊さんは、悟るまでに死ぬ方のほうが多いんでしょ」

 そういわれれば、そうだナ。人間の寿命って100年程度だろ、長生きしても。

「私、法華のひとに聞いたんですけど、というのも北海道はホッケが美味しいからなんですけど、仏陀になったシッダールタとかスッターモンダだったかだって、如来になるまでには天文学的な時間の修行をしてるんでしょ、何十億年の何十億倍の、そのまた何十億倍だって、そのホッケの方がいってましたよ。悟りを開く前にホッケのヒラキ」

「そんなふうに仏典、教典には書かれてますね」

「そんな時間、生きていられたということは、すでにもうその時点で、ソレって人間じゃナイんじゃナイですか。人間わずか五十年は信長でしたっけ。でもいまは精一杯で百年としても、そんな短時間で如来やその前の菩薩にもなれないんじゃナイですか。弥勒菩薩って五十七億年くらいアトに、悟りを開いて人類を救済に来るっていわれてますが、五十億年生きていることが出来るんですか、ソレ。ソレってナンなんですか、その方たち。そんなに生きてるのに、まだ如来じゃなくて、菩薩ですよ。で、やっと悟って何番目かの如来になるんでしょ。どうなってんでしょうね。つまるところ、悟りも成仏も、時間的に常識で考えればヒトには無理なんじゃナイのかなあ」

 drasticだ。というより、ハルちゃんはどうしてそんなに急に頭が良くなったのか。もちろん、それはこれが夢だからだろうけど。

「そこで、ですね、法華経という経文、教典が創られるワケですよ」

「というと、」

「法華経においては、ヒトも菩薩も男も女もみんな仏、如来になれますよと、書かれてあるんです」

「そんな虎の巻というか、アンチョコみたいなお経があるんですか」

 如来(仏)の定義なんてのは、宗派によてチガウからなあ。上座(小乗)では釈迦牟尼仏しか信仰しない。であるのに、他の如来も認めてはいる。

「ほんとうはね、法華経は、小乗だ大乗だ男だ女だ出家だ在家だ菩薩だ声聞だ、と、ごちゃごちゃいってるのに終止符を打つために創られたもののようですね。ところが、これがサンスクリット原典から漢語に訳され、さらに日本語に訳されている間に、その本質はおおかた挫折、頓挫したようです。何故、翻訳されている途上でそんなことになたかというとね、サンスクリット語が読める当時のエライ坊さんが、弟子に口述で法華経を筆記させるんですが、このエライ坊さんも、けっこうな年寄りだったので、記憶が曖昧で、そのうえ、思い出すときに、うーんとか、ああっととか、ええととか、声にするワケです。さらに痰を切るための咳払いやらもオアッとか、ゲロッやらケッやらとかやるでしょ、その音も弟子たちは、何とか漢字にして書き写したんです。で、どうも繋ぎが変だなあという部分は無理やりの意味付けをしたもんだから、すでに漢語訳のところで原典が減点になっちゃったのね」

2017年1月14日 (土)

夢幻の函 Phantom share⑨

島田荘司老師の『水晶のピラミッド』にはまんまとヤラれたが、やられたミス・ディレクションの仕掛けのほうが面白かったナ。真相(いわゆる御手洗探偵の推理)は忘却しているるんだから、つまんなかったんだろう。しかし、あれだけの長編で、なあるほどと感心したのは、何故、ピラミッドの計測にΠ(パイ)が出現するのかという、比較的ちっちゃな謎解きだったワ。

「あのね、そのコト、つまりね、キューブだか陰部だか、ピラミッドだか、そういうコトについては、何れ誰かがお芝居にするから、いいの」

「えっ、お芝居っ」

 ハルちゃんはずいぶん不思議そうな顔つきで、首を何度も横に振っていたが、その仕種は意外に可愛かったので、函館に相撲をとりに来よう、じゃなくて、住もうかナと突発的思考が働いたが、女性と出逢うたんびにそういう飛躍を考えているのは、夢のせいではなく、フロイトの精神分析でいうならば、と、いきなり思考遮断。

「あの、~さん、〈愛〉って信じますか」

 えっ、なんだ、まるでナントカの証人が「あなたは神を信じますか」といってるみたいじゃないか。ハルちゃん、それ唐突。

とはいえ突発に飛躍に唐突と、夢ならではだな。

「愛というと、その、アレはですね、私は愛の行為、営みは信じますが、いや、信じるというか、実感出来ますが、〈愛〉といわれるとつまり、愛というのは、ヒトの外にあるもんじゃナイでしょ」

 ハルちゃんはしばらくfreeze、考えているようだった。たぶん、私にナニを訊かれたのかそれがワカラナクて、そっちのほうを考えていたにチガイナイ。

「ソ、トッ、ソト、ヒトのソト、フクワウチ」

 というと、何のことですか。ハルちゃんの眉間は疑問符を呈していた。

「つまり、例えばですね、〈意識〉って、人間の外にはナイでしょ。中にありますよね」

「それは、脳の中ということですか」

「いや、脳でもココロでもイイんだけど」

「ココロって何処にあるのかな。やっぱ、ハートだから、心臓ですか」

「いやあ、ココロは人間の全体がそうなんじゃないかと、私は思ってますよ」

「えっ、身体中ってことっ」

「いうならば、そうです。部分的にあるんじゃなくて、全部というか至るトコロ」

「~さんって、ほんと不思議な方ですね。うちのマスターのいう通りだワ」

 マスターって誰なのか、ワカラナカッタが、夢だから仕方ない。

「すると、私ってココロですか」

 立派な質疑だ。

「という時もある。でない時もある。いうならばユビキタスかな」

「指切ったす、か」

 私のナニがどうなってるのか知らないが、私は女性のこういう応答に欲情する。いや、感動するにしておこう。

「うっ」

「どうしましたっ」

 何故、呻いたのか、私にもワカラナイ。感動したからだろう。欲情ではナイ。

「いや、ちょっとその、ね。えーと、意識じゃなくて、そうだな。ああ、うん。仏教なんかじゃ、特に禅宗なんかがそうなんだけど、〈悟り〉ってあるでしょ」

「ありますね、聞きますね、悟ったとかどうとか。でも浄土宗とか浄土真宗とかはナイですね、悟りって」

「ああ、それは、あっち系は、他力本願だから、悟らなくてもイイのよ」

「ええっ、そうなんですかっ。悟らなくても坊さんになれるんですか」

2017年1月12日 (木)

夢幻の函 Phantom share⑧

微かに硫黄の臭いが漂っている。夢の中だから、寝屁でもしているのかも知れないけれど。

「噴火山だね」

「でしょ」

車にもどると、運転席にレイさんよりやや年上かなという印象の、ちょっと背が高いかなと印象の、slenderかなという印象の女性が座っていた。

「10ページめになりましたので、アテンダントが交替します」

 と、いいつつレイさんは消えた。夢だから。

「ハルです」

「ハルちゃんですか」

 季節で名前を変えてんじゃナイだろうな。それはそれで、どうでもイイことだけど。ComputerのHAL9000などということはナイだろうから。

「これから函館の街の中に降ります」

 そういえば、函館の周縁を巡っていたが、街中はまだ現れていなかったナ。

「途中、CUBE PYRAMIDS を通ります」

「何です、それ」

「つまり、正四角錐の半分が地中に埋まっている、正八面体なんです」

 つまり、から始まる説明が説明になっていない。知ってるもの、ワカルものには、たぶんこうかなと思惟は出来るが、要するに外見はピラミッドなんだけど、その半分、同じものが地中にあるという、ということなんだナ。と、この説明もあまり上手くはナイが、それでどうした。

「映画の『CUBE』、観ましたか」

 観た。本編中、素数だの素因数分解だの数学が矢のように飛んで来るのだが、整数論なんかをやったものなら、そのインチキ(というか誤謬・・・というか計算ミス)は見抜いたにチガイナイ。私はただ、あの立方体が動くなら、ゲームの玩具ある「ルービック・キューブ」だって個々に動くだろうと、皮肉をいったのは覚えている。むかし、平面で数字を揃えるゲームの玩具があったが、たしか、一枡、空間が(空いてるところが)在ったはずだ。立体にしたって、ツンツンのツン詰まりが動くには、一箱分の空間が必要なはずだ。ルービック・キューブにしても、一個ずつを動かすのは不可能だ。映画では一部屋、つまり立方体一個が動いているという設定だったと記憶しているが、そうするには、どうしても、一個(一部屋)は立方体の外部に出なければならない。何故なら、あの一部屋(何部屋あったか忘れたけど要するに立方体なので)の位置は座標(x,y,z)で現せる。そのままの座標の位相を変えないで(つまり外部に出さないで)部屋が動くとすれば、立方体の中にblankな空間が一個分なければならない。ツン詰まりの立方体を維持したママでは一個(一部屋)ごとを動かすことは出来ないはずで、それでも部屋が動いているとすれば、ツン詰まりではなく、幾つかのくっついた部屋が座標を立方体の中に有したまま、あちこちに動いているとしか考えられないから、

「いくつもpyramidが並んでます。かつては月面にあったのを移築したんだそうです」

 石ノ森章太郎老師の『サイボーグ009』ですよ、それは。

「そういうの、観たくナイから、早いとこ函館の街に行く道はナイの、ハルちゃん」

「ありますよ。でも、メズラシイですね、あれをご覧になりたがらないヒトがいるなんて、初めてです」

2017年1月11日 (水)

夢幻の函 Phantom share⑦

「売春しているのが多いのは、たいてい音大の女子大生。音大ってお金かかるんですよ。といって、ふつうのバイトに時間とられてたら楽器の練習出来ないし、1時間くらいで5万円にはなる仕事が手っとり早いんです。私の知ってるコなんかは、一週間のうち丸一日をArbeit dayにして、一日で50万稼ぎますよ」

 そりゃあ、もう、慰安婦がどうのこうのの世界じゃないな。しかし、アルバイトがドイツ語だとは知らなかった。(Arbeitと、頭文字が大文字になるのよね)

 けれどもよ、戦後、日本に返還だか変換だかされるまでの沖縄の、女性の売春経験率は八割近くあったそうで、これは全女性の80%ということだから、乳幼児や老婦を除外すると、殆どの女性は売って食っての生活だったということになる。夢の中とはいえ、これは事実なのだ。

 しかし、夢なんだから、悪夢はもうイイよ。その大沼湖はまだなのかな。なんでこんな霧が出てんのかな。霧は摩周湖だろ。レイちゃんはいくらで買えるのかな。

 車が急カーブをきって登り道に入ると、霧がはれるとともに視界もはれ、とたんにブリキで、大沼湖が眼前に現れた。カナダかここは、と、行ったこともない外国の風景を突きつけられた。自然の人工湖という、けったいな表現がピッタリな、巨きな庭園に造成されたような湖で、前方にみえる山は頂上付近が欠け飛んでいる。つまりあの欠け飛んだ部分が地上に落下して、そこに雨水や伏流水が流れ込み、この景観が魔法使いの棒を振る瞬間にして、出来上がったというワケだ。

 国定公園。観光地。ゾンビではないけれど、hystericな外国語を日常会話する観光客。ここはもうイイんじゃないの。と、

「そうですよね。じゃあ、噴火山に行きましょう。あの山の裏側です」

 意を察してレイさんはトイレに行った。トイレに目的地の噴火山があるワケではナイ。単純に生理的欲求だ。私もそうしようかと思ったが、夢の中でオシッコなどすると、寝小便になるおそれがあるので、ヤメ。

 くねりくねりと車は山の舗装路を登りつつ、

「あっちにみえる山は山伏の修行の山だそうです」

 たしかに、森林のところどころに祠らしきものが姿をみせている。

「函館に修験道の霊山ありか。何でもアリだな」

「ええ、左の方向には、3万年くらい前に落下したらしい隕石のクレーターもあります」

「UFOの基地は何処にあるんですか」

「それは、反対方向にみえる、」

 そうだよね、あるのね、やっぱり。

「ここが、頂上の展望駐車場です。振り向いてみて下さい」

 一台も車の停まっていないだだっ広い駐車場に車を停めた彼女は、前髪を風にまかせて上着を着込むと、私の肩越しに、それを観た。

 私もいわれたとおりにそれを観た。

 噴火山。

 巨大なセット、いやいまならCG合成かと思えるような、茶色と白と赤色の山肌に、硫黄の煙が数カ所から吹き上がっている、なるほど、噴火山といわれればそのimageのほうがピッタリの風景が出現した。

 出現といっても突然現れたワケではナイのはもちろんだが、忽然として、と、くらいはいってもイイんじゃなかろうか。

「これ、いつからこんなふうに在るんですか」

「さあ、たぶん函館開港以前だと思いますけど」

 そりゃまあそうだろう。しかし、これだけのめずらしい景観が、函館のどんな観光マップにも紹介されることないのは何でなんだろ。その全体を遮蔽物なく展望出来る場所があって、かくのごとく百台は駐車出来る駐車場まであり(それ以外は何もナイんだけど)、噴煙にも似た硫黄の煙を吹き上げている、まるで火星に生命体が発生した年代とも思われる光景(があったかどうかはとりあえず論外として)は、おそらくここ以外、日本ではお目にかかれないものにチガイナイ。

2017年1月10日 (火)

夢幻の函 Phantom share⑥

火山の噴火でどうやったら湖が出来るのか、まったくimageが飛来しないまま、車は海岸沿いから、ghost townのような町の道路に入り込んだ。道を歩く人影がナイ。

「過疎なんです。この町の小学校は来年の新入生はゼロ。あちこちで小学校は廃校になってるの」

「でも、函館でしょ。むかしは青函連絡船があり、いまは新幹線が通ってるはずだけど」

「その新幹線、人気ナイのよ。だってtunnelだけなんだもの。JR北海道の職員募集はいつも定員割れよ」

 まるで人の気配が無いのは、各々の家もそうで、住人がいるのかいないのかすら、判別出来ない。そうだ、

 こういう景色をどこかで観たことがある。ああ、日本海側のほうに旅行したとき、車窓から観た風景だ。あのときは海霧が出ていたから余計にそんなふうだったな。寂れているというか、廃れているというか、あの辺りのひとは、いや、この辺りの人々の生き甲斐というのは何なのだろう。と、突然、真面目(これはマジメと読む。いつだったか、正直な役者が、ある芝居の読み合わせのときにこれをマメンモクと読んで、そいで、他の役者のみなさんが笑うかと思っていたら、真面目に聞いているもんだから、ああ、みなさんもマメンモクと読んでいるんだなあと、深く感じ入って・・・る場合じゃねえぞと憤慨したことがある)な、シンミリになってしまったが、霧の中を走る自動車のハンドルを握っているレイさんは、そのシンミリをチリチリと引き裂いていくように、こんなことをいいだした。(いつ、霧が出てきたのかは、ワカンナイが)

「ねえ、3放世代って知ってますか」

「サンポウ、三方向に向かってんのかい」

「チガイマスよ。恋愛、結婚、出産を放棄せざるを得ない世代のことです」

「ああ、3放棄ね。いや、知んナイね。そりゃ、どうして」

「若者の就職難と、ブラック企業への雇用、過労死への恐怖からです」

 つまり、working poor というアレだな。

「5放世代というのもあるんですよ」

「五つも。何を」

「人間関係とマイホームを放棄せざるを得ない」

 そりゃあ、要するに何なのだ。

「さらにあらゆる希望を諦める、」

 そこから先はもう聞きたくなかった。なるほど、私の親父は下請け工場で働いていたが、何の下請けをするかは決まってなくて、ともかく下請けなのだ。あるときは、農薬をつくっていたし、これは従業員の中に具合を悪くするものがたくさん出たので、業務を今度はビニール製品に変え、このビニール製品の接着剤による具合の悪いものが出てきたので、次は電化製品の部品になり、と、その時々によってイロイロだったが、下請けといっても、ほんとうは孫請けで、〇ンヨー電気の下請け会社の湖南工業とやらの下請けで、しかしこの構造にはさらにまだ下があって、親父は軽トラックに積んだ部品をあちこちの内職家庭に届け、出来上がりを受け取っていた。

「日本が、原爆落とされてから僅か五十年で、瓦礫と焦土に高層ビルまでおっ建てるように高度成長したのは、生き甲斐というより、生きなければ、生きていかなければ、せっかく戦争で生き残ったんだ。生き延びなければ申し訳がたたない。戦争で死んだお隣さんたちに合わせる顔がナイ、と、「一億総〈おしん〉」となって、目刺しだけで飯を食い、焼酎を立ち飲みして働いた結果だということを、」

「身に沁みて知ってる世代なんですね、〇〇さんは」

 〇〇さんというのは私のことだろう。

「ゴメンなさいね、私たち豊かなもんだから、いまどきのpoorなんて知れてんですよねえ」

「いや、といって、こんな希望のナイ時代は許されるべきでは、アリマセン」

「私もこのあいだ、売春しちゃったんですよ」

 えええっ、

2017年1月 9日 (月)

夢幻の函 Phantom share⑤

「海岸沿いの道路をdriveします。右手に立ち並ぶのが温泉宿よ。そうして、左手の海沿いに漁師の家並みがみえるから」

 たしかに、レイさんのいったとおり、海岸沿いのきれいに舗装された道路の左側は、漁を業にしていることが一目でワカル漁師の家並みが在る。網を縫ったり、漁船の補修をしたり、漁師と書いたハチマキまでしている。いったい、なんの漁をしているのだろう。つげ義春の『ねじ式』じゃあるまいが、メメクラゲ漁なんてのをやってんのかな。

 右側は絶壁ともいえる山林で、そこに貼りつくようにして温泉宿が立ち並び、それぞれの宿は宿屋らしい看板を出しているのでたしかに温泉宿らしいのだが、「んとか荘」「ったり旅館」「んな屋」「旅籠どや」「っぱなホテル」「うしてもリゾート」「とぶき館」などなど、なにか脱字があるような名称ばかりで、私は内心苛ついた。足らない。足らない。と呟いていると、何が無いのかに思い当たった。温泉街にはつきものの、土産物などを売っている繁華街、風俗街、歓楽街がまるでみあたらないのだ。これを温泉街と称していいものだろうか。

 いくら、夢の中とはいえ、だっ。

「この山はみんな噴火山なの」

 レイさんはそんなことはお構いなしで、というよりも、それがまるでアタリマエなのだという確信に満ちた胸部を乳首の目印で誇らしげにゆらしながら、という悪文まで書かせて、今度はそんなことをいう。

「噴火山っ。んと、あの、それは活火山のマチガイじゃないんですか」

「いいえ、噴火山よ。あとで、この山々の裏側に回ります。そうしたら、それが観てとれます」

 だいたいこの海岸沿いのまるでdrivewayのような道路は何のために造られたものなんだろうか。

「この道路はね」

 その疑問に答えるようにレイさんは、軽くハンドルをさばきながら、ふふっと笑みをこぼすと、

drivewayなの」

 と、直截的なことをいうのだった。 

 私はいつか、いや、この夢の中に在るうちにchanceがあればこの女、溶かしてやろうと決意した。が、慌てて誤植に気付くと、溶かしてじゃナイ、犯してだっ、と校閲を叱責しているplotの横滑りに、ここは誤魔化せと、いまひとつの疑問を彼女に質した。

「この温泉宿はまるで長屋のようじゃが、かのような宿屋にいったい宿泊客というものがあるのかの」

 あれっ、校閲のヤロウ、これじゃあ、侍じゃナイか。

「こごは、温泉宿であるでねえ、長屋さ、ようでがんすが、やっぱり、温泉街でござんすか」

 南部訛りだ。

「ええと、でやすか、でござんすか、でごぜえやすか、と、次第に丁寧な問いかたになるのが、南部訛りだと勝手に考えたんですが、いや、もうこの件に関してはイイです。で、行き先は何処なんです」

「噴火山の噴火で出来た湖。大沼湖というんです」

2017年1月 8日 (日)

夢幻の函 Phantom share④

そうか、ここは函館か。唐突に気付いて。

 で、何なんだ。土方という五稜郭、蝦夷共和国の敗者(なんだろうなぁ)が、唐牛健太郎という60年代の革命の敗者(なんだろうなあ)の墓参りってか。

「もう、革命は虫の息さへしてないぜ、カロウジ先輩」などといってみる余裕もなく、目眩がする。ここはシェア墓地だ。「革命」や「仁義」「任侠」と彫られた墓碑だってあるだろう。

と、それが在ってビックリ。いや「演劇」と記された墓碑ではナイ。「夢」という墓碑がある。ひどい悪ふざけだ。私は未だ死んではいない。だから私の夢は続いているはずだ。とはいえ、予めの告知とでもいうのだろうか。そりゃあ、いつかは目覚めるだろうから。そういうお報せかな。しかし、覚めなければ死んでるのか。また、クラッときた。いや、これは私の頭、正確にいうなら耳の中の器官のせいではナイ。

 自分の足元のバランスが勾配を登ってくるときよりさらに危うくなっているのに気付いた。勾配の角度が、sineθが大きくなっている。このままではこの急勾配を転げ落ちてしまうではないか。と、

 焦っている間に勾配は勾配でなくなり、直角になった。

 墓は、墓石はどうなるんだ。この期に及んでどうして自分のことより墓石のことが気になるのかは、もう夢まかせというしかナイ。

 墓石は次々と、まるで『2010年宇宙の旅』の例のアレのように、アレが木星に突っ込んで行くのと同じ、海へ海へと、

 で、私は。私はどうなっているのだろう。白土三平の『サスケ』に出てくるあの忍法「岩石なだれ渡り」の術を使って墓石の上を、夢ならそれくらい出来るのではナイか。

 よしっ、

と、いう思いだけで、車の助手席に座っていた。

「あの、シートベルトを」

 と、レイさんが運転席から私をチラ見していう。

「土方さんはっ」

 の問いかけ虚し、答も応えもナイまま車は発射、いや発進した。発射したい。射精したいなレイさんに。こういう不埒な思いも夢まかせで、小顔で黒縁眼鏡なのだが、それとは何の関連もなく胸部が大きい。私は女性に対しては圧倒的に臀部派で、胸部にはあまり関心がナイ。胸部を乳房とか、オッパイとかというふうに呼ぶのも書くのも好まない。胸は胸だ。ましてや「ロリ顔なのに巨乳」などと書かれたadult videoはまったくダメ。エロ漫画雑誌も全てNG。町田ひらくさんの単行本だけがOKだが、しかし、

 レイさんの胸部の大きさは許容出来る。と、ここまで夢の中とはいえ思考時間は0,5秒くらいだろう。

「温泉街を走ります」

 えっ、混浴かよ、いきなり。いや、そんなことに期待していてはイケナイ。

「温泉街っ、いくらなんでも、いくら夢でも函館に温泉街なんて聞いたことは、」

 ナイんだけどあるのだ、それが。

2017年1月 6日 (金)

夢幻の函 Phantom share③

driveにでも行きませんか」

 と、これは私がいったのではナイ。土方の口から出たコトバだ。

 私が応諾の返事をする前にもう、私たちはハイブリッドの中後部座席にいた。

「レイさん、カロウジの墓参りでもしよう」

 運転席には黒縁の大きめの眼鏡がよく似合っている、小顔の若い女性がハンドルを握っていたが、「ラジャー」と返事をすると、アクセルを踏んで、ハンドルを回した。夢の中だから、こんなもんなんだろう。私は特に違和感を感じたりはしなかったが、行き先に決められた〈カロウジ〉というのが誰なのか、そのとき思い出すことが出来なかった。それと、運転席の「レイさん」と呼ばれた女性が、私の記憶の中のものなのか、土方関連のダレかなのか、それも判然としなかったが、私が眼鏡フェチだということを、この夢は識知している。それは解した。
 死んでからも海が観たいという気持ち、心情というものは生前の願いとしてはありふれたものだが、特に港町が故郷のもののあいだには根強いのだろう。墓地は急勾配の山縁に在った。なるほど、海は一望だ。にしてもこの勾配は、半ば登っただけですでに息がきれる。抗うつ剤を二十年以上服用したためらしいが、筋力の衰えが激しいのだそうだ。なんてことを、最初の投薬時には何も聞いていなかった。

 レイさんの声がする。

「ありましたかぁっ」

「ないですねえ。しかし、あるはずです。この前もここでしたから、それは覚えているでしょ」

 土方くんが応答している。

「はい。この前も捜しましたもんね」

 カロウジ、誰だ。私は疑問だけ、している。なんというワガママだろうと憤慨さへしている。こんな急勾配に墓なんて、いや、墓地なんて。しかもこの広さはナンダ。殆ど頂上まで墓ばかりだ。それに、

 どういう墓地なんだ。宗派、教派が混在している。日蓮宗の隣に浄土宗や浄土真宗があるのはまだ許せるとして、十字架はプロテスタントらしい。の、横にはカトリックの、さらにその隣はロシア正教会。これでもかと中国人墓地の群れ。で、「旧陸軍兵の墓」と書かれた、それにしてはお粗末な、まるで無縁墓地のように囲われた領分が在り、もちろん無縁墓地群も在る。「一族の墓」「代々の墓」「郎党の墓」「一家の墓」、「聖なる人々眠る」、なんの統一性もナイ。

「ああ、土方さん、ありましたよぉぉっ」

 レイさんの声が勾配の上から聞こえた。あそこまで歩くのかよ。私の息は荒い。

 墓碑に刻まれた名は〔唐牛健太郎〕。60年安保の全学連委員長。そう、墓というより碑と称したほうがイイ。

2017年1月 5日 (木)

夢幻の函 Phantom share②

ここからはその頃の私が頻繁にみた、ある〈夢〉の話になる。

  それがほんとうに夢だったのかどうかについて確信を持っているワケではナイ。それを〈夢〉だと判断しているのは、あまりにもそれが夢のようだったからに過ぎないからで、もしかするとそれは夢と現実の〈係数〉による微分関数の座標、と、いえないこともナイ。ともかくも、発端が突飛過ぎる。最初、私がそこで出逢った人物は、幕末の新撰組副長、五稜郭組の最後の烈士、土方歳三と名乗った。
彼はよくカラダにfitした外套を着込み、幅広の腰のベルトの左右に長刀を下げていた。体躯は小柄で年齢も三十代半ば、私よりもうんと下の、いわゆる青年だ。
「接近戦で斬り抜けていけるのなら、この戦に負けはなかった。現に私自身は一度も敗れてはいない。しかしそんな時代ではナイということは、海を渡る前にワカッテいたことだ。何処から飛んでくるのかわからん鉄砲の弾にはかないませんよ」
彼がみつめていたものは前方に広がる海で、そこが断崖絶壁だということはやがて私にも観てとれた。〔佇待岬〕という表示板にも気がついたが、その地名をどう読めばいいのか、私にはワカラナイ。
「多くの血も吸ったが、刃は骨まで断じたのでボロボロになってしまった。砂糖菓子を食い過ぎた虫歯のようなものだ。さすれば、ヒトなど砂糖菓子に等しいのか」
彼は左右の刀を抜いてみせ、だらりと力なく柄を握ったまま、切っ先と両手を地に垂らして、そう自問した。
自問。そう、自問のように思えたのだが、
「きみはサコイチを食ったことがあるか」
と、いきなり私への問いかけになった。
サコイチ、さて、サコイチとはたぶん砂糖菓子なのだろうが、どういう菓子かイメージもわかない。彼は今度は自嘲してみせて、
「段平に流れる血をみてみると、こびりついた血はサコイチのようだ」
と、片方の長剣に目をやった。
推察すると、サコイチと称された彼のいう砂糖菓子とは、チョコレートのことかも知れない。
「鉾とりて月みるごとにおもうかな、明日はかばねの上に照るかと」
まだ昼間だったが、青空の高いところに月が出ていた。彼はその月をみながら一首呟くと、たぶんそれは辞世の句(歌)なのだろう、刀を二振りとも海に投げ捨てた。
「さらば、兼定」
私の拙い記憶では、土方歳三の愛刀は和泉守兼定。どうしてそんなことを記憶していたのかというと、私の知己に殺陣師がいて、私自身時代劇ファンなものだから、たぶんその彼との茶話の中で耳にしたことがあるからだろう。
ところで、土方歳三自身の遺骸は発見されていない。ここに埋葬されたといわれる場所は幾つかあるが、遺体そのものの記録はなく、死因は「馬上に在るときの流れ弾」が定説とされているが、さっきの〈何処から飛んでくるのかわからん鉄砲の弾にはかないませんよ〉というコトバもなるほど、そういうことかと理が納まる。
しかし、いま私の眼前に在る土方は、私の夢の中の登場人物だから生身というのではナイにせよ、とりあえずは生きている、というか、存在はしている。

 

2017

2017

 

2017が始まった。予告どおり、ブログ小説からはじめたが、昨年の年末には書き終わる予定が、custom client からの急な注文と、生涯二度目のinfluenzaのために、およそ30%を残して中断している。従って、連載が10回くらいで一時中断になる可能性(可能性というコトバを使うのはマチガッテいるのだが、慣用されているのでそう書く)があることをお断りしておく。

出版不況とはいうけれど、私には、これは出版社の努力不足だと思われる。だいたい若い編集者自身が、かって多くのひとに読まれた多くの傑作、秀作、佳作を読んでいないんじゃないの。たとえば、近隣で蔵書が8万冊と謳っている書店を覗いても、文庫の棚にそのての本は並んでいない。消えた作家をテキトウに数名は挙げられる。柴田錬三郎、五味康拓、北杜夫、都筑道夫、山田風太郎・・・et cetera。エンタメ系列が殆どだが、純文学となると、文庫版の全集(とはいえ、一冊本なんだけど)にあるばかり。並んでいるのは、いま映画化されたりしての売れ筋(と、書店員が思い込んでいる)ものばかりで、マンガ(comic)となると、これも、どこも同じ。マンガはコンビニで、いずれゾッキ本どうように安売りされるので、急いで読まねばならないもの以外なら、それを気長に待っていたほうがイイ。最近は、コンビニにしか置かない雑誌も多々あるので、それらは単行本になるのを待ってアマゾンで買うことにしている。

新聞、テレビ、週刊マンガ雑誌、さて、これらの命脈が尽きるのは、それほどの時間を要しないだろう。

2017年1月 4日 (水)

霧幻の函 Phantom share ①

ルーイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は不思議な物語だと、そのsequenceに触れたときに感じた。この場合、アリスの行き先の世界が〈不思議〉だから不思議な物語だと述べているのではナイ。いわばこの物語のドラマツルギーは主人公アリスにとっては「巻き込まれ」でもなく、「致し方なく」でもなく、「決意をもって」でもナイ、なんの前触れもなく突然起こる、いってみれば「降りかかり」で、アリスが「不思議の世界」に行かねばならない理由はほんとうは何もナイ。それは落とし穴に落ちるように突然に身に降りかかる〈災厄〉のようなもので、タイトルこそロマンチックだが、これを『アリスの災難』としてもマチガイではナイように思える。しかし、ほんとうはそうではナイ。

 その世界、アリスの訪れる(正確には迷い込む)「不思議の国」のepisodeが難解なパズルを提出されているように感じられるのは、物語の進行の行き当たりばったり(即興)が、それぞれキャロルの数学者としての嗜好性に依る奇妙な設問のように仕立て上げられているからで、けっきょく問題は解かれぬままに(というか、何が問題なのかワカラヌままに)、続編の『鏡の国のアリス』においては、主人公アリスはチェスの枡目を次に進まねばならず、行き着くところまで行ってしまって、さらにそこに待っている〈黒の女王〉の最後の「無理難題」も解かれぬままに、元の世界にもどって来てしまう。正・続、どちらもいわゆる「夢落ち」ではあるが、夢というものはそれ自体不思議なものではナイ(と、フロイトは分析してみせたが、たしかに「不思議な夢をみた」という述懐があるのだから、夢もいろいろなのだろう)。私がアリスの彷徨った物語を〈不思議〉というのは前述したとおり、ひとことでいってしまえば〈物語そのものがワカラナイ〉という理由による。

おそらくそれは、作者のルーイス・キャロルの逡巡する態度に由来している。つまり、彼は誰よりも(読者よりも)多く大きく躊躇っていると思ってイイ。それは、語っていることが即興だったからではナイ(続編の『鏡の国のアリス』は最初から執筆の形態をとっている)。アリスへのmotionをキャロル(本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン。職業、数学者・数学教師)は持て余しているのだ。彼はアリスをかっさらったはいいが、確信犯ではなく、それが出来心、というよりアリスの誘惑に負けてしまっての結果だったという所以で、アリスをどうするかについて常に怯えを懐きながら、おそるおそるではあるが、なんとかこれを煙に巻かんとして、苦吟しているご様子だ。

どうしてそんなことになったのかを推測すると、「この物語はアリスがアリス自身の頭の中、もう少しいうならばアリスの夢の中に侵入していく」という体裁、あるいは構造を持っているからだと思われる。これは単なるmeta構造ではナイ。数学者らしい構想ではあるが、アリスの進入は侵入に近くなり、ドジソンのような数学者にとっては、未だ解かれぬ命題、いわば「アリスの定理」というものになってしまったことによる。

かくのごとく、創られた物語のほうは、その世界にやって来た存在に対して成す術を持たず、それゆえに来訪者であるstrangerのアリスもまた、ラビリンスに翻弄されつつもそのAporiaに答える者としての登場人物と成らざるを得なくなるという、双方で奇妙な世界の〈共有〉を余儀なくされる、いわば歴史の重力と同相なのだが、それこそは私たちが答を得ようとして苦慮する「〈私〉の人生」と称しているものにふさわしいのではナイだろうか。

 

十四歳の誕生日に私は電動の鉛筆削りと、1ダースの鉛筆を祖父からプレゼントされた。六角柱の棒をその機械の中央に小さく空いた穴に押し込んでいくと、棒は次第に短くなり、終には殆ど円錐に近くなって鉛筆の体をなさなくなる。何処かで削るという行為をやめなければならないのだが、機械は削ることだけをその使命、機能としているので、こちらが押し込んでいくという行為をやめない限り、鉛筆は次々と姿を消し、とうとう私は1ダースの鉛筆を全て円錐にしてしまった。このとき、私は奇妙な妄想に囚われた。エジプトのピラミッドは正四角錐だが、あれはほんとうは先端の部分であって、砂中には本体部分が埋まっていて、いわゆる全体像はエンピツのような塔になっているのではナイか。この妄想はさらに進んで、塔では底辺が存在するので、底辺のナイ(つまり帰着点のナイ)もう一方の正四角錐が埋まっていて、要するにピラミッドを掘り出してみると、それは正八面体であり、地上にはそれが半分だけ露出しているのではナイか、という、なんの意味もナイが途方もない妄想だ。

 

ここからはその頃の私が頻繁にみた、ある〈夢〉の話になる。

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