百姓日記④
人生が一度というのは奇怪しい
この前、自分はやりたいこと、やるべきことの9割はやっちゃったので、退屈だと書いた。そういう話を「カレーランチ」と称して、ときどき馴染みの店でランチ(ランチは二種類の自家製カレーしかナイ。あとは喫茶)する、女性の知己(具体的に書くと支障があるので書かないが、私が自分のワガママで、ときどき、駄弁理(だべり)につきあってもらっているだけなのだが)に話したら、9割もやってしまうってスゴイんじゃナイですか。といわれた。あっそうだな、そういう考えもあるのだ。ワリとスゴイことなのかも知れないと思いつつ、志半ばで夭折した友人知己を思い、生き残ってしまって、やりたいことやってしまって、退屈では、その連中に妬まれ恨まれるだろうなあと、逆に心苦しくなった。
ところで「三度目の正直」というコトバがあるが、私はこのコトバの意味をまったく誤解していたことにこないだ気付いた。私はこれを一回、二回失敗しても、三回目に挑んでみる、てなふうに思い込んでいたが、正確には、一回や二回の成功はマグレかも知れない、三度成功して始めて「ほんとう・正直」なのだ、らしい。
しかし、そうすると、一回生きて非業の死、夢成らずの死、若くしての死、は奇怪しいではナイか。人生が一回というのは奇怪しいではないかと、なんだか立腹してしまった。
「三度目の正直」というからには、人生も三度あるべきだ。
とはいえ、私としては二度とゴメンだ。
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