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2016年10月

2016年10月27日 (木)

百姓日記⑧

 

『リ・ゴジラ』

 

何か、ひとに会う度に、『シン・ゴジラ』の感想を訊ねられるので、いまは目が良くないのでDVDになるまでは、と聞き流していたのだが、弟が「あれは、まだしばらくは上映が続くで」というもんだから、しょうがねえなと、観に行くことにした。二時間、邦画だからなんとかなるだろうと、なんとかなって、エンドロールはさすがにキツかったが、ともかくは観た。で、ひとことで感想を述べるなら、『シン・ゴジラ』という作品は、昭和29年の『ゴジラ』第一作のリメイクなんだなと、それ以上ではもちろんないし、それ以下であることもマチガイナイ。

昭和29年の第一作の『ゴジラ』の持っていた、モンスター映画の恐怖感、このときは、原水爆だったのが、『シン・ゴジラ』では、核燃料廃棄物と、原発(動く原発ダナ)になっていて、29年ものの〈オキシジェン・デストロイヤー〉が、やっぱり、どっかの人嫌い博士の凍結剤になっているだけで、要するに、リメイク。閣僚たちのチンドンも、ご愛嬌なんだが、ご愛嬌に柄本明さんや、余貴美子さんを使う贅沢は、というかどっちも私、ファンなもんで、やや苦ったが、それは別にして、アト何か観るべきものはあったかというと、巷のワイワイした評判ほどのものはナニにもなかった。おそらくこの映画(『シン・ゴジラ』)を神輿にしているひとは、本歌29年の映画を観ていないんじゃないかとさへ思う。

29年もののような名シーン(私的な選択だが、例の実況アナ、銀行前に座り込んで抱き合う母子、そのせりふ。さらに、何気ない汽車の中の風景で「また、疎開かよ」なんていわせる、そーいうとこ)はなく、あの人気女優らしい、(らしいのではなく、そうなんでしょう)石原さとみのキャラが、集団的自衛権や、安保体制の直截批判めいたシーンよりも、アメリカというものをヒジョーによくシンボライズ(というより茶化して)いたように私には思えたが、この映画で、これはいいアイデアでオモシロイと思ったのはその辺りだけかな。タラコ唇も使い方次第だな(身体的なことに触れての揶揄がイケナイのは、素人の方だけで、女優という営業をやってる方には遠慮する理由はナイ)。戦闘シーンについては、「新・ガメラ」シリーズのほうが、よほどリアルで、アメリカだって自衛隊だって、もちっとマシでしょうと、苦笑した程度。(ほんとにいろいろ出すと、軍事機密に関わってくるから、あの程度にしたんでしょうけど)。

もちろん、のことだが、この映画の世界はフィクションだから、この世界では天皇陛下という存在は存在しないことになっているのはアタリマエだと思わないと、その辺を突っ付いても何の意味もナイ。ともかくは『空母いぶき』の(かわぐちかいじ)のほうが、右傾化は同じでも、よく出来ている。と、いうのが私の感想です。

追記:やっぱり伊福部昭さんの音楽はイイねえ。

2016年10月22日 (土)

百姓日記⑦

 

関係は乖離スル

 

ジャズを聴き始めた頃はピアノはあまり好きではなかった。きょうの離脱症状は、クスリをゼロにしてから最も強いのが出た。かつてソニーCDクラブとかいうのがあって、前前嫁がすすめてくれたので、入会したら月一回クラッシックやジャズのCDの解説、宣伝があって、殆ど素人の私はこのあたりからジャズを聴き始めたのだが、とにかく飯が食えないというか、痛みは治まっているのだが、痺れとだるさで辛いのだ。とりあえず、モダンから聴き始めて、どういうワケか、ドラムとかベースの渋みがいいのが好みだったから、ピアノはいま一つ甘かった。こういうときは、食わないと体力低下で免疫低下で風邪を引き寄せるという怖さがあるので、簡単な豚キムチと味噌汁にした。ピアノがいいと思い始めたのは、そのクラブで買ったヨーロピアン・ジャズ・トリオのアルバムからで、こんなセンチメンタルなジャズもあるんだなと、洗練された演奏に驚いた。それでも豚キムチは三分の一ほど残してしまった。残り物を冷蔵庫に入れるのはイヤな性格なので、そのまま棄てた。150グラムは多かったなあ、80グラムのほうにしとけばよかったと後悔した。ヨーロピアン・ジャズ・トリオは、日本人好みなのか、日本人にファンが多い。というか、本場のアメリカでは、「こんなもんはジャズやナイ」という古老なんかがいたりするんやろ。横になると余計にひどくなるので、ただ座って、いつものように杉作、天狗のおじちゃんはね、って、過ぎ去っていくのを待つしかナイ。たしかにスタンダードのジャズ名曲集なんかと聴き比べると、主張が強くなく、雰囲気というか、独特の世界観があって、私はこの孤高の沈んでいく感じが好きなのだが、痺れてだるいカラダでは、孤高も沈んでいくもナイのだ。息苦しくなってくるので、何度もため息をつく。名曲に出逢うと、息をするのを忘れていたような気になるのだが、ヨーロピアン・ジャズ・トリオは、えてして呼吸しやすい。忙しくナイ。欧米の歴史の違いなんだろう。黒人がどうの、魂がどうのという面倒臭さがナイ。いってみればクールというのか。このクールとかホットとかいうのは、まだ使えるのだろうか。最近、〈ギャグ〉というコトバはおじさんコトバであって、若い人は〈ジョーク〉というのだそうだ。そういえば、女性は「パンティ」なんてコトバは使わないらしく、戯曲で「パンティ」の入ったせりふを書いたとき、女優に指摘された。「パンツ」でいいのだそうだ。そうすると、ズボン系統もパンツというが、どうなの、と訊いたら、話の脈絡で理解出来るじゃんと、いわれた。なるほど。「じゃん」は、最初は横浜だったか神戸だったか、そのあたりのひとびとが使い始めたらしい。

今夜はモダンを聴いているが、離脱症状は残っていて、いやあ、キツイ日です。

2016年10月21日 (金)

百姓日記⑥

 

巌流島のコペルニクス

データをまず記しておく。『宮本武蔵』(2014年3/15、3/16、2夜連続でテレビ朝日開局55周年記念番組として系列局で放送されたスペシャルドラマ。原作 吉川英治、監督 兼﨑涼介、脚本 佐藤嗣麻子、宮本武蔵に木村拓哉、佐々木小次郎に沢村一樹、お通が真木よう子。アクション監修に、ジャッキー・チェンが会長を務める香港動作特技演員公會の唯一の日本人会員である谷垣健治を迎え、殺陣のシーンでは、刀を「本当に当てる」という今までにない手法が取り入れられた)。

目が悪くなるというのも、まんざらではなく、このワード・ワープロの扱いにくさに比すれば楽なほうだ。ここまで字数、大きさを揃えてコピペを修正して、書くのに30分かかってるからナ。これでまた30分目を休めるのに、コインランドリーでも行くか。

ただいま。

で、脚本が佐藤嗣麻子さん(彼女は、『K-20』の脚本・監督)ということもあるから、2年前の作品ではあるが、ツタヤしてみて、圧倒的に巌流島の決闘で倒されたのは私だ。

というても何のことかワカランだろうから、ちょっと順を追って(ふつう、そうなんだろうけど)、まず、武蔵が京流吉岡道場の道場破り、と、ここから始まって、その殺陣が香港アクション映画をかなり取り入れていることで、ちょっと驚く。データをひもとくと、やっぱりなるほど。ここはここで、圧倒的ではあるのだが、そりゃそうだよ、『るろうに剣心』というお子さま時代劇映画で、フェンシングみたいな殺陣をみせられて、私の知己の殺陣師(真剣帯刀を許可されている)なんかは、怒りのあまりポプコーンをばらまいたそうで、「絶対にもう、映画館でポプコーンは買わんっっ」と、なんやワカラン怒り方をしてたくらいだから、さすが、香港アクションと拍手もしたくなる。ちなみにこの殺陣師とは、2020年のオリンピックの外人客をあてこんで、時代劇のイベント舞台でも創ろうかてな話もしてて、『秘剣鍔鳴り~重 四郎(かさね しろう)忍者斬り』てな、まんまのタイトルだけは考えている。

で、嗣麻子さんのホンは吉川老師の正統を遵守しつつも、斬新な解釈(脚色)をノンシャランと垣間見せるのだが、極めつけは巌流島の武蔵と小次郎の決闘の概念を引っ繰り返したことだ。といっても、小次郎が勝つワケじゃナイんだけど。

まず、沢村小次郎は、登場時に刀の柄を右肩にしていることで、おんやと首を傾げるのだが、たとえば、内田吐夢監督の錦之助武蔵五部作では、高倉健さん小次郎は、伝統に従って、もの干し竿長剣の柄を左肩からにしているのはいうまでもない。あの長さの刀を抜くには、いったん肩に担ぐようにしてそれから抜くので、右肩では都合が悪い、というより抜けないのだ。

ところが、そこは抜け目がナイというか、沢村小次郎の場合、肩からぶら下げているように描かれていて、高倉小次郎のような固定ではナイので、なるほど、あれなら抜けるワナ。

さて、真骨頂。これまで何人もの武蔵と小次郎が巌流島で決闘したが、たった二人、立ち会い人もナシ、というのは嗣麻子さんのホンが初めてで、かつ、士官がどうの、藩の面目がどうのという面倒なものはきれいさっぱり棄てられていて、ただ、二人、「限界の向こうが観たい」という、兵法家の夢のためにのみ闘う。このplot、sequenceには引っ繰り返った。まさにコペルニクス的転換。決闘の概念をコロッと変えられちゃった。見事に。さらに、武蔵は先に一太刀浴びて、苦戦。あの長剣の届かぬところ(つまり、身切りですな)に飛び上がればイイのだと、剣客の本能で飛び上がって櫂を振り降ろすという心情理路がワカルように描かれている。

いやあ、もう、佐藤嗣麻子さんと、西川美和さん、この二人こそ、いまの映画界の武蔵、小次郎ですわ。

2016年10月18日 (火)

百姓日記⑤

 

人生は三度笠ではナイ

 

三度笠というと、渡世人、博徒の旅人姿を映像化してしまうが、ほんとは飛脚が使った傘で、映画テレビの時代劇股旅物に出てくるヤクザの旅人の旅姿は、現実にはあんな粋なものではナイ。もっと目立たぬダサいものだ。(目立たぬように旅するんだからアタリマエ)。

~人生が二度あれば、ああっ人生がっ~と歌ったのは、井上陽水だし、「これが人生か、よし、もう一度っ」と賜ったのは(「永劫回帰」てなふうにいわれてますが)ニーチェだけれど、ニーチェの場合の永劫回帰の根拠は、単純な物理学、生物学によるエビデンスで、つまり時間は永遠につづくのだから、生物学的に人間(自分)は何度も生まれる(回帰する)可能性が在る、ということなのだが、時間は重力と等価なので、それは残念ながら叶わない、と私の論理はいう。いま在る宇宙が、まんま、再度誕生、出現することは、確率論的には限りなく0に近いと考えてよい。

たとえば、「三度目の正直」を負として考えるとする。人生が三度あるとする。しかしながら、人類はやはり三度滅亡するのが「正直」なところだし、そんなことは、いまの世界情勢を鑑みても明らかなことだから、何べん人生があっても、さほど変わるものなどナイ。世界情勢でなく個人生活なんだからと、多少の情を含めて負ではなくプラスと考えても、一度「失敗したなあ」と悲嘆に暮れた人生ってのを三度もやる気力などあるかねえ。

元劇団員が口癖のように「何が幸せか、いろいろと辛いことはあっても、北朝鮮の貧民に生まれなかったということだけでも、ものスゴイ幸せだと思う。オレは父親として子供にいい聞かせていることは、それだけ」といっていたが、5秒にひとり、子供が死んでいるのが、世界の実情だ。北朝鮮の貧民でなくても、生まれるということが幸せかどうか、ね。

私の住処の両隣は、かたや若い男性、かたや若い女性、が入居しているに関わらず、名前も職業もワカラナイ。月に一度くらいは顔をチラ観することはあるが、要するに、現代、街、生活というのはそういうものだろうと、さほど気にはしていないに関わらず、出かけるときに女性のほうの住処の表を通ると、台所のすりガラスごしに、「もみじおろし」のチューブの箱や、マジックリンのスプレーなどがみえると、『じみへん』みたいに、なんでかホッとはするのだ。両隣、若いひとだから、生活はpoorだろう。こんな家賃のマンション暮らしだもんな。(家賃のわりには、バブル時代の鉄骨ワンルームだから、結構、間取りなんかはいいんだけどね)。データを信じるならば、いまの大学生、あるいは新生活者の両親の賃金は、私がその年齢であった当時より20%低いのだそうだ。どこまで信憑性があるのかどうか、ちょっと声高にはいえないが、女子大生のアルバイトに風俗が増えているらしい。学資稼ぎらしい。大学の学費は高騰しているのだそうだ。私なんかてんぷら(ニセ学生)を二年やらせて頂いて、そんな時代だったから、得したのかなとも思う。しかし、売春やら、ブラック企業のアルバイトまでして、卒業して、〈生活〉を始めてみれば、それはそれで、キツイんだからなあ。「賢く」生きろとは、よういわん。賢く生きようとして失敗すると、「ああ、アホなことした」と気持ち沈むからなあ。だから「狡く」だ。テキトーに狡く生きる。ただし、その営為が他者を犠牲にしているのならダメ(なんでかというと、他者に悪いからというのではなくて、それは自分の気分が塞ぐから、負担になるから、という狡い考えなのだが)、んで、そうしたら失敗しても「狡くはなかったんだ」からいいか、で済むという「狡い」の幾重にもなった生き方やな。誰かて、確定申告するときには、多少のズルはしてる気になる。(けっこう、それは狡いのではなく、カシコイ節税だったりもするのだが)。

まあ、ともかく、人生は一度でエエわ。

 

2016年10月17日 (月)

百姓日記④

人生が一度というのは奇怪しい

 

この前、自分はやりたいこと、やるべきことの9割はやっちゃったので、退屈だと書いた。そういう話を「カレーランチ」と称して、ときどき馴染みの店でランチ(ランチは二種類の自家製カレーしかナイ。あとは喫茶)する、女性の知己(具体的に書くと支障があるので書かないが、私が自分のワガママで、ときどき、駄弁理(だべり)につきあってもらっているだけなのだが)に話したら、9割もやってしまうってスゴイんじゃナイですか。といわれた。あっそうだな、そういう考えもあるのだ。ワリとスゴイことなのかも知れないと思いつつ、志半ばで夭折した友人知己を思い、生き残ってしまって、やりたいことやってしまって、退屈では、その連中に妬まれ恨まれるだろうなあと、逆に心苦しくなった。

ところで「三度目の正直」というコトバがあるが、私はこのコトバの意味をまったく誤解していたことにこないだ気付いた。私はこれを一回、二回失敗しても、三回目に挑んでみる、てなふうに思い込んでいたが、正確には、一回や二回の成功はマグレかも知れない、三度成功して始めて「ほんとう・正直」なのだ、らしい。

しかし、そうすると、一回生きて非業の死、夢成らずの死、若くしての死、は奇怪しいではナイか。人生が一回というのは奇怪しいではないかと、なんだか立腹してしまった。

「三度目の正直」というからには、人生も三度あるべきだ。

 

とはいえ、私としては二度とゴメンだ。

2016年10月 6日 (木)

百姓日記③

まぼろしの地図をひろげて北帰行

 

〈夢〉というものは、実現すると達成感なり充足感なりがあるものだと、ごくふつうにそう考えていた。ところで、私の場合、たぶん常人とはチガウせいなんだろうけど(超能力者とか、天才とかではナイ、いうなれば社会不適応者かね)、実現するたびにやってくるのは〈喪失感〉だった。つまり、プラモデルでも、折り紙でも、つくって出来上がってしまったら、それでオワリ。知恵の輪でも、外してしまったらオシマイ。私はじぶんをエライひとではナイが、少しはスゴイひとだと思い込んでいたが、実際はじぶんの思い込みほどではナイようで、そのように世間に認知されてはいないんだということに、還暦を四年を過ぎてやっと気がついた。

子供の頃読んだ乱歩さんの『少年探偵団』シリーズは面白かったが、どうしても私は二十面相贔屓で、いつかこの人物の伝記を小説に書こうと思った。で、書いた。映画化もされた。だから・・・

名古屋に出てきたとき、名古屋の演劇の卑屈さに嫌気を感じて、必ず東京で通用する演劇を創って東京で上演してみせると決意した。で、そうした。だから・・・

演劇論のあまりの幼稚さにがっかりして、いつか科学的な演劇論を記してみるぞと思い立って、三十年かかって、『恋愛的演劇論』というromanticなタイトルの単行本を出版した。だから・・・

単純なことをいうなら、劇作家で食っていこうと思った。そうしてる。だから・・・

思い上がっていいますが、私は私の生涯をかけての夢なり、目的なり、つまり、「やりたいことと、やらねばならぬこと」の9割はやっちゃった。だから・・・

だから、やることがなくなって、退屈になってしまった。

そこで、へそ曲がりの私は、やりたいと思ったこともナイことをやってみようと考えた。

それが「旅」だ。

私はグルメどころか、世界の三大料理とか、日本各地の名物料理とか、そういうものにはなんの興味もナイ。行列の出来るラーメン屋にも行ってみたが、たしかに不味くはナイが、毎日通うてな気にはなれない。日影丈吉老師はアテネ・フランセでフランス料理のコック修業のひとびとにフランス語を教えていたが、老師はこんなふうなことを書いている。「いくら美味いといっても、店屋ものは店屋ものの域を出るということはナイ」

子供の頃から風呂が好きでなく、カラスの行水といわれた。大人になっても温泉に行きたいと思ったことはナイ。それでも、あちこちの温泉に行ったりしたのは(正月三が日は温泉というのが数年あったけど)、女性はどういうワケなのか温泉が好きみたいで、これは嫁さんサービスで、私のように三回も結婚していると、誰も行かないような温泉をまず探す、これだけは楽しみだった。

素人考古学者だったりしたら、卑弥呼の墓をあちらこちらに探し回ったかも知れないが、そこまでのめり込むことはなかった。

要するに私は「旅をする」ことが、身も蓋もなくいえば「キライ」なのだ。

劇団をやっていた頃は、巡業てなことを何年もやったが、観光をしたことはナイ。劇団員たちにとっては、巡業は楽しい。飲めるものは、各地の酒、肴。北海道、九州、いやあ、廻りましたが、私は常に翌日の舞台のことを考えていなくてはならない。だから、劇場から遠く離れたことはナイ。これが旅行嫌いに輪をかけた。

で、もとえっ。

「やってみたくもナイこと」をやることにした。

で、下北半島恐山へ行ってみた。

/亡き母の真っ赤な櫛を埋めにいく恐山には風吹くばかり/(寺山修司)

寺山さんのお母さんは、寺山さんが亡くなるときもたしか生きてらしたはずだから、前半は創作なのだが、風はたしかに硫黄の臭いのきつい風が強く吹いていた。

/仏教のインチキみたさにやってきた恐山には風吹くばかり/

と、私なら詠む。

だいたい、釈尊は「霊魂不説」と述べている。のに、仏教に霊場などというものが存在することが、現代テキ屋仏教の(といって、大昔から仏教はテキ屋仏教だったんだけど)現前たる(目の当たりに出来る)証のようなもんだ。

本尊は地蔵菩薩なのだが、ナニ菩薩にせよ、菩薩というのは修行をしてやがて如来になるモノだ。釈迦如来の場合は、シッダールタの伝記物語があるので、ああそうねえ、修行というのはこうなのね、と時間的にもワカルのだが、こっちの事実を信ずると、時間認識が狂うのも事実で、ふつう、菩薩が修行して成仏するには、十億年やそこらではすまない、気の遠くなる時間がかかるらしいから、と、すると、その菩薩は修行を開始する前は人間であったハズがなくなってくる。そんな大昔には人間は存在しないからだ。

こういうことは、臨済宗一休や、曹洞宗道元はよくワカッテいたようで、それなりの持論でそこんところは克服してらっしゃる。

まんず、仏教のインチキ暴きに旅したワケではナイので、もう理屈はこねないが、しかし、旅行中、私はずっと「オレは何のためにに旅をしているのか、それは、旅というのが何なのかをかんがえるためだ」という、社会不適応者特有の理屈思考は持っていた。

今回ワカッタこと。

 旅はタイヘン疲れる。

 やってみると案外出来る。

以上。

 

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