百姓日記①
まず
過去の栄光、現在の名誉、そんなものは私にはありません。
私にあるのは、バランスの崩れそうな二本の足で踏ん張って歩く未来だけです。
これから、出無精、閉じ籠もりの私は〈旅〉をします。
まず、陸前高田を経由して、下北恐山。
浮世の地獄は観厭きたから、レプリカでも。
次は佐渡島。
日本でイチバン、能舞台の多いところです。
何故なら、世阿弥はここに流刑になったから。
流刑になってもなお、能舞台を遺した。
「完全なカタチ」を彼はみつけた。
それは無限の彼方にある。そこに行く方法だけをみつけた。
うんと身近にあるもので、それを知ることは出来る。
私たちは風を感じることは出来るが掴むことは出来ない。
花は、その風に揺られることが出来る。
それによって、私たちは、風と花のカタチを知る。
『風姿花伝』(花伝書)とはよくぞ名付けた。
日本のいろんなところの「風と花」観にでかけます。
百姓とは、農民のことではありません。
「百」の「姓」です。
「汝、隣人を愛するのではなく、隣人となる人を愛せよ」
「死ぬ順番などナイ。生き残る順番があるだけ」
「ワカラナクなったら、やりなおせばイイのだ」
「臨機傲慢」
「時間は分散できる」
「旅の重さ、とは、旅の重力のことだ」
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