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2016年7月21日 (木)

涙、壊れているけれど・24

ドラマツルグ

 

シス・カン文学シアターvol3の稽古が始まった。

初日、顔合わせ、読み合わせ、衣装採寸。

読み合わせ一回で、寺十演出、「じゃあ、今日はこれで」とトル。これは何もceremonyなんかではナイのだ、寺十の脳髄では、読み合わせの一回で、誰にどのような演出をすればいいのか、戦略が一応描かれているワケなのよ。

今回のヒロインは、舞台virgin。ヒロインにとくに集客動員がありそうでもない、かつ初舞台の二十歳チョイの娘を持ってくるというのは、シス・カンの社長(producer)は、この文学シアターについては、ギャンブル症候群になっているとしか思えない。まさに博打、一天地六。

二日目、読み合わせ。のっけが、その少女の長めのせりふからスタートするのだが、つまりそういうprologueがあって、幕が上がるのだが、寺十、一幕に進まない。少女のせりふで「はい、ストップ」。ここからが寺十演出の真骨頂。まず、その初舞台女優に「どうして、女優になろうと思ったの」と、人生相談まがいの質問からゆっくりと〈演技というものはどういうものか〉をレクチャーするところへと、入っていく。私たちも初めて聞くそのvirgin女優の茨道。「それで、もう、ヤルことなかったから死のうと思ってたら、スカウトされて」と、こういう、固有の人生の核を寺十、絶対に手放さない。その人生をこの芝居のヒロインの人生に重ね合わせるまで、手を抜かない質問がつづく。「このヒロインの少女は、どうしてコンタクトが嫌いで眼鏡をかけているんだろう」と、その娘に〈考えさせる〉のだ。ともかく、答はいわない。「眼鏡って、何だろうね」、考えさせる。これはどの役者についてもそうなのだが、考えさせる。~台本を読む~ということは、どういうことかという、それ、ヤッてんのね。

つまり、ブレないcharacterを(ふつう役作りとかいいますが)、その場で考えさせながら創っていく。単純に個々人が勝手に考えるのではなく、役と役との関係の中で、その上で考えさせて、創っていく。ちなみに、冒頭一枚の少女のせりふに対する質疑応答は休みなく90分。そりゃそうですよ。Virginなんだから。初舞台なんだから。「演技というのは上手にやんなくてもいいの、じゃあ、どんな演技がイイ演技なんだろ」と、私ならレクチャーしてしまうのだが、寺十は、そういうことはいわずにそういうことをねじ込んでいくのヨ。役者を手込めにする演出家もいるけれど、寺十はまったくドラマツルグが違う。強姦を和姦にしちゃうのよねえ。他の役者さん、待たされて辛いだろうけど、これ、傍で聞いてるオレなんかもう、面白くてタイヘン。Virgin女優の初舞台娘が、次第に芝居というもの、演劇というものにのめり込んでいく様子がワカルから、ワクワクなのよ。目つきがオドオドから、興味津々のキラキラになっていくのを観て思わず、ニコニコ。

 

とばかりはしてられません。

五時間半の稽古二日目を終わり、やっと帰途。メトロに乗る。意識混濁してんのがワカル。こうなったら倒れてなるかの意地だけで、新幹線に座って、辿り着いた思いで血圧だけ測定してみれば、150をこえてる、下がこれまた110の大特売、脈拍は125ときた。

セロトニン症候群とその離脱症状との合わせ技で、日々、痛みと痺れの中で生きてんのが不思議なんだけど、スゴイね人間てのは、性欲(というより生殖欲かな)亢進して、なんでもイイ、誰でもイイってワケでもナイけど、ちょいと好みのタイプを観ると、孕ませたくなるんだねえ。牡の本能ってやつかねえ。

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