涙、壊れているけれど⑮
ロウカ と思う
朝っぱらから電話が入って、昨日取材で京都へ仕事で出かけていたA女史が「暑さと、また風邪を引いて・・・」今夜予定の食事会には欠席の連絡。このひとは年間300日は風邪を引いているひとだし、きっとクーラー風邪というアレだなあ。京都は蒸し暑さが尋常じゃナイから、今夜は無理だろうと昨日彼女が出かける前に予想していたので、「ああ、いいです、いいです」と返事。私よりたしか二つ上だから、気持ちは少女でも、老化は容赦なく、熱中症で倒れなかったのがなにより。
私のばあい、還暦を過ぎたあたりから老化というものを如実に体験してきたが、イチバン困っているのは〈耳〉なのだ。いわゆる難聴というもので、これは耳鼻科で聴力検査を受けたことがあるが、異常はなかった。けれども、あの聴力検査はあまり科学的ではナイと思う。聞こえてくるのは「音」なのだから。
いまでも、「音」はちゃんと聞こえる。(ただし、どういうワケか蝉の声はダメだ。まったく聞こえない)。ただ、低音難聴と遅延難聴というものがあって、低音難聴は、低音の「声」がワカラナイ。これはDVDを何度か戻して耳を近づけても、ワカラナイ〈声〉はワカラナイ。それと、遅延難聴は、相手が早口の場合に起こる。聴力がそれを聞き取っても、脳内で「声」に変換するのに〈0,5から2Second〉時間がかかるのだ。私たちは一種のテンプレートを利用するような感触で音声を記憶している部分がある。「おはようございます」は、ハッキリそう聞こえなくとも、そのように理解出来る。「おあおうさいあす」といわれても「おはようございます」と聞き取ることが出来る。しかし、早口で何かいわれると(たとえば、コンビニのレジ店員氏などは、マニュアルどおり喋っているものだから、必ず早口になる)聞き直すというより、その音を脳内で変換する操作に時間をとられてしまう。「袋はどうされますか」というこれだけのいつものコトバを早口でやられると、音は捉えられているのだが、「ううおあとおあえうか」になる。ここから「記憶」が「袋はどうされますか」を探索するのに〈0,5から2Second〉かかる。たとえば「ありがとうございました」も「あとうました」といえば、たいていのひとは「ありがとうございました」に変換する。演劇の仕事で韓国に行ったとき、食事で店に入ると「アンニョンハセヨ」と店員はいっているのだが、それは予めこちらがそういう韓国語を知っているからそう聞こえるワケで、韓国語はまったく知らないスタッフのひとりは、「ちゃんと、日本人にはイラッシャイマセというんだなあ」と驚いていた。彼の耳はそう(変換して)聞いているのだ。
吉本さんが、ワードプロセッサーの(活躍した時代に)キイボードについて、文字数はもっと少なく出来るという提案をされたことがあった。まず「あいうえお」は、そのままで、次の「かきくけこ」は「くぁ、くぃ、くぅ、くぇ、くぉ」と、すれば、か行は「く」だけで済む。同じように、さ行は「す」だけだ。た行は「と」だけ。と、まあ、これは、『涙、壊れているけれど⑨』で慰み物にしたアホに対しての、音声としての言語のレクチャーにもなっているかな。つまり、・・・「夢を」は「ユメヲ」であって「ユウメヲ」ではナイ・・・のではナイ。正確に音声言語論的に扱うと「夢を」は「ィウムェウォ」であり、「燃ゆる」は「モユル」ではなく「ムォイゥルゥ」になる。これが「歴(れっき)とした」日本語の音声言語の特徴だと考えてイイ。プロの歌手に対して、「出直せ」というからには、それなりの言語学を勉強してからにしたほうがイイ。エビデンスもなしに、伊藤久男センセとかいう、たかが歌手に「勝手に」寄り添って、聞きかじり学問しかナイ、チンピラふぜい、三下インテリのバラケツが、ゴロまくから、私の精神疾患の症状のaggressiveに慰み物にされるのだ。
なんなら、コトバにおける「書き体(文書体)」「語り体(話体)」「歌い体(歌謡体)」について、訓戒、教示してあげてもイイが、そうなると銭とらないとな。
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