宣戦布告の美奈子さん
斎藤美奈子さんのホンはしさしぶりです。ご無沙汰してました。『学校が教えないほんとうの政治の話』最新刊です。2016/07/10初版ですから、ついこないだです。体裁は〈学校が〉とタイトルにあるように、選挙権が18歳からになった、そんで、きみら、きみらにいいたいことがある。です。しかし、それはあくまで体裁、建て前。これは美奈子さんの〈宣戦布告〉です。誰に対して、何に対してか。
一読すればワカリマス。このホンを「えらく薄っぺらいなあ」と失笑する連中がいるはずです。いえいえ、ホンは書籍としても新書で207ページ、薄くはありません。内容が表層的、表面的、大雑把で薄っぺらい、と鼻で笑うものどもが在るのはマチガイありません。しかし、薄っぺらいのは、このホンの内容ではアリマセン。このホンに書かれた「政治」というもの自体がほんとうに「薄っぺらい」のです。私たちに、このホンはその薄っぺらさを教えてくれます。そうしてそれは、ガッコではじぇったいに教えてくれないことです。
~政治に「中立」はありえない~と、のっけはここからです。そうして「あなたはどっちなの」と迫ってきます。美奈子さんはエピローグでいいます。「したり顔で、いまはもう右だ左だというイデオロギーの時代ではない」「ほんまかいな」「いささかむっとした私はつい口をすべらせた」「だったら右だ左だという本を書いてやらあ」「すべてのスタートは〈こんちくしょう〉です」。
ほんとうならこの〈こんちくしょう〉のアトには「もんくのあるヤツは、くるならきやがれっ」とつづくんだと思います。
そこで、「えー、お釈迦様はどっちでもない中道というものを」という仏教者はアホですね。美奈子さんははっきりと「政治には」といいきっているからです。
じゃあ、私はどっちなのか。私のような渡世のものにも、中立はありません。ただし、いつも右、いつも左でもありません。草鞋をぬいだ親分が右なら右、左なら左になります。白を黒だといわれたら、白は黒です。私どもの大親分は、天皇陛下です。それが、おい、誰が絵を描いとんじゃ。改憲勢力が有利に立ったら、今上天皇が「生前退位」を希望、ときた。皇后陛下も、ともに、いまの日本国憲法はヨシとされている。ジャマモノは消せか、上等じゃないの。天皇の戦争責任、ありますよ。私はあると考えています。しかし、それは、1946年の「人間宣言」で「現人神」を自己否定することによって、一応のケリはつけられ、その後の平成天皇、皇后の平和的活動において、まさにその粉骨砕身の罪責活動において涙ぐましく、償われていってるじゃん。
用意周到、だよなあ、現状権力。まず第一次安倍内閣において、「教育基本法」を改正、ここから「愛国教育」が復活する。第二次の2013年は「特定秘密保護法」ときて、ヤバイ連中は、ひっ捕まえられるようにする。そうして、2014年が「集団的自衛権」だ。個的自衛権で出来ることを大袈裟に、「積極的平和主義」たあ、よういうたもんや。オレは、自衛隊は違憲だとは思ってません。9条にも抵触していないとかんがえている。日本国憲法は自衛権まで否定していません。「戦争放棄」とは、9条に示されているように、「国権の発動による」戦争の放棄だからです。日本国は法治国家ではないんですよ。法がひとを治める国ではナイんです。それは、中国あたりの国家権力のことざんしょ。日本は立憲国家です。人権が国家、法、より上位にある国です。
この間に、マスコミ、報道は「規制」と「恫喝」によって骨抜きにされる。鬱陶しいインテリは、公明党が自民党に代わって手を下す。(だって、選挙の確定得票確保以外に、公明党が出来ることって他にあんのかよ)。
そうして、いよいよ改憲だけど、すぐにはやりません。すぐにやったら、いくらなんでも国民は訝しむのに決まってる。「調子にのるな」といわれるに決まってる。自民党、そんなにバカじゃありません。じゃあ、いつやんの。東京オリンピックがあるじゃありませんか。2020年です。国民はお祭騒ぎだ。その浮かれさなかに、やっちゃうね。それまでの四年間は、改憲のための世論誘導。誰だって四年かけられりゃ、洗脳されますよ。そいで、オリンピックだ、ワーイ、なんだから。憲法、いいじゃん、ついでだ、めでてえうちに、捧げツツ。
こういう趨勢、風潮、傾向に、美奈子さんは「宣戦布告」したんだと思います。貧者の一灯ならぬ、物書きの一筆。です。
余命僅かになったというものの、地獄をみながら死にたくはナイんで、さて、さて、だ。難しいパズルです。