涙、壊れているけれど⑧
ズルズルと、しかし押し上げろ
/生きるちゅうのは引きずることです。ズルズルズルズル引きずっていくことですよ。ズルズルズルズル音をたててみっともないですよ(『人間交差点』「扉」・・・弘兼賢史(画)、矢島正雄(原作))/
いない、いない、いない、のだからしょうがナイ。つまり世界(宇宙)は、いない、いない、いないの世界に変容したのだから、私を表現している世界もチガウし、私が表現している世界もチガウ。いつか私が「いない」になったら、また、世界(宇宙)も変わるだろう。
たしかに、生きるというはズルズルと引きずっていくことにはチガイナイ。「いない」ということはもう引きずらなくていいのだから。
だが、生き残った私(たち)は、ナニを引きずる。と、これが問題じゃないの。そう思うんだけどねえ。現存する芸人における歴史上最高のギャグは、間寛平さんの「引きずり女でございます」だとあちきは考えてるからね。みっともない、たしかにそうなんだけど、あの完全に意味のナイ、というより、この世のものではナイ、あのギャグ。神も仏も凍りつく、あの・・・まあ、いいですよ。とにかくスゴイということで。で、ズルズルズルと、生きるということの何か、いやそのものを引きずっていくんだと思います。しかし、私は芸人じゃありませんから、カッコイイことの一つもいわないといけない。だから「しかし押し上げろ」です。押し上げていきます。何の意味もナイのに。足がズルッ、ズルッズルズルズル、といきまさあね。それでも押し上げていく。意地なんですから、意地でささえる夢すらなくなって、なお、意地なんですから。
てなこと書いて、カッコイイんですが、さっき、晩飯のおかずに買ったシュウマイを台所でパックのふたを開けたとたん引っ繰り返してしまって、一個は食える状態ではなかったものの、四個、拾って食いました。どういうワケか、近所のコンビニスーパーのデリカが美味いんです。ロース豚カツなんてサイコー、これが二枚で200円かな。きっと食べることの好きなひとがつくってんだと思います。ソーメン、贅沢して、「揖保の糸」二把。んなことやってる生活者ですから、な~にが、「生きるちゅうのは引きずることです。ズルズルズルズル引きずっていくことですよ。ズルズルズルズル音をたててみっともないですよ」なもんか。て、ところでしょうねえ。シューマイ引っ繰り返しているほうが、よっぽどみっともナイんだから。
本日、精神科の主治医とミーティング(診療なんですけど、どうも私という患者とは、そんなふうになりますねえ)しまして、結論は、セロトニン症候群だと、決まりました。決まったから治るというもんでもナイんですけどね。
要するに十数年前の、名古屋で通院していた精神科医の誤診です。セロトニン症候群を男性更年期障害と思い込んで、抗鬱剤はそのまんま、自律神経の安定に効果がある(と、当時はガイドラインでそうなっていた)レキソタンを投薬したんですね。おかげで、私は、ずううっと、微熱、頻脈、下痢、目眩、要するにセロトニン症候群で苦しんできたというワケで、ともかく、まず、こいつを何とかスル。ということで、三週間かけて、一日25㎎服用していた抗鬱剤(セロトニン含有)をゼロにしました。かつては、多いときは一日100㎎服用してましたからねえ。
いまのdoctorが悔やんでました。「そうか、しまったなあ、あのとき、前の医師が何故レキソタンを投与したか、理由をもっとキチンと訊くべきでした」。このdoctor、のそういう診療態度が好きですね私。だって、そうでないと医学(科学ですからね)の進歩はナイですよ。医療ガイドラインに沿って、というか、それに頼ってだけの治療が多すぎます。
セロトニン症候群は、何とかなりそうなんですが、うつ病が治ったワケでなく、今夜は久しぶりに痛みが出ましたワ。しかし、「ワカッタ」ということは私にとってはとて重要なことなんです。私、ワカルまで考えるほうなんで。
ですから、これからは、闘い方も変わります。世界は変わった。いない、いない、いない、ときた。今朝、新幹線でdoctorの診療に向かうとき、初めて、いないいないいない、ことについて、その世界に対して涙がこぼれました。いないのか、でも、ズルズルズルと押し上げナイとなあ。シューマイ引っ繰り返さないように気をつけないと。
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