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2016年6月25日 (土)

涙、壊れているけれど④

柄本さんからもらった本

 

『「絶望」の授業』というのを、サイン入りでもらったんだけど、これはその、ずいぶん前にNHKが番組でやってたのを文字に起こしたもんなんだけど、あの、ほら、出身地の小学校行って、授業ヤルってあれ。

中津川演劇キャンプでも同じコードのレクチャーを観ているんだけど、これは対象が小学生。で、ポンといってしまうと、これは柄本さんの演技における〈弁証法〉なんです。でも、小学生にもワカル。というか、柄本さん自身、弁証法は勉強、たぶん、してないと思うからですね、体得してきたのが、弁証法になっちゃってるんだナ。とはいえ、戸は家にあるんだけど、この弁証法は正しいんです。スタニスラフスキー(このひとは真面目にやって間違っちゃったんだけど)よりも、ブレヒト(このひとのは、まったくの孫引き、たぶんヘーゲルを読んでいない、完全なガセ)よりも正鵠です。

でね、そのアトで、やっぱり『ゴドー』なんか演らせるの。でも、オレは『ゴドー』はまったくダメだと思ってるから、何でって、ツマンナイだもん。ふつう「わからない」といわれておりますが、私にいわせれば「ツマンナイ」。あのね、これ読むなら、太宰さんの『待つ』と、かの有名な『走れメロス』とを読めば、〈待つ〉というのはこういうもんだよ、というのがうんともっとよくワカリマス。だから『ゴドー』は大嫌い。暇つぶしにしては時間の無駄。ノーベル文学賞最大の失態。しかし、あっそうか、これ「クダラナイ」から日本の演劇業界で演じられる回数が多いのかとも思いました。クダラナイ外国(アチャラカ)戯曲、わりと日本の演劇人、好きだもんなあ。ゴーリキーの『どん底』とか、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』とか、どこがどうオモシロイわけっ。んっ。(アチャラカというのをドタバタ劇、ナンセンス劇、軽演劇と勘違いしている演劇業界人も多いんですが、何度もいうように、納戸は家の中なんだけど、アチャラカとは、〈アッチのほうの、つまり外国のほうのという意味のslangです〉

しかし、四十年、演劇やってると、かつ、誰も観てない屋上酒場のステージの余興コントから叩き上げ、鍛え上げられてると、論理が血肉化、思想が骨身になっているから、やっぱスゴイわ。オレ30年かけて演劇論のホン一冊書いて、威張ってたけど、かないませんね。いってることはだいたい同じなんだけど、それを小学生にもワカルようにレクチャー出来るというのは脱帽でしかありません。ここに十年の差があるんだろうなあ。

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