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父の浮気相手は、事実上父の切り盛りしている下請けの町工場にパートで来ている女性で、そんなことは、私にしてみればどうでもよかったのだが、その女性の娘が、私と同じクラスの転校生で、私は小学生だったが、だからその転校生も小学生なのだが、子供の世界もさほど大人の世界と大差はなく、彼女から「うちのママと、あんたのお父さんとは出来ていて、それが噂になって、ママは機嫌悪いんだけど、どうしてくれるの」と、責められたときは、私は〈立場〉というものが、まるでなんだかさっぱりワカラナクなった。
おまけにコマッタことに、その転校生は、どうやら私に気があるらしく、私の父親の浮気のせいで、自分の〈恋心〉がうまく進まないということにも憤慨しているようで、そこまで踏み込まれて責められるとなると、だいたい、〈浮気〉して、大人がナニをするのかさへ知らない十一歳の無知なウブな存在は、路頭に迷うしかナカッタ。
幸いにして、というか、当然の成り行きなのだろうけど、転校生は三カ月ばかりでまた転校していった。父親はいなかったらしい。まだ、「団地」というものが新しく、そこに暮らすのが、当時の主婦の夢に近かった時代で、彼女とその母親は、その団地に住んでいた。日活ロマンポルノに、『団地妻シリーズ』が登場するのは、それからさらに十年ばかりのちのことだ。
私が、散文(小説)のほうに進んでいたら、この事実の私史を書いていたかどうか。おそらく書かなかったろう。私はこういうplotには何の興味もナイのだ。子供というモノは、な~んだって知っている。それを知らないような顔をしているのだから、世の中に子供ほどウソをつくことが上手な存在はナイ。だから、いわゆる「名子役」などと賞賛される役者などにも、まったく興味はナイ。業界では「子供と動物には勝てない」などという通俗的な命題があるが、そんなことを口にする役者は、どんなものにも勝てっこナイのに決まっているのだ。
蛇足になるが、清純派としてブレイクした吉永小百合さんは、三十歳を過ぎたあたりで、インタビューに答えてこんなことをいっている。「あの頃は、イメージというものがありましたから、どんなタイプの男性が好きですかと訊かれたら〈ジャガイモのようなひと〉と答えてました。もちろん、ウソでした」
私は若い頃の吉永小百合さんには、まったく興味はなかったが、彼女に注目しだしたのは、『細雪』(1983年、市川昆監督、東宝映画)の 蒔岡雪子(三女)からで、とはいえ「サユリスト」とはほど遠く、1973年(昭和48年)にフジテレビのディレクター、岡田太郎氏と15歳差で結婚したときも、このひと、ファザコンなのかなあ、てなくらいにしか気にとめなかった。
彼女も71歳。とはいえ、その美貌に衰えを知らないのは、岸 惠子さんが83歳でもエレガンス(上品な美しさ、優雅、気品)に陰りがナイのに匹敵する。赤座美代子さんも吉永さんと殆ど同年の72歳だ。シャーロット・ランプリングには〈老いて〉の美があるが、この日本女優さんたちとなら、まだヤレる、という勇気を持つことが出来る。
どうして、こういう品のナイ終わらせ方なのかねえ。どうでもイイや。
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