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2016年3月24日 (木)

♡~35

嘆くなっ、悄気るナ、しょぼくれるなっ、と、今年六十四歳になろうとしているものが、自らにいいきかせている。まるで、アドレッセンスな若者みたいだが、ほんとうに嘆き悄気てしょぼくれているのは、私よりまだ年齢が上の高齢者だろうと思う。
独り泣いているのも、そういった人々だろう。
「むかしは良かった」とは誰しも思うらしいが、それは、「良かった」ことを「記憶」の中に持っているだけのことであって、将来、未来は「記憶」の範疇では捉えられないからだ。ところで、私は「誰しも」ではナイらしく、「むかしは良かった」と懐古も回顧もしたことはナイ。嘆いて、悄気て、しょぼくれているが、いまのほうがイイ。平均余命はアト20年だから、たぶん平均以下の私は、その四分の一の5年、そこまでが精一杯という感じなので、もう5年で、懲役刑も終わって釈放となるんだと、そんな気分でいる。
「これが人生かっ、よしもう一度」と、いうたんは、ニーチェで、つまり永劫回帰の思想とからしいが、ニーチェは人生の最後の十年を脳梅毒で入院生活していて、ニーチェのどの書物を読むより、よくもまあ、脳梅毒で10年も生きはったなあと、驚嘆、感服。
別に貧乏に嘆いたり悄気たりしょぼくれたりしているワケではナイ。次第にいうことの利かなくなってきた身体に対して、ため息しているだけだ。10年前のように動こうとすると、ある程度、意識的に頑張らねばならない。
外では元気いっぱいやってるが、外で悄気ているワケにはイカナイからな。
で、自宅では、一日の大半をフリーズしている。
このあいだは、ちょっとしたことで右手首を捻ってしまい、また、ちょっとしたことで、左足首を挫いてしまって、いやあ、まいった。眼が悪くなったのと合わせて、ともかく歩くと、どうしても真っ直ぐ歩けず、バランスがふいに崩れることがある。ほんとうなら転んでいるんだろうけど、さすがに昔とった杵柄ならぬ、運動神経。そこは寸でのところで回避して、おっと、まだ大丈夫だなと、ほっとしたりして、ね。風呂からあがると、立ったまま靴下の左右がちゃんと履けることに安心し、鎮痛剤の効かぬ痛みにも慣れてきて、もうちょっとの我慢だ、と、なんの根拠もナイ我慢をしている。
しかし「むかしは良かった」とは思わない。「孤独」と「愛」とを奪われた「むかし」のどこが良かったものか。
「孤独」も「愛」もわからぬから、淋しさも憎しみもナイ。退屈と鬱陶しさがあるだけだ。書き物をしていると、世界も我も消えていく。これが快楽だな。無我夢中というものだ。世界も我も消える、涅槃寂静ともいうな。我即是空、空即是我。よろしい。こういうことだけは、齢を重ねなければワカラナイ愉楽、悦楽なんだろう。

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