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2016年3月

2016年3月26日 (土)

♡~36

日向ぼっこ青空は黙って青し ただ青し
(こういうのを孤独ではなく、孤愁というのかなあ。それならワカル)

この恋というにもとどかぬ雲ひとつ

若き日のきみに似ている面影がレジの少女のえりぼくろ
(古き時代の歌謡曲の sampling & remix ですね)

なんだかねえ、毎日が後片付けしているような按配で過ぎていくんだなあ。何の片付けかって、それは、私自身の過ごした時間のというか、手をつけたものに対してのケリの付け方というのかな。

お神楽の十里行くは重力波さざなみの如し白拍子の歌
(まっ、駄洒落なんですけどね。神楽はKAGRA、ジュウリイクハをジュウリョクハと駄洒落てみたワケ)

お天気いいし、部屋にくすぶっていないで、外に出ればというひともあるんだけど、べつに燻っているワケではねえんです。老いれば、一日は長く一年は短しというけれど、わたくしは、一日は短く一年は長しですね。加速度がすさまじいから、30分ほど書き仕事したかなと思うと、三時間経ってたりして。あっという間に一日は終ります。
このブログを書いているとき、この世界で生存しているのはわたくし独りで、即ち、読み手はいないような気がして。或いは、ここだけ強い重力場があって、コトバはすべて重力波のような気がして。そうなると、このブログのコトバの重力波(さざなみ)の影響を検出するために測定しなければいけない変化は、なんと10の21乗メートルあたり5㎜という想像を絶する精度。逆に1mあたりに換算すると、1ナノメートル(nano meter)10億分の1mをさらに1ナノメートルに分解して、さらに1000分の1にするんだから、伝わらないかもね。でも、それは孤独とはいわない。宇宙に、重力波のさざなみに包容されているって感じでんなあ。

2016年3月24日 (木)

♡~35

嘆くなっ、悄気るナ、しょぼくれるなっ、と、今年六十四歳になろうとしているものが、自らにいいきかせている。まるで、アドレッセンスな若者みたいだが、ほんとうに嘆き悄気てしょぼくれているのは、私よりまだ年齢が上の高齢者だろうと思う。
独り泣いているのも、そういった人々だろう。
「むかしは良かった」とは誰しも思うらしいが、それは、「良かった」ことを「記憶」の中に持っているだけのことであって、将来、未来は「記憶」の範疇では捉えられないからだ。ところで、私は「誰しも」ではナイらしく、「むかしは良かった」と懐古も回顧もしたことはナイ。嘆いて、悄気て、しょぼくれているが、いまのほうがイイ。平均余命はアト20年だから、たぶん平均以下の私は、その四分の一の5年、そこまでが精一杯という感じなので、もう5年で、懲役刑も終わって釈放となるんだと、そんな気分でいる。
「これが人生かっ、よしもう一度」と、いうたんは、ニーチェで、つまり永劫回帰の思想とからしいが、ニーチェは人生の最後の十年を脳梅毒で入院生活していて、ニーチェのどの書物を読むより、よくもまあ、脳梅毒で10年も生きはったなあと、驚嘆、感服。
別に貧乏に嘆いたり悄気たりしょぼくれたりしているワケではナイ。次第にいうことの利かなくなってきた身体に対して、ため息しているだけだ。10年前のように動こうとすると、ある程度、意識的に頑張らねばならない。
外では元気いっぱいやってるが、外で悄気ているワケにはイカナイからな。
で、自宅では、一日の大半をフリーズしている。
このあいだは、ちょっとしたことで右手首を捻ってしまい、また、ちょっとしたことで、左足首を挫いてしまって、いやあ、まいった。眼が悪くなったのと合わせて、ともかく歩くと、どうしても真っ直ぐ歩けず、バランスがふいに崩れることがある。ほんとうなら転んでいるんだろうけど、さすがに昔とった杵柄ならぬ、運動神経。そこは寸でのところで回避して、おっと、まだ大丈夫だなと、ほっとしたりして、ね。風呂からあがると、立ったまま靴下の左右がちゃんと履けることに安心し、鎮痛剤の効かぬ痛みにも慣れてきて、もうちょっとの我慢だ、と、なんの根拠もナイ我慢をしている。
しかし「むかしは良かった」とは思わない。「孤独」と「愛」とを奪われた「むかし」のどこが良かったものか。
「孤独」も「愛」もわからぬから、淋しさも憎しみもナイ。退屈と鬱陶しさがあるだけだ。書き物をしていると、世界も我も消えていく。これが快楽だな。無我夢中というものだ。世界も我も消える、涅槃寂静ともいうな。我即是空、空即是我。よろしい。こういうことだけは、齢を重ねなければワカラナイ愉楽、悦楽なんだろう。

2016年3月18日 (金)

♡~34

父の浮気相手は、事実上父の切り盛りしている下請けの町工場にパートで来ている女性で、そんなことは、私にしてみればどうでもよかったのだが、その女性の娘が、私と同じクラスの転校生で、私は小学生だったが、だからその転校生も小学生なのだが、子供の世界もさほど大人の世界と大差はなく、彼女から「うちのママと、あんたのお父さんとは出来ていて、それが噂になって、ママは機嫌悪いんだけど、どうしてくれるの」と、責められたときは、私は〈立場〉というものが、まるでなんだかさっぱりワカラナクなった。
おまけにコマッタことに、その転校生は、どうやら私に気があるらしく、私の父親の浮気のせいで、自分の〈恋心〉がうまく進まないということにも憤慨しているようで、そこまで踏み込まれて責められるとなると、だいたい、〈浮気〉して、大人がナニをするのかさへ知らない十一歳の無知なウブな存在は、路頭に迷うしかナカッタ。
幸いにして、というか、当然の成り行きなのだろうけど、転校生は三カ月ばかりでまた転校していった。父親はいなかったらしい。まだ、「団地」というものが新しく、そこに暮らすのが、当時の主婦の夢に近かった時代で、彼女とその母親は、その団地に住んでいた。日活ロマンポルノに、『団地妻シリーズ』が登場するのは、それからさらに十年ばかりのちのことだ。
私が、散文(小説)のほうに進んでいたら、この事実の私史を書いていたかどうか。おそらく書かなかったろう。私はこういうplotには何の興味もナイのだ。子供というモノは、な~んだって知っている。それを知らないような顔をしているのだから、世の中に子供ほどウソをつくことが上手な存在はナイ。だから、いわゆる「名子役」などと賞賛される役者などにも、まったく興味はナイ。業界では「子供と動物には勝てない」などという通俗的な命題があるが、そんなことを口にする役者は、どんなものにも勝てっこナイのに決まっているのだ。
蛇足になるが、清純派としてブレイクした吉永小百合さんは、三十歳を過ぎたあたりで、インタビューに答えてこんなことをいっている。「あの頃は、イメージというものがありましたから、どんなタイプの男性が好きですかと訊かれたら〈ジャガイモのようなひと〉と答えてました。もちろん、ウソでした」
私は若い頃の吉永小百合さんには、まったく興味はなかったが、彼女に注目しだしたのは、『細雪』(1983年、市川昆監督、東宝映画)の 蒔岡雪子(三女)からで、とはいえ「サユリスト」とはほど遠く、1973年(昭和48年)にフジテレビのディレクター、岡田太郎氏と15歳差で結婚したときも、このひと、ファザコンなのかなあ、てなくらいにしか気にとめなかった。
彼女も71歳。とはいえ、その美貌に衰えを知らないのは、岸 惠子さんが83歳でもエレガンス(上品な美しさ、優雅、気品)に陰りがナイのに匹敵する。赤座美代子さんも吉永さんと殆ど同年の72歳だ。シャーロット・ランプリングには〈老いて〉の美があるが、この日本女優さんたちとなら、まだヤレる、という勇気を持つことが出来る。
どうして、こういう品のナイ終わらせ方なのかねえ。どうでもイイや。

2016年3月17日 (木)

♡~33

いやあ、疲れた。モヘンジョ・ダロにいきたしと思えども、彼の地はあまりに遠くせめて、旅に出でてみん。で、自由律で三句。

夕陽の丘のふもと行くバスをずっと待っている

こんなさびしい夜汽車に乗れば誰でも賢治になってしまう

峠の汽車の汽笛聞きたく無人駅で耳をすます

2016年3月13日 (日)

お報せ

こちらをどうぞ。
http://spice.eplus.jp/articles/44236

劇評『PORTAL』(作・林慎一郎、演出・松本雄吉、林慎一郎)

2016/03/13於、京都ロームシアター15:00
いま、都市論めいたものを戯曲、演劇で表現しようとするならば、その時間性は空間性によって変容されたところの時間性をもって描かなければならず、逆に、空間性を描こうとすると、時間性によって変容されたるところの空間性を解いた上で、説かねばならない。さらに、都市論は〈劇〉という表現において、都市〈生活〉論に昇華されねばならない。
都市をみつめる眼差しを〈記憶〉という心象を頼りに、生活の定住と移動を往還させ、「都市の地図」はかくも緻密に大胆に、そうして正確に概念を置換されて、林慎一郎の脳髄において、作品『PORTAL』として刻み込まれた。これが、神なるものの突きつけたゲームに対する応手であろうに、さらに、その結果として、神も知らぬ、ひとの〈哀しみ〉すら浮き彫りにしてしまった。この傾向のさまざまな演劇において、これ以上の完成度をみせた舞台を、私は他に知らない。
林慎一郎の〈ハイ・イメージ〉論ともいえる、このシリーズのこの先の課題は、この都市生活幻想の中に、今回、かいまみせる程度だった〈対幻想〉を如何にして対峙させていくかにつきる気がする。
私も、林慎一郎のいう「ヤコブの梯子」の螺旋階段を昇っていくつもりでいたが、イイワケがましく述べると、長年の忌まわしい疾病のために、いまや精も根も尽き果てた。けれども、林慎一郎の成さんとしている〈仕事〉のおかげで、肩の荷をひとつ降ろすことが出来たというのが正直な気持ちだ。林慎一郎は伊丹想流私塾の塾生から師範へと、つまりは流れだけでいえば、私の弟子スジということになるが、鳶が鷹を生むとはまさにこのことをいうのかと、苦笑している。
松本さんは、よくぞ、林をツカマエテ下さった。松本さん無くば、林も私の退屈と暇つぶしに付き合ったに終わったにチガイナイ。
あたしゃ、もう、これで、アトは使い棄てられるまで使えるものを好きなように使って戯れ言を弄する仕事と、かないもしない恋がまたあるかも知れないという妄想(romanticism)に抱かれて、余生とやらを経験すればヨシということにスルわ。

2016年3月12日 (土)

♡~32

静けさのなかに雨がふっている

釣り銭もらって春雨の中を帰る

春なのに碧空深くじっと飛行機をみつめる

2016年3月 9日 (水)

♡~31

若い頃に〈いい時代〉を生きさせてもらったと思う。そのころ、読み、観て、聴いたことは、いまの私の仕事の財になっている。だから、いまは、その財にほんの少々の利子をつけて返還してているだけだ。
このあいだは、伊丹の戯曲塾の第二十期生の卒塾公演が成った。作品そのものより、塾生たちの緊張した顔と笑顔が最高の収穫だった。一期約10~12人として、200~240人の「明日来るひと」たちの半数は、すでに「今日生きるひと」になっている。
とはいえ、私自身は「むかし生きたひと」ではナイ。
六十三歳からは余生だとは思っているが、余生は延命ではナイ。また、ふつうの市井の人々なら、悠々自適な者もあるにチガイナイ。私事の恥ずかしき事情で、いまは独り暮らしに甘んじ、四十年にわたる〈うつ病〉との闘いはいまだ決着をみない。身体はかなりのガタつきで、破損個所が数多だが、精神とココロは十六歳を固持している。

もう少しアトから観ようと予定していたが、昨今の眼のイカレ具合から、ちゃんとみえるうちに観てしまうかと、『必殺必中仕事屋稼業』のDVDボックスの封印を解いた。この作品は、必殺シリーズ中、最も芸術性の高い作品で、エンターティンメントとしては、『必殺仕置人』の正・続が最高傑作とされているが、いわゆる主水もの以外の系列でいえば、『必殺からくり人』と双璧をなす、これもまた最高傑作だ。物語の内容は殆ど忘却しているが、第一話の最後のせりふ、元締めの草笛光子さんのコトバだけは記憶している。ひょんなことから、かつて棄てざるを得なかった実子を仕事人に持つようになってしまい、その彼にこういうのだ。「あなたが地獄に落ちるときは、私も一緒です」。
この作品の最終話のあまりの冷酷さに、当時の私は、震えるほどの衝撃を受けたことを、いまでも覚えている。と、同時に、ひとというものは、覚悟を迫られるときがいつかは来るのだという〈覚悟〉、覚悟の覚悟を心身に刻んだ。

今夜の晩飯は、水菜と油揚の煮物だ。
水菜もほうれん草も高値だ。その理由をいろいろと調べてみたが、ひとつだけ、なるほどと思うコトバがあった。曰く「野菜が安いというのは、ほんとうはおかしいことで、種まきから収穫までの手間ヒマを考えれば、もっと高くてもイイはずだ」
野菜も、農業から工業化へと進んでいっている。野菜がほんとうに安値で提供される日も近いとかんがえる。
この工業化は、金融にも進出し、「金融工業」という新分野の学問が、すでに実質的に動き出し、投資家の中にはそれで利潤をあげている者もある。これはヘッジファンドのように大きな儲けと大きなリスクを背負うものでなく、それなりの投資に見合った利潤と、なによりも、「良いことをすると儲かる」という、経済のコペルニクス的転換を成し遂げた。
私たちは、環太平洋の連動地震のさなかにあって、文明が一瞬にして崩壊することを、人命が簡単に損なわれることを虞れているが、生まれてきた以上、死ぬのは一回だけだ。そうしてそれは「一呼吸」のあいだに決まる。吸って吐いて、ひとの命はその長さだと諭したのは、釈尊だ。

世界は変わろうとしている。人類の視線のベクトルは一斉に、いい兆しに向いた。何も知らずに猿のように騒いでいるのは、政治家と称する詐欺師だけだ。

2016年3月 8日 (火)

♡~30

春を詠む ついでに謳う余命あり

日だまりは かなわぬ恋の兆しかも

疲れたのでチガウ私で花をみている

からだじゅう痛いので微笑ってしまう

春の陽の暖かきかなカラダ冷たき

2016年3月 1日 (火)

♡~29

「死ぬ気で頑張るのはイカンっ、死んでしまうからナ。殺す気でやるんじゃっ」。
どこの爺様か知らないが、市井のこの年寄りのコトバが、ツイッターで話題になっている。いまだからいえるが、私が役者として舞台をやる場合、出番を袖で待つとき、いつもやってたのが、観客との一対一の果たし合いのイメージで、「必ず倒す」と、剣を持ったつもりで構えていた。
以前も書いたが、「自分との闘い」などは無い。「自分」の〈ナニ〉と闘うのか具体的に敵を明確にしないと闘えないか、マチガッタ闘いになる。
かつて、うつ病の養生法に「従病(しょうびょう)」というのがあった。おそらくいまでもある。つまり、無理な闘いはやめて、疾病(うつ病)と仲良くやっていく、という医療従事者、つまり医師の提唱なのだが、それが不可能なことは、罹患者が最もよく知っている。外国(主に米国)では、うつ病のことを dependent(従属)と通称している。症状に従わざるを得ない。苦痛に従う他ナイ。人を強烈に従わせる疾病だ。というふうなニュアンスによる。いい得て妙だと、私も同感する。
還暦を過ぎて、若い頃と症状が変容してきたので、いまは暗中模索、試行錯誤、五里霧中で、半ば翻弄されているが、これから、夏をこさなければ、ナ。
ちなみに、以前も書いたが、『老人と海』(ノーベル賞受賞)で知られるアメリカの作家ヘミングウェイは、マラリア、炭疽病、肺炎、赤痢、皮膚ガン、肝炎、貧血症、糖尿病、高血圧症、2回の飛行機事故、腎臓破裂、脾臓破裂、肝臓破裂、脊椎骨折、頭骨骨折、を克服し、その頑強な肉体もウリだったが、死因はうつ病によるライフル自殺だ。幸い、私は頑強な肉体を持ち合わせていないので、死ぬ気で頑張ることなど出来ないが、紳士ではナイので、おそらく「殺し」はわりあい、淡々とやってしまうのではないかと推測している。

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