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2016年2月10日 (水)

♡~23

「悟りを得る」という命題は偽。何故なら悟りは「開く」ものだからだ。「得る」としたなら、「悟り」とうものが、何処かに存在することになる。「開く」のは自分だ。その方法が「中道」だ、と釈尊は述べた。あたしゃ仏教学者でも坊主でもナイけどね、一応、釈迦の思想は自分なりに学んだかんね。これいうと、上座(小乗)の修行ボンズ(これ、ポルトガル語、ボンズ、差別用語です)からは、本読んだだけでしょ。そんなものはダメなのよといわれる。んじゃ、あれかい、聖徳太子は、ありゃダメかい。修行なんかしてないみたいだけど。と、まあ、揶揄することにしている。
「中道」というと、苦行はダメ、けど楽もダメ、だからその中程をって、なんだか妥協のように流布されているけど、それも上座のウソ。中道というのは、「道」なんだなぁ。だって中道だもん。
釈尊自身が悟りを開いたかどうか、それはまあ、どうでもイイ。「開く」っていうからには、「叩け、さらば開かれん」で、叩かなきゃいけない。で、どこにそんな門があるのかというと、ワカンナイ。だから、中道。まあ、中くらいの(ほどほどの)速度で道を歩いていけばいいんじゃないの。リヤカー牽いて、荒野を。何処かに門くらいあるだろうって、そんないい加減な感じで。拙作『寿歌西へ』は、そういう作品です。
自分との闘い。闘病というのをこういうふうに誤解してはいけない。自分と闘ったって仕方ない。闘うのは自分の「疾病」とだ。なんでなら、それが自分を楽にする中道だから。この道の歩き方は、ニュートンが「無限」に対して定義した〈極限〉と同じ。だから、負けたってイイじゃん。自分に負けたワケではナイ、自分は闘って、疾病に負けたと、まあそういうことですから。闘った自分を褒めてあげるべきです。
で、ありますから「自分との闘い」なんて誰がいったのか知らないけど、そういう聞こえはイイが、マチガッタことはしてはイケナイ。〈自分の何〉と闘うのか、冷静に考えてから、闘いはやんなさい。六十四歳なんだから、これくらいの説教はお許しあれ、だ。
闘い方、いろいろあるでしょう。けんども、普遍的にいえるのは、「自分の何か」と闘うときは、「みんな独り、ひとは他人」が前提。「孤独」は分け隔てなく、人間が持っているもの。(私のような例外も中には存在するけど。私は孤独ではナイといってんじゃナイのよ。〈孤独〉というのが、よくワカランの。〈愛〉もだけど。愛情、人情ならワカルんだけどな)。「ひとは他人」です。このほんとうを解すれば、腹もたたないはずなんだけど、怨みもしないはずなんだけど、なかなかそういう境地にはねえ。しかし、「他人」のために何かする。これ「情はひと(他人)の為ならず」です。とはいえ、ここはまた難しい。「善かれと思ってしたことが、必ずいい結果になる」とは限らない。因果ってのはナイの。因縁もナイ。あるのは「関係の偶然性」或いは「関係の確率性」。この結果を産んだ要因は、これこれってのはナイ。結果は一つしかも知れないが、要因、原因は、数多あるから勘定できない。よって、そんなものを結果の因なんかには出来ない。自然世界には原因、要因、つまり因はアリマセン。結果だけがあるのです。その偶然と確率とだけがあるのです。
「断舎利」ってのが、流行ってんだってな。「断=入ってくる要らない物を断つ」「捨=家にずっとある要らない物を捨てる」「離=物への執着から離れる」。やましたひでこって御仁がヨーガの行法、「断行」「捨行」「離行」という考え方を応用して考案したもので、人生や日常生活に不要なモノを断ち、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れられるという考え方、生き方、処世術です。(やましたさんは「断捨離」という言葉を商標登録しています。商標登録第4787094号。こういうのは、お捨てにならないでしっかり持ってらっしゃる)
私の場合「入ってくるものが要るのか要らないのかワカラナイことが多いので、とりあえず脳内に情報としてファイルしておく」。「要らないものは捨てないで、それを要しているところに送る。あるいはまったく別の使い方がないかを考える」(そういうことが出来ないものはもちろん棄てる)。「何事にも執着する」(固執はイケマセン。しかし、投げ出すのはもっとイケナイ。柔軟にいかないと。私は能無しだから、ただただ粘る。粘って考える。で、これは執着する必要なしと結論したらハイ、それまでよ、です)。これも、「中道」の考え方です。でも、ちょっとアレって思うでしょ。しかし、「執着しない」ということは出来ない相談なんです。論理的にもいえます。ひとは執着しないと決めたら、執着しないことに執着してしまう存在です。それと、「とりあえずファイル」ってのは、・・・方法があるんですが、また次の機会ということで、はい。「断舎利」、ヨーガの行、くっだらネエ。

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