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2016年2月 2日 (火)

♡~19

ニーチェが最初の書物を『ツアラトゥストラはかく語りき』とタイトルしたのは、のっけから、『アンチ・クリスト』の準備であり、すこぶるのアイロニーだった。「ツアラトゥストラ」、すなわち「ゾロアスター」は拝火教だが、イエスが引っ張ってきたのは、炎を拝むことではナイ。「天国」というカテゴリーだ。しかし、これは、のちに大きな傷を残すことになる。何故ならゾロアスター教は、中東から中国において起こった宗教であるために、ここにモハンメド(モハメット)という中東の預言者を産んでしまったことだ。これがイスラムとなって、キリスト教に叛するとは、イエスも予想だにしなかったろう。
イスラム教の「天国」と、キリスト教の「天国」とは、まったく概念がチガウ。イスラムのそれは、遥か遠く、この世ではナイ何処かにあるらしいのだが、キリスト教のそれは、特定されていない。この地上がそうなるのか、あるいは、現存(というのも変な使い回しだが)するのか、教派によって考えは異なる。イスラム教の天国が、極めて具体的に説かれているのに対して、イエスは聖書における言説を読む限りにおいて、天国をある種の喩として説いているだけだ。
ニーチェにもどる。ニーチェはイエス・キリストのみをキリスト教徒として認めている。つまり、弟子のひとり、パブロがローマ教皇になったことなどは、常に「権力」を問題視してきたニーチェの哲学においては、せせら笑うべきことなのだ。これは、釈尊の思想が、弟子たちの「結集」によって霧散したのと酷似している。

つづきを書くつもりが、一週間にわたる伊丹での、暇つぶし自主公演の旅になった。
帰ってきてその反動でか、鬱々と、なんだか、じぶんだけが、遺されて時代遅れの闘いだか反抗だかを意地になってやっているような哀しさと切なさに、メソメソと泣いてしまった。そうだ、あのひとに電話をしよう、励ましてもらおうなどと、アトから恥じ入るようなことも考えた。
生きるのはつまらないが、死ぬのはもっとつまらない。この時代、この世間をくだらないと思うが、それで自棄になる自分が最もくだらないのだ。
文化も文明も衰退と滅亡だけが、私の眼にはみえている。
しかしながら、きょうは、2018年シス・カンパニー公演の初稿冒頭のシーンを書いた。これが私の最後の作品になるかも知れない、てなことは、毎度、新作を書くときに心底思っていることだ。
「貧者の一灯」、そういうものに私はなりたい。
コルクボード仏壇に線香を焚いておくことにする。

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