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2016年1月24日 (日)

♡~18

☆ほんとうの自己(私)とかウソの自己(私)というものはナイ。なぜならば、ほんとうの自己(私)とかウソの自己(私)というものが判別(カテゴライズ)されて〈脳内〉に在るワケではナイからだ。ウソをつくということは、自己(私)を偽ることではナイ。そういう自己(私)が表現されたことになる、と、考えたほうがイイ。すなわち、脳(精神)においては、〈表現される自己(私)〉しか存在しないからだ。
☆自殺者が前年2015年は2万5千人で、5千人減ったという報道があった。つまり、これは、ほんとうは「自殺認定を二万五千人にした」というのが正しい。
☆ηある夕方のころ~風がおいらに伝えたさ~このまちの果てで~誰かが待っていると~俺は走った~呼んでみたさ~だけど俺を待つ影はなかったさ~・歌詞は虚覚えだけど、こんなふうだったと思う。唐さんの何の芝居だったかな。きょうは風に悪戯されて、スーパーの買い物袋が、結ばれたままコロコロと、あわてて停めた自転車は倒れるし、道路の車をぬって、買い物袋を追いかけて、やっとつかまえて、そうしたら、ふっと、この歌思い出した。唐さん、どうしてるかなあ。脳髄の中で風を観ながら、絵本描いてるかなあ。
☆ダーク・サイドってのがあるんだ。どんなひとにもね。「どうしたんだい、何か悪いことでもあったのかい。いつもと表情がチガウよ」てなふうに声をかける親しさがあるでなし、微笑みの消えた、いつものレジのお嬢さんから釣り銭受け取りながら、ああ、こんな恨むような顔も持ってるんだ、アタリマエだよな。と、こっちもココロ凍ったね。感情が動かなくなったナ。急いで帰って、布団にもぐり込んでラジオ聞いてたけど、日本語に聞こえないンだな。dark・side、日本語に訳すと「逢魔が時」かねえ。
☆〈自意識〉という認識は、他人と自己の区別には必要だが、それ以上に必要なものではナイ。後生大事にスルものでもナイ。自意識過剰なんてコトバがあるが、そういういい方をするなら、私の場合は〈他意識過剰〉だな。意識ってのは強固ではないので、いうならば「風通しがいい」ので、私はよく風になって、他者の意識を吹き抜ける。こんな術は、戯曲書きのリテラシーのようなもんだ。〈意識〉そのものがどんなものなのか、それは、意識したときには在り、そうでナイときには無いものだ。つまり、順序がふつう考えられているのとは逆なのね、私の考えでは。意識して動く、意識して思う、ではなくて、動いたり思ったりしたときに起こる作用を「意識」というのよ。難しくいえば、「認識の反(射)作用」かな。
☆『悲しくてやりきれない』って歌があるけど、たしかに〈悲しさ〉というものは〈やりきれない⇨胸を締め付けられるような ・ 可哀想な ・  哀れな ・ 気の毒な ・ 胸が張り裂けるような ・ 沈痛な ・ 身を切るような ・ 悲痛な ・ 辛い・ 心臓をわしづかみにされるような ・ 胸が圧迫されるような ・ 無念な・・ 胸をえぐられるような・ 切ない ・ すっきりとしない気持ちのもって行き場がない〉もんですね。

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