三つの生活
結婚をはさんで、二度、けっこうな歳になってからの独り暮らしをしたことがあるが、最初は保証人が代行だったからか、その類のワケアリの人々が住人らしく、二階建てのアパートは上下で五世帯ずつ、私は妙なことに二階の真ん中の部屋に住むことになった。二階の住人はまったくナニモノかは判らず、ワカルことは隣の部屋にはエアコンがナイということくらいだった。
私の部屋は、2DKで、暮らしに不自由があるとすれば、最寄りの駅まで一坂越えなくてはならないということで、私は運動代わりにと自転車を購入、駅に行くのにその勾配を昇ったが、これで、左膝の半月帯を断裂した。手術はリスクがあるので出来ないという医師の判断で、自転車でその坂を昇ることは出来なくなった。(ところが、これを知った私の塾の弟子たちが、カンパしあって電動自転車をギフトしてくれた)。
私の真下の部屋には、フィリピン妻と二人の幼児がいて、父親は鳶職らしく、現場に入ると半月ばかりは姿をみせなかったが、フィリピン妻はお国柄というのか、開けっ広げで、私はマチガッテ20ケースも購入してしまった2ℓペットボトル飲料水を4ケース分けてあげたり、子供が怪我をしたときは、応急の手当てをしたりした。にぎやかというより、うるさいくらいで、時折、同じ境遇のフィリピーナが子供連れで数人やってきては、お喋りをしていた。
一階のいっとう端の部屋は、老夫婦が住んでいて、夫のほうは寝たきりで、週に一度、ディケアサービスの車がやってきた。端っこという特典で、老妻はたくさんの花を育てていて、そこにも私は4ケースの水を持っていった。生業はおそらく生活保護だろうと思う。私の部屋にも特典にしようと思えば出来ることが一つあった。玄関ドアを出て、外廊に立つと、遠くではあったが、中学校のプールがみえた。外からの視線を遮断するための塀が施されていたが、私の立っている場所からは丸見えで、スクール水着の少女たちを細かにではあるが、観ることが出来た。その頃、私は望遠カメラを持っていたので、それを覗きさへすれば、あからさまにスクール水着の少女たちはみえたろうし、フィルムに収めることも出来たろうが、私は自分でも不思議に思うほど性的にはノーマルで、そういう変態行為にはまったく興味はなかった。
そこは一年で引き払った。理由は坂の昇り降りではなく、安普請なので、ちょうど、私の枕元で、隣の住人の小便の音が壁越しに聞こえて朝、目が覚めるという、その妙な習慣に辟易したからだ。
次のアパートは、家主が室内装飾の仕事だったからか、フローリングも木製のホンモノで、私の住居は三階だったが、二階は歯科医で夜になると、もう静かになり、隣室は若い夫婦で犬を飼っていて、どちらも陶芸関係の仕事らしかった。もう一方の隣室は、ここも若い夫婦だったが、小学生の子供、姉弟がおり、家族の仲はいいようにみえた。ところが、次第に夫のほうの酒癖が、DVに発展することがあり、いつも決まった時間(旦那の出勤は午後3時、帰宅は夜中なのだが)に、酒が入っていると子供の泣き声が筒抜けで聞こえてきて、母親のほうも飲んでいるらしく、止めに入ったりしないで、それを面白がっているようだった。階下に事務所を持つ大家にそのことを話したが、普段の様子からは信じられない(私も同様にそう思った)ということで、私は、児童相談所だったかに電話だけはして、そこは半年で引き払った。
さて、いま、また独居になったのだが、道路数本を隔てて、いわゆる歓楽街の名残もあり、まだそういうフーゾクの店もあるにはあり、山口組主流の組織の拠点がその辺りにあって、けして安穏な町とはいい難いのだが、私にしたところで若い頃は観音様の境内でテキ屋のアルバイトなどをしていたものだから、そういうことには撞着はナイのだ。当時は銭湯に行くと、ゲイのネエさんや、描きかけの絵を背負ったそのスジの連中と隣り合わせになって洗髪などしていたから。
住んでいるところは、ワンルームだが、バブル時代の建築で鉄筋ではなく、鉄骨、普請も良くて、ワンルームといえど12畳に1畳分のクローゼットは広く、システムキッチンで風呂、トイレ、洗面所は別々で何れも広く、ここも保証人代行なのだが、家主がそれぞれの部屋によってチガウという分筆で、住人も上と左右の三つは、まったくそれぞれとしかいいようがナイ。東側の部屋はまだ二十歳前後の男性が独り、仕事をしているのか、予備校にいっているのか、引越しもバン一台という、なんだかワケアリで、テレビや音響機器、パソコンの類すらナイようなのだ。彼は朝8時半に出かけ、何時に帰るのかワカラナイが、9時過ぎには風呂に入っているようだ。
西側はまた不思議で、住んでいるという生活の気配はまったくなく(そういうことは、洗濯物の干し方でワカル。つまり、洗濯物が干してナイのだ)。そこは夕方4時過ぎに風呂を沸かす音がして、5時過ぎに若い女性が数種類(つまり不特定)、出かけていく。帰宅は深夜の2時を過ぎているが、ときどき、男の声(というより唸るような気配)がする。たぶん、水商いの臨時宿泊所に使われているのではナイかと思われる。
真上の階は、新婚なのか同棲なのか、ともかくは二人とも働いている堅気さんのようだが、洗濯物は年中干してあり、取り込まれることはナイ。つまり、そこから着るものを取って洗濯したものを干すというシステムらしい。
私は子供の頃からの習性で〈孤独〉という感覚がワカラナイ人種なので(退屈ならワカルのだが)、独居はとくにどうってことはナイが、こういう人種の(といっても白人や黒人がいるワケではナイが)さまざまなワケアリでも、出会えば必ず挨拶は欠かさない。「おはようござい」「んちわっ」「こんばんわ」「おやすみっす」
私の部屋の特殊性としては、アマゾンの配達でクロネコさんの来訪がやたらと多いことくらいかな。
ときどき、朝、恐怖感を感じて起きる理由が最近ワカッタ。たぶん、ここで突然死していても暫くはワカラナイだろうなという他愛もナイものだ。私は〈死〉を恐れたことは殆どナイが(飛行機の墜落はゴメンだから)、ひとは死のうと思ってもなかなか死ねないものだし、寿命がくれば、否応なく逝ってしまうものだということに得心している。とはいえ、最近の同胞や知己、友人、同時代人の死には、ため息せずにはいられない。
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