私想的生活-04
『微分方程式と現象学と演劇と〈シミュラークル〉』というナンだかが、「めずらしいもん屋」に並んでいた。それぞれ個々はめずらしいものではナイ。しかし、四つ並べるとたしかに「めずらしい」もののように眼に映る。このナンだかを一冊の書物としてもイイ。そのほうがイメージしやすいだろうから、そうする。そうすると、この『微分方程式と現象学と演劇と〈シミュラークル〉』というのは書物のタイトルということになる。タイトルは本の〈部分〉だ。けれども、この〈部分〉を読んだだけで、この本の中身(全体)が漠然とみえてくる。みえてこなくても、こうなんじゃないかと〈思いこむこと〉は出来る。そういう識知営為はすでに、この書物に記されていることを実践していることになる。どういうことかというと、つまりある種の入れ子、メタ、みたいなものだ。解りにくいのならこういっとくことにする。夢野久作の小説『ドグラ・マグラ』には本文の中に『ドグラ・マグラ』という精神病患者の小説が研究用展示物として登場する。あるいは、セルバンテス『ドン・キホーテ 後編』の中には、『ドン・キホーテ 前編』が出版されている書物として登場する。それと同じ。(ナンノことやよけーにワカランようになったやろ。私はいまうつ病と闘病中で、要するにキチガイに刃物ではなく、私の場合はキチガイに書き物なのだから、仕方がないとアキラメテもらう。これをアキラメデスの原理という)
まあ、順序よくいこうじゃないか。ずっと私の読者であるひとにはよけいなことになるかも知れないが(つまり、またかよっ、だが)、北村想ビギナーのためにも、あるいはお復習いとして、いま一度記しておく。「微分方程式」とは何ぞや。
私は戯曲の私塾でもそれ自体をレクチャーすることもあるし、それを活用してレクチャーすることもある。もちろん、微分方程式の計算なんかやったこともナイし、そんなふうに使ったこともナイ。ただ、この「考え方」は応用が利くので、戯曲を書くことについて、さらに拡張して、演劇について語るときに用いる。微分方程式とは、「部分から全体を創りだす」作業をいう。この場合「部分」とは「微分係数 dy/dx」のことで、いわゆる「微分」だ。微分というのは、成分d(x.y)の比率を求めることだからだ。(この比率を係数という)。そこで、では「全体」とは何かというと、アタリマエのことだが、関数y=f(x)のことになる。storyやsequenceを「全体」というのなら、plotやsceneは「部分」というふうに考えても差し支えナイ。成分d(x.y)の比率というのは、戯曲においては、(日記的/説話的)を指す。
微分方程式のポイントは2点、①抽象化、②一般化。これは微分方程式が数学であるという宿命のようなもので、日常世界の事象を数学記号で現すのだから、どうしても抽象化することになり、さらにそれに普遍性を持たせるためには一般化しなければならない。①をフッサール現象学の造語でいうならば、それぞれのドクサ(思い込み)による客観性をいったん括弧に括るという〈エポケーするという〉「本質直観」に該り、②はそれぞれの何方さんにも納得出来るように妥当な基準を定める「想像変容」になる。だから順序としては①→②になるのだが、微分方程式の注意点として、ある「事象」→「抽象化」→「一般化」→「概念・法則化」としたものを、こりゃ便利とばかりに「概念・法則化」(数式)→「個々の固有値」(日常)に持っていこうとすると、これが、出来ない(というより、そうしてはイケナイ)のだ。何故なら、抽象化され法則化された数式(微分方程式)を日常に着地させようとすると、着地点(具体性)が無数にあることから、けっきょく定まらない結果を産んでしまう。この有名な失敗例を挙げれば(失礼ながら)「スタニスラフスキー・システム」というメソッドがそうだといわざるを得ない。
ここで、さきほどの戯曲の成分(日記的/説話的)を(現実/虚構)というふうに、大雑把ではあるが、まあそんなふうにもいえるワイナと思うので、そうしてみる。・・・これは拙著『恋愛的演劇論』に詳しい・・・さらにこれを(現実[実数]/虚構[虚数])と拡張すれば、戯曲は「複素数平面」(三次元的に捉えれば複素数空間)での表現ということになる。さあ~らに、ここから逆視して世界(自然)を眺むれば、「もし、この世界(自然)が、〈私の〉表現であるとすれば、現実それ自体というのはナイ。虚構それ自体というものもナイ」ことになる。
ニーチェまでいくと世界(自然)と〈私〉との関係・了解を「解釈」としたが、カントになると「もの自体」は、それを主観でしか観ることのできない個々が個々あるので(でなければ「私の考え」という考えを放棄、破棄しなければならない)、それを識るのは神ばかり、になるのだが、この辺のことは、今回は述べていくと面倒だからすっ飛ばす。
で、さて、〈シミュラークル〉なんだけど、疲れたので(つづく)にしとくワ。
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