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2015年12月27日 (日)

私想的生活-06

シミュラークルについて結論を書いて終わろうとするなら、いつでも終われるのだが、毎度かくなる長文、駄文を書き綴っているのは、たとえそれが銭にならなくても、「書かなくては腕が鈍る」「論理的思考、感性的心情が鈍る」からで、ダテにやってるワケではナイ。
演劇営為は、私がそれを指向しはじめた時代よりさらに東京一局集中、中央集権になってきているし、「地方活性化」「地方創成」なんてコトバが行政関係から飛び交っているようでは、東京以外みな〈地方〉というこの〈上から目線〉のイヤミな言辞は、水のナイ川辺の水車のように空回りしているように思えるほかナンノ感慨もナイ。
そんなふうに考えを当時(1980年、前後)にもどせば、まだ、東京という文化雑貨店に出品販売する機会はあった。何故なら、〈東京〉と称されていたものこそが、ここで話題にしているシミュラークルそのものだったからだ。江戸には実在としての風格があるが、その当時においても「日本」という概念はなく、現在の日本のあちこちの地名から考えてもそれは明確なことだ。例にしていうなら、「近畿」といのは「畿内」の近くのことだし、関西というのは、その「関」より西、関東なら「東」、「四国」は四つの国、「九州」は九つの州、「東北」となると、もう方角でしかなく、「北陸」もその類、「奥州」は奥の州で、「蝦夷」においては地名ではなく、「えみし」「えびす」と称される人々の蔑称らしく(諸説あるから)、大略としては、北方(現在の北海道地方)に住む人々を異族視した呼称であるとされている。「日本」という「国土」の通念が定着しはじめるのは、明治以降のことだ。
東京もまた、北京、南京と同じく、東の京(みやこ)であって、じっさいの都(天皇の在所)は京都だ。私たちは小中学校の歴史で、京都が空襲爆撃にあわなかったのは、文化建造物が多かったから、それを残しておこうというアメリカの温情と教えられたが、そんなことはウソだと思う。皇居が東京にあろうとも(これすら、東京が空襲でヤバクなってきたので長野県松本への遷都が決まっていた)、京都は帝の在所なのだ。
いま、私たちが〈東京〉と称している都市は、元ネタなどありはしない。江戸がそのまま東京になったなどというのは錯誤でしかない。〈東京〉は元ネタのないシミュラークルなのだ。だから、全国あちこちから一旗挙げよう、うだつ(梲)を上げよう・・・(うだつは建築用語で、一種の防火様式をいうが、これがあるとないのでは、格式、見栄えがチガウ)・・・として集まってきた雑民がシミュラークルとしてこさえた都市だといって差し支えない。江戸常民、ほんものの江戸っ子の末裔は、うんとひっそり暮らしているが、彼らの持っているものこそは江戸文化であり、東京文化ではナイ。
東京文化は、明治以降創られた、富国強兵、農本主義、の旗の下、海外資本主義の導入によって、人工的に造られた東京ランドでの文化だ。(さすがに「ウィキペディア」において「農本主義」については、ハナに「独自研究が含まれているおそれがあります。(2013年10月)。正確性に疑問が呈されています」とある)。
さてと、演劇の方向に話をもどすと、東京でしか演劇もんは食えないのが実情で、東京ではなくご当地で食っていくなら、地方名士にでもならない限り無理だ。けれども、これも「定員」てのがありそうで、そう多くを地方文化行政は引き受けてくれない。
東京でしかというのは、必ずしも東京に住むことを意味しないが、東京に住んでいるほうが便利にはチガイナイ。私はかろうじて、名古屋にいるが、これはAT(情報技術 Information technology。特にコンピュータなどの基礎あるいは応用技術の総称。通信 (communication) を含める場合はICTという)と、その周辺機器の発達があるからで、もはや、faxすら必要としない。ただ、私がこの関連で得た教訓は、必ず printせよ、だ。電子はあっという間に消失する。紙の文明はまだまだ終りそうにない。AT(と、その周辺)機器の繁殖で需要が増えたのは「紙・用紙」だという統計もある。
私のようなデスクワーカーはそれでもイイんだけど、劇団となるとそういうワケにはいかない。そこで、劇団単位で東京移転する〈地方〉の劇団も現れたが、成功譚は耳にしたことはナイ。個人の劇作家においても、似たようなもんだと思う。とはいえ、先述したように、東京はシミュラークルで、要するに地方、もっとワカリヤスク卑近なコトバをワザと用いれば「田舎もん」の寄り合い所帯だから、昨日まで「おらがよ、そうだべ」と喋っていたものが急に「僕がそうですよ」になって、「どの辺で遊んでるの」「六本木かな」てなことをいいあって、自身を東京の「表現された自己」にシミュラークルするという営為が日常の街なのだ。(いちおう、つづくにしとこうか)

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